ボビーのレビュー・感想・評価
全3件を表示
ボビー、ボビー、あんたの時代は良かった~♪と口ずさんでみるものの、あの曲はボビーではなく、ボギーだった
アメリカ大統領になるはずだった“希望の星”のロバート・F・ケネディ。日本人感覚としてはジョン・F・ケネディのほうが有名だと思っていたのに、現代に至るまで尊敬されていたことにも驚きました。映画でも流れる彼の肉声の演説。「かつてのローマ帝国のようにしたくない」と、ベトナム戦争からの名誉ある撤退と非暴力を説く崇高さは、今だからこそアメリカの政治に必要な姿なんだと痛烈に訴えてくる。
映画はその大統領候補ボビーが主人公なのではなく、アカデミー賞俳優を含む豪華な22人のキャストが演ずるグランドホテル形式の群像劇。アンソニー・ホプキンスが映画『グランドホテル』に言及したり、『卒業』『明日に向かって撃て』『猿の惑星』といった68年を思い出させるタイトルが出てくるし、アン・バンクロフトのヌードがボディダブルかどうかを議論しているシーンなんてのも映画ファンにとっては嬉しい限りでした。
豪華キャストの中で最も感動できるのがイライジャ・ウッドとリンジー・ローハンのエピソード。ベトナム戦争へと徴兵されることから救うために、ボランティアとして愛のない結婚をしようとする2人の姿にはウルウルしてしまいまいた。また、ボビーが暗殺される日にドジャーズのドライスデール投手が連続完封記録をかけた試合が行われていて、そのチケットを手に入れたのに観に行くことのできない厨房の青年ホセ(フレディ・ロドリゲス)のエピソードがいい。ホセだけは実在した人物らしいのですが、その周囲に起こる人種差別に関する会話が興味深いところ。ローレンス・フィッシュバーンが語る内容によれば黒人の地位とヒスパニック系の地位とでは大きな差があったのだと・・・やはり、キング牧師やマルコムXは偉大だったのだ。
ラジー賞常連のシャロン・ストーンとデミ・ムーア。この2人の評判も悪くないので期待していたのですが、観終わるまで登場していることをすっかり忘れてしまうほど映画に溶け込んでいました。あらためて写真を見ると、ラジー大女優のツーショットまであったとは!!!!気が付きませでした。そのデミ・ムーアの夫を演じているのが監督・脚本をもこなしたエミリオ・エステヴェス。2人がかつては恋人同士だったこともあるし、現在の恋人アシュトン・カッチャーもLSDの売人役で出演している。エミリオの父マーティ・シーンも出演しているのだし、映画の人物相関図よりも実際の俳優相関図を調べたほうが面白そうでもあります。
こうした群像劇の面白さは、終盤に繋がりのなかったそれぞれの登場人物が一気呵成に集約するところ。演説に集まった彼らはどうなるんだろう?とワクワクしていた時にはボビーが暗殺されるなんてことを忘れていました・・・阿鼻叫喚、地獄絵図。悲劇の真っ只中で、ドラマでは崩れつつあった人間関係がそれぞれ和解していく姿。泣き叫ぶリンジー・ローハンの演技。イライジャの悲しい姿を見るのはLOTR以来じゃ・・・などとダジャレを思いつく隙も与えてくれません。中でもウィリアム・H・メイシーがクリスチャン・スレーターを抱きかかえるシーンが泣けるのです。いきなり聴ける「サウンド・オブ・サイレンス」の効果もあって、久しぶりにいい群像劇を観た!という気分にさせてくれました。
米民主党を支持するような政治的なメッセージやRFK暗殺に関する謎を解明するような内容を排除したかのような製作意図はあったのだろうけど、どうしても政治臭を感じ取ってしまう。それに、アンバサダーホテルにおける実写映像を織り交ぜて俳優たちと交互に映すことによって臨場感を醸し出そうとしていたにも拘らず、フィルムの加工がチグハグになったいたため彼らがテレビ映像を見ているような雰囲気に感じられたこと。低予算だったためしょうがないことだとは思いますが、ボビー本人も俳優にしたほうがリアルだったのではないでしょうか・・・
三度目の希望の星を打ち砕かれた喪失感
総合70点 ( ストーリー:75点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
人種差別と貧困があって、ベトナム戦争と麻薬があって、崩壊する家族がある。そんな時代を背景にして、崩れていく強かったアメリカを救う希望の星であったJFKとキング牧師が次々に暗殺され希望が打ち砕かれるが、マッカーシーに対抗するボビー・ケネディがアメリカ国民の新たな希望の星として頭角を現す。ホテルに関連した人々に当時のアメリカ社会の抱える問題の縮図を演じさせるという、グランド・ホテル形式の舞台はアンバサダー・ホテルである。そこに国を率いてくれるであろう新たな指導者を登場させ政治への関心を高めておいて、それでこの結末である。三度希望の星を打ち砕かれた当時の人々の喪失感を上手く描き出していると思う。
ラスト10分、映画史に残したい名場面、RFKの命の言葉が蘇生される映画だ
世界の歴史が変わった日と言われているが、大袈裟な様でも有るがしかし、当たらずも遠からずと言えるだろう。戦争大国のアメリカで良心を持った政治家が倒れた日で有るのだ
その事件が起きた1968年6月5日。その僅か5年足らず前に大統領選キャンペーンの最中に暗殺された35代目米大統領ジョン・F・ケネディー。その彼の実弟が、同様に大統領選のキャンペーン中に再び暗殺される事になるとは、誰が予測出来ただろうか?
私達は、これが実話であり、紛れも無い歴史的な事実で有るからこそ、疑う事は無い。
しかし、この時代、この瞬間に生きて、ここに居合わせていた人々は、誰一人として、ロバート・F・ケネディーが暗殺されるなど、信じられなかったに違いない。
一番驚いているのは、ロバート・ケネディー自身ではないだろうか?
選挙戦のキャンペーン中に、兄弟揃って、暗殺され命を落とすそんな家族がこの世界にいる筈は無いと思うのが普通だ。
今の時代ならテロの危険を考慮し、もっと警備は絶対的な厳重体制に整えられていたに違いない。
しかし、やはり今に比べると、時代は、未だ未だ、おおらかだったのだろうか?
それとも、この2人の暗殺に関しては、多くの謎が有る事からも解るように、誰かケネディー家の人間が大統領に就任する事を拒んでいる、組織か、団体が有り、それらの手先の者が内部犯として潜入していて、暗殺出来る隙を創っていたのだろうか?
こう言う、不可解な大事件には必ず、陰謀説が付き纏うのも事実で、それが何処まで信頼出来る物で有るのかは、不明だ。
前置きが長くなったが、この映画はラストの10分間を観るだけでも充分に、観る価値が有る作品だと私は思っている。
それは、ロバート・ケネディーが言い残した政治の理想の言葉がナレーションとして画に被さり、その彼の力強いメッセージが、今のアメリカや、アメリカのみならず、政治の理想の姿が語られ、理想の人間社会の姿が語られているからだ。
貧困や、人種の差別も無く、人間として平和な人生を生涯に渡り、続けて生きていく事の理想が語られている。この歴史的価値の有る彼の言葉が再現されたこの作品を観られる事は、それだけで本当に1本の映画として一見の価値が有る。
兄を暴力に因って奪われたその弟は、その憎しみに因る暴力の連鎖を阻止する為に、ライフルと言う武器を使う事無く、言葉を武器にして理想の社会を語る。彼のメッセージは
単なる理想主義では無く、暴力に因って命を否応なく中断させられた犠牲者の遺族で有るだけに、重みが有る。
この映画は、シビレが切れる程永い間、この暗殺事件が起こる時に、何故か事件に巻き込まれてしまう一般のごく平凡な市民の生活を描き続ける。しかし、その人々の平凡な日常の悩みや、人生を淡々と描き出して行く群像劇の過程そのものが、68年当時のアメリカ社会の置かれている時代や文化を明確に描き出している。そして、その人々の暮らしの姿を見せる事で、ボビーの最後の言葉が更に一層生かされる形で映画が創られている。映画の撮り方としては珍しい創り方では無いが、ボビーのメッセージが最も生きる様に描かれているこの作品はお見事だ。
アメリカ人でもない私だが、この映画はラスト10分を観ていると、何故か、涙が後から後から止めど無く溢れ、久し振りに、号泣させられた。
この作品が、全米で公開された2006年11月は、イラク戦争の泥沼化が社会問題化し、次期なる大統領選の行方が最も注目されていた。
それだけに、この作品が出来た意味は大きかっただろう。そして、政治家と縁の深いマーティン・シーンや、彼の実子のエミリオ・エステベスが本作の監督・脚本・出演も務めている事は彼のファンである私にとっても喜ばしい事だ。
私は個人的に、多くのイラク帰還兵に出会っている事から、中々この映画を観る事がこれまで無かったが、この映画に出会えた事を嬉しく思う。
全3件を表示