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シュルレアリスム100年映画祭、鑑賞5本目。
前半で何度も寝落ちしてしまったので、
あまり偉そうに感想を書く気になれないけど……(笑)
たるくて、難解で、とりとめもなくて……、
眠たくなる要素はてんこ盛りの映画で、
映像的にも素人臭いのはたしかで、
ぶっちゃけ、たいして面白い映画ではなかった。
ただ、当時を代表するシュルレアリストや最先端の文化人たちが結集して、自らの芸術的な痕跡を残したという意味では、貴重な価値を有する実験映画であることに変わりはない。
監督はハンス・リヒター。ドイツ出身のダダイスト/シュルレアリストで、41年に渡米してニューヨークで教鞭をとった人物だ。パンフによれば、かの名蒐集家ペギー・グッゲンハイムから資金提供を受けて、仲間たちを巻き込んで製作が進行したという。
内容は、人の夢を垣間見る能力に目覚めた男が、その能力を使って「夢を売り買いする」ベンチャー企業を立ち上げるというもの。実際は、7つの夢が主役を狂言回しに羅列されていくオムニバスのような形式で、それぞれに芸術畑の重要人物が関与している。
まあ言ってみれば、シュルレアリスト版の漱石の『夢十夜』や黒澤明の『夢』みたいな企画だと思えばよい。
作りとしては、無声映画のような撮り方をしていて、それをオフスクリーンで観ている主人公の「声」が、自分を外から見ながら語るような調子で、のべつ「第三者=彼」の行動を「弁士」として解説し、しゃべくりまくっている。
各部の関係者は以下のとおり。
第1部:マックス・エルンスト(夢の草案、出演)
第2部:フェルナン・レジェ(夢の草案)
第3部:マン・レイ(脚本)ダリウス・ミヨー(音楽)
第4部:マルセル・デュシャン(原案、作品提供)ジョン・ケージ(プリペアド・ピアノによる音楽)
第5部/第6部:アレクサンダー・カルダー(モビール&ミニチュア提供)
第7部:ハンス・リヒター自身の夢が原案。
何せ、人の夢である。
面白いわけがない(笑)。
現実でも、「こんな面白い夢見たんだけど」ってフリで、人の見た夢の話を聞いて、面白かったためしがないもの。
とりとめがなく、つながりが不分明で、とらえどころがない。
お話として当然破綻しているし、なにより「夢だから」という理由で破綻していることに「居直って」いるわけで、まあまあタチが悪い。
とはいえ、シュルレアリストにとって、「夢」は重大なツールである。
「無意識」の領域と芸術を結び付けることこそが、シュルレアリストの最大の関心事だったからだ。
フロイトは『夢判断』のなかで、「自由連想法」の重要な素材として「夢」を扱っている。夢は、ふだん意識に現れない無意識の思考や願望をさまざまに「偽装」しつつ表現しているとして、精神分析家に向けて患者が夢の内容を話すことで、その夢の背後にある抑圧された表象を解放していくことができるとした。
マックス・リヒターが本作で試みているのは、まさにシュルレアリストとして、夢と向き合い、そのなかにひそむ「無意識」の領域を探求する営為に他ならない。
内容的には、全体にうろおぼえで語るのが難しいが、むしろ居直って現代アートの再録を「夢」と称しているだけの4~6部のほうが、頭を使わなくても楽しめるかもしれない。
ディスクがぐるぐる回ってるだけの第4部は、マルセル・デュシャンの1926年の実験映画『アネミック・シネマ』の再録のようなもので、ターンテーブルと絵画で立体的錯視効果を生む装置は「ロトレリーフ」と称される。これに当時、新進気鋭の現代音楽家だったジョン・ケージが曲をつけるという贅沢仕様。当時、ジョン・ケージはプリペアド・ピアノを発明して2年。エルンストの招きでニューヨークに来たばかりの時期だった。
5部の「モビール」と、6部の「人形のサーカス」は、アレクサンダー・カルダーによる作品を映像に残したもの。個人的にはこの第6部がダントツに面白かった。とくに腰を振る針金人形!! あれ、商品化したらマジで売れるんじゃないの??
アレクサンダー・カルダーは、風で動く彫刻「モビール」の発明者であり、つい先日まで麻布台ヒルズで回顧展をやっていたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。「カルダーのサーカス」は、彼が20年代に行なっていたパフォーマンスで、パリでこれを観たミロやアルプ、デュシャン、コクトーらを熱狂させた。
内容的には、ストップモーションではないものの、シュヴァンクマイエルなどのチェコ・アニメーションを彷彿させる、機知と創意に富んだ「からくり」で、これなら僕も一度、実演で観たかったくらいだ。
ちなみに、いまWikiを見ていて気付いたのだが、あの腰を振る針金人形、『アステカ風のジョゼフィン・ベーカー』 (1929頃) という作品らしい。要するに、バナナ・ダンスで著名なあのジョゼフィン・ベーカーが元ネタだったんだな(笑)。昔、マン・レイの展覧会に行ったときにも彼女に関する展示があったけど、ジョセフィン・ベーカーが20年代のパリで文化人に与えたインパクトって、ガチで絶大だったらしいね。
以下、雑感。
●第1部。部屋に正面にかかってるのは、フェルナン・レジェの「偉大なジュリー」じゃないか(笑)。左手にかかってる目のアップの作品は、ふつうに考えてマン・レイか?
●主演の俳優って誰かに似てると思ったらアンドリュー・スコットか(『SHARLOCK』のモリアーティ役)。
●おっさんのもってきてる画集がおっぱいまみれ(笑)。ベッドに横たわり口に玉をくわえた女の姿は、フューズリの「夢魔」やティツィアーノの「ダナエ」を想起させるが、僕の脳裏に「●獣聖戦」の黒玉法師が浮かんだのは内緒。
●真っ赤な服と唇の眠る女と、窃視する正装の男。女を連れ去り、地下道を歩く男。容易にイメージの原型としての『ドラキュラ』や『オペラ座の怪人』のゴシック・テイストがうかがわれる。赤いたすきをかけて登場するエルンスト本人は、さしずめピーター・カッシング演じるヴァン・ヘルシング教授といったところか。
●第2部。眼鏡美人が様々な奇妙な協会の書類に契約させようとする。キスをしようとして目をのぞき込むと第二の夢が始まる。女性の歌唱による三拍子曲に載せての、マネキン・ショー……って、「オー!マイキー」かよ(笑)。
●第3部。第1部のチー牛ぽい男の奥さんが被験者。肥ったマドンナのような女丈夫で、夢の内容は、舞台上の男と同じ格好をする集会みたいな話で、ほぼこちらは寝落ち(笑)。
ラストの本の裏表紙の写真って、カストロみたいだけどマン・レイ本人のコスプレってことでいいのかな?
●第7部。ポーカーに興じていたら、顔が青色に変色した男の夢。とりとめのない内容だが、いかにもフィルム・ノワール風の道具立てなのが興味深い。ハンモック美女の差し出す赤いコップとか、やっぱり吸血鬼幻想の気配があるのも気になるところ。
総じて意味不明なうえに雑駁なつくりの映画だが、シュルレアリストや周辺の文化人が総出でつくった学芸会的な映画としては、まあ楽しそうといえば楽しそう。
20世紀においてもっとも「前衛」の気風が盛り上がった時代――10年代~20年代(パリ)と40年代~60年代(NY)を、それぞれ「幕間」と「金で買える夢」という「アーティストが仲間内でつくった実験映画」が象徴していると考えれば、なかなか面白いのではないだろうか。