「そのうちゼノモーフは考えるのをやめた。」エイリアン ロムルス かぼさんの映画レビュー(感想・評価)
そのうちゼノモーフは考えるのをやめた。
エイリアンシリーズは全作品劇場鑑賞済、特に原点の1作目はロードショー公開中に無け無しの小遣いから、おかわり鑑賞と友人に勧める為に奢る行為をする程どハマり、以降映画鑑賞歴に多大な影響を及ぼす。
勿論DVD BOX所持。
故に、エイリアンには一家言もニ家言もある事、ご容赦ください。
長いです。
今やサーの称号を持つリドリー・スコットの長編映画監督作2本目のエイリアンは、当時SFゴシックホラーとか形容され、公開まで情報が皆無だった。スターウォーズや未知への遭遇が皮切りとなり、技術的ブレイクを果たしたSFXを使ったSF映画ブームの中で公開された。
その得体の知れない生物の造形美、謎の生態、細部にまで拘った美術と説得力を持つ特殊効果等が衝撃的な恐怖を醸し出していた。初見の時は恐怖の余り、席を立って逃げ出したい衝動を抑えて観続けた記憶がある。
1作目の肝は、完全生物と称された怪物(ゼノモーフと言われ出したのは2作目以降)の予想出来ない生態と行動原理の不明さが恐怖の根幹であり成功していた。
シリーズ化され、当時新進気鋭の監督にそれぞれ任すスタイルとなった。
エイリアン2以降は、その形態と生態が認知されているので、恐怖は目減りするのは致し方なく、担当したジェームス・キャメロンは怒涛のアクションサバイバルホラーとして、デヴィッド・フィンチャーは与えられた脚本からとはいえ宗教色が強くどこか中世を想わす、刑務所星を舞台とした独特の世界観、ジャン・ピエール・ジュネはキッチュな独特の世界観とブラックユーモアで、リプリーの物語として続いた。
興行的に浮き沈みもあり、失敗作と言われる物もあるが、個人的にはどのアプローチも好きで、結局この完全生物に魅了されている。
リプリーシリーズは、ここで止まってしまい、3の幻の脚本となったウィリアム・ギブスン版や5の予定だったニール・ブロムカンプ版も観たかった。
そこから巨匠となったリドリー御大のプロメテウスとコヴェナントが展開する訳だが、個人的にはプレードランナーを絶頂点としてリドリー・スコットへの信頼感はその後弱まり、ハンニバル辺りから創造より引用が気になり出した。
無神論者でありながら神話的アプローチとか、豊富な美術知識をひけらかす様な感じ(コヴェナントでのベックリンの死の島の引用はモロパクリ)とかが気になりだしたし、創造主と神とか手垢のついた主題で、ゼノモーフと人類とスペースジョッキー(エンジニア)の起源を描くが、それによりゼノモーフ自体の神秘性は削がれた気がする。
今は亡きダン・オバノン(1作目の原案と初稿脚本、それまで異邦人とかの意で使われてた名詞エイリアンを、宇宙生物の名詞として初めて使った人でダークスターの搭乗員)が知ったらどう思うのかとか考えてしまった。
プロメテウス初出の黒い液体の設定も混乱してて(ファーストディーコンの血やらブラックグーやら)エンジニアが始めに飲んだヤツと後から出てくるエンジニアの宇宙船から採取した物が別物なんて映画観ててわかるか?
黒い液体を2001年宇宙の旅のモノリスの様に進化の象徴にするなら、完全に失敗していると思われる。
大体、エンジニアが飲んでたディーコンの血(その後バラけて地球の生命の元となる)が無くなったから、エンジニアが複製したが失敗したのでウイルス兵器に転用して、逆にアンドロイドにコヴェナントでばら撒かれるのもアホだが、そもそも遺伝子レベルで変異を起こす物体ばら撒いて、被害側に計算外の遺伝子レベルの潜在的変異体や損傷した遺伝子の持ち主が1人でもいてスーパーヒーローにでも進化したら話変わってしまうし、兵器としてアホでしょ。
出世魚みたいな単純な変換やブリーダーの様な掛け合わせで進化を語るのは無理がある。
とは言え、どこかフランシス・ベーコンの絵画を連想するネオモーフは好きだったりするので、複雑な心境でこの2作が私の中で位置付けされていたりする。
さてエイリアン:ロムルスである。
フェデ・アルバレス監督作とはいえ、この副題の付け方は、近年のリドリー印満開で嫌な予感がした。
しかし原点回帰とか謳う旨もあったので、過度な期待もあった。
つかみは最高で、まさか第1作のビッグチャップを回収して始まるとは❗️
繭化して宇宙空間に漂ってる(ちゃんとリプリーがぶっ刺した銛がある)のを観て、
カーズや❗️(ジョジョ2部より)とテンションが上がりました。
死ぬこともできず考えるのやめてたのね?
ロムルスとレムスのセットも良い出来で、敢えてブラウン管モニターを使うとか、ディスプレイの表示が一作目の流用だったり、CGを使わずスーツやアニマトロニクスでゼノモーフを表現したりしているのは、好感がもてました。
テラフォーミングされた異星での劣悪な労働環境とかの描写も良くて、ウェイランド・ユタニ社のブラック企業ぷりも良く出てると思う。
強酸の血液が無重力下で漂う中を回避するシークエンスも良かった。
しかし、全体としてはまるでよく出来たファンムービーの様であった。
監督自身の個性を全く感じられなかった。
自動制御中の重力の切替り設定の新鮮さと、過去作ドント・ブリーズと同様、若者達が入っちゃダメなとこ入って中の怪物にエライ目に会うのは監督の独自性だとしても、そこで展開される描写は一々過去作の引用と感じた。リスペクトと呼ぶには余りにもそのままだった。
2を意識した兵器の説明描写や銃撃描写、4からのエレベーターシャフトでの攻防と台詞とニューボーン、ラストに向けて息が荒い中、薄着で宇宙服を着る1作目への目配せ、他にも細かい引用が多々あり、それらが長年のファンに対するサービスだとしたらやり過ぎで、ノイズとなり全く恐怖を感じなかった。
またアッシュ型アンドロイドのルークのCGの出来が悪く、故イアン・ホルム氏の再現としては稚拙だと感じた。
ブレードランナー2049のレイチェルの再現には驚いたものだったが、同じプロデューサーなのに何故こうも違ってしまったのだろうか。製作アプローチが違ったとしてもだ。
そして例の黒い液体である。この設定自体が不安定な存在を、とうとうスピンオフとはいえ、1〜4の世界の中に組み込んでしまった。
起源そのものをテーマにしたプロメテウスとコヴェナントで、リドリー御大が黒い液体を持ち出して起源や創造主や神を語るのは仕方ない。ホラーの形式を用いていても描きたい方向が違うから時系列で繋がっていたとしても、完全にリプリーシリーズと別だと個人的に捉えていた。
ある種野放図的に各監督の色合いで製作、芯の部分にリプリーを置く事で成立していたエンタメとしてのシリーズの後継として、原点回帰をも目指してたとしたら、本作監督のフェデ・アルバレスは、プロデューサーのリドリー御大に忖度し過ぎじゃないかと思う。
そもそも配信ドラマとして企画が立ち上がった為の詰めの甘さもあるだろうが、新しいアプローチみたいな物が感じられなかったのが残念だ。
とは言え、シリーズ初見の方々はすんなり受け入れ楽しむことが出来るのかも知れない。
ある種の過去作の美味しいとこ取りとも言えるので。
上映後、「怖かったねー」の声も聞こえてきたから、素直に見れば充分楽しめる作品だとは思う。
ただ個人的には、このままだとシリーズ自体が先細る可能性があると思ってしまった事が1番悲しい。
長文、難癖、失礼しました。
エイリアン1〜3に共感・コメント有難うございます。
銀座のテアトル東京と梅田OS劇場が当時2大シネラマの劇場でしたね。昔の映画館もなくなってしまいますね。残念です。