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映画『破墓(パミョ)』を観終えてまず感じたのは、これはホラーというより韓国的情念と歴史認識の“封印解除”を描いた寓話であり、同時に、あまりにも直截的な“加害と被害の構図”が表出してしまったことに対する居心地の悪さだった。
ざっくり言えば、韓国の巫堂(ムーダン)、風水師、葬儀師らが協働して、日本由来の呪いに立ち向かう物語。悪霊のルーツは「関ヶ原で討たれた謎の大名」とされ、日本の陰陽道の末裔が朝鮮王朝に呪詛をかけ、それが今なお韓国の名家に“血の業”として続いている──という構成。
設定の粗さを突けばきりがない。関ヶ原の戦死者がなぜ朝鮮半島に祟りを残すのか、そもそも陰陽道が朝鮮を呪う動機は何なのか。だが、これは歴史劇ではない。“誰にとっての呪いか”という物語装置の意図を読まなければ、この映画は表面的な“変な霊が出てくる系”ホラーのまま終わる。
本作が提示するのは、「日本=加害者」「親日派=裏切り者」「呪われた血=償うべき因果」という極めて単純化された歴史認識だ。そしてそれを、ホラーというジャンルの中で寓意として描くことで、観客に無意識の共感やカタルシスを呼び込んでいる。韓国映画が持つポテンシャルと同時に、反日ナショナリズムの“道具化された歴史”が透けて見えるのが厄介だ。
この“政治的ファンタジー”は、韓国国内における親日派批判、財閥叩き、血統主義の否定といったコンテクストに深く結びついており、2024年の韓国社会において一定の共鳴を得ることは理解できる。しかしそれを、“エンタメとして咀嚼せよ”と迫られる側──たとえば日本人観客──の立場から見れば、歴史と霊性を都合よく合成した不誠実な構造にも映る。
映像は美しく、特に風水による墓地移転や儀式シーンの緊張感は見事で、主演のチェ・ミンシクやキム・ゴウンらの演技も鬼気迫る。しかし、後半になるにつれて“ヤバいもの”の正体が露わになるにつれ、観客の想像力を超えた“超常”が制御不能な暴走を始め、物語の抑制が失われていく。結果、エンタメとメッセージ、因習と現代、恐怖と倫理のバランスが崩れた。
興行的には韓国で1,200万人超を動員し、Prime Videoでも2025年4月から独占配信されるなど、“売れる映画”としては大成功だろう。ただし、その成功の構造に含まれる「共通幻想」──日本=呪い、親日=裏切り、過去=清算すべきもの──が無批判に受容されることの危うさを、我々は観客として引き受けなければならない。
最後に。この映画がなぜ韓国でヒットしたのか。たぶんそれは、映画の質云々ではなく、“信じたい物語”がそこにあったからだ。呪いを描くことで、赦されぬ過去も、未来の自画像も描き直せるという幻想。その危うさを、ホラーの皮を被ったこの寓話は、静かに、しかし深く照らしていた。