「母と娘と友人の濃密な物語」ザ・ルーム・ネクスト・ドア サムさんの映画レビュー(感想・評価)
母と娘と友人の濃密な物語
「死の棘」の島尾敏夫とミホをなぜか想いながら最後まで瞬きも惜しく見てしまった。
マーサは、娘ミッチェルとの関係に悩みながら、そして、友人のイングリッドにその悩みを打ち明けた上で、死を選ぶ。マーサは、ミッチェルが父の不在を恨み、マーサとの関係が壊れたとイングリッドに説明しつつ、実は、戦場ジャーナリストのマーサの強さが、ミッチェルには母ではなくむしろ父的な存在であり、従いミッチェルが求めていたのは、会うこともかなわぬままに死んだ父ではなく、実は母親としてのマーサその人であったことが、マーサの言葉から徐々にわかってくる。
イングリッドは、マーサの死に立ち会うことを恐れながらも、どこかでこの友人の安楽死をともに迎える稀有な体験を、作家魂で書ける機会と捉えている節がある。それは、マーサの戦場日記を図らずも垣間見たときに強く自覚したことを、マーサにイングリッドが「あなたのことを書いていいか」と問うた時、我々はそれに気づく。
マーサの死後、マーサの貸し別荘にやってきたミッチェルは、映画としては脇役だが、マーサに恐ろしく似ていることなど、母娘の長年の誤解と確執から和解の時に移行したことを感じさせる。ミッシェルとイングリッドが並んで横たわる長椅子に(ーマーサはその長椅子で安楽死の薬を飲み自死したー)、マーサの愛したジョイスの小説の一説である雪片が静かに、そして、深く降り注ぐ。映画を彩った芸術的な色彩も、この白い雪にはかなわない。白い雪の中に、ミッシェル=マーサとイングリッドは、引いていくキャメラの俯瞰の中に溶けていく。さながらマーサもイングリッドもそして若いミッシェルも、雪の中で息絶えていくかの様だ。美しい映画である。
冒頭に「死の棘」と言ったのは、「死の棘」のテーマはこの映画とは何の関係もないが、小説家(島尾敏夫とイングリッド)が、故意であれ偶然であれ日記(島尾敏夫自身が不倫の相手のことを書いた日記とマーサの戦場日記)を読ませた、あるいは、読んだことで、物語(小説と映画)が生まれるということが双方に通底するテーマと感じたというたわいもないことである。