ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦のレビュー・感想・評価
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ドゥダメルの魅力と葛藤が描かれた秀作ドキュメンタリー
指揮者ドゥダメル自身の魅力を余すところなく見せながら、同時にドゥダメル自身が育ち、今も支援し続けているベネズエラの音楽教育システム「エル・システマ」の責任者としての深い葛藤も描き出した秀作ドキュメンタリー。
まず「エル・システマ」の理念にとても感銘を受けた。富裕層も貧困層も関係なく楽器は無償提供。信条の違いを超えて、みんなで一つの音楽をつくりあげる過程を通して子どもたちを社会化し、人としての尊厳を持てるようにしていく。単なる楽器演奏の早期教育ではない「音楽を通した青少年教育」を実現した、ドゥダメルの恩師アントニオ・アブレウ氏の取組がすごい。
作中に「音楽は基本的な人権」という言葉が何度か出てくる。音楽にとどまらず、芸術全般は、人としての尊厳の肯定に深く関わっていると思っているが、これを具体的な現実の仕組みの中で、永続的に実現させていく困難さを考えるとき、この取り組みがほぼ半世紀続き、かつ世界各国に広がりをみせていることは驚くべきことだと思う。
その分、この取組を今中心になって牽引しているドゥダメルは、政情不安定な自国の子どもたちのよりよい環境での成長のために、自身の政治的な発言や行動がストレートにできないジレンマと苦悩がつきまとっていることだろう。
その彼が作中で語った、ベネズエラに残り「エル・システマ」の指導にあたっている友人からの電話のエピソードには泣けた。指導者として報われた瞬間の喜びが手に取るように伝わってきたし、ドゥダメル自身から私たちが感じ取る魅力も、演奏者の傍らにありながら、共に高みを目指す彼の指導者としての立ち位置あってこそと思う。
実際の所、世界では、例えばヘイト的な言動を繰り返すトランプが「言いたくても言えないことを代弁してくれる」と大統領選の支持率を回復しているという報道も流れている。
対立を、対話や音楽を通した調和で乗り越えていくには、まだまだ道は遠いかもしれない。
けれど、この作品を観ながら、その道をあきらめてはいけないという思いを強く持った。
音楽好きな方は、見ない訳にはいかない映画!
映画の予告編で運命の冒頭部分を聴き、これはフルヴェン以降カラヤンでさえ心に響かなかったのに、凄い演奏だと感動し「グスターボ・ドゥダメル」氏を調べたら、また「マンボ」の演奏に魅せられ、しかも2026年には、ラテン系指揮者で初のNY・フィルの音楽監督就任が決定しているというから、これは映画を見ない訳にはゆかないナ!と見てきました
これからの名指揮者グスターボ・ドゥダメル氏の紹介映画ですが、音楽好きな方は、見ない訳にはゆかない映画です!
彼も貧困に関係なく子供たちに音楽教育を与え、犯罪に手を染めるのを防ぐという、「エル・システマ」出身と知り、ラグアイラ港に入港し、エル・システマに楽器を寄付していたピースボートで知っていただけに、更に身近に感じました
もっとも最近は映画が訴えていた様に、ベネズエラの政情不安・治安の悪化で入港が控えられていた為に楽器の提供もままならず、「エル・システマ」に入りたい子供たちの為にも、早期の国情の安定を祈るばかりです
芸術と政治
世界的に活躍するクラシック音楽の指揮者は欧米、東アジア出身者が多いが、ドゥダメルはベネズエラ出身だ。
貧困国ベネズエラの音楽教育について無知であったが、エル・システマという青少年教育音楽プログラムの存在を初めて知った。
オーケストラというのがミソで、楽器の演奏技術だけではなく、集団での音楽体験を通じて忍耐力・協調性・自己表現力を身につけられる、ひいては青少年を麻薬や犯罪などから遠ざける効果があるという。
ドゥダメルはこのプログラムの出身で、ボリビア交響楽団(BSO)を率いる立場でもあり、同僚の支持も厚い。
だが、40年来続いてきた国を挙げてのプロジェクトが、ベネズエラの経済危機、政情不安によって存続の危機に追い込まれる。
政治的発言から距離を置いてきたドゥダメルだが、オーケストラメンバーが反政府デモで射殺されたことで政府に対峙せざるを得なくなり、結果的に彼自身も故郷を追われることになる。
日本では芸術と政治は無関係と考える風潮が強いが、ナポレオンに影響を受けたベートーヴェン、ワーグナーを政治利用したヒトラーなど、世相と無関係だった音楽家はいない。
クラシック音楽のマーケットはヨーロッパがメインであり、事業自体が国家主導なこともあるため政治的利用をするのはたやすい。
その中でプロの音楽家として生きていくことは民間主導のごく一部のマーケットしかない日本より、ずっとハードなことなのだ。
(この映画は2017年前後に撮影されているが、数年後ロシアによるウクライナ侵攻が勃発し、ロシア出身の音楽家はキャンセルまたは亡命の選択肢を迫られ窮地に立たされている)
画面の中のドゥダメルは快活で人間愛に溢れ、自らが信ずる芸術への崇高な理念を語るだけでなく、周囲を巻き込んで行動するエネルギーを持ち合わせている。
ベートーヴェンを指揮する背中は、芸術は個人的な心の拠り所に非ず、社会を変革する力を持つことを雄弁に語っていた。
ドゥダメルの核を形作ったエル・システマの灯火を消してはならないだろう。
彼がふたたび故郷の地を踏めることを願う。
芸術や文化を開花できない為政者は愚の極み
リニューアル前の池袋、東京芸術劇場のステージから落ちる者が出てもおかしくないくらいの大人数。
その人数の修学旅行的ラテンのユースオーケストラを連れまわった招聘元は心底大変だったろうと想像に堅くない。
翻って日本の権威オケ。全員の楽器の値段を合計するとワンステージでも0.1兆円くらい平気で行きそうだが、そのオケの団員一人の楽器代で全員の楽器が賄えそうな南米のユースオケの音、これが出る出る。
もちろん人数も多いが体の芯から動いて、動いて、動いて鳴らす。響かせる。音を出す。これから比べたら日本のオケなぞお地蔵さんかハシビロコウみたいなもんで、まぁ、音、出ないですよね。人を踊らせられないですよね。
聞けば日本の楽器学習では「なるべく動かない」と言う掟(?)もあるとか。邦楽ですか?三味線ですか?
そんなユースオケ、最晩年のアバドに呼び寄せられたヨーロッパ公演で見事な「悲愴」を演奏しきった。アバドの心底満足した微笑みが忘れられない。客席にはオケの音楽監督のドゥダメルもいた。
この映画でもたびたび登場したがチャイコフスキーやプロコフィエフの楽曲は世界のクラシック公演で欠かせない。だというのに隣国に武力行使し、自国の音楽家たちに踏み絵を踏ませることになった大統領がいる。
このドキュメンタリーでも語られたが、音楽は演奏する人に尊厳を与え心を広げる。生きるために音楽が必要な人がいる。
おそらくすべての創造にそういう作用がある。だから子どもたちに芸術に触れさせ、国や地域になるべくの平穏をもたらすように、気持ちから豊かにしていくのが為政ってもんじゃないのか。
ドンパチやってるバカどもも、そうでなくても人々を苦しめる方向に突き進む政治やってるバカどもも、いい加減、別の惑星行ってやってくんないかなー。地球にオマエラは必要ない。
それと、芸術は権威主義の対極でもある。
アブレウ氏の追悼コンサートの楽屋の廊下でドゥダメルはじめとしたストリングスがワイワイとタンゴで盛り上がる様。
日本でも音楽演奏が一部の権威の物でなくカジュアルに街に溢れるようになればいいね、と思う。
あ、それと。
踊れない人間にまともな音楽はできないだろう。
ボリバルユースはバーンスタインのマンボを持ちネタにのしてきたオケだが、「ユース」が取れて大人のオケになり、この映画でもドゥダメルがマンボを振ることはなかった。
あの子たちがみんな平穏に演奏できる世界を作るのは大人たちひとりひとりの責任でもある。
あんまり分かってないまま見たようで、 成功した指揮者の、 それまで...
あんまり分かってないまま見たようで、
成功した指揮者の、
それまでの大変だった人生を描くのかと思ったら、
成功した指揮者が色んな目に遭う映画だった
この人の言葉の一つ一つに愛が溢れてる
指揮する前に言葉を投げかけてるのを聞くだけで、
泣けてくる
他にも、『え?ここで?」と、
自分でもびっくりするようなところで泣いていた
頑張ってほしいです、これからも
現代のフルトヴェングラー的な
予備知識あまりないままに見てしまい、途中までよくあるサクセスストーリーかと思いきや、途中からとっても重い方向へ。でもグスターヴォは笑顔を絶やさない。あのゆるキャラのようなかわいい笑顔は(失礼!)つらさを知らないからではなく、誰よりもつらい思いをして、それでも希望を諦めないからではないかと思えてきた。
フルトヴェングラー的な、と書いたがグスターヴォはほとんど深刻な顔を見せない。もちろん置かれた環境が違うとはいえ、彼の笑顔に皆が集まり、自然と道がひらけてくる。はじめは天才のサクセスストーリーだと思ったが、本質は違った、たぶん大事なのは師匠への尊敬の念、そして仲間への愛情だ。彼はこれからも音楽の輪を広げてくれることだろう。
ビバ、マエストロ!!
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