雨の中の慾情のレビュー・感想・評価
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現実のふくらみ
最初のシーンで、義男ー成田凌と夢子ー中西柚貴がカメラを無視したかのように全裸になって、それを自主映画ではないからとモザイク処理するあたりにこれは片山監督作品であり、とても期待できる作品とも思った。ただ監督は片山慎三がやって、原作はつげ義春、主演は成田凌ぐらいにしか事前情報を入れていなかったから、どこまでが片山監督のオリジナルな部分なのか分からなかった。そしてエンドクレジットで、脚本協力に大江崇允の名前。大江さんは濱口監督作品『ドライブ・マイ・カー』に脚本としてクレジットされている。そこから、本作もまたつげ義春のいくつかの作品を重ね合わせた脚本なのではないかと推測された。
そんなわけで、パンフレットと原作が所収されているちくま文庫の『ねじ式/夜が掴む』を購入した。パンフレットから本作が「雨の中の慾情」の他に「夏の思いで」と「池袋百点会」、「隣りの女」の要素を重ね合わせたことが分かった。そして戦争を描いたのは、片山監督のインタビューでロケハンのために金門島を訪れたことがきっかけとのこと(p.14)。尾弥次ー竹中直人が、片手と片足がないことは衣裳デザイン・扮装統括の柘植伊佐夫の提案であった(p.22)。この尾弥次の人物造形は、戦争の苛烈さと本作の主題になる現実と夢のアンバランスさを表現するため、脚本が要請したと思っていたから驚きの発見であった。
さらに原作を読んで驚いた。「男が雨宿りをしているうちに女に慾情する」ただそれだけの短編だったからだ。もちろん高野慎三の「解題」によると絵コンテの段階で発表されたものであり、エロマンガを描いて生活苦から逃れるために下書きとして試みられた作品ーただエロマンガの依頼はなかったーであること(p.334)が分かった。だから原作の良し悪しはここでは評価しない。だが本作の始まりである「戦時中、義男が雨宿りをしているうちに夢子に慾情し、それは夢であった」ということは、かなりオリジナルな要素を含んでいることが分かる。
ではなぜこのオリジナルな要素が追加されているのか。原作の3コマ目には次の文章が書かれている。
「(前略)ただ、こんな空想をしたというだけのことです」(p.85)
「ただ、こんな空想」ができる現実。それがいかに夢物語であるかを本作は描いているように思えるのだ。
ーーー
再び高野の「解題」によれば、原作が所収されている『ねじ式/夜が掴む』は、「「ねじ式」にはじめる“夢の作品群”と、それらとあたかも並行するように発表された。マンガ家の若夫婦を主人公とする“日常もの”が収録」(p.330)されている。その分類に従えば、「雨の中の慾情」は“夢の作品群”、同じく所収され義男がマンガ家であることとひき逃げの出来事で翻案される「夏の思いで」は“日常もの”といっていいだろう。これらからこの2作品を折り重ねた本作は夢と日常が並行して語られていると言えるはずである。
マンガ家の義男は、未亡人の福子に惚れ込み一緒になることを夢見ている。しかし福子は義男の知人で小説家の伊守と既に付き合ってしまっている。そんな現実に嫉妬し、羨望するしかない義男は彼らのセックスを窃視するしかできない。この窃視による義男と福子の隔たりは、夢が決して果たされない不条理さを物語っている。
さらにその現実もまた夢なのである。「マンガ家の義男が、福子に惚れ込み一緒になることを夢見つつ、それが実現できない現実」は、戦争で片腕と片足を失った義男が病室でマンガにして空想した夢なのである。義男は福子と一緒になれないばかりか、その一緒になれない現実さえも夢なのである。
しかもここで終わらないのが片山監督である。「「マンガ家の義男が、福子に惚れ込み一緒になることを夢見つつ、それが実現できない現実」を戦争で片腕と片足を失った義男がマンガで描き夢見るしかない現実」もまた夢なのである。残された現実とは何かと言えば、戦場で現地の人びとが無残に殺され、爆撃が轟くことに怯えるしかない義男が、現地の少女に撃たれて死ぬ逝くことである。福子もまた戦地に連行された娼婦であり、義男と福子の関係は娼婦と客の関係でしかないのだ。
義男は娼婦を運命の人≒福子と空想し、戦争が終わったら平穏な日常を共に生きることを夢見ている。しかしそんなただの空想さえもできないままに死ぬ、現実を生き延びられない。そんな現実の幻≒虹を描く本作はかなり残酷である。
本当は私たちだって、つげ義春の世界観のようなただの四角い部屋で夢をみていたい。しかし部屋の外から現実がふくらんでくる。夢が果たされない〈私〉の残酷な日常が、腐敗した政治が、資本の論理で駆動する経済が、終わらない戦争が。だから「ただ、こんな空想」ができる現実も大きな隔たりを伴った夢なのである。
そんな現実から背かず目を見開ける?それを問うているのが本作であり、片山監督であり、原作に戦争を導入しながら夢と日常を並行して語った翻案の素晴らしさなのだ。
参考文献
『『雨の中の慾情』公式パンフレット』(2024)カルチュア・パブリッシャーズ
つげ義春(2008)『つげ義春コレクション ねじ式/夜が掴む』筑摩書房
胡蝶の夢
本作については当サイトの新作映画評論の枠に寄稿したので、ここではまず前半で補足的なことがらと、後半で評論では触れなかったネタバレ込みの映画の仕掛けに関することを書いてみたい。
【前半:参考資料やトリビアなど(ネタバレなし)】
・映画の原作となった短編漫画は、評論でも紹介したように4編ある。いずれもeBookJapanの電子書籍シリーズ「つげ義春作品集」に収められていて、執筆前にすぐ読むことができて大いに助かった。作品集#8『リアリズムの宿/下宿の頃』に「夏の思いで」、#12『近所の景色/少年』に「雨の中の慾情」、#13『隣りの女/ある無名作家』に「池袋百点会」「隣りの女」がそれぞれ収録。興味のある方はぜひ。独立した4編を巧みに継ぎ合わせて映画の本筋を構成していることが確認できる。
・義男の作業スペース(芸術空間)の壁には「目」だけを描いた絵が多数貼られている。つげファンなら、すぐに代表作「ねじ式」の印象的な一コマ、大けがをして医者を探している主人公が迷い込んだ目の看板だらけの通り(吹き出しの文字は「ちくしょう 目医者ばかりではないか」)へのオマージュだと気づくだろう。この通りの景色はかつて実在し、台湾の写真家・朱逸文が地元の台南で撮影したものが1963年に日本の写真雑誌に掲載され、それを見たつげが漫画の一コマに描いた。台湾の古い街並みにあった「多数の目のイメージ」をつげが日本の漫画に描き、半世紀以上を経て、台湾でロケをしたつげ原作の日台合作映画のシーンに再登場したことは、ちょっとした奇縁のように思われる。
【後半:映画の仕掛けについて(ネタバレあり)】
ここからは本作を鑑賞済みの方を想定して、映画の重要な仕掛けに関連することを書く。もし未見の方が読むと鑑賞時の新鮮な驚きを損ねてしまうので、この先には進まず観たあとに再訪してもらえるとありがたい。
また、関連作として2005年の「ステイ」、2007年の「コッポラの胡蝶の夢」、2010年の「レポゼッション・メン」についても触れる。この3作を未見の場合、やはりそれらのネタバレになってしまうので読み進めるのはおすすめしない。3作とも面白いので、ぜひ事前情報少なめで先に鑑賞していただきたい。
では、ここから本題。評論のテキストでは少しぼかして、「映画『雨の中の慾情』は、先述のつげ漫画をベースにしたパートのほかに、予告編で示された戦場の場面を含む映画オリジナルのパートがある」と書いた。すでに鑑賞済みの方なら、つげ漫画をベースにした本筋が、実は戦場で瀕死の状態にある兵士が見ている夢だったと気づいただろう。死の間際の一瞬に人生が走馬灯のようにフラッシュバックするのはよく聞く話だが、最近の研究でも死の間際に脳内麻薬のエンドルフィンが出て苦痛を緩和することがわかってきたそう。本当の人生の代わりに、願望の日々の夢をリアルな出来事として一瞬のうちに体験することもあり得るだろう。
先に挙げた「ステイ」「コッポラの胡蝶の夢」「レポゼッション・メン」はいずれも、この「雨の中の慾情」と同じ仕掛けが使われている。つまり、本編で主人公の実体験として観客が受け入れていたストーリーの相当部分が、終盤で実は主人公が見ていた夢だったと明らかになる。3作の中でも、「ステイ」が特に「雨の中の慾情」に近いと思う。推測だが、片山慎三監督がつげ漫画4編で組み立てたプロットと、台湾でのシナハンで追加した戦争の要素を含むオリジナルの筋をどうつなげるかを検討した際に、「ステイ」の仕掛けが使えると思いついたのではないか。「ステイ」ではユアン・マクレガー演じる主人公が死の間際に見た看護師(ナオミ・ワッツ)が、夢の中では恋人になっているなど類似点も多い。
紀元前の中国の思想家・荘子の有名な説話「胡蝶の夢」のように、現実だと思っていたら夢だった、あるいは夢なのか現実なのかよくわからない境地といった考え方、アイデアは古くからあるが、現代も多くのクリエイターたちを惹きつけてやまないテーマでもある。とりわけ映画というメディアは、暗闇に映し出された他者の人生や非現実的な出来事に没入するという、映画を観る行為そのものが夢を見ることに似ていることから、これからも「夢と現実」を扱う映画は手を変え品を変え作り続けられるのだろう。
土砂降りの雨、バス停。 激しい雷雨。 佇む女(中村映里子)。 通り...
土砂降りの雨、バス停。
激しい雷雨。
佇む女(中村映里子)。
通りかかった男(成田凌)は、「雷に打たれないためには金物(かなもの)を取ること」と忠告し、ふたりはやがて全裸近くになる。
慾情した男は泥田のなかで女を襲う・・・
それは、夢だった。
夢を見ていたのは、売れない漫画家・津部義男。
隻腕隻脚の大家(竹中直人)から頼まれた引っ越しの手伝いで、義男は夢の女と出逢う。
女は福子という名の未亡人で、いつしか義男の友人で小説家の伊守(森田剛)と懇ろになっていた・・・
といったロマンス含みの幻想譚。
元となったつげ義春の短編のいくつかは読んでいて、前半かなりの尺で描かれる「南町百点」は、ほぼ漫画どおり。
交通事故に遭った女性の下着をずり下すエピソードも漫画に近い。
これらのエピソードがあるので、かなりの可笑しさが加味されているが、全体的なモチーフは「胡蝶の夢」か。
エピローグのみ第三者視点で時制の現在地がわかるわけだが、考察することにあまり意味がないと思わせる作品。
考察は他に譲ることとする。
全編台湾でロケしたことで美術や台詞に幻惑・幻想めいた雰囲気が漂い、もうそれだけで観客を選ぶだろうと思う。
つまり、つまらないと感じるひとには、とことんツマラナイ。
面白いと感じるひとには、とことんオモシロい。
それにしても、いつから、つげ義春が「難解」で「要解釈」な作家(漫画家)になったのかしらん。
『ねじ式』の影響大だけど、ま、それはそれ。
どこからが
夢で、どこまでが妄想か、もう少しカットして良かったと思う。
カラミにためらいが無くてイイネ、光る汗。
ヒヒの交合、田んぼに出来る深い穴、バッタ目線、ワンバウンド轢死と小ネタも良いんですが、ちょっとダレてしまった感。
成田凌くん、いい顔するねぇー、太宰治か眠狂四郎なんかどう?
この映画の意味とは?
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作を面白く観ました。
この映画『雨の中の慾情』は、映画の冒頭から、主人公・義男(成田凌さん)がバス停で雨宿りをしている女(夢子(中西柚貴さん))を、雷が来るからと金属の付いた服を脱がせ、最後は逃げる女を追いかけて田んぼの中で下着をはぎ取り犯してしまう、白黒映像から始まります。
女は行為の後、主人公・義男と虹が出ている中で和やかな雰囲気を出しているのですが、観客の1人としては、この時代錯誤の冒頭からの描写は何なのだ?‥とあっけに取らされました。
その後、映画の最終番になって、この映画は、日中戦争の戦闘での大きな負傷を負った主人公・義男が見ていた、戦争の中の現実の出来事を材料にした、夢(または悪夢)を描いていたことが明らかになります。
つまり、映画の冒頭の主人公・義男が女を雨の中で犯す場面は、日本兵だった主人公・義男が(あるいは他の日本兵が)日中戦争下で中国人の女性を犯した現実のメタファーだったと解釈することが出来ると思われます。
この映画は、映画の終盤で明かされる、日中戦争の日本兵である主人公・義男が負傷の中での見た夢(悪夢)の世界であり、根底に兵士の現実と戦争の愚かさへの眼差しが入り混じり流れていて、欲望の肯定と否定が入り混じって描かれていると思われました。
離婚しカフェで働く福子(中村映里子さん)は日本軍の中国現地の慰安婦であり、自称小説家の伊守(森田剛さん)は主人公・義男と同じ部隊の先輩日本兵であり、大家の尾弥次(竹中直人さん)は731部隊の人体実験のイメージをもまとった軍医であり、街中で主人公・義男を糾弾する靴屋(松浦祐也さん)は義男と同じ部隊の戦闘前に興奮している日本兵であり、片言の日本語をしゃべる少女は義男が戦地で出会った現地のゲリラ兵であるといった、夢と戦争の現実が交錯する映画になっていたと思われます。
ところで、このような日中戦争などの当時の日本軍の蛮行が題材になった表現によくあるのが、日本人の監督や制作側が正義の側に立ってその蛮行を糾弾する表現内容に陥ることです。
もちろん、当時の日本軍が日中戦争や東南アジアなどの戦闘で現地の民衆に行った蛮行は、同じ日本人として私も沈痛な重い反省の感情を持つ他ないと、いつも痛感させられます。
しかしながら同時に、正義の側に立って当時の日本軍や日本兵の蛮行を糾弾している日本人の監督や制作者に対しては、その自分たち自身は己を棚に上げて(自己への問い掛けでなく)他者を糾弾している姿勢には、その欺瞞性と合わせて、【とはいえ、あなた達も同じように糾弾されなければならない同じ日本人なんだよ】と、大きな疑問を持っては来ました。
ただ、この映画『雨の中の慾情』は、根底の基調に日中戦争での日本軍の蛮行への否定の感情を感じさせながら、決して日本人として己自身を棚に上げない姿勢を、あくまで夢と現実を行き来する中で現実からは遊離しない主人公・義男を通して、描いていたと感じました。
その意味で、人間の矛盾から目を逸らさない描写の姿勢と内容から、今作を沈痛を感じながらも面白く観ました。
ただ、であるので採点としては3.5点以上つけられるはずの作品だと思われたのですが、この映画が主人公・義男による戦闘での負傷の中での夢(悪夢)の描写であると分かってから、さすがにそこからさらに夢と現実の行き来の反復がいくらなんでも長すぎるとは思われました。
それで-0.5点と、僭越ながら今回の点数となりました。
しかしながら、台湾での撮影もあってか、描かれている世界は当時の空気感がリアリティを持って表現されていて、表現の分厚さも含めて、好みはあるでしょうが、内容ある作品になっていたと、僭越ながら思われました。
内容が難解?ただ、ラブストーリーであることだけは分かる...
この作品のように、内容が難解な映画は、たまに観たりするのだが、今回は、人物、環境、時間軸、短い時間の中で、全てが目まぐるしく変化し、申し訳ないことに、自分は、全てを理解することができなかった。
ただ、最後の方に、『ラブストーリーなんだろうな...』ということしか理解できなかった....
あと、冒頭の雨宿りの中の出来事の伏線回収がしっかりあったことは、良かった。
それ以外は、よく分からなかったが、夢と現実を行き来する感じのラブストーリー、個人的には、新しい映画の形を見た気がする。
つむじ風
まるで誰かの夢を覗き込んでる感覚に陥る。
冴えない漫画家の義男が虚実妄想の世界に
入りねじ回る空間と独特の曖昧さが
じわじわくる。
愛、性欲、暴力、戦争、欲望、金欲が現実と夢の間にヒラヒラと紙のように舞い降りて、混沌と
いう侘しさをずっと引きずっていく。
中村映里子さんは綺麗。
レトロ感と怪しげな色気は似合っていた。
冒頭の雨のシーンが一番好き。
あの哀しさがモノクロだし。
まさかの田んぼの行為は少し笑ってしまったが…。
国家に従わなければならない考えと不均衡な現実が色々な欲を生んだ
そして愛は甘くないのとも伝えている。
つむじ風が余りにも異様で欲望より怖かった。
色々
エロい、なんて馬鹿馬鹿しいと思っているうちに、不思議と哀愁みたいなものも感じるし、毒も含んでいるし、結構面白かったです。映像は綺麗です。
義男がもっとギラギラした男だったら嫌だったかも、成田凌さんで良かったです。森田剛さんも良い味出してました。
夢と分かってからが結構長いです。場面はどんどん変わっていき、とりとめのない夢を見つつ合間に現実が割って入りますが、あの、ペンを受け取るところも夢だよね、なんて考えながら観ていたらちょっとクラクラして疲れました。
小さい子供の頭に注射針を刺すところはショッキングで、R指定の映画に幼児を出すのは本人が自分の出演作を観られないんだから、あまり好ましくないなと思ってしまうのは、私の頭が固いでしょうか。(赤ちゃんならいいかな)
怠惰
「さがす」は中々に衝撃的な作品でのめり込んで鑑賞し、共同作品である「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」ではお口あんぐりなくらい謎すぎて片山監督の方向性が掴みづらかったんですが、今作を観てより分からなくなりました。
原作に一気に染まる方なのか、実はこういう作品をやりたかったのか、より片山監督に興味を抱くような作品になっていました。
序盤の衝動的な脱がしまくりからの男女の合体は生々しくもアクション的なところがあり、ここからどんだけ激しいことをしていくんだろう、どうやって話が展開されていくんだろうとワクワクしたんですが、性行為絡みのシーンで昂ったのはここが最初で最後だったかもしれません。
慰安婦と性行為をするというのがメインで、色んな人との性行為だったり、町での出来事だったり、主人公の義男の漫画作りだったりがベースに進むんですが、戦争によって負った肉体と精神の傷が一直線であった物語に大量の分岐を招いた結果、性行為メインでは終わらない謎を生み出しまくっていました。
時々ふざけまくるシーンがあって、最初はノイズだなと思っていたのですが、時間軸が移動しまくりのカオスな作品なのもあって、それがコメディとして働くようになっていってからは笑ってみれるようになりました。
轢き逃げのシーンはグチャアと轢いていくスタイルの作品なのかなと思ったらポーンと田んぼの方に飛んでいきますし、合成バレバレの安っぽい感じなのが味を出していましたし、轢かれて電柱にバチコーンぶつかったはずなのに顔が傷一つないのもハチャメチャで笑っちゃいました。
性行為に及ぶ時はなぜか場面転換しまくるのでそこはどこやねんって場所でやってたり、牛たちの前で堂々と体を交えなさんなともなりました(牛たちはエンドロールに名前がありました)。
義男が戦争によって苦しんでいるということを加味しても目をかっ開いてブレブレの映像で走り回るというどこぞのスマホの成田くんを観ているようでこれまた笑ってしまいました。
大量にいる町の住人たちがワラワラしているのもカオスに拍車をかけていましたし、台湾人の子供がケツアナを広げる女だ〜って言ったシーンは思わず吹き出してしまいましたし、言語の壁だったり意思疎通だったりがここまでコメディになるとはと驚きもしました。
キャスト陣はもうそれはそれは体を張りまくっていて、成田くんと中村さんはやはり脱いでる時間の方が多いくらい交わっていて、それもまた強烈なシーンが多いのもあって大変だったろうなと思いました。
森田くんの唾を飲み込みながら喋るシーンがたまらなく好きでしたし、胡散臭いオジサンを演じさせたらこの人は強すぎる…と改めて思いました。
夢オチなところはガックリしていましたし、時系列シャッフルで分かりづらさに分かりづらさを上塗りしているような感じだったので乗れない部分もありましたが、なんか嫌いになれない憎めなさがある作品で、性行為以外は概ね笑って観れたりしたのでやっぱ変な映画って良いなと思いました。
鑑賞日 12/5
鑑賞時間 11:20〜13:45
座席 E-14
不条理
つげ義春の不条理な世界がよく表現されていたと思う。理解しようとせずに、ただ受け入れる事。
そして、成田凌が意外とつげ義春キャラに見える。
後半はガラッと映画が変わったようになり、そこからの見応えがスゴい。「ジェイコブス・ラダー」を思い出した。
印象的なカットが多く、残る映画だったが、やはり、少し長いかなぁ。
#雨の中の慾情
せっかくの成田凌がエロくない…
…のが最大の欠点かな。魅せ方が単調でワクワクできない。
雰囲気は良いのに惜しい。
タイムリープするというか
兵士成田凌が従軍慰安婦的な中村のお客で
重傷を負って生死をさ迷う成田凌の妄想の世界を描いたもの、と言うと全体的な納得がいく。
冒頭の雷のシーンは秀逸。
その伏線なのか何か車に轢かれて田んぼに飛んでくシーンがひつこいけど、なんだか意味不明。
何かが足りない映画でした。
うつつ
夢を見ている気分になれます。
なので整合性は薄いです。各人物の特徴が自分に跳ねかえってくることで理解できます。
面白いのか?と問われると個人的にはイマイチ面白くないです。
まず長い。性描写もEDで股間が逝かれているのでむちゃくちゃだし(これも夢の可能性がある‥めんどくさい)、こんなに挟む意味あるのかなと感じてしまいました。
んで最後のちょいだしの男性誰?笑
轢かれてポールに当たるとか、ケツ舐め女のギャグも少しだけ。「The sin 罪」もそうだったのだけど、中途半端に感じてしまった。これは完全に好みの問題だと思います。
尻の穴まで舐める女
夢オチを繰り返す映画で、解釈が間違ってなければ現実のシーンは10〜15分程度しかない。
冒頭、あり得ない理由での脱衣、からの強姦、そして何故か仲良く水浴び。
…なんだ、夢か。
その後は粗筋にある3人の共同生活に移るが、義男の気持ちを知りながら行為に及ぶ伊守が鬼畜。
更に尾弥次のつむじ風ビジネスやら尻の穴まで舐める女のバイオレンスなどが展開される。
…なんだ、夢か。
この辺りまではエロさも手伝って面白く観られた。
しかし、すべてが夢(妄想?)だと分かってからの後半は非常に冗長で睡魔との戦いが続いた。
最も幸せなイメージからの腕ボトリに成田凌が返す反応は、スマホを落としたのかってくらい大袈裟だし。
モザイクもなんだかシュールで、車に撥ねられた際の吹っ飛び方もコメディだ。
これが悲哀を引き立てる効果をあげていればよいのだが…
実際に入院し男性機能を失ってからの妄想であれば、タイトルの『慾情』も活きてくるとは思う。
だが恐らく義男はあの場で命を落としてるので、ただ妄想力と性欲の強い男でしかない。
しかも『雨の中の』と言われてしまうと、冒頭のシーンくらいにしかタイトルが対応してないような。
『花腐し』のような作品を想像していたのだが、どう捉えてよいのかイマイチ分からない。
福子役の女性のカタコトが異様に上手かった。
案外アフォ炸裂w 出だしの慾情には惹き込まれた!
熊がスーパ-立て籠もり事件で射殺。
母さん熊、ちょっと食料品を調達しに来ただけなのに、お店の方にこれ何処にあるのって聞いただけなのに、爪が長くってケガさせちゃって・・・
ただそれだけなのに。
道路に鉄道、自然の破壊。山の頂も壊されて地下には穴掘られて。森林に餌も無くって。一体誰のせいなの?
この真犯人は誰? 母さん熊は冤罪では? そう思う今日この頃です。
今日は、つげ義春さんの「ねじ式」以来なのかな??
「雨の中の慾情」の鑑賞です。
出だしの雨の場面から、ヤラれましたねw
R15+指定だったんで大体想像はしてましたが ハハハ。(*´ω`*)
掴みはok~ でしょうか。
訳分らん世界観でしたが、何処となく物哀しい雰囲気にさせられます。
そう言う所がつげさん作品らしいでしょうか。
監督・脚本:片山慎三氏
原作:つげ義春氏
--------MC(皆さん良かったです)----
義男 役:成田凌さん
福子 役:中村映里子さん
伊守 役:森田剛さん
尾弥次 役:竹中直人さん
--------
兎に角、ボカシH場面 案外多いかな。
日本と台湾の合作なんですが、両ユニットで撮りやったのでしょうかね。
纏まりが悪い感じ。さっきと同じ流れが また出て来てって感じがあり
男女の絡みに 少し諄さを感じます。
(もひとつな所)
・義男の成田凌さんかな。顔が童顔で、髭すら生えてない。違和感が有る。
ヤッパリ戦争中だし、長髪や髭はあって当然と思うけどな。
(良かった点)
・屋内場面の撮り、ランプ照明がステキ。流石台湾かな。良い色合いな感じです。
・福子が尾弥次を追いかけて、妻子ある豪邸へ来るところ。妻に向かって自分の事を説明し吐くセリフがワロタ。良いねぇ。こういう人好き。
・屋外にバスタブ置いて花びら浮かせて、福子と義男の入浴場面。
これ 湯気出てないしメッチャ寒かったと思うのよ お二人さん。
それを一切出さず妖艶な感じで演じてたのは凄いなと思ったわ。
・最後の福子が昔の男として義男を思い出すところかな。
あぁ言う雰囲気の展開、久しぶりに感じたかな。
成田さんに中村さんに 男女のカラミがかなり有って
良く演じたと思うわ。
最初から過去の回想場面で展開されており、現在進行が戦争中で 片腕が飛んだ兵士の思い出となってます。
この辺が上手く感じられたら 中々良質な作品なんだけどな。
全体をR15+展開が邪魔しちゃってる気がしゅるわぁ。(*ノωノ)
惜しい、おしい、押井・・・
興味ある方は
今の内に 劇場へ。。。
現実とは、夢とは、妄想とは
つげ義春先生の漫画は若い頃に何作か読んだ程度なのでいわゆるニワカの感想になるかもしれませんがご容赦ください。
この映画はストーリーラインが幾重にも絡まって何が現実なのかわからない多重の入れ子構造になっていて結局のところ何処までが現実なのかわかりません。恐らく敢えてそう作ってあるのだと思いますが、不思議な感覚にさせてくれます。休日の朝に温い布団の中でなんだかわからない甘美な夢を見ている様な、高熱にうなされた時の悪夢の様な、それらが綯い交ぜになった様な感覚。それと同時に映画を観ている今の自分は本当の自分なのだろうか、自分は正しく現実を認識できているのだろうかという恐怖も感じました。
夢の中にいる自分は自分が夢を見ていると認識が出来ないし、恐らく痴呆症の様な病気になってしまったとしてもきっとそうだと思います。それくらい実は現実って儚いものなんじゃないかという様なことを考えさせられました。
コメディなのかと思ったらミステリー仕立ての展開になったり、エロなのかと思ったらホラーになったりと様々な要素が感情をかき乱してくる感じ、何が夢で何が現実なのか、何が妄想なのかわからなくなる恐怖、そういったものがテンポよく襲ってくるという感覚は単純に映画体験としても稀有なものを与えてくれると思います。そういった体験の前にはもしかしたらストーリー解釈なんてのは蛇足なのかもしれません。
劇中随所に何処かで見た様な、つげ作品のパーツが散りばめられている様にも思えて何処かで見た様な既視感もあります。明確に出典がわかったのはねじ式くらいなのですが、他も詳しい方が観たらわかるんじゃないかと思います。
主人公もつげ義春に似た名前の漫画家ですし、複数の作品から要素を持ってきていると思われることからもつげワールドを映画化したということなのかなとも思いました。私が読んだつげ先生の作品ってあんまり”エロい”印象がなかった(性的描写がある作品はあっても作品の主軸になってない様に見える)ので、ここまで性的な表現が全面に出てくるのは果たしてつげワールドなんだろうかってのは思いました。戦争描写の苛烈さというのもちょっとテイストと合っていない様な…。その辺り、私はニワカなのでガチファンの方の感想が聞いてみたいです。
現実と妄想が
現実と妄想が凄く分かりにくいです。
特に後半が分けが分からなくなるくらい、妄想と現実がループします。
なんとなく、ストーリーを上手く整理出来ていない感じがします。
一部のコアなファンはいるのかもしれないですけど、、、。
原作は知らないが・・・・
日中戦争?に参加した傷痍軍人の夢を映像化したようだ。およそ9割方が夢のシーンのため、現実味のない、とりとめのないエピソードがパッチワークの様に入れ込み展開されていく。出てくる人物は本人以外は複数の人格を持ち姿形は同じのため、何となくオムニバスのようにも感じた。あと+15指定のため、ところどころボカシが入る。これはいただけない。洋画は既に+18でボカシなしの映画を上映しているのだから邦画もそうすべきだろう。そもそも東京国際映画祭にボカシのある作品を出品したのだろうか?海外の映画人に笑わられるんじゃないでしょうか?また風景や舞台設定が同じで単調な印象でだんだん飽きてきて眠気に何度も襲われた。片山慎三ではなく荒井晴彦に撮らせた方が個人的には良かったと思ってしまった。
鼻糞かと思った
つげ義春の本は昔買った記憶がある。孤高の漫画家つげ義春の作品の映画化は20年前の竹中直人の監督作品以前にもたくさんあるらしいし、つげ義春の夢日記の幻想の世界を【岬の兄妹】の監督がうまく表現出来たかは正直なところ私にはよくわからない。しかし、台湾をロケ地にしたのはよかった。「あぁ、台湾なんだなぁ」と思ったのは【1秒先の彼女】で見覚えのある台南の水辺の風景だった。エンドロールでの「台湾ユニット」で確認するまでもなく。
戦時中の満州や戦後の闇市、まるで迎賓館のような南町の豪邸は日本国内だけをロケ地にしてはとても無理であったであろうし、セットを作ったのでは金がかかり過ぎる。
つげ義春は戦争経験者ではない。義男が左手右足を失うシーンは南方ではなく満州の設定なのだが、どうしても水木しげるがタブるし、福子がバーの女給だったり、慰安所のピーだったり、子供の脳漿を注射器で吸い取るシーンでの看護婦だったり、インモーのお守りなんかのクダリは【兵隊ヤクザ】シリーズの小山明子(大島渚夫人)を思い出していた。齢がバレるね。
たぶん、成田凌お目当ての若い女性ファンやV6の森田剛のファンは福子に自己投影することで、つげ義春の繊細でエッチな幻想奇譚の共犯者となり、イケたかもしれないと思うとなんだがとても悔しい。しかも1000円で。12月1日の映画の日にTOHOシネマズ池袋の14:30からF列で鑑賞。空席を挟んで隣には若い女優さんか?と思うような白いウールのブランケットを膝掛けにした落ち着いた雰囲気の美人さんがすでにご着席。はっきり申し上げて、夢か現か映画の内容以上にドキドキしてしまった。微かな笑い声や喘ぎ声が隣から時々聞こえたような気がした。
惜しげもなく晒される中村映里子のスレンダーボディ。勃ってるに違いないニプルズ。冒頭の女優さんもいい脱ぎっぷりだったが、冒頭からコメディタッチのAVを見せられたようで、その先がツラかった。
森田剛がいうように、成田凌はほんとにイイ顔してた。まぁ、いつもどうりなんだけど。
森田剛が投げたのは大きい鼻糞かと思ったらつけボクロだった。
つげ義春の亡くなった奥さんは紅テントの女優さんだったらしい。最後の方で茶色のトノサマバッタのCG。飛蝗。旧日本軍を揶揄したものなのか?唐組のことか?
つげ義春ご本人がまだご存命だったとは。滝田ゆうは若くして亡くなったのに。
つげ義春。齢93だそうだ。
ぜひご本人から映画の感想を聞いてみたいものである。
地上波放送完全NG作品📺❌
オープニングが脳内で描いてる漫画のシーンの映像化スタートって中々イカれてますね🦑⤴️
そもそも脳内妄想の世界線が二つと現実の話が一つあってなんの説明も無くバラバラに進行するからノーラン作品よりは簡単だけど わかりづらい部類ではあります🤓
あと悪夢感と湿度感がパネエっすね👌
最後に究極のあらすじ解説すると🤓戦争行って売春宿行った事あってその売春婦が少し好きになって死ぬ間際の走馬灯の映像化👋
しかし森田&成田は演技凄いですねしかし(あの女優さんも凄いのよな) あとこの作品シネコンで見たけどそもそもミニシアターでやるやつですから🤬(このキャストだからって大手の映画館でやるような作品ではないでしょ)👽
あと片山監督は全作品毎回内容が独特過ぎて好きだわ🌸 あと尺がもうちょい短くても良いわな⏳
映像が頭に焼き付け起こすくらい強烈な絵力🖼️💪
夢に影響されて凄い悪夢にうなされましたよ🤢💤
最後にタイトルがまんま過ぎて笑うわ🤣
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