劇場公開日 2025年3月28日

  • 予告編を見る

「ニコール・キッドマンの熱演について来られなかったメインテーマ」ベイビーガール 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ニコール・キッドマンの熱演について来られなかったメインテーマ

2025年4月1日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

興奮

難しい

【イントロダクション】
ニコール・キッドマン主演。大企業の女性CEOが、若きインターンの男性との〈秘密の誘惑〉ゲームを通じて、自らの隠された欲望に目覚めていく過程を描く。
監督・脚本は、女優としても活躍するオランダ人ハリナ・ライン。主演のニコール・キッドマンは、第81回ヴェネツィア国際映画祭にて最優秀女優賞を受賞。

【ストーリー】
ニューヨークで配送企業の女性CEOとして成功を収めるロミー(ニコール・キッドマン)。舞台演出家である優しい夫のジェイコブ(アントニオ・バンデラス)、娘2人。彼女は誰もが羨む人生を手にした。しかし、彼女な夫とのSEXに満足出来ず、物足りなさをポルノで満たす日々を送っていた。

ある日、ロミーは出社前に飼い主が誤ってリードを手放してしまい暴れ回っていた犬を見事な手捌きで手懐ける若い青年を目にする。
出社後、オフィスで仕事をするロミーの前に、従業員のエスメ(ソフィー・ワイルド)からインターン達を紹介される。その中の1人に、朝見かけた青年、サミュエル(ハリス・ディキンソン)が居た。

エスメの発案によって、インターンの教育係(メンター)としてロミーもまた彼等が指名出来るよう手配しており、サミュエルはロミーを指名する。
最初は嫌々引き受けたに過ぎなかったロミーだが、サミュエルから「本当は命令されたいのでは?」と挑発とも取れる問いを投げかけられ、次第に彼を目で追うようになる。

バーで仕事の打ち合わせをしているロミーの前に、同じ店に来ていたサミュエルの差し入れでミルクが振る舞われる。彼の仕業と理解しつつ、ロミーは運ばれてきたミルクを飲み干してみせる。会計中のロミーの背後から立ち去るサミュエル。去り際に彼はロミーに告げる。
「いい子だ」

サミュエルの行き過ぎた態度に腹を立てつつ、彼から目が離せなくなっていたロミーは、会社の面談室に彼を呼び寄せ問い詰める。しかし、怒りから部屋を後にしようとする自分を引き止めたサミュエルを前に、ロミーは彼と口付けを交わしてしまう。それが引き金となり、ロミーとサミュエルのパワーバランスが逆転。

やがて、サミュエルとの秘密の関係をスタートさせたロミーは、私生活と彼の命令で犬のように振る舞う日々を両立させる快感に酔いしれていく。

【感想】
※作品が性愛に関するものである為、この先下品な言い回しや過激な表現が多々あるかと思われます。

結論から先に述べると、「夫婦生活を上手く続ける上で、互いの性的嗜好への理解は必要不可欠」という事だろう。でないと、目の前の相手はプレイ中に別の人物を思い浮かべる事になってしまう。そんな皮肉の効いた、あのラストは強烈だった。

50代半ばのニコール・キッドマンの体当たり演技の数々が素晴らしい。特に、サミュエルとの秘密の関係を始めた中で、彼の前で素肌を晒すシーンは、サミュエルが告げるように「きれい」で若々しかった。
CEOとして大勢の社員を率いる中で、サミュエルの前では抱え続けてきた「支配されたい」というマゾヒズムを加速させていく。サミュエルに主導権を握られ、時に困惑しながらも彼との関係に快感を見出し、抜け出せなっていくロミーは、時に少女のような輝きすら放っていたように思う。

ただ、そんなニコール・キッドマンの熱演に惹きつけられつつ、私の中でずっとある疑問が渦巻いていた。

「コレって割とノーマル寄りな性的嗜好じゃない?」

そう、ロミーのマゾ性やそれを満たす行為のどれもが、彼女が思うより大したものではない、大分マイルドなものだと思ったのだ。過激な主従関係による快楽を描こうとする割に、その表現自体は、悪く言ってしまえば“緩い”のだ。
サミュエルに初めてオーガズムを経験させられる瞬間も、安ホテルの絨毯に四つん這い(やがてうつ伏せ)にされ、手マンで潮吹きさせられるというのは、SEXのプレイとしては割と普通の事なのではないかと思えるのだ。
作中一番過激なSM行為が、皿に注がれたミルクを四つん這いになって舐めて飲むというレベルなのが、本作の底を示しているようで残念だった。

私の昔話になるが、大学時代に友人の彼女から聞いた女子会での生々しいSEXトークでのマゾ性愛の方が、余程過激に思えたくらいだ。彼女の話によると、同じ学科に美人で大人しいと評判の女性が居たのだが、その女性は彼氏とのSEXの際、鏡の前で首を絞められ、立ちバックで突かれる自分の姿を目の当たりにする事でオーガズムに達するというのだ。“首絞め”という相手に生殺与奪の権利を握られた中で、動物のように後ろから激しく貪り突かれる自分の姿を鏡で見るのが堪らない快感なのだそう。

こういう話を知っていると、クライマックスで「“マゾ性愛”なんて男の妄想だ!」と怒鳴りつけて否定してみせるジェイコブと、「それは古い価値観ですよ」と一蹴するサミュエルの姿に感じるものがあった。
というのも、本作で扱われている問題の本質には、ジェイコブの優しすぎる性格が多分に影響しているのは間違いないからだ。

オープニングから、ロミーが騎乗位でジェイコブの上に跨るSEX描写で幕を開ける。ジェイコブが果てた事で行為は終わり、彼はピロートークで満足そうにロミーに愛の言葉を囁く。騎乗位という女性が男性の上に跨るという構図は、ロミーのCEOという立場に象徴される“女性優位”のメタファーだろう。実際、騎乗位は女性側が快感をコントロールしやすい体位だそうで、もしかすると彼女は、優しすぎるジェイコブとのSEXで少しでもオーガズムに達しようとしていたのかもしれない。

ロミーはそうしたノーマルなSEXに常日頃から物足りなさを抱いており、夜中に寝室を抜け出しては、ネットで男性優位の主従モノのポルノを漁って、1人慰める。
サミュエルとの関係性に戸惑いつつ、ジェイコブとも良好な夫婦関係を続けようと努める中で、ある晩、ロミーは彼に「ポルノを観ながらしたい」や「目隠し(枕で顔を覆う)した状態でしてほしい」と、これまで隠してきた本音を交えてリクエストする。しかし、当のジェイコブは「悪者になったみたいで出来ないよ」と拒否してしまう。

先述したが、夫婦生活を上手く続ける上で、互いの性的嗜好への理解は必要不可欠なのではないかと思う。しかし、せっかくロミーが勇気を出してリクエストしたのに、ジェイコブは彼女の嗜好を理解しようともせず、それを拒否してしまう。ならば当然、ロミーは自身の隠れた欲望を刺激し、満たしてくれるサミュエルの方に流れるというもの。

そもそも、ロミーをはじめ、マゾ性愛を求める女性の多くは、あくまで信頼の置けるパートナーから攻められる“安全性の保証されたマゾ性愛”を求めているのであって、本当に見ず知らずの他人から攻められたいという人は稀であろう。
優しすぎるジェイコブに不満を募らせ続けたロミーは、遂に「あなたとのセックスでオーガズムに達した事がない!これまで一度も!」と本音を暴露する。ジェイコブにとっては、これまで19年連れ添ったパートナーからの全否定は耐え難かっただろうが、この時点でちゃんと話し合いをしていれば、あのラストは避けられたかもしれない。

プレイ中断の合言葉にされ、妻の性的嗜好を上書き保存されて心を奪われたままのジェイコブは不憫ではあるが、全ての女性が“優しさのあるSEX”を求めるとは限らない(勿論、お互いに話し合いや試行錯誤を重ねた上で、ベストなSEXを模索した果てに、相手を気遣った優しさのあるSEXに辿り着くならば構わないだろう)。

ラスト、ロミーとの関係性を修復した(と思っている)ジェイコブは、彼女の要望に応えて、うつ伏せの彼女に手マンをして満足させている。しかし、ロミーの頭の中にあるのは、サミュエルの従順な犬として振る舞う自分の姿なのだ。
「私の“心”だけは、この先もずっと貴方のものよ」と言わんばかりの、恍惚に満ちたロミーの表情。彼女の中では、最高のSEXパートナーはしっかり上書き保存されているのだ。
よく“男性は「名前を付けて保存」、女性は「上書き保存」”という言い回しをする。そして、“男性は相手の「身体」を奪われる事に、女性は相手の「心」を奪われる事に嫉妬する”とも言う。辛うじて、ジェイコブはロミーの「身体」だけは取り戻せたかも知れない。しかし、彼女の「心」はもうサミュエルのものなのだ。
そして、ジェイコブがこの残酷な真実に気付く事はないのだろう。あゝ無情。

そんな本作を彩る音楽が素晴らしかった。特に、作中度々流れる男女の官能的な息遣いが響くメインテーマが秀逸。

【総評】
ニコール・キッドマンの熱演の素晴らしさ、官能的な印象を与えるメインテーマは素晴らしかった。しかし、メインテーマとなる「マゾ性愛」の描写については、レーティングを引き上げる事になろうとも、もっと攻めた内容にしても良かったと思う。それこそ、常人には理解不能な程に。

と、これまで散々語ってきたが、私は年齢=彼女居ない歴(31年)のバキバキ童貞である。

緋里阿 純