「何があってもこのシリーズは好き」エイリアン ロムルス Minaさんの映画レビュー(感想・評価)
何があってもこのシリーズは好き
本作は79年公開の「エイリアン」と86年公開の「エイリアン2」の間をつなぐ作品であるが、フェデ・アルバレス監督らしい部分と、シリーズの生みの親であるリドリー・スコットらしい部分がハイブリッドと化した新たな恐怖が誕生した物語である。
まず、冒頭で「マザー」が起動したときの音には大変感動した。宇宙船の内部が第一作目の「ノストロモ号」のそれを思わせるものだったからだ。コールド・スリープの技術があるにも関わらず、モニターがブラウン管スタイルであり、計器類も古めかしい物だったのは79年当時は今では主流のSF的未来図が想像つかなかったからだろうが、それすらも本作では再現されているのである。それでは2012年公開の前日譚、「プロメテウス」での技術と噛み合わなくなるが、あちらは金にモノを言わせた最先端技術で、本作は植民惑星の貧困層の船の為技術が一昔前のものしか無いと解釈すれば良いのだろう。
本作は原点に立ち返った様に、SFホラー映画として確実に機能している。未知の場所で未知の物と出会うという基本ストーリーは同じ様なものだが、体温を感知して襲い来るフェイスハガーに気付かれぬ様に室温と体温を均一にし、「少しでも体温が上がれば殺られる」という中で進むシーン等は監督の「ドント・ブリーズ」ではないか!この時の焦燥感や緊張感はホラーそのものである。鳥肌が立ち、汗が垂れるという体温に明らかな変化が生じ、誰もがヤバいと思うシーン等は監督の力量を感じるところだ。この辺の描写はやはり上手い。
前作の「エイリアン:コヴェナント」や、「プロメテウス」の様なスタイリッシュで科学的、知能的な描写でVFX満載のエイリアンも好きだったが、あまり衛生的ではなく、ジメジメ、暗い、広いようで狭い環境でのアニマトロニクスのエイリアンはひたすら不気味で怖い。
これらの描写の数々を見てみると、過去作全てのDNAを受け継いでいる様に思える部分が多数存在する。ベースは第一作目の恐怖感を軸とし、ファーストコンタクトのシーンや、特徴的な開閉をする排気口の動き方等の細かな部分まで再現されている。
終盤になると、戦争アクションに扮した二作目の様なガン・アクション(この時の射撃音がエイリアン2の自動連射ミニガンと同じ!)も描かれている。序盤こそアンドロイドの弟を守る姉だったが、後半はプラズマガンを携えて弟を助けに来る等、すっかり戦う女である。命がけで戦ったリプリーとどうしてもかぶるシーンだ。
主人公らが冒頭で過ごしていた植民惑星に関しては、不衛生で劣悪な環境だったが、宇宙船内部もどこか薄暗くて不気味に感じるのは、紛れもない第三作目の陰湿な世界観だ。
そして本作では終盤に、これからのシリーズ製作があるならば切っても切れないような形になりかねない衝撃かつ意外な方向へ物語が舵をきったのだが、この展開は賛否両論だった四作目の世界観がかなり埋め込まれている様に感じる。このシーンも格納庫にいるハズのエイリアンが黙って真後ろに佇んでいたりなど、「人間が敵う相手では無い」感が物凄く伝わり、不気味さや絶望感が本編中トップクラスである。しっかりと中盤では「プロメテウス」に登場した筒状の有機物が登場する等で上手く独立していた様なあの世界と繋がり、それが全て感じられた時の感動はしばらく忘れる事が出来ないだろう。
監督がこだわりすぎたのか、リドリー・スコット自身もフェデ・アルバレス監督がエイリアンの様に凄いプロットを持って襲ってきたんだとジョークを飛ばしていたが、やや全シリーズを網羅しすぎな気がするのも確かだ。かなり挑戦的な最新作だと思う。シリーズファンの監督ならではのこだわりなのだろうが、とにかく冒頭からファン必見のオマージュが満載でたまらなくなる。一回普通に鑑賞し、もう一度細かい類似点を探しに観に行くのも面白そうである。