「いつまでもこの映画の世界にいたい」ザ・ルーム・ネクスト・ドア 田中スミゑ 90歳さんの映画レビュー(感想・評価)
いつまでもこの映画の世界にいたい
最期はスイスで安楽死するのが長いこと人生の夢だったので参考になるかと思って鑑賞しました。それから、予告編のアートと、この映画の落ち着いたシックな雰囲気が好きだったから。
観ましたがやっぱりアートワークは思った通り最高、、お部屋、インテリア、調度品、ファッション、メイクなど、原色と、アクセントカラー、配色、そして、ヴォッテガのバッグを含めて、格子模様の使い方が上手い!
主人公のバッグは病院訪問~看取りまで、全てヴォッテガでした。三色ぐらい見ました。
森の家のガーデニングセンスも最高に好きな感じでした。
ずっとこの映画の世界にいたいと思うほど美術が良かった。
ラストに近づくにつれて配色が地味になっていくのですが、マーサの部屋の真っ赤なドアと、そして死に際しての衣装は南国の鳥みたいな、まさかの黄色!靴も黄色。
安楽死というアートだ、とさえ感じた。人は自分の死を芸術に出来る。
最後は作品で何度か言及されたジョイスの小説の名シーン
「全ての生者と死者の上に降り続ける雪」で、どんどん、画面は単色に近づいていきますが、針葉樹が美しく、墨絵のようにも見えました。
素晴らしい~~~
映画館を出てから、日本の街並みがあまりにも汚いので絶望しました。
きたない灰色や、黄ばんだコンクリートや、踏み散らかされたみぞれ雪の濁った茶色ばかりです。そこはかとなく汚らしく、みすぼらしく、悲惨に感じられます。
やはり日本の不幸の一つは街がビジュアル的に汚いことでしょうね。
日本の美術は陰影礼賛と言われるように。「かげ」、光が遮られて出来るかたちを味わい深く活かすのが真骨頂だと個人的に思ってるのですが
コンクリートとか、セメントとか、昔はそんな素材、無かったよ?というものが、日本でどんどん建設に使用されてます。現代の人工的な建築素材と日本の伝統的な美があまり合わないので、汚いのでしょう。町を陰鬱に見せるだけです。
ケア施設はそれはそれで、使い古された校舎のような、疲れ切ったパステルカラーの組み合わせなので、高齢者や病人のための施設がそんなんでは、見ているだけで停滞と絶望を感じます。もうちょっと綺麗で、活力の湧いてくる配色にして欲しいです。
それから。。マーサにも共感できた。抗がん剤治療によるケモブレインで以前読んでいた本も楽しめず、人生から楽しいことが一つずつなくなっていく。癌患者支援団体の「癌はギフト」「精神的成長(スピリチュアルグロウス)の機会」という言葉なんてクソくらえだと思う気持ちも。命のバトンだの最後まで生き抜けだのきれいにサラリと言いすぎなんだよ、当事者の苦しみから目を背けてるのと同じでしょ?!と常々思っていたので
自分で幕を引きたい。最後ぐらい好きにさせて。と。
安楽死の薬って探せば手に入るのかな?
日本は、自殺は罪だとか、自殺ほう助するなとか、うるさくてたまらないが、この映画には善悪の価値判断判断が入ってなくて、マーサは「うんざりだ。だから自分で死ぬ。私がそうしたいと思ったらそうする。」という人だった。また、類を見ない鮮やかなアートワークも、この映画独自の世界を作り上げていて、そこにも、周囲が何と言おうと私はこういうスタンスでいたい。というマーサの気質と同じものを感じた。
「みんながダメだといってるし、祖国の法律はダメだといってるけど、自分は決してそうは思わないこと」って世の中にたくさんあると思う。日本での安楽死もそうだし。
LGBTが法的に犯罪とされてる国は今でもある。昔は、夫が先だって火葬されれば、いっしょに、未亡人の女性が燃え盛る火の中に飛び込まないと「犯罪だ」とされる文化もあった。米がないのに闇米を食べたら犯罪だといわれた時代があった。…とか、、「現代日本ではけっしてダメなことではないが、時代と文化の違いにより、ダメだとされていたときがあった」ことは挙げたらキリがないぐらいある。
今、叩かれている安楽死も反出生主義もその一つだと思う。日本の法制度が追いついてないだけだ。
決してダメな事ではない。
黙れよ、自殺はダメだとか言ってるスピリチュアル野郎。お前の為に生きてるんじゃない!
世界中の皆から批判されたって、「それでも自分はこうありたい」というのは、大事な精神の一つだと思う。
なにからなにまで、みんなに言われたからって、譲歩する必要はない。
ある日突然死なねばならないのは怖い。
この映画のように薬を手に入れて、自ら、安楽な「臨終の瞬間」を迎えたい。
最高の死に方だと思う。
たくさんの引用が出てきますが、文学的で美しい映画でした。