劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のレビュー・感想・評価
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猗窩座のアニオリ最高でした
まず冒頭に鬼滅の刃を原作連載当時から追っていて良かったあ!
すみません、これだけは言わせてください、評価は4ですが鬼滅の刃を単純にバトルものとして映像美が凄いとかで終わってほしくないという意味でこの評価にしています。
あと一応この映画comでの投稿自体はこういうものがあると友人から紹介されて書くので講評自体は初めての暑苦しい鬼滅ファンの一人と思ってください。
いろいろと語りたい部分はありますが、鬼滅の刃の世界観とかキャラの動機づけとかは割愛して今回の映画の部分だけで少し過去編と絡めながら講評していきます。
今回の無限城第1章猗窩座襲来をまずPVで見たときに予感はしてました。
それは良い予感と悪い予感です。
まず、良い予感ですが、それは戦闘シーンの描写とキャラの回想シーンを原作どおりにしかも適度に良いアニオリ展開で丹念に描くであろう点でした。
もともと制作会社ufotableは第一期アニメから超絶作画による原作の完全再現スタイルを一貫して描いています。
この徹底した再現に私も一期アニメ初見時は冗長に思っていましたが鬼滅の刃という作品が単純なバトルものやなろう系でもなく、冒険活劇ということに気づいてからは飽きずに堪能することができました←賛否はありますが。
なのでそれだけこだわりと職人気質のプライドと意地をもつufotableがこれまで続けたスタンスを変えるはずもなく、この作風に慣れるしかない、そこを過ぎれば“狂気レベル”と評してしまえるジャパニメーションの頂を見るだろうとファンとして覚悟を決めておりました。
ストーリー構成は、亡き柱の桑島兄弟弟子である我妻善逸と獪岳の対決、蟲柱・胡蝶しのぶと上弦弐・童磨の戦い、水柱・富岡義勇と竈門炭治郎コンビによる上弦参・猗窩座との対決を主軸に展開し、ここに無限城に溢れる鬼と鬼殺隊、そして柱たちの戦闘模様や動向が随所に描かれました。
圧巻だったのは無限城の描写でした。
CGを駆使してるとはいえ空間の広大表現は摩天楼や大都市を思わせるほど画力が凄まじく、そんな無限城の空間を把握しようと産屋敷輝利サイドが鎹鴉を通じて見取り図を作り、最終的には無惨の息を潜めている場所を特定しようとするのですが新上弦の肆の鬼の鳴女の空間拡張、空間移動能力により翻弄されてなかなか尻尾を掴ませてくれません。
3DCG背景とキャラクターの2D作画の融合はさすがのufotableと言わざるをえないというか、ときにキャラが3DCGで表現されて違和感がなく、Fateシリーズから培ってきた技術が遺憾なく発揮されていました。
それをフルに活用していたのが悲鳴嶼行冥と時透無一郎が落下死寸前で壁を破壊して内部に飛び込むシーン描写でした。
原作読破済みなので胡蝶しのぶと童磨の結末は事前に知ってましたが笑顔の下に姉のひのえを奪われた煮えたぎる黒い憎悪を宿してもなお、滅することができなかった胡蝶しのぶの独白には“やる必要がなければやりたくなかった、生きて帰りたかった”という思いが滲み出ており、その無念の深さが痛いほど伝わりました←戦争映画とかもよく見ていたので。
第二部で描写されるであろう「とっととくたばれクソ野郎」がどの様な表現にして声優が演技するのか楽しみです。
善逸と獪岳の対決では善逸が独自に編み出した「雷の呼吸・漆ノ型 火雷神」の描写が圧巻であり、劇中で獪岳を端的に評した“幸せを入れる箱に穴が開いている”という言葉はかつての善逸の師匠である桑島慈悟郎の存在によって彼は穴を埋めた事で兄弟子と弟弟子で心の強さの差が際立ち、そこからあの雷の呼吸・漆ノ型 火雷神を産み出したこの対比が末路の因果応報ぶりをより際立たせ、変われた所で変われなかった生涯を徹底的に否定したあたりワニ先生の描き方はやはり好きだなあと思いました。
本作メイン所である上弦参・猗窩座の過去話は三部作で実は鬼サイド今までの下弦の鬼累から始まり、妓夫太郎と悲しいエピソードが語られましたが最後の感動話となりました。
原作で知っていたため泣かなかったが初見なら間違いなく涙を流していましたね。
恋雪が意地らしいわ、不憫な一生だったのに最後・・・復讐に赴いた道場での惨劇ぶりにはアニオリの加筆ながら、全て失った男の自暴自棄振りにエグさと悲しさが混ざりあい、ただただ救われない物語に一層拍車がかかってました。
だからこそ猗窩座が無惨の呪縛から解放され、恋雪に縋り付いて大泣きする所で涙腺が刺激されたんですよね、原作連載当時。
以上が良い点をまとめたものでいよいよ始まった無限城編の第一部は見事なスタートを切った作品と言えます。
悪い点は他の方の意見でもありましたが、映画としての構成としては不十分である点とテンポが良いようで悪い点ですかね。
構成に関しては映画のライト層に分類されるので上手く説明できないのですが回想シーンの冗長さというより挟みどころが悪いかなと思いました←関係ないですけど【本当にあった怖い話】のテレビ番組で総集編を放送したときにも間のCMが長いとか多いと批判が殺到したくらいです。
なのでもう少し戦闘シーンだけは戦闘シーンだけでまとめた方が良かったのではないかと。
伏線の説明を最初でして、戦闘シーンで伏線回収という流れですね。
従来のアニメや漫画は大多数が1度見たらおなかいっぱいという作品が多い印象ですが、鬼滅の刃は圧倒的な映像美に打ちのめされ、次は内容に目を向け、原作を読み返し、しみじみと泣きながらネットで考察動画を見まくり、映画館再来という流れにしたら映画というよりは作品を楽しむことができると信じて最高の準備をした上でIMAXで堪能するのが醍醐味かと思います。
圧巻です
まず、冒頭から映像と音楽でワクワク感と鳥肌が立ちました。
あの組み合わせは流石です。
映像も臨場感のあまり足が竦んでしまいました。
テーマパークのアトラクションに乗っていると錯覚してしまう程でした。
同期組が皆、格段に強くなっていて感慨深いです。
特に炭治郎に感動しました。
善逸が……寝てない!!意識がある上でめっちゃ強くなってました!
猗窩座戦は終始ワクワク・ドキドキ・ピリピリが同時来ているようでした。回想も感動ものです。
上弦の壱ってただ居るだけであそこまで圧力がすごいんですね。次回作が待ち遠しいです。
劇場で見れて最高でした。
大正解です。
とにかく無限城の映像化がすごい! 原作漫画の無限城以上の無限城感が...
もう一度見てもいいぐらい!
映像化のクオリティがすごい
三部作の幕開けとして
原作既読なので、映像美と「今作でどこまでどう描くのか」に注目しての鑑賞だった。
猗窩座というキャラは憎い鬼であり、引き返せる希望も示唆する重要人物だったが、丁寧に描かれていたと思う。が、丁寧すぎて少しクドいと感じてしまい減点。
義勇の覚醒は期待通りのシーンになっていて良かった。
酷評する向きを叩く風潮もあるようだが、楽しもうとした上で出てきた感想がそうなのであれば、厳しい意見もなければおかしいとは思う。
流石ビッグタイトル
普通に期待どおりでした。
ずっとクライマックス
Aimerの曲からスタートし無限城が広がる映像は圧巻。しのぶ、善逸、炭治郎らの闘いが次から次へと繰り広げられて、回想シーンのエピソードが名言ばかりで染みる。
'自分の大切な人は漠然と、明日も明後日も生きてる気がする、それはただの願望でしかない'
'強い者は弱い者を守り、弱い者は強くなってまた弱い者を守る'
周りの小学生の男の子達に響け〜と親心で鑑賞してしまった(笑)
ラストの猗窩座との戦いは、炭治郎達が全く歯が立たず見応えがあり、猗窩座の過去エピソードは涙を誘う。作者の吾峠さんは、悪役をただの悪だけで終わらせず、必ず鬼になった因果関係を紐解いていく。それはまるで、今の世界中の戦争のようであり、奪われたら憎しみで鬼化し、今度は容赦なく相手から奪う負の連鎖。
ラストまで、一瞬とも目が離せないずっとクライマックスで、LISAの歌声が流れる頃にはまるで自分が闘ったかのような疲労感だった(笑)
映像が綺麗すぎて、三半規管の弱い人間が前の方の席で観ると、酔いそ...
なんか色々凄かった…
すごいし面白い。けど、、、
何度も観たくなります
原作にハマって、TV映画全て観てます、
先日無限城編2回目観ました、映像と音楽と声優の皆さん、全ての相乗効果でめちゃ感動しました。
ただ、2回観て同じところで、う〜んと感じたのですが、猗窩座の回想の最後辺りの音楽、、大仰なストリングスに「ここで泣きやー!」と催促されてるようで、、こんなんせんでも泣くっちゅうねん(^^;と思ってしまいました。
あと1回IMAXで観てみたいです
アニメ映画として類を見ない長さに流石に身構えたが
もともと制作会社ufotableは第一期アニメから超絶作画による原作の完全再現スタイルを貫いており、この徹底した再現に筆者も一期アニメ初見時は冗長に感じたが、ここで慣れたか最後までダレずに堪能。これまで続けたスタンスを変わるはずもなく、その一点に適応すれば“狂気領域”といってしまえるアニメ映像表現の頂を見る事だろう。
ストーリー構成は、鳴柱の兄弟弟子である我妻善逸と獪岳の対決、蟲柱・胡蝶しのぶと上弦弐・童磨の戦い、水柱・富岡義勇と竈門炭治郎コンビによる上弦参・猗窩座との対決を主軸に展開する。ここに無限城に溢れる鬼と鬼殺隊、そして柱たちの戦闘模様や動向が随所に描かれる。
とかく目を見張るのは無限城の描写、CGを駆使してるとはいえ空間の広大表現は摩天楼や大都市を思わせる迫力があり圧巻。そんな無限城の空間を把握しようと産屋敷輝利サイドが鎹鴉を通じて見取り図を作るのだが、動き続けるわ広すぎるわでその無謀さに涙を禁じ得ない。
3DCG背景とキャラクターの2D作画の融合はさすがufotable。ときにキャラが3DCGで表現されて違和感がなく、Fateシリーズから培ってきた技術が遺憾なく発揮されている。とりわけ悲鳴嶼行冥と時透無一郎が落下死寸前で壁を破壊して内部に飛び込むシーン描写はまさにその極地、ただ壁壊して中に入るだけなのに何とカッコイイこと。
筆者は原作読破済みゆえ胡蝶しのぶと童磨の結末は事前に知ってたが、死力を尽くしてなお倒しきれなかった時の彼女の独白には“やる必要がなければやりたくなかった、生きて帰りたかった”という思いが滲み出ており、その無念の深さが痛いほど伝わる。第二部で描写されるであろう「とっととくたばれクソ野郎」がどの様な抑揚で言うのか・・・何にせよ貼り付けた笑顔の下は筆舌に尽くしがたい程荒れていただろう。
善逸と獪岳の対決では、善逸が独自に編み出した「雷の呼吸・漆ノ型 火雷神」の描写が圧巻だった。劇中で獪岳を端的に評した“幸せを入れる箱に穴が開いている”という言葉は、かつての善逸にも当てはまるだろうが、師匠であるじいちゃんの存在によって彼は穴を埋めた事で、兄弟子と弟弟子で心の強さの差が際立つ。この対比が末路の因果応報ぶりをより際立たせ、変われた所で変われなかった生涯を徹底的に否定しきっている。さすがワニ先生、さすが冷血動物ですわ。
面白い解釈が生まれたのは元々は地味な印象だった上弦肆こと鳴女、彼女は鬼殺隊にとって無限城を自在に操って撹乱する厄介な存在なのだが、明かされた過去とアニメの演出というメタ的な視点では戦闘を盛り上げるアーティストめいた存在になった点。富岡義勇と猗窩座のタイマン時には舞台をせり上げ、周囲の建物からわざわざ滝を流し、おまけに青いスポットライトを焚くというライブパフォーマンスさながらの演出を加える。人を殺すと琵琶弾きが冴えるからって人間時代から連続殺人をしてた彼女には盛り上げる所で盛り上げないのは主義に反したか、誰が言ったかロックンローラー。
本作メイン所である上弦参・猗窩座の過去話は三部作で鬼サイド最後の感動話。原作で知っていたため泣かなかったが初見なら間違いなく涙を流していただろう。嫁が意地らしいわ可愛いわ---なのにあの最後・・・復讐に赴いた道場での惨劇ぶりにはアニオリの加筆ながら、全て失った男の自暴自棄振りにエグさと悲しさが混ざりあい、ただただ救われない。
だからこそ無惨の呪縛から解放され、嫁に縋り付いて大泣きする所で涙腺が刺激される。
以上、いよいよ始まった無限城編の第一部は見事なスタートを切った作品と言える。
次回は童磨と黒死牟との死闘が主軸となるだろうが、その際には御屋形様サイドの警護に当たった煉獄槇寿郎と宇髄天元が活躍するオリジナル展開が盛り込まれる可能性がある。予想では獪岳とおなじく即席で用意された上弦の穴埋め的な鬼が出てくると考えるが果たして。一年毎に公開して欲しいが、2026年は本作の切り分けてTV放送で終わりそう---
気長に待つのが吉か。
死角ゼロの神作画炸裂
このアニメの楽しみ方
回想シーンが冗長すぎて無理
原作は素晴らしい作品でジャンプ連載中は没入するくらいに楽しめた
で、映画化された作品はどうなのか?って振り返ると「つまらない」
前作の無限列車編もそうだったけど映画というフォーマットに適ってない印象
戦いの最中に差し込まれる回想シーンが長すぎ
長いだけじゃなくて幾度も回想シーンが入ってしまうから
「またかよ!もう!」とか「うわ、また始まった」って感じで辟易してしまった
回想が長い上に頻度も多すぎるとシンドイわ
「じいちゃん」とか「闘気」の説明が長すぎ、、戦闘中の回想シーンが長すぎて
思い出レビューはもういいから 早よ戦えよ!とイライラ感が募るばかり
総合格闘技RIZINが面白いのは、
佐藤映像の煽りV(選手の背景や覚悟の描写)を試合直前に見て盛り上がるからであって
あり得ないけど、もしもゴングが鳴った後に、
試合の最中に煽りVが何度も差し込まれたら邪魔すぎてウンザリするはず
そんなあり得ないことを鬼滅の映画では何度も繰り返されて辛かった
伏線の説明→戦闘→伏線回収の順番でやってくれたら
バトルシーンを楽しめて満足感が高まったのに、残念
全1546件中、201~220件目を表示
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