誰よりもつよく抱きしめてのレビュー・感想・評価
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普通であることの悦びを感じる
カミさんと娘がBE︰FIRSTをメチャ推してまして、本作品も公開前から大騒ぎでした。
でも、自分が好きな映画は必ず推してくる娘が何も言わなかったので、その程度の映画かなって思って、映画館へは行きませんでした。 ただ、周りで騒いでいたので、興味だけは残っていて、今回の鑑賞に至りました。
う〜ん、微妙ですね。 過度の潔癖症で、人に触れることができない男との恋愛話です。
確かにハグしたり、キスすることも出来ない恋愛は、お互いに確かめ合うことが出来ないっていうジレンマがあるのかもしれません。変なことで嫉妬深くなってしまうのもやむを得ないのかもしれない。
ただ、その特異な状況が、あまりに特別すぎるので、共感出来ない自分がいました。触れることが出来ないという辛さは理解できても、自分の身に起こり得ない事なので、危機感まで感じることはありません。蚊帳の外の話で、全く感情移入することが出来なかった。
【ネタバレ】
過度な潔癖症を演じた三山さんも、その彼女を演じた久保さんも、非常に好感が持てました。お互いがお互いを思いやる純粋に恋するカップルを魅せられた気がします。
そんな2人が触れ合えないことに対し、可愛そうだなって気持ちは、重々感じられたんですが・・・
ごめんなさい。共感までは行かなかった。
結局、二人には別れるという運命しか無かったように展開していったんだけど・・・あのラストは何?
如何にもなミスリードを誘う親子のような見せ方。
おい、おい、おい、何であんたが結婚してるんだよ的な安易なご都合主義。
なんでそうなるの的な突拍子のないその後の話。
そして、ラストカットは手を差し伸べる彼の手を取る彼女・・・
ハッピーエンドには違いないんだけど、何か腑に落ちない。
えっ、普通のカップルになっただけじゃないの。
エンドロール、「誰よりも」はホンっと大好きな楽曲で、カラオケでもよく歌ってます。
本作で一番満足したのはこれかな。
好きを貫く意志が美しい!!
ツキナは、ヨシキと出会った最初から好きで、
ヨシキの潔癖症が高じて、脅迫性障害に悪化しても、
生活をサポートして、彼の絵本を愛し、続編の刊行を心待ちにする。
ツキナの揺るがない心が、素敵でした。
韓国人のジェポンから、告白されても、むしろ迷惑そうだった。
ここまでヨシキを愛しそばにいたい・・・尊敬する。
そう言う「愛し方」があってもイイし、ツキナはそれしか
出来ないのだろう。
脅迫性障害のある人は、100人に2〜3人居るとのことで、
かなり多いのですね。
潔癖症の男性の例。
リストラにあったことで、家にいるようになり、
水回り(洗面所、風呂場、トイレ)の掃除に強い拘りを持つ。
同居の義母を汚がるようになる。
その結果、義母は老人ホームに入居した。
不妊症のために体外受精で出産した主婦。
育児で夫を汚がるようになり、子供に触らせられず
離婚した例。
(私が身近で見聞きしたのはこの二つのケースですが、)
ツキナはジェポンから「フランスに一緒に来てほしい」の提案を
断り、アフリカでの開発援助のスタッフとして働く道を選ぶ。
ただし、帰国した時に、ヨシキの絵本の続編を友人より
渡され、書店で働く、やや元気になったヨシキと再会して、
また歩き出す道を選択する。
アフリカの仕事は投げ出すの?
との心配も心に浮かぶが、
ツキナの居場所はヨシキの横。
初恋を貫くツキナの強い意志を、
揺るがない心を美しいと思う。
期待しすぎていた
アマプラにて鑑賞。
映画館に観に行きたかったけど近くでやってなかったので配信待ってました!って感じで鑑賞。
最初から最後まで退屈で特に印象に残るシーンもなくそうだよねって結末で終わり。
原作もこうなのかな?映像にしたからつまらなくなったのかな。。
よしくん、つきちゃんの演技はとても良かった。
韓国人がぶち壊し。
韓国人の下手な日本語で聞き取りにくいし使うならもっとイケメン使ってくれ。
空のシーンが転換で使われてるけど、心情と全く合ってない気がした。
歌だけ最強に最高。
リョーキの話題のあとだけに、なんか演技もわざとらしく感じてしまった。
個人的には色々気になる点があり、合わない作品でした‥
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが遅くなりました、スミマセン‥)
結論から言うと、今作の映画『誰よりもつよく抱きしめて』は、個人的には色々気になる点があり合わない作品になりました‥本当に申し訳ありません‥
ところで今作には2種類の絵本が出て来ます。
1つ目は、水島良城(三山凌輝さん)が描いている「モジャ」の絵本です。(「空をしらないモジャ」「モジャの冒険」)
2つ目は、桐本月菜(久保史緒里さん)が薦め、イ・ジェホン(ファン・チャンソンさん)の人生を変えたという「まいにちがプレゼント」(いもとようこ さん 作・絵)です。
この「空をしらないモジャ」と「まいにちがプレゼント」の2種類の絵本をそれぞれ読んで、桐本月菜もイ・ジェホンも、2人とも評価、あるいは感銘を受けています。
ところが、「空をしらないモジャ」は変われない(飛ぶことが出来ない)モジャのお話であり、一方で「まいにちがプレゼント」は変わることが出来る(と励ます)お話であると、それぞれ実は扱われている題材で真逆の内容の絵本だと思われるのです。
もちろん、変わることが出来ないことと、変わりたいと願うことは両立するので、(話の根幹が真逆と思える)「空をしらないモジャ」と「まいにちがプレゼント」の、どちらも一般の読者が感銘を受けるのは全然あり得ると思われます。
しかし作者の側や、それを根底から愛する話になると、究極的には両立は困難だと思われるのです。
仮に、水島良城が、強迫性障害での潔癖症から変わることが出来ないと苦しんでいる時に、”変わることが出来る”と訴える「まいにちがプレゼント」を読んで、根底で受け入れる事は不可能だっただろうと思われます。
すると次に、(「空をしらないモジャ」と「まいにちがプレゼント」を同時に評価していた)桐本月菜は、なぜ水島良城を好きになり愛していたのだろうとの疑問が湧いて来ます。
もし、桐本月菜も(水島良城の強迫性障害での潔癖症のように)変われない何かを抱えていたのであれば、水島良城の描いた「空をしらないモジャ」に共感し、共感的に水島良城を愛して行くことになるのは自然だと思われます。
しかしながら、桐本月菜の、変われない何かは映画の中で、明確には描かれないままなのです。
すると、(変わることが出来る(と励ます)お話である「まいにちがプレゼント」をイ・ジェホンに薦めることが出来る)”変わることが出来る”桐本月菜ならば、(ひどい表現をすれば)かわいそうと【同情的に】水島良城を好きになっていたのではないか?との疑念が、この映画では払しょくされないままなのです。
一方で、水島良城の方にも個人的には疑問がありました。
水島良城の描く「空をしらないモジャ」には、自分とは違い羽の生えているヒナを助ける場面があります。
この場面は、自分とは違う存在の他者を認識した上で、それでもちゃんと救う感銘があったと思われます。
ところで、水島良城が、桐本月菜と一緒に食べる為に(といってもそれぞれの鍋での)鍋を用意をする場面があります。
水島良城はこの時、自身の潔癖症から、ネギやゴボウを(私の見間違いでなければ)洗剤を使って何度も洗っています。
そして、(こちらも見間違いでなければ)桐本月菜が食べるネギやゴボウも洗剤を使って何度も洗っていたと見えたのです。
もちろん現在の洗剤は、通常の使用の仕方で直ちに人体に影響を及ぼすほど毒性は高くないのかもしれませんが、食品に洗剤を使うのはやはり問題に思われます。
(というより今作は問題だと観客に思わせるような描写だった)
それを、(強迫性障害での潔癖症でない)桐本月菜が食べる野菜まで洗剤を使うのは、自分とは違う他者への思いやり配慮が希薄化している、絵本のモジャが自分とは違うヒナを他者として尊厳を持って接した姿勢とは真逆で違っていると、残念ながら思われました。
この、水島良城が、自分とは(強迫性障害の点で)違う桐本月菜へ思いやりの希薄さの鈍感さは、自分と同じ強迫性障害での潔癖症の村山千春(穂志もえかさん)を、桐本月菜と暮らしている部屋に桐本月菜に無断で招待するところで頂点に達していたように思われました。
強迫性障害での潔癖症の苦しさと、それとは違う相手への思いやりは(飛べない変われないモジャが、自分とは違うヒナと接したやり方のように)両立可能だったはずです。
一方で、桐本月菜のことを愛していると繰り返し言うイ・ジェホンにも違和感がありました。
映画の最終盤になってようやく、イ・ジェホンが桐本月菜のことを愛している理由が判明するのですが、それが理由ならイ・ジェホンは桐本月菜に対してこの映画のような振る舞いを初めからしますか?との疑問がありました。
つまり、イ・ジェホンの桐本月菜に対する言動は、映画を劇的にするために都合良く描かれていたように不自然に見えたのです。
そして映画の終盤、水島良城が、桐本月菜と別れた後で、強迫性障害での潔癖症で愛する人にも触れられない自分たちは何なんだと、村山千春と互いに涙する場面があります。
しかし、桐本月菜と水島良城とが別れた後、月日が流れて、今は自分を変えることが出来てアフリカでボランティアをしている桐本月菜は、強迫性障害を克服した水島良城と再会し、ついに2人は互いに抱きしめ合うことが出来て映画は終了します。
もちろん、互いに変わることが出来てついに2人が触れ合うことが出来たラストシーンは感動的な面はありました。
しかし一方で、今も変わることが出来ない(かつての水島良城や、村山千春のような)強迫性障害の人に対して、そして羽が元々無いモジャに対して、この作品はどう着地させているのだろうと、残念ながら疑問も思わざるを得ませんでした。
強迫性障害の人達を、変わることが出来ない人達を、”自分たちは何なんだ”と涙をさせるように置いてきぼりにする着地にしてないだろうかと、残念ながらラストシーンを観て思われました。
私は僭越、この映画は、(病気に苦しむ人たちの孤独を描いているのではなく)それぞれの孤独を描くために病気を利用してはしまいか?との、疑義を感じてしまいました。
その点でこの映画は誠実だっただろうかと、僭越疑問に思われました。
よって、個人的には今作に対して評価が低くならざるを得ないと僭越、今回の点数となりました。
ただ、それぞれの俳優の皆さんの演技は、観るべき点も多いと思われ、特に桐本月菜を演じた久保史緒里さんの憂いに満ちた表情の演技は心に響く素晴らしさがあったと思われました。
錘
しんどい映画だった。
たぶん久保さんよりで映画を観ていたんだと思う。書き始めた今も「うん…」っていうタイトルにしようか迷ってる。
皆様、熱演だった。
特に主演2人は絶品だった。
後天性の潔癖症みたいな病故、ある時期から彼女に触れられなくなった彼氏。
その彼とずっと一緒にいる普通の感覚の彼女。
彼氏は自分以外の物を汚く感じていて、それには愛した彼女も含まれる。
自分が彼氏から汚いと思われている彼女の心理ってどんなもんなんだろうか…?病とはいえ、その境遇を毎日毎分、否定して生きていくのは相当な労力も精神力もいると思われる。彼の仕草一つに精神を擦り減らされるようにも思う。
沈痛な面持ちで彼氏を思いやる彼女を見ながら「思い出だけで愛は継続できるものなのだろうか?」と考える。
かつて、幸せだった時間。
この病が完治すれば、元に戻る時間。
一過性のものだ。もう少しの辛抱だ。
…そんな事を彼女はずっと唱えていたように思う。
まるで錘のようだと感じる。
どう考えても割に合わない。でも、一度抱え込んだソレを放すと、それまでの感情を自ら否定してしまうようにも思うのだろう。
その錘を抱え続ける事が証明にもなるかのようで「愛」ってなホントに厄介だ。
薬にも毒にも、麻薬にもなりやがる。
彼氏の気持ちもよく分かる。
自分じゃどうしようもない事ではあって、ソレに1番腹が立っているのは自分だ。
彼は言う「僕は精神病じゃない」…厄介なのは自己肯定感を失えば深みにハマっていく傾向があるって事で…明らかに異常だけど、それでも自分を諦めてしまえば沈んでいくだけなのだ。
そんな首の皮一枚でギリギリ生きている人間に思えた。
物語の中盤で、彼と同じような症状の女性が登場し、2人は共感し合う。
楽しそうに見える。
お互いが持つ悩みを分かち合える存在から得られるものは多々あるのだろう。
でも、お互いがお互いに触れられない。
このもどかしい指先に込められる想いたるや…それだけで自分を呪い殺しそうである。
この女優さんも、素朴でいい感じだったなぁ。
そんな2人を見つめる久保史緒里。
やるせないわなぁ…。
あんなに献身的に一生懸命耐えて、ずっと彼のそばにいるのに、あんな笑顔もあんなテンションも、自分に向けられるものじゃない。
彼を1番笑顔にしてあげたいのは自分なのに、自分には出来ない。彼の無神経さへの憤りもあるだろう。彼の治療にもなるって思っているとは思う。
でも許容できない。
だって、1番彼に触れたいのは自分なのだから。
そんな叫び声が聞こえてきそうな表情だった。
韓国人のイケメンの存在もワザありだった。
久保さんが揺れまくるのだ。
こっちは気が気じゃないのよ!
なんかチャラそうな男に引っかかっちまうのだろうかとヒヤヒヤする。絶妙に信用が置けない顔立ちなのだ、この男は。なのだが不慣れな日本語のせいで誠実な感じも受けてしまう。
そしてフと思う。
俺がこんなにハラハラしてるのは、画面上で久保さんが揺れまくって内面を余すとこなく表現しているからなんだ、と。
恐るべき久保史緒里…。
難しい役所だと思うけど、彼女の立ち姿も声のトーンも、切り替えも眼差しも完璧だったように思う。
アイドルが持つ儚さと線の細さが、ここまで際立つような役でもあったのだろう。
いつの間に、こんな情感を纏える役者さんになったんであろうか…感服した。
それを演出した内田監督も見事としか言いようがない。
タイトルの候補にした「うん…」だけど…。
時折、彼女は彼からの発言に「うん…」と頷く。
受け身にならざるを得ないのだ。
大学時代の彼女は、おそらく能動的で海外支援にも参加するような人だったのだろう。
そんな彼女の変化を思うと「錘」ってタイトルになったし、その変遷が「うん…」に集約されてるようで、ホントにやるせない。
土砂降りの雨の中、彼の方に傘を差している久保さんが痛々しくて…本来ならば女性が濡れないようにしてあげるのがベターだと思う。そんな普通の事もしてもらえない自分だし、それをしてあげられない彼だしなんて事を思うと、可哀想やら腹立たしいやらで訳わからん。彼女が彼に渡した傘には「もう守ってあげられない」って意味合いもあったんだと思う。
彼も頑張ったよ!
下水溝に手を突っ込んで靴を取り出してあげたんだから!でもそれ以上が出来ない自分では彼女を幸せにしてあげられないって確信してしまったんだよね。
こんな引き裂かれ方って…あんまりだよっ。
けど、今までの言動から彼女も病んでいたのだろうと思う。依存症というか、庇護欲というか…「一緒にいるだけで幸せなんだよ」とか「1人でどうしたらいいの?」」とかっていじらしい言葉の裏側には、そんな感情もあったんじゃなかろうかと思う。
…なんてしんどい関係性だろうか。
それから数年後、病から回復した彼と再会する。
コレがラストシークエンスなんだけど、彼女はまたしても受け身だ。
やっと抱きしめてもらえたのに、その表情はどこか暗い。最後の彼女の表情で、このレビューのタイトルが「錘」になった。
難解なラストではあるのだけれど、彼女はまた彼のために自分の時間を使う選択をしたようだった。
しんどい作品だったけど、構成の妙というか、ストリーディングの巧さというか…ずっと焦点がブレずにいた作品だったように思う。
何につけても久保史緒里さんが抜群だった。
お互いが「運命の人」かどうかを確かめるために、別れてみるというのもアリかもしれない
客が忘れたスマホにかかってきた電話に出た挙げ句に、自分が誰かを名乗らなかったり、持ち主にスマホを返す時に、自分が電話に出てしまったことを告げなかったりと、ヒロインの非常識さに、まず、違和感を感じてしまう。
自分で勧めた合同カウンセリングに参加した彼が、同じ症状を抱える女性と親しげに話をしているのを見ただけで、2人に対して敵意をむき出しにするヒロインの態度も、いかがなものかと思ってしまう。彼の病気の回復よりも、自分の嫉妬の方を優先させるかのような彼女の心が、余りにも偏狭に感じられてしまうのである。
しかも、ヒロインが、「触れたくても触れられないことを、こんなに我慢しているのに」と彼を責めるのは、完全にNGだろう。そこには、どこか、「病気の人間に、無理して付き合ってやっている」といった「上からの目線」が感じられて、彼女が、本当に彼のことを愛しているのかが疑問に思えてしまう。
彼と同じ病気の女性が、自分の留守中に部屋に上がり込んでいたことに、彼女が怒りを爆発させ、彼女が他の男に抱きしめられているところを、彼が目撃したところで、2人は別れを決意するのだが、観ているこっちも「それがいい」と思ってしまう。彼の病気が治らない限りは、2人が一緒にいても、お互いに辛い思いをするだけだろうし、それで、2人が幸せになれるとは、とても思えない。
本来であれば、若い2人が、障害を乗り越えて結ばれることを願うような映画なのだろうが、2人の恋愛を、まったく応援することができないどころか、逆に「別れた方がいい」と思えてしまうところは、ラブストーリーとして、致命的だと言わざるを得ないだろう。
その一方で、その「数年後」を描いたエンディングには、素直に納得することができた。
お互いに別れたことによって、彼女は、彼から解放されて、自分が本当にやりたいことをできるようになり、彼は、彼女に遠慮せずに、同じ境遇の女性とともに、病気を克服することができたのだろう。
彼については、お互いの境遇を理解し、共感し合うことと、それが恋愛に発展することとは別問題であるということも、さりげなく示されていて好感が持てる。
そして、自分が本当に愛しているは誰なのかが分かり、障害を乗り越えて結ばれることになる2人を、ここで、初めて祝福したい気持ちになるのである。
やみくもにヒロインを口説いてきて、「あなたは、僕が愛した唯一の女性です」みたいなことを平気で言う、軽薄で、信用の置けなかった韓国人男性にしても、そうした言動の理由が明らかになって、何となく同情してしまった。
ただし、ヒロインが、そこのところのやり取りを完全に忘れてしまっているのは、店員としても、人間としても、少し問題があるように思えるのだが・・・。
良かったけれど「観たかったのはそこじゃない。」 描かれていない二人で協力して特別な関係を築く過程が無いから、他人にはわからない二人の特別な絆に説得力が無い。
評価の高さに、また、「ミッドナイトスワン」の監督と知って、不安を抱きながら鑑賞。
良かったのですが、「観たかったのはそこじゃない。」
健常者と障がい者の二人が(この表現は嫌ですが他に浮かばなかった)、互いを愛するが故に数々の苦難を乗り越えて同居して、他人にはわからない絆を結んでいくところが観たかった。
他人にはわからない、二人だけの日常の幸せを共有したかった。
本作では、告白してOK、いきなり現在の倦怠期になってしまう。
それを抜きにしては、まさに突然現れた赤の他人のイケメン外国人に、良城と二人で築いてきた生活のすべてを、一般論の世間の価値観だけでことごとく否定された月菜の気持ちは表現できない。
自分が好きになった相手と共に過ごした大切な時間を全く尊重せずに、その相手がいる前で否定するような男に素直についていくわけがない。
「ミッドナイトスワン」でいったら、あの二人が生活を始めて大切な関係を築く過程を描いていないようなもの。
新たな恋敵がイケメンで外国人でしかも海外に一緒に行かないかと誘うという、一昔前のトレンディドラマかというベタすぎる展開には引いた。
あまりにおとぎ話すぎる。
多分、そこに要点を置かず、ラブストーリーだけ欲しかったのだろうけれど、単なる背景の一部として障がいが使われているように見えてしまう。
だったら障害を描かず別の話にすればいい。
落ち着いた雰囲気の映画
騒々しい映画になりそうな展開なんだけど、終始落ち着いた感じで、雰囲気の良い映画でした。
特に凄いと思ったのが、ファン・チャンソンさんが演じたジェホンなの。
もし、ラブコメだったならチャラい陽キャになりそうな役どころなんだけど、この映画の落ち着いた雰囲気を壊さずかっこいいんですよね。
そして、ラストの種明かしで、前の彼女を好きになれず月菜を追い掛けた理由も明かされて、誠実な印象も受けるんです。
もっと早く種明かしをされていたら、ジェホンをもっと応援したくなっていたかも。
それから、この映画は月菜の成長物語なのかなって印象も受けたの。
なぜならば、良城が乗り越えた過程がいまいち分からなかったから。
なので、二人で乗り越えて迎えたハッピーエンドって印象を受けなかったんですよね。
結果として、二人との恋愛というより、二人から影響受けた月菜の成長を観た感じかな。
もっとも、恋愛映画と成長物語の線引きなんて無いし、恋愛は成長に欠かせないものなのですが。
(と、言いつつこの映画を恋愛映画として語りますが)
このところ三本立て続けに恋愛映画を観たんだけど、相手の事を思うほどすれ違って、わりと自分を出せてた『大きな玉ねぎの下で』の二人が、結果としてぶつかってもすれ違いが少なく感じたのは、そんなもんなんだろうなと思う。
恋愛映画で恋愛を語るなって言われそうですが。
面白かったが、ラストが残念。
ネタバレ 概ね面白かった。主演の二人が私には馴染みがなかったので物語に集中できた。久保史緒里さんも頑張っていたが、脳内で上白石萌音に変換して見ていた。彼女ならもっと芝居が上手く出来ただろうなと思いながら。原作を読んでいないので申し訳ないが、最後は三山は穂志もえかと一緒に生きていて欲しかった。久保史緒里が自由に空を飛ぶという意味はアフリカで本来やりたかったことに従事することだったのなら、よりを戻す展開は絵本の世界観をメタファーとするなら違和感があると思った。それも含めて、絵本屋での渡仏を諦める決断から数年後の再訪までがクドい。サラッと簡潔に演出して欲しかった。とは言えトータルで見て満足できるものでした。
エンドロールが終わっても涙が止まらなかった
この映像は観る人により、本当に感じ方が違うと思います。ただ、私は映画本編でも何度か涙が流れましたが、エンドロールで溢れた涙がどんどん込み上げてきて最後まで止まらず、こんな経験は初めてでした。同じではないですが、私も彼女のようにやめときなよ、もっと良い男おるよ!と友達に言われる様な彼で、周りは本当にそう思ってると分かってます。ただ、彼は彼なりに頑張ってる事が長年いると分かります、そして、彼は病気だから…と自分を押し殺して支えようとする彼女の辛さも凄く分かります。私はヒロインの子ほど強くなく私自信が彼と普通のカップルの様に過ごせず、辛く鬱にもなった過去があります、、。それでも、深くで想いあっている、、周りには理解し難いのも分かる。彼は病気で彼女を守れないと言う、その通りだけど、その嘆きが愛なんです、、数年後、彼女を迎える為に彼が努力し続け、まだ手が荒れているので努力の途中だという描き方にも感動しました。
エンドロールのBE:FIRSTの楽曲が余りにも良くて、更に涙が止まらず、、朝一の早い時間の映画でしたがすすり泣く音があちらこちらで聞こえました。
cafeでも寄って帰ろうと思っていたのに、夫の待つ家に真っ直ぐ帰りました(笑)
演技うますぎ
主演の三人がアイドルというのが驚き。演技うますぎない?
潔癖症や脅迫性障害を扱ったストーリーということで、リアルで真面目な社会派の映画なんかなーと思ってたら、なんか、韓国のイケメンが現れたあたりから、違和感…。
「ん?」これって…。少女漫画ド定番のベタ展開やないかーい! 強引な食事のお誘い、あくまで徹底的紳士の態度、プロ級の料理の腕前に、フランスに行くから一緒に来て欲しい、とか、ちょっとあからさますぎて笑ってしまう。
よく練られてて完成された脚本だと思うし、決して面白くないわけではないのだけど、あまりに純な少女漫画的世界で、おっさんが観るにはきつかった。
弱気で女心がわかってない困った彼氏と、突然現れた非の打ちどころのないやや強引なイケメン。二人から本気で好かれる主人公。この主人公に感情移入しながら観れたらさぞかし気持ちよかろう。
あと、この世界って心のきれいな人しか存在しない世界なんだねー。韓国イケメンがはじめのうち、ちょっと悪いやつなんじゃないかと匂わせてるのはうまい。
ストーリーはともかく、潔癖症や脅迫性障害の描写や、本人と周りの人々の苦しみはすごくリアルで身につまされた。
台詞で語らない演技
内田監督作品ということで繊細な表現に期待していた。潔癖症の強迫性障害を持つ主人公というテーマもあり緊迫感のある瞬間が多く、所謂恋愛映画として見に行くとキャストのファンの方は戸惑うかもしれない。
一つの言葉、一度の掛け合いで不穏な空気が漂い、それを解消しようと試みるがぎくしゃくと噛み合わず状況が悪化していくのはやや展開が急にも思うが、主演二人の演技は素晴らしく、目線や佇まいで台詞にせずとも感情の動きを予感させるので男女の険悪さにはリアリティが感じられた。
恋敵となる韓国人男性については出会い方も距離の詰め方も舞台装置のようで不自然に思ったが終盤で過去に出会っていた経緯が明かされて納得する。
不倫・ 浮気未遂が恋愛関係の破綻を招いたことを悔いたヒロインがきっぱりと拒絶するパターンの出会い方を再演するシーンは作中でも特に気に入った。整った顔立ちで綺麗な女性だが強いオーラを放つ派手さがあるわけではなく、凛とした清潔感のある素敵な俳優だと思った。
朝ドラを視聴していたので主演する三山凌輝の演技は知っているはずだが、現実味が薄いほどの好青年だった直明に比べると、見ているだけでもどかしくなる不器用な青年を見事に表現していたことに感心する。あまり数を見ているわけではないが役の幅を感じたのでこれからの作品選びに注目したい。
こんなに愛おしい映画は初めてです!
主演の2人の人柄が手に取るように伝わってきて、愛おしくなりました。特に三山凌輝さん演じるよし君の繊細さは彼のちょっとした仕草や話し方からも伝わってきました。大好きな彼女の為に頑張る姿は痛々しく、ただただ応援したくなりました。そんな彼がラストでは頼もしい姿を見せてくれて感動しました。乗り超えたんだね。頑張ったんだね。と愛おしさでいっぱいになりました。何度も見たい!何度もよし君に会いたいと思い、何度も映画館に足を運んでいます。エンドロールで流れる歌が更に涙を誘い、映画が回想され、涙でぐちゃぐちゃになりました。最高の映画です!
見るたびに涙する箇所が増えます。
映像の美しさにとても感動します。
まず、0.5マイナスなのは、公開されている映画館が少ない上、宣伝がほとんど無いこと。
せっかくの良い作品なのに宣伝されないまま、多くの人の目に触れられず、廃れるにはもったいなく思います。
試写会も2回行き、1人で1回、母と2回観に行きました。
4.5をつけさせていただいた点として、ここまで心の琴線に触れるような映画に出会えることはなかなかないと感じ、高評価をつけました。
演者さんたちの演技が光る作品です。日常から掛け離れていない題材だからこそ難しい点があるかと思いますが、素晴らしい演技力に脱帽です。
最初は、ツキちゃんに感情移入してしまい、ヨシくんとのやり取りがある度に涙していました。
どしゃぶりの雨の中で距離を保ちながらお互いを思いながら離れるシーンは映画史に残る名場面になるのではないでしょうか。
2回目は母と観に行き、ツキちゃん目線で観ていた私と、ヨシくん目線で観ていた母とのディベートがはじまり、ヨシくんの行動原理に想いを馳せることができました。ディベートの末、泣き、語り合いながら映画館を出たのは初めてで、観る人によっても視点が違ったため、すごく新鮮な感覚に陥りました。
母が珍しくもう1回見たいね、と言っていたため、早速次の日に観に行きましたが、セットを含め時間の経過や、心境や環境の変化の描写が細やかで、観るたびに新しい発見があります。
はいおしまい!幸せ!という単純な終わりではないように思えた物語でした。まるで、本当に人の人生の交錯を切り取って見せられているかのようですが、さまざまな人が見やすいようになっており、愛とは、人を思う気持ちとは何か、を考えさせられるような作品だと思います。
映画を観て、考察をすることが好きな人、登場人物の行動や表情を観察した上で想いを馳せることが好きな人にオススメです。
最後まで席を立たず、涙している人も多かったです。
泣けた
ネタバレ注意
最愛の月ちゃんが支えてくれることはとても幸せなことだけど、それ故に自責の念が強くなって焦ってより悪化しちゃうことってあると思う。良くんが出した結論は互いにつらかったと思うけど、1人になったことでじっくり向き合えて快方に向かえたんじゃないかな・・・・・・なんて鑑賞後もいろいろ考えたりして、派手さはないけど入り込めるいい映画だった。主役2人も韓国の人も、同じ病気の役の人もみんな自然ないい演技でよかった。曲も良き。
韓国の彼の方がいい
原作は未読。月菜が自分の夢より良城と一緒にいることや、ジェホンのアプローチや、良城と千春の行動や態度に、後半までずっとモヤモヤした。月菜と良城は支え合っているようで、実は相手に依存していたのだろうか。別れたことが、二人を前に進ませた。それなのに、数年間会っていないのに元の関係に戻るのは疑問。ハッピーエンドで終わるが、元の状態にならないだろうか。人は簡単には変われない。ジェホンと一緒にフランスに行った方が、月菜も良城にも良かったような気がする。ジェホンの絵本が好きな理由と、彼女と一緒にいても心が動かない訳が最後に分かり、やっぱりジェホンがいいと思った。
脚本と演技がしっくりこなくて、星3つ。
傷つき揺れながも繫がりを回復する秀作
潔癖症で恋人の手を触ることさえ出来ない男(良城)というマイノリティを巡る物語なのだが、可哀想な良城を何とか助けようとする女(月菜)の物語かと思いきや違った。
良城を見守っている月菜は、良城と同じ症状を持つ他の女(千春)と良城が屈託なく仲良くしているのを見て、嫉妬を抑えることが出来ない。
マジョリティであったはずの月菜は良城と同じ境遇の千春に疎外される。
韓国の料理人ジェホンが、月菜に猛烈にアプローチするが、そのジェホンのくらくらするような魅力に揺れながら必死に良城への想いをつなごうとする月菜は、千春と良城の罪悪感の無い振る舞いによって深く傷つけられる。
月菜は月菜でジェホンに抱擁される瞬間を良城に見られてしまう。
登場人物は全て思いやりに溢れ、優しく穏やかで、あまりに相手の立場をおもんばかるが故にすれ違いが重なる。
なんとゆう見事な展開であることか。
ジェホンの言動は強引で、歯の浮くような台詞も多く、無理があるように見えながら、観客に彼がただの軽い遊び人とは見せない。大した演技力と演出。
ジェホンのその本気は最後にきちんと回収される。
優しさと思いやりに溢れていても人は人を傷つけることから逃れられない。
この映画の素晴らしさは、その悲しみで終わらないところだ。
自分を生ききることが繫がりを回復させる。
温かい映画だ。
絵本が補助線となって優しく観客を導く。
欲しくなった。
これは必ず見るべき映画となった。
ミッドナイトスワンの内田英治氏の作品 なるほど!
内面的な問題を和らげるためのものは、いつしか殻となって、別の問題を生み出してしまう
2025.2.13 MOVIX京都
2025年の日本映画(124分、G)
原作は新堂冬樹の同名小説(光文社)
潔癖症によって関係が悪化するカップルを描いた恋愛映画
監督は内田英治
脚本はイ・ナウォン
物語の舞台は、神奈川県鎌倉市
絵本作家としてデビューしたばかりの水島良城(三山凌輝)は、絵本屋で働いている恋人の月菜(久保史緒里)と学生時代からの縁を続けていた
だが、良城は極度の潔癖症になってしまい、今では手を握ることさえ出来なくなっていた
次回作もなかなかまとまらず、苛立ちだけが募っていく
ある日のこと、月菜の店に韓国人のイ・ジェホン(ファン・チャンソン)がやってきた
ひと通り絵本を見て回ったジェホンだったが、その店にスマホを忘れて帰ってしまった
月菜はそれを託され、どうしようかと悩んでいると、不意にそのスマホが鳴り出した
月菜は本人が気づいてかけてきたと思って出ると、いきなり女性の声にて「別れ話」が始まり、話し終えるとあっさりと切られてしまった
物語は、本人と連絡が取れてスマホを返すところから動き出す
月菜は恋人らしき人から電話がかかってきたことを告げると、その内容を聞く口実で食事をしようという流れになってしまう
ジェホンはビストロのシェフをしていて、月菜は彼の店に招待された
そして、月菜は恋人の言葉を伝えるのだが、ジェホンは「そこには愛はなかった」と告げるのである
さらに映画では、月菜の紹介にて、心療内科に行くこと良城が描かれ、そこで良城は自分と同じ悩みを持つ千春(穂志もえか)と出会うことになった
カウンセリングの一環でグループミーティングが行われたのだが、そこで意気投合した二人は距離を近づけていく
そして、その様子を見てしまった月菜は「自分には見せないもの」が良城にあることに気づき、それが「我慢をしてまで自分を一緒にいることはない」という良城の言葉へとつながってしまうのである
恋愛の障壁としての「接触できない」というハードルも、良城と千春の間では越えられない壁になっておらず、それが月菜を苦しめることになっていた
同じようにふれあえなくても、心を通じ合わせることができるのだが、それは見えている世界が同じだからだと思う
だが、ジェホンとの関係が進んでも、良城と同じような距離感は残ったままで、肌がふれあったとしても、それは解消できるものではなかった
この距離感が残ってしまうのは、誰しもが「自分」を相手に押し付けているからであり、対話そのものが足りていなかったりする
良城は月菜の気持ちを自分で規定しているし、ジェホンも自分の気持ちをぶつけるだけで、月菜がどうしたいかを選ばせる余地をなくしている
それに対する千春はフラットな感じになっているが、良城は悩みを打ち明ける相手という感じて、心底から渇望するような愛情までは感じていない
いろんな障壁がそこにあっても、良城と月菜の中には確信的な何かがあって、それが恋愛の強さだと言えるだろう
だが、渦中にいる二人はそれに気づかず、離れることによってのみ、惹きつけられる何かの正体に気づいていくのである
いずれにせよ、絵本が物語の推進力と理解度に関わっているので、劇中でも読み聞かせのようなシーンは多い
モジャは外見的な特徴で他人とふれあえないのだが、良城は内面的な問題を外面的なものと置き換えようとしているようにも思える
内面的な問題の解決には時間を要するのだが、ある日突然起こるように、ある日突然終わるものでもあるように思う
それを終わらせるのが喪失だとしたら、その距離が絶望的であればあるほどに、引力は強くなり問題を矮小化させるのかもしれません
良かったですが
エンディングのヨシ君があの病気をどうやって克服したかを見たかったですね。月ちゃんの事を思って如何に頑張ったかを彼女に伝えて欲しかったですね。まどろっこしい展開もありましたが、まずまずでした。
すぐ隣にいる市井の人の物語
就職して病むまではどこにでもいる普通のカップルだった。触れ合って笑い合った思い出を持ちながら、変わってしまった恋人と暮らすのは辛いな。治って楽になって欲しいはずなのに、彼と自分との「特別な関わり」は無くしたくない。他者が介在することは拒んでしまう。彼は彼で閉じこもって生きてきたからか社会性が低く子供っぽい。彼女の辛さや複雑な心境を慮ることができない。でもその2人の間には確実に愛があって、だからこそ起きるすれ違いが本当に切ない。
ラストシーンをハッピーエンドと捉える人もいるようだけれど、よく見たら良城の手はまだ赤く荒れていて病気は完治していないことが描写されていたし、月菜の表情は決して明るくなかった。彼らの物語は終わっていない。あの後も彼の闘病は続くし、彼女には道途中の夢がある。そこに愛があるからこそ苦しみや喜びがある日常を彼らはどう歩んで行くのか。エンドロールで流れる主題歌に込められた良城の心情を全て聴くまでがこの映画。ぜひ歌詞を噛み締めながら最後まで見て欲しい。
主演の三山凌輝さん、久保史緒里さん、助演のチャンソンさん、穂志もえかさん、主題歌『誰よりも』、大変素晴らしかったです。
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