「ラスト10分、映画史に残したい名場面、RFKの命の言葉が蘇生される映画だ」ボビー Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
ラスト10分、映画史に残したい名場面、RFKの命の言葉が蘇生される映画だ
世界の歴史が変わった日と言われているが、大袈裟な様でも有るがしかし、当たらずも遠からずと言えるだろう。戦争大国のアメリカで良心を持った政治家が倒れた日で有るのだ
その事件が起きた1968年6月5日。その僅か5年足らず前に大統領選キャンペーンの最中に暗殺された35代目米大統領ジョン・F・ケネディー。その彼の実弟が、同様に大統領選のキャンペーン中に再び暗殺される事になるとは、誰が予測出来ただろうか?
私達は、これが実話であり、紛れも無い歴史的な事実で有るからこそ、疑う事は無い。
しかし、この時代、この瞬間に生きて、ここに居合わせていた人々は、誰一人として、ロバート・F・ケネディーが暗殺されるなど、信じられなかったに違いない。
一番驚いているのは、ロバート・ケネディー自身ではないだろうか?
選挙戦のキャンペーン中に、兄弟揃って、暗殺され命を落とすそんな家族がこの世界にいる筈は無いと思うのが普通だ。
今の時代ならテロの危険を考慮し、もっと警備は絶対的な厳重体制に整えられていたに違いない。
しかし、やはり今に比べると、時代は、未だ未だ、おおらかだったのだろうか?
それとも、この2人の暗殺に関しては、多くの謎が有る事からも解るように、誰かケネディー家の人間が大統領に就任する事を拒んでいる、組織か、団体が有り、それらの手先の者が内部犯として潜入していて、暗殺出来る隙を創っていたのだろうか?
こう言う、不可解な大事件には必ず、陰謀説が付き纏うのも事実で、それが何処まで信頼出来る物で有るのかは、不明だ。
前置きが長くなったが、この映画はラストの10分間を観るだけでも充分に、観る価値が有る作品だと私は思っている。
それは、ロバート・ケネディーが言い残した政治の理想の言葉がナレーションとして画に被さり、その彼の力強いメッセージが、今のアメリカや、アメリカのみならず、政治の理想の姿が語られ、理想の人間社会の姿が語られているからだ。
貧困や、人種の差別も無く、人間として平和な人生を生涯に渡り、続けて生きていく事の理想が語られている。この歴史的価値の有る彼の言葉が再現されたこの作品を観られる事は、それだけで本当に1本の映画として一見の価値が有る。
兄を暴力に因って奪われたその弟は、その憎しみに因る暴力の連鎖を阻止する為に、ライフルと言う武器を使う事無く、言葉を武器にして理想の社会を語る。彼のメッセージは
単なる理想主義では無く、暴力に因って命を否応なく中断させられた犠牲者の遺族で有るだけに、重みが有る。
この映画は、シビレが切れる程永い間、この暗殺事件が起こる時に、何故か事件に巻き込まれてしまう一般のごく平凡な市民の生活を描き続ける。しかし、その人々の平凡な日常の悩みや、人生を淡々と描き出して行く群像劇の過程そのものが、68年当時のアメリカ社会の置かれている時代や文化を明確に描き出している。そして、その人々の暮らしの姿を見せる事で、ボビーの最後の言葉が更に一層生かされる形で映画が創られている。映画の撮り方としては珍しい創り方では無いが、ボビーのメッセージが最も生きる様に描かれているこの作品はお見事だ。
アメリカ人でもない私だが、この映画はラスト10分を観ていると、何故か、涙が後から後から止めど無く溢れ、久し振りに、号泣させられた。
この作品が、全米で公開された2006年11月は、イラク戦争の泥沼化が社会問題化し、次期なる大統領選の行方が最も注目されていた。
それだけに、この作品が出来た意味は大きかっただろう。そして、政治家と縁の深いマーティン・シーンや、彼の実子のエミリオ・エステベスが本作の監督・脚本・出演も務めている事は彼のファンである私にとっても喜ばしい事だ。
私は個人的に、多くのイラク帰還兵に出会っている事から、中々この映画を観る事がこれまで無かったが、この映画に出会えた事を嬉しく思う。