ファーストキス 1ST KISSのレビュー・感想・評価
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リアリティはないけど素敵な映画
恋愛映画でタイムスリップものはリアリティがなくて感情移入しずらかった。
でも何度もタイムスリップする中で、かけるが出会ったばかりのカンナに何度も恋に落ちる所や、カンナが突き放しても結局未来では結婚している所、自分が死ぬとわかっても尚カンナと結婚したい、離婚したくないと伝える所は「運命の人」という言葉を信じたくなるような良いシーンだった。
タイムスリップする前の2人の夫婦関係は破綻していたのに、かけるが自分が死ぬことを知った後の世界線ではカンナとかけるの夫婦仲が良くなっていたことが、夫婦関係は相手への思いやりや歩み寄りで良いものに変わるというところがとても大切に感じた。
私たちはタイムスリップなんかできないし、過去を悔やんでも仕方がない。大事なのは今、未来の自分が後悔しないために、今一緒に居る相手を大切に過ごすことなんだと感じさせられた。
普段ラブストーリーは殆ど観ないが・・・ 間違い無く2025年を代表する一作
そよ風にさざめく木々の音、白樺並木の中で 駈がカンナに話す。
「あなたに恋をし始めているからでしょうか?だからあなたに会いたい、あなたの事が知りたい」
「一生・・・わからなくていいと思う」
そんな会話だったろうか。カンナが過去を変える為に出逢わなかった事にすると決意した後の二人のやりとりだ。
カンナは離婚を決意するまで冷めてしまった相手なのに、それでも生きていて欲しい、過去を変えれば生き続けてくれると・・・。
何故?
カンナが15年連れ添った駈への思いは“言葉”では表現しきれなかったのかもしれないし、男性目線で観るとその“理由”はわからないのかもしれない。
カンナは「過去を書き変える事が出来れば、あなたが死ななかった“今”を作れるかもしれない」
そう言って、何度も過去にタイムリープする、しかし、無情にも思い通りの“今”は訪れない
「あなたを助ける方法は、私達は出会わない、結婚しない。もうここしか無いよ・・・」
ちょっとしたボタンのかけ違いからすれ違ってしまった二人だが、本当はお互いの事を心の底では思い続けている。
それを愛と言う一言で片付けていいのかはわからないけど、行間に“言葉”には表せない思いが詰まっている。
カンナは“今”を変える事はできたのだろうか?
何度も何度も過去に戻って修正を重ねても、駈の“運命”は変えられなかったかもしれない。
だけれども、二人にとっての“今”は変える事が出来たのだと思う。
「餃子を焼く前に戻りたい」全ての始まりは、3年前代引きで注文し焦がしてしまった餃子。
そして“今”、チャイムが鳴って受け取ったのは、まだ焼いていない駈が頼んでくれた餃子。
恐らく、来年の日本アカデミー賞主演女優賞は松たか子さんで決まりなんでは無いだろうか。
そう思わせるほど、松さんがCUTE過ぎる。
年齢を重ねた役になる事より、若かった頃に戻る方が難しい。“15年前”の松さんは、本当に15年前に戻っていた。それどころか「HERO」の頃の松さんほど。
脚本の坂元裕二&松たか子コンビはドラマ「カルテット」(2017)、「大豆田とわ子と三人の元夫」(2021)でもタッグを組んでいるが、この二作品が好きな人なら間違いなく刺さると思う。
監督塚原あゆ子、脚本坂元裕二、撮影:四宮秀俊ってだけでも劇場に足を運びたくなるが、音響も素晴らしかった。
映画館で観るべき2025年を代表する一作。
一つ注文があるとすれば、「FIRST KISS」というタイトルがしっくりこないし、そんなタイトルにしてしまったからなのかのキスシーンは要らなかったかな。
生き方をちょっと変えてみようかな〜
昔の自分に戻っている(自分はひとり)タイムスリップではなくて、パラレルワールドに入り込む(自分がふたり)という方です。
パラレルワールドを扱った話も最近多いのけれど、この映画はなかなか面白かったです。
松たか子って、コミカルな演技って本当にうまいですね😊雑な女の人の演技もピカイチです。
自然な感じがとっても良かったです。
駈からの「これ以上ドキドキさせないで」みたいな事を言われて、おかわりするのはめっちゃ可愛かったです💕
気持ちわかります❣️
最初は駈に会いにいくだけだったけど、未来に影響を及ぼす事がわかると、駈を死なせない方法があるのではないかと思い始めて。。。
ラストはネタバレになるから言えないけど、人生って生きる長さではないんですね。
どの様に生きていくかが大切で、笑顔で毎日生きていった方が、周りもハッピーにしていくって事ですよね。
しかし人間だもの難しい💦
私も機嫌の悪さを、扉の開け閉めの音で表現してしまいます(笑)
旦那も一緒、お互い様です(笑)
ため息もつくし、不機嫌になって喋らなくなるし。
でも「おはよう」「行ってきます」など挨拶はします(笑)
なんやかんやで35年やってきました😅
これから少し変わってみようかなーって思える映画でした。
穏やかで、幸せな未来に近づいてくれるかなー。
素敵な映画でした✨
抗えないものと変えられるもの
バツイチの私。
前夫とは何をどう変えられるとしても
もう2度と結婚したくない。
よく言うあれ“女は上書き保存”だ、まさに。
この夫婦はすれ違った上に離婚届も書くけど
運命のいたずらか提出する前に夫が亡くなる
どこか気持ちを残したまま相手に死なれて
前に進めないまま無気力に日々をこなす
45歳の女性がイキイキと蘇る様の面白さよ
15歳も若い相手に合わせようとオシャレし
メイクを頑張りどんどんキレイになってく
ここの描き方はさすが女性監督だと思う!
何度もやり直してでも死んで欲しくない愛を
段々と実感していく感じもせつないのに
ところどころ小さな笑いが楽しかった
結局は抗えないものもあったけど
2人で過ごす15年が素晴らしいものになり
観ていて幸せな気持ちになりました
あたたかくて、せつなくて、幸せな
美しい物語でした
靴下の片方は無くならない。
2人がどうして冷め切り、離婚に至ったのかが薄くわかりづらかった。
タイムスリップする件は何も言わないけど、
若カケルが現カンナにあの時間だけで惚れてしまう理由もわからない。(え、このおばさんに直ぐ惚れる?)
餃子が焦げたからってあそこまでグチャグチャにしなくてよくない??あのまま捨てたんですか?なんのメッセージ?
坂元脚本ドラマはとても好きなのに、「花束みたいな〜」の時にもあったにつく感じ。響かない。
また、サブキャストも豪華なだけで彼らが演じる意味が出てない。吉岡里帆と結ばれる可能性がどこにあったの??
夫の靴下を履いてしまうこと、ないなぁ。
子供がいて知っちゃがめっちゃならともかく。
夫婦2人くらしなら尚更ないのでは?
最後の手紙は上っ面の言葉だらけでびっくり。涙を流して読むほどかな...
どうせならタイムスリップして、ベビーカーが落ちないようにして、未来を変えてほしかった。そしてやり直すでいいじゃない。観客に「今の生活で参考にしてほしい」という意味なんだろうけどファンタジーに振り切った方がすっきり納得できたと思う。
怪物のような映画が見たい。またはドラマで。
このタイムスリップ恋愛コメディが、教えてくれること…
倦怠期を迎えた夫婦は、少なからず“恋愛時代からやり直せたら”…と思うことがあるのではないだろうか。
いつの間に、相手の嫌なところが目につき始めたのか。互いに目を合わせなくなったのか。
この映画、結構ベタな展開でファンタジーと言えども説得力に欠け、感じ方によってはアホくさくも思えるだろう。でも、小気味よい演出と松たか子の卓越したパフォーマンスが上手にスクリーンに惹きつけてくれる。
そして、やってくる結末に心を強く打たれるのだ。
40代、50代なのに、とてもそうは見えない女優がとかく注目される昨今、松たか子は年齢相応に見え(いや、一般的にはあんな若々しい47歳は珍しいのだが)、それを個性にして活動しているように思う。本作でも、下唇を突き出したりしてオバサン感を出している。
だが、松たか子ってカワイイ女優なんだと、本作で再認識させられた。
夫を事故で亡くした妻が、時空を超えて15年前の二人が出会った場所と時間に移動することは、予告編で先に明かされている。
妻役の松たか子は現在が起点で、夫役の松村北斗は15年前が起点という配役だから、松村北斗は老けメイクで15年の時の経過を表現している。
一方の松たか子はというと、15年前の当時の自分とニアミスを起こすので、ピチピチ20代の姿もほんの少し登場する。さすがにあれはメイクだけではなさそうで、ディエイジング技術を用いているのか、とにかく今の映像技術は凄い。
この若き日の松たか子が可愛いのは当然だが、15歳も年下の若い男にときめく中年の松たか子が可愛いのだ。
恋するオバサンを愛くるしく演じていて素晴らしい。
そして、彼女のコメディエンヌのスキルがいかんなく発揮されていて、坂元裕二の脚本は彼女を当て書きしたもののように感じた。
過去のテレビドラマで坂元裕二と松たか子の親和性は立証済みなのだから。
何度も同じ時間を繰り返す構成は、似たような映画が無かったわけではないが、二度目の恋愛を盛り上げていくために積み上げていくエピソードに小技が効いていて、演出のテンポもよくて面白い。
分っかんないかなぁ〜
この人は教授の娘なんかに興味はないの!
おばさんのことが好きなんだよ!
…あそこであの人物に言わせるか、というアッパレな脚本。
この物語が見事なのは、未来を知っている人間が逆転する仕掛けによって、メッセージを発していることだ。
倦怠期に至ると、こちらが努力したって相手の態度がああなんだから無駄…という意識に陥ってしまうが、それこそが元凶なのだとこの映画で思い知らされる。
かつて恋人だった相手が配偶者になって変わってしまったのではない。自分が変えてしまったのだと、省みなければならない。
こちらが愛情を注ぎ続ければ、相手を冷めさせないでいられる…そんなメッセージがこの映画にはある。
恋愛状態を維持されているご夫婦はご一緒に、倦怠期をむかえられたご夫婦は別々に観賞されることをお勧めする。
オール・ユー・ニード・イズ・告白
40歳過ぎた頃、同僚に聞いたんです。「今でもお出かけのチューとかしたりするの?ニヤニヤ」。そしたら同僚はこう言ったんです。「僕たちは何でも言い合って来た仲なのでもう完全に家族になったんです。妻は謂わば妹と同じなんです。僕は妹とはキスしません。」。独身の私は“あー成程な“と不思議に納得してこう言ってやったんです。「確かに!俺も弟とはキスしないわ。」ってね!
ガサツ女とイヤミ男、いつしか会話もなくなり家庭内別居、離婚届提出日当日に事故に遭い夫を亡くし、偶然??にも二人が出会った場所にタイムリープを繰り返し、果たして夫を救えるか、と言う話。全編の会話センスが秀逸でもどかしい所を突いてくる。だから未来の妻と打ち明けた時に一気にもどかしさが解放され、続く“ファーストキス“でカタルシスが最高潮に達する。二回ほど涙をグッと堪えて、、、3列ほど後ろに座っていた若い女性達に涙を見られるのを恥ずかしがった訳じゃないのですが、涙ポロリをグッと堪えることが・・・堪えることが出来ちゃった、と言うのは前半の引っ掛かりがずっと頭に残っていたからです。
正直な所、カンナが何故夫を生き返らせたいのか、家族の情があるから生き返らせてスッキリ別れたいのか生き返らせてもう一度関係をやり直したいのか、どうやったらそれを達成できると思っているのかが自分にはよくわからず、若い元夫カケルをかき氷デートに連れ出すためにどうしたら良いか模索しているようにしか見えず、勿論その後の説得によって事故当日の行動を変化させて事故に遭わないようにすると云う目標だったと解る訳ですが、そんなピンポイントな影響を願うのは無理がないですかねと思える筋がイマイチしっくり来なかったんです。原作未読なのでもしかしたら原作には書いてあるのかも知れませんけども、上映時間の都合上主要イベントのみピックアップして映像化するしかなかったと云う事なら良くある話。
恋に堕ちるまでの話によくあるはずの「特別な出会い」「お互いの理解」「心の共鳴」の描写が弱いのか見逃したのか、そもそも現カンナは説得するために信頼を得ようとしていただけなのか若カケルとの一刻の恋を楽しもうとしていたのか、その辺りが見えず引っかかっていたんです。例えば王道ストーリーなら1巡目で直行でカケルを捕まえて文句を言ったら不審者扱いされて警察を呼ばれそうになる、2巡目は色仕掛けで近づいたら吉岡里帆にシッシッされて近づけない、3巡目で犬に襲われて若カケルに助けてもらうもその場でアッサリさようなら、4巡目にカケルの形見の古代海洋生物“アノマロカリス“のキーホルダーを持ってきてキッカケを作りかき氷屋に向かうことに成功するも現カケルの悪口を誰のことか伏せて言ってたらカケルに引かれてしまう、5巡目で現カケルの好きだった所を誰のことか伏せて若カケルに話している内に現カケルのことがやっぱり好きだと再認識、若カケルも何故だか他人事と思えなくなってカンナと心が共鳴し始める、とかとか素人の私が考えつくようなこんな話なら“さいきょうの凡作“確定なのですが、端的に言うと若カケルが15歳年上の現カンナにビビッと来た理由が掴めなかったんです。また松たかこさんも若く見えるから、ほんの五つぐらい歳上と見えてたって事なんでしょうかね。
とは言え、道中会話が噛み合ってくる感じ、現カンナがカケルが気に入っていた会話の感じを思い出しながら再現したかのような会話劇は“この人とならずっと一緒に居られるかも“と言う感じが出ていて、それは“ずっと一緒に居たから“と“ずっと一緒に居たのに“という「美しい思い出」と「悲しい結末」の二つの思いが交錯するように見えてやるせない気持ちになりました。話が進むにつれ気になってくるのは「これラストどうなるの?」と言うところ。もし説得に成功して現カケルが生存することになったならタイムリープする理由が無くなって若カケルの目の前で現カンナは消えるのかな、目の前から消えると言えばアニメ映画「君の名は」のクレーター円環での時空を超えた出会いと忽然と消えた時の強烈な喪失感、あんな感じの名シーンがまた生まれるんだろうか、とその瞬間を待っていました。
結局説得は成功せず目の前から消えることもなく肩透かし、過去を弄って幸せな結婚生活に変わっても事故に巻き込まれ死亡届を役所に出すはめになるバッドエンドと思いきや、この時空線では調理前に戻りたいと願う餃子が今届いたところ、タイムリープするのはこの後ですからまた1巡目から再スタートのはずです。私の考える“さいきょうの凡作“では再び何度もタイムリープを繰り返して“もう若カケルはアテにならん“と結論付け、「15年後にこれをカンナに渡せ」と若カケルに手紙を託しカケルの手の平にマジックで何か書いて目の前から消え、15年後の事故当日に手紙を読んだカンナが対面ホームに現れ線路に落ちかけたベビーカーをガッチリ掴んで誰もホームに落ちなかった、と言うハッピーエンドですかね。
映画全体がいい雰囲気、会話もセンスがあって、あと少しカケル・カンナ両者の琴線に触れる描写があれば同じタイムリープ恋愛作品の「アバウトタイム」クラスの傑作に思えたかも、30分ぐらいエピソードを追加した「ファーストキス1stKISSディレクターズカット版」が出ることがあったら必ず観てみたいですね。今気が付きましたが“餃子型タイムマシン“だったんですかね。さらにずーっと未来のカケルからの贈り物だったのかも知れません。
奇跡の松たか子
想像してたより10倍は面白かったですね👍
予想と違った、いい意味で
泣く気満々で行ったら全然違った!
2024年ではラブラブじゃないし、2009年ではラブコメだし
しかしラストはやっぱり泣かせる展開へ
やっぱり救えないんだろうな、と思いながらも、もしかしたら?と期待しながら観てました。
最後は、夫側の時間軸で15年経過していきあの結末を迎えるのだが、トンネル通って15年後に帰った妻側の結末はどうなったんだろう?
おそらく似たような結末だとは思うが、少し期待を持たせるところも良かったです。
坂元裕二脚本、おそるべし
疑似体験
ベテラン夫婦に見て欲しい
古女房に誘われて二人で見に行ったのですが、映画終わって、妻を抱きしめたい衝動に駆られる、そんなベテラン夫婦がキュンキュン来るような映画でした。
松たか子さんは、現在47歳だそうですね。写真ではそれなりの年齢を重ね、普通に飾らないおばさんの役もできる。元々の本人も飾らない性格なのだろう。その松たか子の相手役が、現在29歳、アイドルグループSixTONESの松村北斗。この松村北斗が18歳年上の松たか子に惚れてしまうのだが、画面を通して「これは惚れるよなぁ」と思えるほど47歳の松たか子はとてもかわいい。 やはり恋愛映画の「要」は、見ている人も「惚れてしまう」ほどの共感が得られなければ失敗するな。
最近では「海の沈黙」では、本木の役が小泉今日子さんへの長年の愛を絵に込める話だけれど、その「長年の愛」の部分が共感するところまで行かなかった。映画の小泉今日子さんが、そこまで魅力的に見えなかったのが、残念な映画でした。
脱線しましたが、この映画、松たか子がタイムリープして、まだ旦那が生きている若い頃に戻って旦那を助けようとする話で、こういう設定は、目にタコができるくらい陳腐な設定だと思っていたのですが、この映画はひと味もふた味も違う。もっとも重要な事は、そうした事を通して冷め切った夫婦の関係をもう一度取り戻して行く様子が、すでに、すっかりオッサン化とオバハン化している我々にでも、キュンキュンした気持ちに戻してくれるのでした。
それにしても、CG技術はすごいわ。20代の松たか子は、昔の松たか子そのまんま!逆に松村北斗の40代は、落ち着きもあるし中年男のめんどくさい雰囲気も出ていて、時代の違いをちゃんと感じられる技術も素晴らしいものでした。
いや、期待してなかったけど、めっちゃ面白かったです。 たぶん、また見る。
今の幸せを改めて確認して大事にしていきたいと思えた作品
あの頃は良かったな…とか戻りたいな…なんて思うことは誰しもあると思うけど、ただ懐古して終わるんじゃなくて今の自分や周りにも認識できていない幸せがあるんじゃないか、と思わせてくれる作品です。
出会えて本当に良かったです!
駈(松村北斗)を殺すな!!!
私は主人公もしくはその近しい人が物語序盤または中盤に死期が明確に宣告され、終盤にその人の死を以て完結するという、いわゆる「余命もの」が大っっ嫌いである。
その理由は主に2つ
1つは物語として安易である事。
死は無慈悲で容赦がない。恋人、家族、友人が亡くなれば、深い悲しみを抱える。それは至極当たり前。
死は観客の感情に直接訴えかけやすく、映画内に於ける演出の工夫や人物描写の積み重ねが不十分でも「命の尊さ」「別れの悲しみ」と言った、人が持つ普遍的な感情につけ込み帰結させ、一定程度の悲しみや感動を担保させてしまう。結果として「泣かせよう」という制作側の意図が過剰に押し出され、非常に作為的に感じてしまう。そうした「死=感動」という簡単な図式を立て、死を表面的な感動として回収してしまう事への反発や違和感を覚えてしまう。
また、脚本家や映画監督に限らず、広く表現を生業とする者にとって、自らの作品を通じて鑑賞者に何らかの問いを投げかけ、心を揺れ動かすことこそが、その本分ではないのか。それを死という究極的な出来事を用いながら、受け手にただ「尊い」「悲しい」といった極めて通俗的で予測可能な感情のみを抱かせて終わらせてしまう事に創作者としての責任や覚悟が果たしてあるのかという疑問も生まれてしまう。
2つめは、死が目的化されている事。
アクション映画で殺される敵役、推理映画で殺される被害者といった死と「余命もの」で扱われる死とでは意味合いが大きく異なる。
前者は物語を動かす契機や背景として、謂わば映画の単なる要素として存在し「死」そのものが主題ではない。
一方後者は「死」そのものが物語の終着点、すなわち目的として設定される。映画内の人物は死に向けた物語の進行を余儀なくされ、その死を以て作品が完結する構造がみられる。この場合の予定調和的に組まれた死は、死の持つ不可逆性、理不尽さ、無慈悲さといったものが切り捨てられ「感動出来る結末」として物語を完成させる役割を担わされ、感動を誘発させる為だけの道具として扱われてしまう。
結果として、「余命もの」は死が本来有するはずの尊厳を大きく傷つけ、死が「死にゆく役割」として矮小化されてしまう。
以上から私が「余命もの」を忌み嫌う理由である。
前置きが長くなってしまったが、本作は例に漏れず、この「余命もの」という枠組みに入る。
ただ、私が3.5という高評価(個人的な評価軸に基づいて3.5は秀作の部類である)を下したのは、本作が「余命もの」に分類される作品ではあるものの、そこに「タイムトラベル」(タイムトラベルの際の様々な設定の粗さについて今回は目を瞑る)という要素を巧みに織り交ぜ、「関係の修復」という新たな視点を打ち出している事に特色が見られたからである。さらに、物語後半において主人公カンナと駈の立場が逆転する構成も、鑑賞者に新鮮な印象を与える要因となっている。
劇中、カンナは駈の死を回避すべく奔走し、併せて2人の関係を修復するためにも奮闘する。その過程で、ある一言の言葉を聞くためだけに幾度となくタイムスリップを繰り返す様子が描かれるが、そうしたドラマ展開に時折コミカルな表現を差し挟む脚本構成や、節々に輝きを放つセリフの数々は秀逸である。
そして、物語前半ではカンナが過去に遡ることで駈と未来について語り、駈自身が自らの行く末を受け入れ、残された15年をいかに生きるかを模索する様が描かれる。その過程で、未来を知らぬ過去のカンナと改めて出会い、今度は駈がカンナとの日々に思いを馳せながら、前向きに人生を歩もうとする姿勢を見せる。この両者の優位性という立場の転換が、個人的には新鮮で興味深く感じられた。
また、同種の作品が若年層を主要な対象として制作されることが多い中、本作は冷え切った夫婦関係に焦点を当て、その再生過程を描いている点において異彩を放ち、むしろ、本作の想定する視聴層は、長年連れ添ったパートナーを持つ中高年層であったというギャップ、その点においても他作品との明確な差別化が図られている。
ただやはり私にとって厄介であったのは、幕引きである。
本作においては、過去に介入することで未来が変化し得ることが明示されている。たとえば、とうもろこしが皮ごと茹でられた写真に変わっていたり、事故が発生する前に訪れる店がコロッケ屋からドーナツ屋へと替わっている描写が、その例である。したがって、駈が死亡するという未来もまた、変更可能であったはずである。
確かに、「死は定められた運命であり、変えられない」という反論も考え得る。しかし、その論拠に準じた場合、作中で描かれたある場面において矛盾が生じてしまう。それは、駈が非常停止ボタンを押した未来において、電車が脱線事故を起こし、駈を含む(確か)62名が犠牲となった場面である。当初、駈ただ一人が命を落とすはずであった場面が、彼が非常停止ボタンを押した結果として、他の61名も死亡する未来へと変容してしまったのである。この場面から「死が定められた運命である」とする仮定から齟齬が生まれる。
以上の点から考察するに、本作における「死」は、絶対不変の運命ではなく、過去の出来事からの連なりとして形作られる未来の一部であると推測できる。
では、なぜ駈はどのような未来においても最終的に命を落とす結末を迎えてしまったのか。それは、本レビュー冒頭で述べたように、駈が「余命もの」というジャンルに則った作品構造を成立させるため、物語の演出上、死を免れ得ぬ存在として、いわば物語によって殺されたのである。私は駈の死を安易的かつ目的として扱うことがやはり許せないのである。
もちろん、これらは大衆娯楽において「死」を題材にし、取り扱うこと自体を否定するものではない。私が強く指摘したいのは「人の生き死にを物語の主題に据えておいて、それを軽薄な道具として扱うべきではない」という事である。そして、そのような願いを込めて、本レビューのタイトルを決めた。
ただ、留意すべき点は、物語の発端と結末に関して、あくまで個人的な好みに合致しなかったに過ぎず、本作そのものを低評価する意図はないということである。
むしろ、先述の通り、本作は「余命もの」というジャンルにありがちな、表層的かつ凡庸な作品に陥るところを、「タイムトラベル」という要素の導入や視点の工夫によって新たな価値を見出し、物語としての面白さを確立している点に特筆すべきものがある。
さらに、物語中盤における脚本構成と、出演者らによる説得力ある確かな演技と魅力あるセリフの数々によって作品を力強く下支えしており、総じて良質な作品に仕上がっていることは間違いない。
追伸、題名の意味が十分に汲み取れなかった。
個人的には「靴下」「餃子」「トースト」などでも良かったのではないかと邪推だと承知の上で考えてしまった。
追伸、パンフレットが非常に素敵でセンス抜群です。ぜひ買うことをおすすめします!
松さん流石ですね おもしろかったです
コケティッシュな松たか子の魅力全開!「これ以上ボクをドキドキさせないで下さい!」
アクシデントで右手小指を骨折してしまい2週間ぶりに映画館へ。浦和で「1ST KISS」を。
昔「ミステリーゾーン」に(あれ?アウターリミッツかな)タイムトラベルして過去の出来事を変えようとして、いくら経過を変えても(原爆投下とか)結果は変えられない、と言う話があったのを思い出した。
7月、カケル(松村北斗)はホームから落ちたベビーカーの赤ちゃんを救うために線路で電車に轢かれて亡くなる。結婚して15年、好きあって結婚した二人も夫婦関係は冷え離婚届を出す予定の日だった。
離婚する日とはいえ、夫を亡くしたカンナ(松たか子)はショックをひきずる。冬の寒さに震えて目を覚ます。寒いのはカンナの心もか。3年待ちの餃子が届いた。寒さに鼻をすすりながら餃子を受け取り、調理するが失敗する。その時、仕事の呼び出しの電話を受け車を飛ばす。「餃子を焼く前に戻りたい!」トンネル内で落盤事故が発生し、カンナの車は巻き込まれそうになる。トンネルを抜けるとそこは夏だった。それも15年前の2009年の夏。これは一体どういう事なのか?
トンネルの向こうは別世界、「千と千尋の神隠し」
その15年前の世界で、二人が出会う前のカケルに出会う。慌てて未来へ戻るカンナ。バックトゥザフューチャー。
どうやら落盤事故で時空の歪みが生じて15年前の世界と繋がったようである(ここ説明不足)。TVのニュースでは事故現場の復旧に時間がかかると告げている。
復旧するまでの間にそこから何度も過去に戻って、夫を「死」に向かわせないために歴史を変えるべく奮闘するカンナ。その姿が可笑しくもあり、悲しくもある。
冬の格好で夏に行ったカンナがホテルの店で1000円のバーゲンで買ったTシャツがかき氷柄。有名なかき氷屋に二人で行ってもいつもかき氷は食べられない。
「死」から逃れるために結婚する相手をカケルの師の天馬教授の娘(吉岡里帆)にしようともするのだが…。
かき氷屋の列で後ろに並んでいたギャルに指摘される「教授の娘に興味は無いの。オバさんが好きなんだよ」(ズバリです)
何度も過去に戻って出会う以前のカケルに恋するカンナと、15年後のカンナに恋するカケル。いくら経過を変えても「死」と言う結果を変える事は出来ない。
15年後の世界でカンナの所に天馬教授の娘が訪ねて来る。カケルが亡くなる日に15年振りに町で出会ったと言うのだ。「カケルは幸せでしたか?」アタシと結婚していれば幸せだったと言わんばかり。それをわざわざカンナを訪ねて来て言う嫌味な女である。
明日、落盤事故現場が復旧すると言うニュースに、これが最後と意を決したカンナは過去に戻って二人でかき氷屋へ走る。いつも食べられなかったかき氷を注文するが、カンナが落としたポスト・イットをカケルが拾ってしまう。そこには2024年7月にカケルが死んだ事が書かれていた。問い詰められたカンナは本当の事を話す。その時、カケルはカンナがカケルの靴下を履いているのに気付く。「その子は助かったの?」「助かった」「それは良かった」
カンナは15年後の世界に戻る。もう2度とカケルに会う事は出来ない。
カケルは、15年後に自分が亡くなる事を知りながら15年前のカンナと出会い、結婚して幸せな結婚生活を送る。離婚もしない。
15年前のカンナは、15年後にカケルが亡くなる事を知らず幸せな結婚生活を送る。
二人で朝食、カンナはパン、カケルはTKGだが同じテーブルで。別の世界では別々だった。カケルはトースターを買ってくれる。
やってくる避ける事が出来ないカケルの死。
死亡届を出したカンナはカケルの残した手紙に気付く。そこに書かれていたのは…。
夏の日差しの中、3年待ちの餃子が届いた。そうか、カケルが頼んでくれたんだ。
「ありがとう」カンナは笑顔だった。
コケティッシュな魅力全開の松たか子が最高だ。変なオヤジを演じたらリリー・フランキー、いい奴を演じたら松村北斗だな。脇役の「ディア・ファミリー」でも松村北斗はいい奴だった。
おまけ
結局、かき氷は食べられ無かった。
やっぱり松たか子はパンだね。でもトーストは皿に乗せましょう。春のパン祭りでもらったでしょ。
え?松たか子、パンを食べるときに、あの白いお皿を使わないの?
映画冒頭、夫婦仲が悪くて朝食を別々にとるのだが、松たか子はいつも焼いたパンとコーヒーを食するのだが、
あれだけ、春のパンまつりでパンを食っていて、白いお皿も手裏剣にして投げるほど、お皿を持っている( 違うかもしれないが) 松たか子が、コーヒーカップの上にパンを乗せて、食べるのだ。
何で、そんな面倒くさい食べ方をするの?山崎パンに申し訳ないと思わないのか?
↑ おい
と、思うが、映画のラストで、その理由が分かるのだ。エンドロールは見過ごしたけど、山崎パンは協賛していない筈。っていうか、協賛してたら凄いと思う。
脚本家はTVドラマでは、散々楽しませてくれたけど、この人が書く映画の脚本って、何かイマイチなんだよなぁ?
タイムリープものって、余程、脚本の出来が良くないと目も当てられないモノになってしまうのだが、本作はそこがイマイチ。
YOUが出演していたシーンなんて、あれ、何の意味があったのだろうか?やっつけ仕事すぎ。
あと、松たか子と旦那も性格が悪いので、役柄に感情移入しずらい。旦那になる男が、好きなコロッケ屋さんをdisるとことかね?
いるじゃん?見た目は美人なのに、腹黒い所が表情に出ちゃって、男から好かれなくて、ずっとお一人様のアラサー、アラフォー女がさ?
何で、そんな底意地の悪い役に書くの?誰も得しないぜ?役者を立てろよ?意外と打たれ弱いんだぞ?役者って。
結婚する前の二人が、行列で並んでいる時に、松たか子が、
リリー・フランキー教授の娘とくっついちゃいなよ?
と、言った時に、後ろに並んでいたギャル二人が、
オバさん!教授の娘じゃなくて、あんたと付き合いたいんだよ?気づきなよ?
と、アドバイスするが、日本人のサガとして酔ってないと、他人にそこまで、お節介な事を言うだろうか?
何か台詞が不自然なんだよな?クドカンが書いた脚本なら、もっと上手い台詞を言う筈だ。
終始、クドカンだったらなぁ?岡田惠和だったらなぁ?もっと、上手い展開を書けるんだけどなぁ?と、思いました。
とはいえ、映画ラスト辺りの旦那が松たか子に宛てた手紙のシーンの所は、流石!大御所、脚本家!
泣かせるじゃねぇかよぉ?俺、人目を憚らず、泣いちゃたよ?
と、フォローをしとけば、誰にも怒られないと思う( 手遅れだ) ので、星は三つだっ!!
ラストシーンだけお勧めです。
↑ おい
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