クィア QUEER

劇場公開日:2025年5月9日

解説・あらすじ

「君の名前で僕を呼んで」「ボーンズ アンド オール」のルカ・グァダニーノ監督が「007」シリーズのダニエル・クレイグを主演に迎え、1950年代アメリカのビート・ジェネレーションを代表する作家ウィリアム・S・バロウズの自伝的小説を映画化。

1950年代、メキシコシティ。退屈な日々を酒や薬でやり過ごしていたアメリカ人駐在員ウィリアム・リーは、美しくミステリアスな青年ユージーン・アラートンと出会い、ひと目で恋に落ちる。渇ききっていたリーの心はユージーンを渇望し、ユージーンもそれに気まぐれに応えるが、求めれば求めるほどリーの孤独は募っていく。やがてリーはユージーンと一緒に人生を変える体験をしようと、彼を幻想的な南米の旅に誘い出すが……。

自分を保てないほど一途に相手を求める主人公リーをクレイグが新たな魅力で演じきり、2024年・第96回ナショナル・ボード・オブ・レビューにて主演男優賞を受賞。テレビドラマ「アウターバンクス」のドリュー・スターキーがユージーンを繊細に演じ、「アステロイド・シティ」のジェイソン・シュワルツマン、「ファントム・スレッド」のレスリー・マンビルが共演。2024年・第81回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。

2024年製作/137分/R15+/イタリア・アメリカ合作
原題または英題:Queer
配給:ギャガ
劇場公開日:2025年5月9日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第82回 ゴールデングローブ賞(2025年)

ノミネート

最優秀主演男優賞(ドラマ) ダニエル・クレイグ
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(C)2024 The Apartment S.r.l., FremantleMedia North America, Inc., Frenesy Film Company S.r.l.

映画レビュー

3.5 欲望の果てを楽しそうに演じるクレイグに拍手

2025年5月12日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

楽しい

斬新

監督のルカ・グァダニーノは17歳の時にウィリアム・S・バロウズの原作と出会い、いつかそれを映画化したいと考えていたとか。バロウズは既存の常識や価値観を否定し、新たな視座を提案する作家集団、ビート・ジェネレーションに属していた。ビート世代は性的嗜好や性欲そのものに肯定的な立場だったので、世間の目を性的マイノリティに向けさせる役目も果たしたと言われる。つまり、グァダニーノの映画作家としての方向性を決定づけたのがバロウズで、原作者の自伝的要素が強いその名も『クィア QUEER』は、長い時を経て、作られるべくして作られた作品。いつも製作リストにない新作を突然送り出してきてびっくりさせるグァダニーノだが、今作は彼にとって一際重みのある1作のようだ。

湿度が高い夏のメキシコシティのゲイコミュニティから、一気に南米のジャングルへと舞台をチェンジさせていく物語は、バロウズと思しき中年のゲイが、美しい青年に一目惚れして、ドラッグの力も借りて辿るさながら道行きのよう。飛ぶ(翔ぶ)という意味ではWトリップのような道程は理屈抜きで感覚優先。人によって置いてけぼりの危険性が大だが、人間と欲望の関係について描いてきたグァダニーノ作品として紐づければ、自然と共感できるはず。

何しろ、15年間に及ぶボンド時代からようやく解放されたクレイグが、男の前で踊ったり、泣いたり、やりたい放題で実に楽しそうだ。その至福感だけでも見る価値はあると思った。

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清藤秀人

3.5 ぞっこんメガネ

2025年10月20日
Androidアプリから投稿

妻殺し、ジャンキー、ゲイ、SF小説家…様々な肩書きをもつウィリアム・S・バロウズによる未完の半自伝小説を、同じくオープンゲイの映画監督ルカグアが自由に翻案した映画である。ダニエル・クレイグが演じている主人公作家リーが一応バロウズという位置付けになっているが、お相手のユージン・アラートンを演じたドリュー・スターキーが若きバロウズにクリソツなことにお気づきだろうか。手前勝手な推測で大変申し訳ないのだが、ルカグアのオルターエゴであるリーが内に抱えた葛藤を、生前のバロウズに相談する架空ストーリーに翻案化しようとした作品だったのではないだろうか。

「バロウズの小説を読んだとき、この作品は私自身について語っていると感じました。小説としての形式が私の理想に近かったこと、そして他者との深いコミュニケーションを求めるというコンセプトが、私に強く訴えかけてきたのです。形式主義者として、ひとりの人間として、そして成長途中のアーティストとして、これこそが映画で語りたい自分自身の真実だと思えました」(インタビューより抜粋)

街で見かけたアラートンがクィアか否かを確かめたくてしょうがないリーが、イラついてテキーラをがぶ飲みするシーンが至極滑稽だ。ゲイバレを恐れずひたすら前進あるのみのリーは、“ムカデ”なみの欲望ギラギラオジサンである。若いアラートンが旨そうな料理にパクついていても、このリーなぜか一切食事に手をつけない。その欲望は100%“(アラートンの)男根?”に向けられ、観客の私たちもついつい、2本のタバコや支柱、二匹の闘鶏までもがそのメタファーに見えて来てしまうのである。酔っ払った勢いでついに「言葉の無い会話をしよう」とアラートンを自宅に誘い出すことに成功するリー。

「人は話をするとき、実際にはありとあらゆる方法で話しているものだと思います。言葉だけでなく、肉体や精神、魂、あるいは手足──それらすべてを使って。ただし、本当にすべてを使うかどうかには抑圧の問題があります。“ひとつの方法でしか話さない”と決めることは大きな抑圧ですから。リーとアラートンは、ありとあらゆる方法で話そうとしますが、しかしその激しさに耐えられなくなり、翻弄されることになります」(インタビューより抜粋)

どうにもこうにもアラートンへの肉欲が抑えられないリー。ひたすら“魚”を求めてメキシコシティを徘徊する白スーツ姿のリーは『ベニスに死す』のアッシェンバッハだし、劇中2人が見る白黒映画はゲイばれを隠さなかったジャン・コクトー監督の『オルフェ』である。アラートンと別れてからの奇妙奇天烈な展開は、誰がどう見ても映画作りに一切の妥協を許さなかったキューブリック監督『2001年宇宙の旅』へのオマージュであろう。自分の芸術作品に異常なまでの執着を見せる支配人レモントフのモデルもまたゲイであることを知るルカグアは『赤い靴』への言及を告白している。スーパーヒーローで唯一カミングアウトしている“グリーンランタン”はともかく、(オリジナリティの強い)映画監督のデヴィッド・ロウリーやリサンドロ・アロンソがちょい役でカメオ出演していることからしても、本作はもしかしたら“映画についての映画”だったのではないだろうか。

「私は、『クィア』というこの映画のタイトルも美しいと思っています。なぜならこの映画は、ある意味で昔からある既存の映画の言語に従うことを望んでいないから。つまり、この映画自体が形式的にクィアなのです。映画というものは形式がすべてであり、それ以外の何物でもありません。1本の映画が“異なること、奇妙なこと”という名誉のバッジを大胆にも掲げ、同時に古典主義や映画言語をまといながら、今日のありふれた映画の陳腐さに対抗する――それは大いなる抵抗であり、クィアネスの行為だと思います」
(インタビューより抜粋)

(バロウズの妻殺しを想起させる)夢の中で足のない裸の女と交わっているリーや、ヤヘを飲んで扉が開いたものの“オフィーリア”のごとくリーの前から姿を消したアラートンの幽体が語っていた「私はクィアでは無い」とはどういうことだったのか。ゲイバレへの恐怖をネタにした昔の映画や、“多様性”テンプレートに組みこまれつつあるゲイムービーを、ルカグアは“(実態の無い)幽体離脱”に例えたのではないだろうか。(映画のテーマを)盗まれても盗まれても若い男を自分の部屋に呼び続けるギンズバーク似のジェイソン・シュワルツマンのごとく、あるいは死と再生を繰り返すウロボロスのごとく、宇宙で唯一無二の純粋クィア映画を作ること、多分それがルカグアの夢なのだろう。ちょっと分かりにくかったけどね。

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かなり悪いオヤジ

4.0 ムカデがシンボル テレパシーを求めて南米の奥地までいっても不安はぬぐえない。

2025年7月5日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

斬新

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ふくすけ

4.0 尖りすぎた実験映画です

2025年6月24日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

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ゆーし