我来たり、我見たり、我勝利せり

劇場公開日:2025年6月6日

解説・あらすじ

「狩り」と称して人間を狙撃するエレガントな億万長者の姿を通し、資本主義の終末的世界をシニカルなユーモアで描いたオーストリア映画。

起業家として成功し、莫大な財産を築き、幸福で充実した人生を送るマイナート家。家族を愛する父アマンは趣味の狩りに情熱を注いでいるが、狩りの対象は動物ではない。“上級国民”である一家は何を狩っても許され、アマンは何カ月にもわたって無差別に人間を射殺し続けていた。時にはその様子を目撃する者もいるが、誰も彼を止めることはできない。娘のポーラはそんな父の傍若無人な姿を目の当たりにしながら、上級国民としてのふるまいを着実に身につけていく。そしてある日、ついにポーラは父と一緒に狩りに行きたいと言いだす。

「失恋セラピー」のローレンス・ルップが父アマンを演じ、「さよなら、アドルフ」のウルシーナ・ラルディ、「フィリップ」のゾーイ・シュトラウプが共演。「パラダイス」3部作のウルリヒ・ザイドル監督が製作を手がけ、ダニエル・ヘースル&ユリア・ニーマンが監督を務めた。

2024年製作/86分/PG12/オーストリア
原題または英題:Veni Vidi Vici
配給:ハーク
劇場公開日:2025年6月6日

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(C)2024 Ulrich Seidl Filmproduktion GmbH

映画レビュー

リアリティラインの位置

2025年7月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 地方の大富豪が地元の警察・政治家・マスコミをも抱き込んで秘かに人間狩りをレジャーとして楽しむというゾワゾワを予感させる物語です。

 こうしたお話こそ、どこまでを作り話として「あり」とし、どこから現実のお話とするかというリアリティ・ラインの引き方が非常に大切なのに、それが余りに杜撰でした。金持ちによる人間狩りという設定は現代の格差社会の寓話なのでしょうが、そのラインの曖昧さのせいで、社会風刺としても胸糞映画としても喜劇としても全て中途半端で、映像がちっとも胸の内に入って来ませんでした。

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La Strada

4.5よくよく考えて作り込んだ完成度の高い「作品」

2025年7月5日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

一言でいうと巧みな映画。
胸糞なモチーフも、映像の美しさとヨハンシュトラウスで、鑑賞に耐えられるものに変わる「映画の魔法」は、ちょっとした驚きだった。
ストーリーが公式サイトであらかた示されていることからも分かる通り、今作は、展開の妙や、ドンデン返しの意外性で魅せる映画ではない。
サイコパスもしくはソシオパス(不勉強で違いがよくわかってないが)の登場人物たちが、大資本や政治的な力を持つとどうなるのかを、ある意味淡々と描いているようにみせかけて、細部までよくよく考えて作り込んだ、完成度の高い「作品」だと思った。
観終わってから色々と振り返ることで、様々な味わい(もちろん気持ちのよいものは、ほぼないけれど)が楽しめる。

<ここから少し内容に触れての感想>

・「みんな知っている」のに、捕まらないことで連想されたのは、自分は、ジャニーズ問題。この映画で描かれていることは、全然フィクションやファンタジーではないと思った。

・血縁にこだわらず、養子の子や連れ子を含めた家族を溺愛しているはずの主人公が、妻を泣かせてまで、妻との子を熱望し、結果的に願いを叶えているところがゾワゾワと背筋が凍る。

・ある意味、「関心領域」と同タイプの映画。全ての登場人物たちに対して、自分の関心領域を問いかけられる。

・2世のイカれっぷりで思い出したのは、「満ち足りた家族」の子どもたちと、「本心」の妻夫木の娘。金で解決できてしまうことの恐ろしさと、金がある中での子育ての難しさ。

・トマ・ピケティと哲学書に親しむ「まとも」な感覚を持ってる彼氏みたいな子も、カッコよく見える「ルール無視の結果至上主義者」に惹かれてしまうんだなぁ…と。ただ、現実社会でも、そうした人物たちが結果を出していることをどう考えればいいのか。

・映画の中で「生まれた時の貧富の差は選べないが、死ぬ時の貧富の差は本人の責任」という、まことしやかな言説を、あえて娘に語らせることの納得感。自分が元々有利な状況にある者は、その有利さを、自分の努力の結果ととらえ、相手の不利さを相手の努力不足と感じるという研究結果は、枚挙にいとまがないのだが、娘が語るような自己責任論の根深さはどこからくるのだろうか。

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sow_miya

4.0狂った家族に深い風刺

2025年6月28日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

驚く

斬新

起業家として成功し、莫大な財産を築き、何不自由の無い生活を送ってた上級国民のマイナート家。家族を愛する父アマンは趣味の狩りに情熱を注いでいたが、狩りの対象は動物ではなく人間だった。上級国民である一家は誰を狩っても許されていて、アマンは何カ月にもわたって無差別に人間を射殺し続けていた。時にはその様子を目撃される事もあったが、警察や政治家に顔がきく彼を誰も止めることはできなかった。娘のポーラはそんな父の姿を目の当たりにしながら、万引きしても金で解決したりと、上級国民としてのふるまいを着実に身につけていった。そしてある日、ついにポーラは誘惑に負け使用人に対し狩りをしてしまったが、13歳のためにお咎めなし。そして、湖で泳ぐ夫婦と子どもを・・・そんな話。

オーストリア映画ってあまり観た記憶無い。ドイツ映画では無い作品でのドイツ語(たぶん)が新鮮に感じた。
これ、狂った家族の話であり、何の迷惑もかけてないのに突然狙われ殺されるなんて理不尽すぎる。ミッドサマーのような不気味さを感じた。
題はドイツ語?と調べたら、ラテン語みたい。
13歳の娘、末恐ろしい。

追記
後で考えてみたんだけど、例えばロシアのプーチンとか北の金正恩が自分の意に沿わない人をすぐに殺すのもこれと同じような事なんだろう。
また、大企業が政治家への賄賂で法律を曲げる事例は資本主義社会ではある意味常識ともなっている。
そう考えると、狂った家族、は現代の風刺で有り、笑えない現実なんだと思った。
評価を➕0.5の4へ修正します。

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りあの

0.5ヤマなし、オチなし、意味なし

2025年6月26日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

単純

人間狩りという大風呂敷広げて何も終宵しきれずに終わっている。
まぁ主人公が「ダーティーハリー」の狙撃犯サソリみたく一般市民撃ちまくり、しれっとしてる。それの繰り返しで単調すぎる。
殺人以外やってる事が、ほぼバカッター(迷惑系ユーチューバ)の日常(笑)反則でしか勝てないクリケット、車のナンバープレート偽装、万引き、夜店での射撃ゲーム(景品本気い狙い)・・・なんか貧乏くさい。
この映画の解説には世界の格差を描いてるとあるが他の方たちは優雅に暮らしてるのに、この家族だけ歪んでいる。奥さんや養女(?)たちには罪が無いが・・・
優雅な家族につきものの食卓シーンが無いのも気になる。唯一出てきたのがプロテインて・・・
この監督はクラシック音楽をブルジョアの音楽だと勘違いしてるような気がする。ましてや自国の音楽家へのリスペクトがあれば殺戮のBGMにJ・シュトラウスII「美しき青きドナウ」を流さない。ヨーロッパの人にとっては、この曲とベートーヴェンの第九は特別な思いが込められている。(第九はナチスのプロバガンダに利用された苦い記憶がありますが)
終盤、娘と執事(ニ代目)が水浴してるふうに見えて、やっと話が進みかけたかのように思えたが全然違う人でガッカリ😞
最初から最後までドヤ顔で観ててホトホト疲れた。
打楽器と人の声をオーバーラップさせた効果音が意味もなく挟まれイラッとした。
それにオープニングのクリケットのスローモーション(いつまでやってるんだ・・・)
最後の娘の場面ありきたりな構図そしてフィナーレ。クソ真面目な制作者が犯罪物に手を染めてはいけないという例を見せていただきました🙇‍♂️

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naoki