「心が炭治郎になる。」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 sawanojiさんの映画レビュー(感想・評価)
心が炭治郎になる。
無限列車編での煉獄さんのことが胸の奥に刺さってまだ抜けていないのに、原作全部読んだから内容も知っていたはずなのに、猗窩座に完全に全部持っていかれてしまう。
しのぶさんのくだりは、まだ決着つく前だし、善逸のくだりもうるっときたがまだ耐えられた。
でもさぁ、でもさぁ、猗窩座の過去はどれだけ心の準備してもさぁ、無理だよ。
煉獄さんの仇なのにさぁ。無理だよ。ユーフォの映像美で激戦を見た後にあれを浴びせられたらさぁ。振り上げた手を下ろすしかなくなっちゃうじゃん。
炭治郎は倒した鬼の心にも寄り添うことができる、究極の善性主人公だが、猗窩座の過去のことは最後まで少しも知らないんだよな。いや、他の鬼の過去も別に知ってるわけではないんだけど、炭治郎は毎回この鬼にも人の心があったんだ、と考える。(禰󠄀豆子が大変なことになった刀鍛冶の里は例外か)しかし、今回はそれがない。煉獄さんの仇だからというのもあるのだろうが、まぁ、シンプルにそれどころじゃなかったからだろう。それくらいに猗窩座は強い。
猗窩座の過去を知る機会が少しでもあったら、果たして炭治郎はあの境地に達することができただろうか。原作もアニメも、基本的には過去を想起するのは鬼自身であり、炭治郎は最期を観て心を寄せはするが、倒すのをためらったりはしない。鬼を倒すことこそが主軸であり、そこは絶対に揺るがない。炭治郎は死にゆくものに心を寄せるが、鬼を生きながらえさせようとは絶対にしない。鬼の最期に心を寄せても、鬼の背景を知ることはない。
原作読者、およびこの映画を見届けた人のみが、猗窩座に対して消えない心の棘をブッ刺されたまま炭治郎の背中を観ていくんだよ。
これはもう、原作のスジがエンタメとして上手すぎるし、そこにユーフォの超絶美麗画像が乗っかって相乗効果になっている。
猗窩座がやったことは過去も含めて本当に許されざることなんだけどさ。でもこのエピソードを観たら、猗窩座という上弦の鬼の迎える結末に心を寄せずにはいられないんだよな。肝心の炭治郎は猗窩座に心を寄せてくれないから、観ている我々が炭治郎の代わりに心を寄せるしかないんだよ。
煉獄さんのことは一生許さんぞ!と思うんだけど、猗窩座に対してだけは我々は心を寄せざるを得ない。
石田彰は本当に素晴らしい声優だ。ありがとう。
そして、ユーフォは今後も素晴らしい作画を見せて欲しいけれど、過労死しない程度に頑張ってほしい。ちょっと時間がかかっても全然待つからさ。
