聖なるイチジクの種のレビュー・感想・評価
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「護身用」の拳銃は誰が誰を誰から守るために使うもの?
この映画を見て既視感を覚えた。「悪は存在せず」か?その映画の監督さんだった!何にも知らずに見た自分にがっかりした。「悪は存在せず」は4つの話、その最初の話に私はあまりにショックを受け、そのときの感覚と映画のシーンを思いだした。
この映画は二部構成といっていいと思う。前半は、主人公の出世の喜びと同時に護身の為に拳銃を与えられ、盗聴に注意など急にきな臭くなる仕事環境の変化に戸惑い恐怖が増大していく。そして何より職が辛い。資料を丁寧に読み真っ当な判断をしなければと思っているのに、資料は分厚く何人分もあり時間も与えられずサインしなければ仕事が先に進まない。死刑承諾のサイン。その自分の仕事に対する疑問、でも続けなくてはならないストレスフルな状況の中でだんだんとおかしくなっていく経緯が描かれる。
妻は娘二人に色々と小言を言う。でも長女(ルーニー・マーラに似ている!)の友達の顔のひどい怪我に対して娘達は何もできない一方で、母親は彼女の顔に打ち込まれた散弾銃の一つ一つを冷静に丁寧に取り除きすべて洗い流す。娘二人はリベラルでテレビは嘘ばかりと言う。ママはパパの仕事のために友達付き合いも考えろと言う。ママの手はいつも仕事して動いている。アイロン、台所シンクの掃除、食事やお茶の用意、時には娘達の眉毛の手入れ、夫のひげ剃りにヘアカットもする。大学生の長女は理論的に今のイランの状況を批判する、次女は髪を青く染めたい、ネイルしたいという。母親は娘達に父親の仕事とその後の昇進故に邪魔になるようなことはやめろという。もちろん娘達はむかつく。一方で母親は夫と話す時は娘達のことをもっと考えて欲しいと言う。
後半は主人公と女性達=妻と二人の娘との関わりがテーマとなる。主人公は信じて愛しているはずの家族の女性三人に対して取り調べる。彼の実家である場所に移り彼女達を映しながら訊問する。地下室のような場所に閉じ込める。そこから、妻と娘二人を追い探す場面は外の空間で、美しくもとても怖い。映画「シャイニング」のようだった。
宗教、神とはなんだ?なぜ男性中心主義になるのだろう?イスラム教に限らない。宗教がなさそうなところでも、いまだによく訳がわからない家父長制的な考えで沢山の女性が苦しんでいる。
考える意味でも面白いという意味でもいい映画で時間を全く考えなくて済んだ。夫・父親・働く人・妻・母・娘、それぞれの立場と役割、世代間の問題なども入ってる濃厚な映画で見応えがあった。
パパの言いなり
神への服従と信仰心、父権制・夫への忠誠心。ヒジャブに象徴される国家や文化が求めてくる(その多くは女性に強いてくる)、体制への疑問符と大文字の"NO!"を突きつける。作品が見せる表情が作中何度も(大きくは2度、三幕劇)変わっては、予想打にしない展開に雪崩込んでいく衝撃の展開から目が離せない…。冒頭に流れるタイトルの意味も込みで考えさせられる勇敢な作品だ。
旧態依然の考え方で夫ファーストで夫を立てて尽くし、娘たちにも清廉潔白を求める妻と、もっと今の時代を反映して当たり前に進歩的な娘たちの対比。朝早くから夜遅くまで帰って来ない父の仕事もよく分からないまま息苦しそうな家庭。本編前半中盤程度まではその多くが家の中で展開される作りだがダレないし、実際の映像と思しきスマホ撮影の映像が頻繁に挿し込まれることで、ドキュメンタリー性を帯びる。
常に目がある、いつも誰かに見られている。革命裁判所に勤続20年、夢にまで見た要職に就く主人公イマン。昇進と同時に渡された拳銃。国家権力・体制のために働き、裁いた人から逆恨みされる危険性のある仕事柄、周囲の人々に自身の仕事を軽々と言えないわけだけど、昇進を機に家族には伝える。…が、そこから家族の夢見る幸せへの歯車が狂っていくさまが秀逸で、家族各人のキャラクター描写も見事。
作品終盤の父が狂っていくさまは、『シャイニング』『モスキート・コースト』『ノア 約束の舟』等を彷彿とさせる、まさかの命がけかくれんぼに!舞台となるイランの背景を知らないことには、本作の核心・本質を正しく理解することはできないかもしれないが、それでも力強く強烈な映画体験だった。アスガー・ファルハディ監督作品も彷彿とさせた、表現の責務と可能性。不当なものへの闘いには、スマホを向けて(←されるとムカつく)白日のもとに曝してやれ!
独自の視点で濃い内容、しかも面白い
ラストは、一家総出の「鬼ごっこ」
銃
タイトルなし
かなり感情移入して腹が立っていた。そもそもこの男は無能だし小市民的だし、その無能さ、臆病さを家族に吐き出して自分を保ってるし、さっさと官舎に行けばいいのに、田舎で自分の存在を守るために家族を閉じ込めるDV気質は最低だ。そして女の子たちは既に強い。スマホが家父長にとってコントロールしきれない存在だと言うことがよくわかるし、だからこそ。ケータイを取り上げ、暗証番号を言わせ、テープを巻き付ける。日頃の鬱憤晴らしである。それでもこのシーンで妻は夫に暗証番号は知ってるはずでしょというのが怖い。これがまだイランの中年主婦の現実か。まだ日本の主婦のほうがまし。
最も気持ち悪いのが、子どもや妻に告白させて撮影することと、銃のありかに行く道もずっとカメラで撮っていること。家族は全く守られていない。ここてはすでに公的な仕事のスタイルが、優位になっている。
この強迫的な妄想病理を引き出すのが神という名へのイラン体制の病理で共産主義と同型。官僚制の最も悪い特性も表れている。
昔ねらこの男が家族をみんな殺すのかと思ったけど、そうでない点は明るい。娘が父の銃を奪ったのはすでに父にうんざりしてたからでもあったことがわかる。イランもすでに末期的なのだ。
私はトルコで見た、有名な洞窟の家をこんなふうに使うのも面白かった。
道徳警察って何か知ってる?
疑心暗鬼
「たかがそんな事」で虐げられる不条理
イスラム国家で論議の的となっている女性の人権問題を、一家の出来事に置き換えたサスペンス。近日日本公開の『TATAMI/タタミ』も、母国のイラン政府からの不当な圧力に苦しむ女性柔道家を描いていたが、「たかがそんな事」で虐げられてしまう生き辛さったらありゃしない。正直、終盤の展開は冗長に感じなくもなかったが、最低限のエンタメ要素は残したいというモハマド・ラスロフ監督の意志と汲み取りたい。
誤解や偏見がもたらす「たかがそんな事」は、それらを生む権威に歪みがある。でも、そうした歪みを糧に表現者は訴求力の強い作品を生む事ができる。本作もまた、ラスロフ監督を含む数名の製作スタッフもイランを亡命せざるを得なくなった。幾度となく拘束・収監されようと、しつこく母国に噛みつく作品を撮り続けるジャファール・パナヒ同様、もはやイランは骨太なフィルムメーカーを輩出する土壌となっているのが、なんとも皮肉だ。
見事な前半と脱力する後半
舞台はテヘラン。父親は政治犯専門の裁判官で保守的な暮らしを守っているが、高校に通う娘2人は東京やNYの娘と変わらない生活を楽しんでいる。親子の間の緊張をはらみつつ平穏な暮らしが続いていたが、イランの政治状況が厳しさを増してくると、父親は職場で宗教弾圧をすすめる立場に立つようになり、娘たちの学校も学生デモへの取り締まりが苛烈さを増してくる。国内の暮らしが動揺するのと同時に、家庭の平和も壊れ始める。
テヘランの政治状況を果敢に取り込んだ作品で、カメラもおおむね端正でよい映画。…なんだが終盤からとつぜんイラン版『シャイニング』みたいな謎展開になりはじめて、なんじゃこれはと終わってしまう。こういうのが評価されてしまうくらい、2024年は世界的に不作の年だったってことですな。
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