本心のレビュー・感想・評価
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ゴーグルの中の世界は…
…本心(本当の気持ち)
というタイトルで常に頭の内で
どういう事なのか考えていた
"自由死"を選んで亡くなった母
亡くなる前に大切な話がある
と言われていたのに
…何故あのとき母の話を断ったのか
後悔が。
VFとして母を仮想空間で会った
母の本心を知ろうと必死だった
…あのときの母の本心
確かに大切な人を失くしたら
会ってみたいと思う
…でも空想の世界で"怖さ"も
感じたし
はたして本心なのかもわからない
…何処か(VF)に救いを求めたい
気持ちがあったと思う
…"自由死"についても
問題提議されていたの…か
差別の問題なども
難しい問題もあって
ラストまで面白味はあったけど
…嫌な展開もあって
気持ちは晴れなかった。
【”本心とは、自らの言葉で相手に伝えるべき事。”今作は、人工知能の技術が飛躍的に発達し、現実と仮想現実の境界が曖昧になる中で、人の心や死の在り方や社会的格差や差別など多様な問題を描いた作品である。】
ー 今作の原作である平野啓一郎氏の同名作品では、舞台は2040年代の東京だったと思うが、今作の舞台は2025年の夏から始まる。
それだけ、人工知能の技術が飛躍的に発達しているということであろう。-
■工場で溶接工として働く青年、朔也(池松壮亮)は、同居する母(田中裕子)から電話で”大事な話がしたい”と言われるが、都合が会わず別の日に話をする事にし、同僚の岸谷(水上恒司)と飲みに行く。
が、帰り道に増水した川辺に立つ母を見て、川に飛び込むが自分も流され、一年昏睡状態に入ってしまう。
目を覚ますと、母は既に亡く、役人たちから生前”自由死”を選択したと言われる・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、純粋だが時代の流れについていけない朔也が、病院のベッドで目を覚ます所から、彼の”何故、母は自由死を選んだのか。”という問いを抱えつつ生きる姿が描かれる。
ー この辺りは、「PLAN 75」をやや想起するが、この作品は更に様々な命題をテーマとして挙げていく。
そのメインは人工知能(AI)の技術が飛躍的に発達した近未来に起きるだろう事である。又、平野啓一郎氏の原作を読み、衝撃及び感銘を受け石井裕也監督に映画化を望んだという池松壮亮の慧眼にも驚いたモノである。-
・岸谷に紹介された”リアル・アバター”の仕事。それは、依頼人の代わりに自らがその希望する行為をゴーグルを掛け乍ら行う事で成り立つのだが、そこで朔也は普通は伺い知れない人の心の内面の願いを知ったり、悪意ある嫌がらせを受けたりする。
ー 夏の暑い日に、朔也に対し、”メロンを買ってこい。やっぱり包み方が悪いから止めたと言え!”という笑い声で指示する輩たちには、立腹しながら観賞する。
こんな使い方をするなら、”リアル・アバター”なんて止めてしまえ!と思う。ー
・又、仮想空間上に望む人間を作る”ヴァーチャル・フィギュア”の開発者(妻夫木聡)の我儘娘の姿にも、腹が立つ。人工知能の発達は”人間性の喪失”に繋がるのではないかとさえ思う。
だが、朔也は300万を払い、母は何故に自然死を選択したのかを知りたくて、母の”ヴァーチャル・フィギュア”を作って貰う。
そして、母の親友だったというミヨシアヤカ(三吉彩花)と出会い、彼女が避難所生活をしている事を知り、彼女を邪心なく自宅に住まわせるのである。
ミヨシアヤカは且つて、彼が高校生だった時に、好意を持っていた身体を売っていたムラタユキに似ていた事もあったのだろうか・・。
だが、ミヨシアヤカは、過去セックスワーカーをしていた時のトラウマから、”人と接触できない身体”になっていたのである。
■ある日、朔也はコインランドリーで、清掃の女性に対し言いがかりを付けている男を、衝動的に倒し、首を絞める。且つて、ムラタユキの事を酷く言った教師に行った、彼の人生を変えてしまった行為のように・・。
だが、皮肉な事にその動画が流出し、彼は一躍ヒーローになり、著名なアバターデザイナーである下半身不随のイフィー(仲野太賀)と出会い、彼から褒め称えられる。
だが、朔也はミヨシアヤカだけには、流出した動画からは削除されていた首を絞めた事を話すのだが、ミヨシアヤカは、”本当の事を言ってくれて嬉しい。”と微笑むのである。
ある日、イフィーは、朔也にミヨシアヤカに”リアル・アバター”としてプロポーズしてくれと頼む。朔也は敢えてそれを受ける。その朔也の姿を見てミヨシアヤカは彼の元を去るのである・・。
そして、想いが通じなかったイフィーの嘆く姿。
”本心とは、自分の言葉で自分自身で伝えなければ、駄目なんだよ。”と思う。
■”ヴァーチャル・フィギュア”の母と何度も且つて行った滝の前で、母は優し気に朔也に話しかけるのである。”大事な話がしたい”と言っていたと思われることを・・。
このシーンは沁みたなあ。
母は、自然死を選んだ事を自分の言葉で朔也に告げたかったのだろうと、私は思う。
<”ヴァーチャル・フィギュア”の母の想いを知った後、朔也はゴーグルを外し、自宅のあるアパートの屋上で、陽光を浴びている。
そして、朔也が空に向けて手を伸ばした時に、彼の手を求めていく女性と思われる白き腕。
私は、あの白き腕は”人と接触できない身体”のミヨシアヤカだと思いたい、と切に願ったのである。
そして、人工知能の技術が飛躍的に発達し、現実と仮想現実の境界が曖昧になる世界の中での見事なる仄かなる”現実の希望”を示すラストショットであるとも思ったのである。>
■今作は、出来れば原作と併せて鑑賞されると良いかと、私は思います。
本物以上の母
最愛の人を亡くしたときに、是非、このVF(ヴァーチャル・フィギュア)がほしい。
風変わりで面白いSF・・・アイデア豊富で飽きない。
近未来なのかな?
《自由死》が認められている日本。
AIが蔓延していて、人がAIに指図されて使用人にされている未来。
死者のAI(VF =ヴァーチャル・フィギュア)が普及はじめている。
ある日、「大事な話がある」そう朝言ってた母親(田中裕子)が、夜には
自由死を選んでいた。
助けようとして溺れて昏睡状態になった息子の朔也(池松壮亮)は、
目を覚ましても、
母の自由死を受け止められずに、VF(ヴァーチャル・フィギュア)を
開発している野崎(妻夫木聡)に母のVFを依頼する。
そうして母のヴァーチャル・フュギアは完成する。
VFゴーグルを眼に装着すると母と朔也はいつでも会えて、
会話出来るようになる。
そして知る母の秘密。
母を良く知る若い親友の三好彩花(三吉彩花)と朔也は、
へ不思議な距離感の同居を始める。
まあまあ不思議な映画です。
AIと人間の覇権争い・・・みたいのもあるし、
AIの方が仕事早いし正確とか、
仕事を失って朔也と友だちの岸谷(水上恒司)だけは、
AIの命令で街中を走り回って「望みを叶える」
ウーパー(便利屋みたいな)を始める。
朔也はともかく猛暑の東京を《AIの無茶振りを叶えるため》に
汗だくで走り回る。
「見舞いのゼリー」が「見舞いのメロン」に変わり、
走ること走ること、
汗は滝のように流れ、背広はよれよれに型崩れ、
走り回ること、汗をかくことで、
「人間としてのプライドを持ちAIとの差別化すること」
それが朔也の唯一のプライドだ。
母の年若い親友でヒロインの三好彩花(一字違いの三吉彩花)は、
不思議ちゃん。
後で出てくる仲野太賀も三吉彩花も、まるでAIに見えて来る。
そしてようやく母の「本心」を聞く朔也。
朔也は笑い、
あまりにも普通のことで、
いうまでもない当たり前のこと。
愛する人を失っても、VFとしてそばに居てくれたら、
かなり癒されるし、寂しくないなぁ。
原作の平野啓一郎の奥深い優しさ、
それを感じる素敵な映画でした。
個人的な第三の見方
今年402本目(合計1,493本目/今月(2024年11月度)8本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
今週、結構作品の数は多いのですが、解釈や採点が荒れそうな気が(この点後述)します。
基本的なストーリーとしてはいわゆる自由意志による死(日本でいうと、安楽死がやや近いが、法制度化されておらず抑止的に運用されている)を扱う内容であったり、あるいは特に若者の経済格差問題、あるいは個人事業主(であろう)「この映画が扱う職業」についての問題提起等多々いろいろわたります。
逆に多くにわたりすぎていて「一つの筋に絞りにくい」ところがあり、色々な解釈ができてしまうのでは…といったところです(この点で解釈が色々取れる点でフランス映画にありがちな展開に近いストーリー)。
とはいえ、色々な見方・考察ができますし、以下は「想定されているかいないかは別だが、ありうる解釈」としては後述しますが、「そのような視点」もあるのかな、といったところです。
採点に関しては(←重要。後述)、以下のようにしています。
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(減点0.3/「自由意志の死の「認可」」表現)
「認可」というのは、私人間の契約に対して行政が立ち入って契約を完全なものとして完成させることを言う、学問(学問上の「行政法」)上の用語です。代表例として公共料金の値上げ等に対して行政が割り込んでくる(極端な値上げを抑止する)といったものがその代表例にあたります(つまり、契約自由の原則の例外にあたるケース)。
映画内の描写は正しくは学問上(講学上)は「許可」とされるべきものです。
このあたりは資格持ちはごまかせませんので…。
(減点0.2/心裡留保の対抗要件の解釈ミス)
心裡留保は善意無過失の相手方に対抗できません(93条1項)。善意の第三者についても同じです(同2項)。
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(減点なし/参考/この映画の「第三の見方」について/評価サイトの「評価」について)
主人公が選んだ仕事(というかアルバイトか)は、今の日本でいえばデリバリーサービス等にあたり、そのサービスについて評価するシステムは常にあるし、また、広く言えば、食事や、ひいてはこのサイトのように映画であったりと多々わたります。
映画内で「汗が臭い」ということで0.1の評価をつけられるシーンがありますが、こうした仕事のスタッフの評価はこれらの平均値等で評価されるのが普通であり、そうであるなら、全体的な基準(5段階評価として1がどのような程度のものか)が全体として定まっていないと、不当に高く評価されたり低く評価されたりといった状況が起きます。このとき、評価者に悪意(日本語としての通常の意味)がなくても、「評価基準がないから」というところにつくのであって、その「汗くさい」ということも0.1であったり1.0であったり2.0であったり、「低め」ではあっても個人によって評価は違います。結局「評価基準」が定まっていないために起きる問題であり、これによってスタッフにより不当に高く評価されたり低く評価される状況が発生します。
(※) このように「不当に低い評価を受けた」(いたずら、嫌がらせと言いうるレベルのもの)ことをもって、各スタッフ(従業員)が個人の(二度目以降の)再配達を拒否できるかというと微妙でしょうし(ただし、各スタッフに対して嫌がらせをするような場合、そのデリバリーサービスの会社側が利用を拒否することはあり得ます)、またそもそも、同じようなシステムが存在する「病院/診療所」や「弁護士事務所」(行政書士・司法書士事務所も同様)(←Google Mapを念頭においているが、そうしたサイト、アプリも存在する?)については、そうしたことを理由に診療等を拒否はできません(個別法で正当な理由なく断れないようになっている)
。
この映画でもそのことについて何度か出てくるシーンがあり、「デリバリーサービスやタクシーアプリ、あるいは例えばこのサイトのように「評価」がつくようなもの」について「適正な評価がされないことにより発生する被害」について「こっそり」問題提起されているのではなかろうか、というのが個人的な見方です。
(※) 私自身はどのサイトにせよ一貫性のある評価をするので、点数計算に関しても(サイトによって文字数の許す範囲かつ常識的な長さで)個々内訳を示すようにしていますが、当然、そのことを私が第三者に強要することはできません(したがって、評価がどうであれ見に行きたい映画は行くし、行きたくない映画は行かないし(レストランにせよ書籍にせよ同じ)、というところです)。
近未来の話
タイトルなし
池松君への評価かな。平野はあまり好きではない。いじけてて、石井さんの抜ける力がこの原作からは出てこない。脚本少し変わったのかな。アイデアは面白いし、アバターが手足のように奴隷になり、点数化されるとか最低。こんなに暗いストーリーを思いつく暗さ。臆病さ。池松くんは臆病さをやらせると本当にうまいけど、芯の強さがいつもある。この原作にはない。ただひたすら暗い。あっちがわの人間とこっちがわの人間という線引きも古い、くだらない。母親の話があまりに突飛で、リアリティがない。田中祐子はもう少しリアルな演技をすればよかったのに、頭でしか役をやってないからだ。妻夫木もこういう暗い役にピッタリなのだ。
太賀も暗い。朝ドラの優しい夫もできる人だけど、徹子の部屋で天真爛漫になれない自意識過剰さが嫌だった。だからこういう役がはまってしまうと思う。
石井さんにこんな映画撮らせないでよ、池松くん。
「お母さん!」池松荘亮と三吉彩花の熱演が光る傑作
原作は読んでいませんが、やはり平野啓一郎は、非凡な才能の持ち主であると感じました。
個人的な感想です。
ポイントは主人公の朔也が前科持ちで、就職や結婚に障壁があったことだと思います。この状況から秋子が朔也に望む本心は、普遍的なものに帰着していたのでしょう。ラストは涙なしでは見ることができませんでした。
池松さんのセリフの一言一言が強烈に心に残り、三吉さんの演技も次第に引き込まれていきました。
本作はVF(ヴァーチャル・フィギュア)やリアル・アバター以外にも自由死の制度にも触れており、2025年問題が迫っている今、タイムリーで注目すべき映画だと思います。
『意匠』がさ…
見ごたえあり
質は高い作品でした
今の時代を反映させたような、一生懸命考えました!っていうような─。だから質は高かったし、気合い入れた感じもありましたけど、正直、あんまり・・・といった感じでした。
そもそも世界観はこの現代を背景にしたものなんでしょうけど、なーんか全部ウソっぽくて、リアルな感じがせず・・・そもそもの設定がアバターをメインに据えたものだからウソっぽく見えるのは当然なんでしょうけど、リアルなんとかっていうものとか犯罪とか生活感に至るまで、全くリアルなものを感じることができず・・・全て虚構の物語を見ました、という率直な感想です。現実の近未来見越したかのような物語でしたが、絶対こうはならないだろうなぁと思ったりも─。
演出も・・・、どうなんだろう、名優が独自の個性を生かした誠実な演技をこなしていたとは思えましたけど、個々のパフォーマンスにしか見えず、全く感情移入できず・・・。悲哀に満ちていて、何度も涙を見せられましたが全く悲しむことなどできず・・・そもそも、ゴーグルつけてあんだけ涙を流すと、物理的な支障が生じるような気がするのですが・・・まぁ眼鏡を日常的に使用している者にとっては、グラスでのバーチャルリアリティなど全くリアルには思えませんので。
とってつけたような悪の道へ誘う知り合いっていうのも、なんかなぁー、痛すぎるなぁー、っていう・・・
品質の良い映画をという気持ちは最高なんですけど、内容があまりにも・・・ってな感じです。
あなたの本心は?
自由死で亡くなった母とVF(バーチャルフィギュア)で再会することになる溶接工勤務の石川朔也の話。
生前母から最後の電話で「大切な話をしたい」と言われた夜、氾濫する川に身投げした母、…を助けようとした朔也だったが、気づいたら1年後の病院のベッドの上だったが…。
1年昏睡状態、目が覚めたら変わり果てた世界で、母の死は自由死?認可?自由死を選択し国から出る手当て?と変わった世界観のなかで進むストーリーで。
リアルアバターとかウーバーの更に進化版!?の様な要素も少し感じつつ、で、三吉彩花さんは1字違いで何でそのままの名前?何て思いながらも横からのサービスショットはありがとう♡とてもキレイな…。
生前では母との会話を忙しいとか、面倒でスルーしてたものの、VF母に想いを伝えられたラストには少し涙で、変わった世界観で進むストーリーで飽きずに観れた。
原作は案ですが本質はキープ
不愉快になりたければどうぞ
2年後の荒廃した日本を描く作品。
隅田川(?)沿いには高層マンションが立ち並び生気の無い若者たちがたむろしている。
主人公はVF(バーチャルフィギュア)で自殺した母を復活させて自分はリアルアバターとして客から要求された通りの事をする仕事をしている。
老衰した男性客からの依頼でお寺さんや夕日のきれいな海岸線を見に行く辺りまでは良かった。
しかし若い男(連中)からの依頼で病院見舞いをするためにスーツを着て見舞い品をコロコロ替えられて走り回らせてるのを見ていて気分が悪くなった。
別のリアルアバターが人が死ぬのを見たいからとバットで仲間を殴り殺すシーンもあった。超高級レストランで紳士淑女の中で従業員からも白い目で見られてステーキや最高級の赤ワインを飲まされるのもつらいだろう。
高校時分に好きだった女の子に似た女性が母の友人で台風被害で避難所暮らししてるので自分の家に呼び生活を共にする。
暮らしていくうちにお互いを知り好意をもつのだが主人公は…
パッとしない映画が平気な人以外にはおすすめできない作品。
池松壮亮は相変わらずの大根。
妻夫木聡の演技は素晴らしい。何をやらせてもその役になりきるのはさすが。
誰の本心か
ラストの解釈は色々分かれそうだが、見たいように見るのも正しい見方なのかもしれません
2024.11.8 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(122分、G)
原作は平野啓一郎の同名小説
AIによって自死した母を蘇らせようとする青年を描いたヒューマンミステリー&恋愛映画
監督&脚本は石井裕也
物語の舞台は、都内某所
母・秋子(田中裕子)と二人で暮らしている朔也(池松壮亮)は、幼馴染の岸谷(水上恒司)と一緒に工場で働いていた
ロボットアームの出現などで仕事が無くなる時代が近づいていたが、朔也はそんな時代の変化を気にせずに生きてきた
ある日のこと、母から「大切な話がある」と言われた朔也は、岸谷との飲み会を優先してしまう
そして、その帰り道に、増水した川岸で母親を見つけた
危ないと思って駆け寄っても間に合わず、母の姿はどこにもなかった
さらに自身も車に轢かれてしまい、昏睡状態に陥ってしまうのであった
映画は、その1年後に朔也が目覚めるところから動き出す
警察から母は自由死を選んだと言われ、さらに時代はあっという間に進んでいて、VRが当たり前の世の中になっていた
工場は閉鎖され、いつの間にか解雇されていた朔也は、岸谷の誘いにてリアルアバターをすることになった
そして、その仕事が軌道に乗った頃、朔也は岸谷からある人物を紹介される
それがVFを開発している野崎(妻夫木聡)だったのである
映画は、前半はSFミステリーっぽさで「AIは本当に人の心を作れるのか」という流れになっていたが、後半は一転して朔也が彩花に本心を見せるかというラブロマンスになっていた
映画の主題が「本心」なので、その流れになるのは理解できるが、映画の予告編だと後半の流れは読みにくい
母親の本心を探るうちに、本心を探られる側になっていく面白さはあるものの、それに早めに気づけないとあまりノレない感じになっていた
鑑賞後に振り返ると物語の構造が見えてくるものの、初見直後は何の話だったのかよくわからない感じになっていた
AIが学習した人の心というのは、対人から紡ぎ出したもので、それを本心とは呼ばない
逆に本心を知ろうとすればするほどにその正体が見えなくなっていくもので、他人に見せている360度が浮き彫りになるだけなのだと思う
結局のところ、相手の本心とは周囲の人が見たいように見ているものであり、そこに映っている自分が本物かどうかを本人は気にしない
むしろ、自分自身の装飾がうまくいっているかの確認作業のようなもので、見られたい自分を演じられているかの確認作業になっている
それは全ての対人において為されているので、多くの対人情報を集めたところで、当人の本心はますます深みに隠れていってしまうのである
面白い設定ではあるものの、それが有効に生かされているのかは何とも言えない部分があった
個人的には、昏睡している間に見ている朔也の夢もしくは、そこで死んでしまった朔也を母親がAIとして蘇らせようと考えていた、という2段階のオチがあると思っていた
それは、リアルアバターをする前の段階にて、車に轢かれたネズミが変化していなかったからであり、あの時の朔也はゴーグルをしていなかった
と考えると、朔也を俯瞰している人物がいることになり、それは母親である可能性が非常に高いと言える
母親は自由死を選んだのではなく、野良猫を探しにきたことがわかるのだが、母親が死んだと聞かされただけで、実際の死の瞬間が映っていなかった
母親が言いたかったことを聞かせる前に先に朔也が死んでしまい、それをVFの世界の中で達成しようと考えていて、そして青春期の事件の起因となった由紀(宮下咲)への想いが消えていないことも知ることになった
由紀の情報は岸谷から拾い上げた情報で、それらを組み合わせたものが映画全体となっているとなれば、ある程度の辻褄は合うのかな、と感じた
いずれにせよ、ラストには朔也の手を取る彩花の腕が映っていて、彩花が去った映像は何らかのフェイクであることがわかる
その意図がいまいち不明瞭だが、打ち明けたのが本心でないことに気づいた彩花が戻ってきたのかもしれない
この辺りは想像の範囲になると思うのだが、彩花としては、朔也の過去が全て完結した状態で新たな人生を歩みたいと考えたのではないだろうか
朔也が母から「大切な話」を聞くことで終わりになると言えるので、その瞬間が来るように、彩花はあえて姿を消し、そして全てが終わった段階で、再び彼の元を訪れたのだと感じた
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