「心のドアは開いている」ザ・ルーム・ネクスト・ドア 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
心のドアは開いている
人の欲望や尊厳を刺激的かつ意欲的に描いた作品も印象的だが、やはりペドロ・アルモドヴァルと言うと、女性や家族を題材にその様々な愛のカタチを色彩豊かに謳い上げた作品が思い浮かぶ。『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ボルベール 帰郷』などがお気に入り。
初の長編英語作品に挑戦してもそのスタイルは変わらず。
もし、あなただったら…?
長らく疎遠だった友人に死期が近い事を知る。
再会し、頼まれる。
“その時”、隣にいて、と…。
作家のイングリッドは知人から、旧知の戦場カメラマンのマーサが重い病で入院している事を知らされる。
久し振りに再会。マーサは末期のガンで余命僅かであった。
空白の時間と残された時間を埋めるかのように語り合う2人。
そんな中で、治療を拒み安楽死を望んでいる事、“その時”に隣にいて欲しいと頼まれる。
悩むイングリッドだったが、2人は森の中の小さな家で共同生活を始める。
マーサは言う。隣の部屋のドアは開けておいて。もし閉まっていたら、その時私は…。
もし自分が同じ事を頼まれたらどうするだろう…?
承諾する…?
いや、それより前にまず思う。何故、私…?
親しい仲ではあったが、もっと親しい人や身内もいる筈。マーサには娘がいる。
しかしマーサにしてみれば、イングリッドにしか頼めないのだ。
べったり寄り添い合う仲だと拒まれる。それに、私たち母娘の事情も知っている…。
戦場カメラマンとして名は馳せているが、決して満ち足りた人生ではなかった。殊に、家族に関して…。
戦地で出会った恋人。彼の子供を宿すも、PTSDになり、他人を助ける為に火に包まれた家へ…。
両親の愛にほとんど恵まれなかった娘ミシェル。
死期が迫って関係を修復したいなんて一方的…と痛烈に描いた某映画もあったが、やはり人が最期の時思うのは、自分の事より愛する者の事なのである。
語り合ったり、映画を観たり…。
空白を埋めるこの一時一時は青春のよう。
若かろうと中年だろうと、その顔の輝きに違いはない。
でも度々、不安に駆られる。今日起きた時、ドアが閉まっていたら…?
風などでドアが閉まっていたらたまったもんじゃない。
そして遂に、“その時”が…。ベランダのチェアに眠るように横たわるその姿に、覚悟はしていたかのように…。
何故、自分が頼まれたか…?
私に出来なかった事を、きってあなたならしてくれると、託されたのだろう。
イングリッドはミシェルに連絡。
やって来たミシェルと共に、2人で過ごした森の中の小さな家へ…。
ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアのケミストリー!
劇中さながら受け身に徹したジュリアンに対し、ティルダのさすがの土壇場。
本当に末期ガンに思える役作りは勿論、何と母娘一人二役…!
娘役時の若々しさやそれを演じてしまうのにも天晴れだが、母娘一人二役に強いこだわりと母娘の切っても切れぬ縁を感じた。
静かな森の中の、美しい家の中で…
母の思いに触れる娘、その傍らにいるであろう母、それを見守る友人…。
アルモドヴァル作品の中でも、最も眼差しや余韻が暖かい人間讃歌。
近大さんのレビューを拝読して、映画の暖かさー二人の関係、母と娘の関係、映画の中の美しく暖かい生命の色彩の様々ーを思い出すことができました。ありがとう

