劇場公開日 2024年11月29日

  • 予告編を見る

「歌のないオペラ」雨の中の慾情 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5歌のないオペラ

2025年2月11日
Androidアプリから投稿

つげ義春原作の短編漫画4作品をベースに創作されたラブストーリーだそうだ。学生時代つげ義春の漫画が一時流行った記憶があるのだが、サブカルにはまっていた友人から貸してもらった漫画を読んでも何が面白いのかサッパリ。要するに当時の私がガキすぎて、つげの魅力がわからなかったのである。現代のウォークカルチャーの枠に当てはめるとすべてNGになりそうな、エロ、エロ、エロのオンパレード。しかしながら、無機質な絵と乾いたコメディに漂うなんともいえないペーソスが癖になった人も多いのではないだろうか。

なぜこの令和の時代につげ義春をピックアップしたのかは不明だが、片山監督が今までの路線とはまったく違う映画を撮りたかったことだけは伝わってくる。ポン・ジュノ譲りの生臭いバイオレンスとカタルシスを捨て去って、監督は本作で“(歌のない)オペラ”をやりたかったのではないか。日本統治下の台湾で瀕死の重症を負った一兵卒が死に際にみた支離滅裂な“夢”を、ベルトリッチ風に幻想的につなげた作品ではなかったのだろうか。監督御本人は本作を撮るために、『ジェイコブズ・ラダー』や『エターナル・サンシャイン』を参考にしたと語っていた。

男が死の床で思い出すのは、初恋の女や長年連れ添った女房のことではなく、娼婦と交わった激しいSEXのことらしい。義男(成田凌)が最期に思い出したのも、従軍慰安施設に暮らす娼婦“福子(中村映里子)”のことだった。義男の夢の中で、小説家の情婦やアドレノクロム採取施設の看護婦、ピンボールのように車に撥ね飛ばされる女、はては義男に漫画を描くためのカリグラフィーをプレゼントしてくれた恋人へと、次々とそのキャラ設定を変えていくのである。『マルホランド・ドライブ』のナオミ・ワッツのように。

映画冒頭はつげ義春原作の『雨の中の慾情』とまったく同じ展開だが、映画ラストをあえて原作漫画とは異なる終わらせ方にしている。原作では、田んぼの中で激しい情事に及んだ義男と人妻が、雨上がりの🌈がかかっている中を、何事もなかったようにバスに乗り込む場面で終わっているらしい。しかし、片山はその“🌈”だけ拝借した独自の解釈で本作を終わらせている。聞くところによると、ロケ地となった台湾では🌈の橋を渡って死人があの世に向かうという言い伝えがあるそうで、(漫画も映画も)エンディングは誰かさんの“昇天”を暗示していたのではないだろうか。

台湾でロケハンの最中も、中国軍艦がこれ見よがしに近郊の湾に停泊していたらしく、日本人が想像する以上の緊張感が周囲に漲っていたという。片山監督はその雰囲気を察して、戦争シーンをわざわざ後から付け加えたのだとか。私は思うのである。男と女が本能のままに激しく交わってさえいれば、そもそも戦争なんて起こりえないのではないか。それを法律や道徳、カルチャーで無理やり抑えつけたりするから戦争が起こるのではないか。人間の本能の中に隠れているエロスには、生殖以外にも我々がいまだ気づいていない役割が他にあるような気がするのである。たとえそれが、雨上がりの🌈のごとく、女の記憶からはかなく消え去っていく男の幻想だったとしても。

コメントする
かなり悪いオヤジ