「圧巻の無限城」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 杉本穂高さんの映画レビュー(感想・評価)
圧巻の無限城
やはり驚くべきは無限城の表現。マンガでは描き切れない、あの広大さを映像でなんとか伝えたいという意思がみなぎっていた。あの無限城の3Dだけでものすごい労力と金額がかかるだろう。しかも、ただ「やりました」というだけじゃなく、きちんと映像として意味のあるものとして扱われている。あの広大さを伝える映像があるから、鬼殺隊がどれだけ困難な戦いを強いられているのかを、映像によってダイレクトに伝えることが可能になっている。
もっとキャラクターに寄ったショット中心に構成すれば、あんなにバカでかい3Dモデル作らなくても何とかなると思うが、それじゃつまらないと思ったのだろう。結構、ロングショットを多用していて、広さを伝える多くの隊士が命をかけて戦っていることを表現していた。猗窩座のエピソードには結局泣いてしまった。
鬼殺隊の面々も鬼になった者たちも等しく理不尽な目にあっているが、ある者は鬼殺隊になり、ある者は鬼になる。出会いの偶然がそれを分かつのだとすれば、紙一重の違いしかない。哀しいほどの社会の理不尽が詰まった作品だ。
確かにモブ隊士の活躍までしっかりと描かれていたのは素晴らしく、これ見てまた無双系でゲーム化されたらオリジナル隊士作ってプレイできたらいいかもと思っちゃった。
無限城編は、本当に「理不尽」が詰まってると思います。猗窩座もですが、童磨戦でのしのぶさんもですね。筋力が上背があれば首を斬られたかもしれないのに。と、体格という「理不尽」……しのぶさんの悔しさや哀しみが詰まってました。
個人的にモブ隊士達の様子や戦いが見られたのは嬉しいですが、原作既読者からすると、柱稽古編同様モブ隊士達への感情が揺さぶられそうで怖いです。
猗窩座の人生きつすぎますって
理不尽な状態から素晴らしい師匠に出会い父の遺言を受け止めなんとか人生をやり直し認められこれから幸せになれるはずだったのにたまにいるくそ跡取りと取り巻きに奪われ踏みにじられ563れて
あれはもう無理ですよ
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