聖なるイチジクの種のレビュー・感想・評価
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イランの女性たちの悲痛な叫び
イランの首都テヘランで22歳の女性がヒジャブ(スカーフ)のかぶり方が適切でないとして風紀警察に拘束され、3日後に死亡した事件を導線にイラン(イスラム教を中心とした)社会への女性による抵抗を描いた作品である。
イランでは恐らくエリートの部類に入るであろう予審判事である主人公はイラン男性の象徴として描かれる。国に忠誠を誓い、体制を守るために意に沿わない判決にも同意することで家族を養い、社会的地位を獲得してきた体制側の人間である。
一方で夫を支え、家族の生活を守るために面倒なことには関わりたくないと願う妻はイラン女性の象徴でもある。
そんな家族の生活に、上記事件に対するデモで負傷した娘の友人が転がり込んだことで、家族の間に不穏な空気が流れ込む。
長女の体制批判に対し、主人公は「私たちが国を守っているお陰で、いい家に住めるし、金もある。何が不満なんだ」と自らの正当性を疑わない。
新世代(主に虐げられてきた女性)と旧世代の対立である。
そして起こる「拳銃紛失」事件。
この事件を通して、保身に走る主人公と反発を強める娘たちの対立の構図がより強烈の描かれ、最後まで暴力で問題を解決しようとする男性(主人公)に対して放たれる一発の弾丸は暴力による支配の終焉を願う製作陣及びイランの女性たちの悲痛な叫びなのだ。
呑気なファミリー
イランの司法の調査官となり、護身のために銃を所持するようになった男が、自宅で銃を紛失し家族がごたつく話。
2人の娘には仕事を明かさず20年当局に勤めてきた男が出世して、身辺に注意する必要が生じたことで娘たちに告げて始まっていくストーリー。
圧政への不満から抗議活動や暴動が頻発する中、SNS世代の娘たちも警察や軍の暴力が報道されないことに対する疑問を抱くようになっていくけれど…。
信仰や国柄の違いはあれど、国のあり方に妄信的な父親に、そんな父親に依存しまくりの母親に、そして自己主張は一人前の娘たちに…。
誰が盗んだ?が暫く続くけれど、銃を紛失するということの大きさが3人ともイマイチ理解できていないし、身バレに関しても、その時になってもちゃんとわかっているのか???
買って買って母ちゃんもさることながら、長女は21歳、次女も高校生ぐらいの設定よね?そして銃構えて何したいんだ?
宗教的背景とか政治的背景とか、そういうことを考えたら、この国でこの内容はなかなかのものなんだろうけれど、終盤の鬼ごっこがどうもしっくりこなくて、しかもそれが結構長くてもったいなかった。
イランの現実を皮肉ったコメディ?
我々が報道でしか知らないイランを内側から見ることができたのは新鮮で非常に興味深かった。
構成が良くできており、話が進むにつれ、特に拳銃がなくなってしまったことをきっかけに家族それぞれに対する見方が逆転してく。
そして家族がそのまま今のイランという国の縮図になっているところが面白い。
厳格で常に正しく信仰に忠実であろうとし、司法に携わる仕事をしている父親はいつしかデモ参加者を検討もせず罰するようになり、家族の間違った行動を正そうと我を失い制御不能となる。
夫や体制を盲目的に信じる保守派の代表のような「わかってない」母親は、子どもの友人を助けるために奔走し、夫が狂い出すと身を挺して子ども達を守ろうとする。
わがままな現代っ子の様に見えた娘たちは、報道規制されたテレビのニュースなどいっさい信じず、SNSのリアルな動画を見て自国の異常さやそれを当たり前の様に受け入れる両親を実は冷静に見ていた。
イラン出身の監督の目線はこの娘たちであり、多くの国民が祖国のため、または信仰のためと信じて疑わずに行っていることが、実はたくさんの人を傷つけ、不幸にしているという様を滑稽で皮肉たっぷりなコメディとして仕上げており(私にはそう見えました・・・)、かなり面白く観ることが出来た。
本当に尺が長過ぎて途中で飽きてしまうのだが、命懸けの撮影をした監督、役者、スタッフらに敬意を感じながらありがたく鑑賞させていただいた。
期待度◎鑑賞後の満足度⭐ 鑑賞後に受けた(鑑賞中もだけど)衝撃度のヤバさで云えば『旅芸人の記録』以来かも知れない。政治・体制・宗教・人間・家族をこんなにもクロスオーバーさせた映画も珍しい。
「護身用」の拳銃は誰が誰を誰から守るために使うもの?
この映画を見て既視感を覚えた。「悪は存在せず」か?その映画の監督さんだった!何にも知らずに見た自分にがっかりした。「悪は存在せず」は4つの話、その最初の話に私はあまりにショックを受け、そのときの感覚と映画のシーンを思いだした。
この映画は二部構成といっていいと思う。前半は、主人公の出世の喜びと同時に護身の為に拳銃を与えられ、盗聴に注意など急にきな臭くなる仕事環境の変化に戸惑い恐怖が増大していく。そして何より職が辛い。資料を丁寧に読み真っ当な判断をしなければと思っているのに、資料は分厚く何人分もあり時間も与えられずサインしなければ仕事が先に進まない。死刑承諾のサイン。その自分の仕事に対する疑問、でも続けなくてはならないストレスフルな状況の中でだんだんとおかしくなっていく経緯が描かれる。
妻は娘二人に色々と小言を言う。でも長女(ルーニー・マーラに似ている!)の友達の顔のひどい怪我に対して娘達は何もできない一方で、母親は彼女の顔に打ち込まれた散弾銃の一つ一つを冷静に丁寧に取り除きすべて洗い流す。娘二人はリベラルでテレビは嘘ばかりと言う。ママはパパの仕事のために友達付き合いも考えろと言う。ママの手はいつも仕事して動いている。アイロン、台所シンクの掃除、食事やお茶の用意、時には娘達の眉毛の手入れ、夫のひげ剃りにヘアカットもする。大学生の長女は理論的に今のイランの状況を批判する、次女は髪を青く染めたい、ネイルしたいという。母親は娘達に父親の仕事とその後の昇進故に邪魔になるようなことはやめろという。もちろん娘達はむかつく。一方で母親は夫と話す時は娘達のことをもっと考えて欲しいと言う。
後半は主人公と女性達=妻と二人の娘との関わりがテーマとなる。主人公は信じて愛しているはずの家族の女性三人に対して取り調べる。彼の実家である場所に移り彼女達を映しながら訊問する。地下室のような場所に閉じ込める。そこから、妻と娘二人を追い探す場面は外の空間で、美しくもとても怖い。映画「シャイニング」のようだった。
宗教、神とはなんだ?なぜ男性中心主義になるのだろう?イスラム教に限らない。宗教がなさそうなところでも、いまだによく訳がわからない家父長制的な考えで沢山の女性が苦しんでいる。
考える意味でも面白いという意味でもいい映画で時間を全く考えなくて済んだ。夫・父親・働く人・妻・母・娘、それぞれの立場と役割、世代間の問題なども入ってる濃厚な映画で見応えがあった。
パパの言いなり
神への服従と信仰心、父権制・夫への忠誠心。ヒジャブに象徴される国家や文化が求めてくる(その多くは女性に強いてくる)、体制への疑問符と大文字の"NO!"を突きつける。作品が見せる表情が作中何度も(大きくは2度、三幕劇)変わっては、予想打にしない展開に雪崩込んでいく衝撃の展開から目が離せない…。冒頭に流れるタイトルの意味も込みで考えさせられる勇敢な作品だ。
旧態依然の考え方で夫ファーストで夫を立てて尽くし、娘たちにも清廉潔白を求める妻と、もっと今の時代を反映して当たり前に進歩的な娘たちの対比。朝早くから夜遅くまで帰って来ない父の仕事もよく分からないまま息苦しそうな家庭。本編前半中盤程度まではその多くが家の中で展開される作りだがダレないし、実際の映像と思しきスマホ撮影の映像が頻繁に挿し込まれることで、ドキュメンタリー性を帯びる。
常に目がある、いつも誰かに見られている。革命裁判所に勤続20年、夢にまで見た要職に就く主人公イマン。昇進と同時に渡された拳銃。国家権力・体制のために働き、裁いた人から逆恨みされる危険性のある仕事柄、周囲の人々に自身の仕事を軽々と言えないわけだけど、昇進を機に家族には伝える。…が、そこから家族の夢見る幸せへの歯車が狂っていくさまが秀逸で、家族各人のキャラクター描写も見事。
作品終盤の父が狂っていくさまは、『シャイニング』『モスキート・コースト』『ノア 約束の舟』等を彷彿とさせる、まさかの命がけかくれんぼに!舞台となるイランの背景を知らないことには、本作の核心・本質を正しく理解することはできないかもしれないが、それでも力強く強烈な映画体験だった。アスガー・ファルハディ監督作品も彷彿とさせた、表現の責務と可能性。不当なものへの闘いには、スマホを向けて(←されるとムカつく)白日のもとに曝してやれ!
独自の視点で濃い内容、しかも面白い
ラストは、一家総出の「鬼ごっこ」
銃
タイトルなし
かなり感情移入して腹が立っていた。そもそもこの男は無能だし小市民的だし、その無能さ、臆病さを家族に吐き出して自分を保ってるし、さっさと官舎に行けばいいのに、田舎で自分の存在を守るために家族を閉じ込めるDV気質は最低だ。そして女の子たちは既に強い。スマホが家父長にとってコントロールしきれない存在だと言うことがよくわかるし、だからこそ。ケータイを取り上げ、暗証番号を言わせ、テープを巻き付ける。日頃の鬱憤晴らしである。それでもこのシーンで妻は夫に暗証番号は知ってるはずでしょというのが怖い。これがまだイランの中年主婦の現実か。まだ日本の主婦のほうがまし。
最も気持ち悪いのが、子どもや妻に告白させて撮影することと、銃のありかに行く道もずっとカメラで撮っていること。家族は全く守られていない。ここてはすでに公的な仕事のスタイルが、優位になっている。
この強迫的な妄想病理を引き出すのが神という名へのイラン体制の病理で共産主義と同型。官僚制の最も悪い特性も表れている。
昔ねらこの男が家族をみんな殺すのかと思ったけど、そうでない点は明るい。娘が父の銃を奪ったのはすでに父にうんざりしてたからでもあったことがわかる。イランもすでに末期的なのだ。
私はトルコで見た、有名な洞窟の家をこんなふうに使うのも面白かった。
道徳警察って何か知ってる?
疑心暗鬼
「たかがそんな事」で虐げられる不条理
イスラム国家で論議の的となっている女性の人権問題を、一家の出来事に置き換えたサスペンス。近日日本公開の『TATAMI/タタミ』も、母国のイラン政府からの不当な圧力に苦しむ女性柔道家を描いていたが、「たかがそんな事」で虐げられてしまう生き辛さったらありゃしない。正直、終盤の展開は冗長に感じなくもなかったが、最低限のエンタメ要素は残したいというモハマド・ラスロフ監督の意志と汲み取りたい。
誤解や偏見がもたらす「たかがそんな事」は、それらを生む権威に歪みがある。でも、そうした歪みを糧に表現者は訴求力の強い作品を生む事ができる。本作もまた、ラスロフ監督を含む数名の製作スタッフもイランを亡命せざるを得なくなった。幾度となく拘束・収監されようと、しつこく母国に噛みつく作品を撮り続けるジャファール・パナヒ同様、もはやイランは骨太なフィルムメーカーを輩出する土壌となっているのが、なんとも皮肉だ。
見事な前半と脱力する後半
舞台はテヘラン。父親は政治犯専門の裁判官で保守的な暮らしを守っているが、高校に通う娘2人は東京やNYの娘と変わらない生活を楽しんでいる。親子の間の緊張をはらみつつ平穏な暮らしが続いていたが、イランの政治状況が厳しさを増してくると、父親は職場で宗教弾圧をすすめる立場に立つようになり、娘たちの学校も学生デモへの取り締まりが苛烈さを増してくる。国内の暮らしが動揺するのと同時に、家庭の平和も壊れ始める。
テヘランの政治状況を果敢に取り込んだ作品で、カメラもおおむね端正でよい映画。…なんだが終盤からとつぜんイラン版『シャイニング』みたいな謎展開になりはじめて、なんじゃこれはと終わってしまう。こういうのが評価されてしまうくらい、2024年は世界的に不作の年だったってことですな。
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