シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
全785件中、421~440件目を表示
ずっとピントが合わない
期待し過ぎただけですが、個人的にバランスが悪い印象を受けました。IMAXで観ましたが、損したなというのが正直な感想です。
極限まで説明を省いた作風はいいと思います。劇中の世界に否応なく放り込まれるのは大歓迎。だがしかし、肝心のシーンで流れるノー天気な曲が緊張感をことごとく削いでくる。監督は意図があったと思うんです、だけど汲み取れなかった。端的に合わなかっただけなんですが、没入感を優先するならそこは変な選曲は要らなかった。
ジャーナリズムとは何なのか。それも汲み取れなかった。少女に関してはただ単に撮りたいものを撮ってるだけで、自分がトラブルの元になってること気付いてるのか?と問いただしたいレベル。
ジェシープレモンスのシーンは手放しで良かったです。登場は僅かながらも圧倒的な存在感。シチュエーションもあるのでしょうが、それを差し引いてもスクリーンを独占してました。⭐︎2つは全て彼に。
全ての人間が「的」になるのが戦争
連邦政府から19もの州が離脱したアメリカ。テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力”と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。「国民の皆さん、我々は歴史的勝利に近づいている——」。就任 “3期目”に突入した権威主義的な大統領はテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。ニューヨークに滞在していた4人のジャーナリストは、14ヶ月一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うため、ホワイトハウスへと向かう。だが戦場と化した旅路を行く中で、内戦の恐怖と狂気に呑み込まれていくー(公式サイトより)。
エンドロールが終わり、館内が明るくなってからもしばらく立ち上がることができなかった。IMAXシアターの底力はあったものの、それ以上に、ついさっきまで描かれていた「人間」に立ち竦んでしまった。
本作ではアメリカを舞台に「分断」が引き起こす絶望的な未来を経糸に、ジャーナリズムの本質、暴力がもたらす高揚感、市井の無関心、次世代への継承、アメリカ(アメリカばかりでもないように思うが)で猛威を振るう二元論などが緯糸として織り込まれている。
トレイラーにも採用されている「What kind of American are you ?」というセリフが登場するシーンは、この「分断」を極めて端的に、暴力的に、不気味に描いた白眉だ。ドラえもんの「どっちも正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」という名言が頭をよぎる。リー役のキルステン・ダンストのリアル夫であるジェシー・プレモンスが、ほっぺたを掻くように人を殺す、めちゃくちゃおっかない兵士を演じている。チープな赤いサングラスはトラウマモノである。
こうした「正しさ」のぶつかり合いを戦地から報じてきた歴戦のカメラマン・リーは、見習い女性カメラマン・ジェシーに、「自問自答なんてキリがない。記録し続けることよ」と戦場ジャーナリズムの神髄を伝えながらも、その空疎さ、無力さから、次第に心が苛まれていく。
そんなリーとは対照的に、ジェシーは自らも命を落としかねない極めて危険な状況でさえ、時に兵士を追い越して、瞳孔を開いたままシャッターを切り続けたり、時に笑顔を見せたりするようなる。生死の境目にいることに高揚感や興奮を覚えてしまう、悲劇的な成長を遂げ、ラストへと向かっていく。
こうしたリアリティ溢れる演出や、大胆で繊細な俳優陣の演技も然ることながら、圧巻は音である。武器の号砲、人間が踏みつけられる音、ヘリや戦闘機の爆音、戦地に響き渡る怒号、そして場面に全く似つかわしくない穏やかなアメリカンミュージック。ぜひIMAXシアターで堪能したい作品である。
正義による煽動は二元論から生まれる。その瞬間、対立する人間は人間でなくなり、ただの弾丸の「的」になる。二元論を煽る人間、翻弄される人間、無関心を決め込む人間、葛藤する人間、暴力に高揚する人間、状況を報じる人間、その全ての人間が「的」になるのが戦争である。では反戦、非戦はどこが糸口になるのだろうか。現実のアメリカでは民主党支持であるカリフォルニア州と、共和党支持であるテキサス州が同盟を結ぶというフィクションに、アレックス・ガーランド監督からのヒントが仕込まれている。願わくば、ジェシーの年頃の他愛なさ、好奇心、無邪気さが死に直結するような世界にならんこと。
痺れるほどの皮肉が効いた米国内戦下のロードムービー
「3期目」の大統領が君臨するアメリカ合衆国で起きた内戦下のロードムービー。
テキサスとカリフォルニアという二つの州が同盟を組んで政府軍と戦うという「あり得ない設定」ですが、分断の進んだ現在のアメリカでは必ずしも「あり得ないとは言い切れない」絶妙なリアリティ。
その中でベテランの戦場カメラマンと戦場カメラマンを志す若者、そして2人のジャーナリストが、独裁者である米大統領のインタビューを取るべくワシントンDCを目指します。
内戦で崩壊した「自由と夢の国」を舞台とした暗澹たるロードムービーの果てに、ベテラン戦場カメラマンはそのプロとしての矜持をすり減らした結果、人間性を取り戻し、戦場カメラマン志望の若手は人間性をすり減らし、「プロ」としての矜持を獲得します。
その結末に描かれるのは、「正しい」目的を持ち、独裁者の殺害を正当化するようなプロパガンダとしての一枚の写真を示すことで物語は終結を迎えます。
予告を見る限り、よりアクション要素の強い戦争映画を予想させつつも、アレックス・ガーランドがそこまでシンプルな映画を作るはずもなく、「正義」が正義ではなくなる瞬間の皮肉を見事に描き切った一作に仕上がっています。
タイトル間違えてません?
シビルウォーというよりも、女性カメラマンの成長がテーマのような気が、、、。
シビルウォーにしたほうが、集客は良いのでしょうけども。
あと、選曲のミスマッチ感。
シリアスな場面になぜか軽い曲を選んでしまっていたりと、いったい何の意図があったのか。ラストシーンしかり。あれが副題のアメリカ最後の日なのか、、、。
日常と非日常。政治的な不安定、経済の不況、自然環境の劇的な変化、
などの要因で日常が突然非日常に変わってしまう。
そんなことを少し考えさせられたけども、アメリカの内戦の背景を客の想像に任せずに、
もう少し可能性を深堀して欲しかった。
ストーリーは特にアイデアというものも感じられず、
ただ、最後のほうの戦闘シーンは映像と音響の迫力がありました。
鬼才により描かれる現代アメリカへの警鐘。
IMAXレーザーにて鑑賞。
『エクス・マキナ』『MEN 同じ顔の男たち』の鬼才アレックス・ガーランド監督による体感型ロードアクションムービー。4名のジャーナリストの視点を通して描かれる、分断されたアメリカ社会の闇。クライマックスで戦場と化すワシントンD.C.での戦闘描写は、IMAXやDolby等の映像や音響の優れた没入感抜群の上映環境での体験推奨。
内戦が勃発し、国内が西部勢力と政府軍に分断された近未来のアメリカ。かれこれ14ヶ月もの間取材を受けていない大統領を取材する為、リー、ジェシー、ジョエル、サミーら4名のジャーナリストがニューヨークからワシントンD.C.を目指し、約1,400kmの道のりを車で向かう事に。彼らは次第に、アメリカ社会の闇と内戦の恐怖を目の当たりにする事になる。
前半はロードムービー、後半は臨場感タップリのアクションムービーと、異なる姿を見せる物語が良い。スイッチが切り替わるのは、中盤でジェシー達が差別的な武装兵に尋問されるシーンだろう。
「お前は、どの種類のアメリカ人だ?」
予告編でも使用されていた、この印象的な台詞と共に紡がれるあのシーンの緊迫感は、間違いなく本作の白眉だろう。
この差別的な兵士を演じたジェシー・プレモンスが、主演のリー役キルステン・ダンストの夫である事によるカメオ出演という裏話も興味深かった。優れた作品は、不思議と優れた俳優を引き寄せるのだろう。
内戦の理由が明かされない点も良い。冒頭、リテイクを重ねて権威的な演説をTV放送する大統領を映す事で、その後の西部勢力の「独裁的な大統領を打倒する」という動機はすんなりと理解出来る。しかし、それ以外の要素を意図的に明かさない事で、「彼らの行いは正当なものなのか?本当に正しいのはどちらか?いや、どちらも間違いなのか?」と、我々観客が考察する余地を残している。あくまで本作は「勝つ側」の視点に立って物語を追ったに過ぎず、視点を変えれば西部勢力の勝利は更なる混乱の時代の幕開けかもしれない。ニューヨークのホテルで、「西部勢力は、勝ったら今度は自分達同士で争う」とサミーが予見したように。
音楽の使い方も印象的だった。オープニングを飾るSilver Applesの『Lovefingers』を始め、随所で挿入される楽曲が、ロックやポップといった、本作の暗く絶望的な状況とは対照的(但し、提示される歌詞は反戦や自由といった本作のテーマに通じるもの)なのが、物語のトーンを陰鬱にし過ぎず、フラットな視点で観客に物語を追走させる手助けとなっていたように思う。
個人的なアレックス・ガーランド監督作品への信頼として、「画作りへの拘り」がある。代表作『エクス・マキナ』は勿論、『MEN 同じ顔の男たち』でも顕著だった、「悲惨、もしくは不穏な状況下にも関わらず美しい画面」というアンバランスさが醸し出す妙が、本作でも顕在だったように思う。
特に、Sturgill Simpsonの『Breakers Roar』と共に描かれる、焼き討ちされ燃え盛る森の道を走り抜ける車の周囲を、まるで儚き命の灯火かの如く火花が宙を舞うシーンの圧倒的な美しさには、思わずため息が出た。その中で静かに息を引き取るサミーの悲惨さも相まって、個人的には先述した武装兵のシーンより素晴らしかった。
ところで、本作はジェシーの成長譚としても楽しむ事が出来る。演じたケイリー・スピーニーは、『エイリアン:ロムルス』でも主演として抜群の存在感を放っていたが、本作でも夢見る純真無垢な女性から、戦場の過酷さ、ジャーナリズムの中でジャーナリストが背負う宿命に翻弄され覚醒していく様を見事に演じ切っていた。序盤こそ理不尽な暴力の光景に打ちのめされ涙を流しながらも、次第に戦場で真実にカメラを向ける高揚感に取り憑かれ、最後は尊敬するリーの犠牲すらも糧にして、歴史的瞬間をカメラに収める。特に、ホワイトハウスで自らを庇って銃弾に倒れ、真横で息絶えたリーの方を見ないのが素晴らしい。リーの犠牲を糧に覚醒し、最後にリーの亡骸の方を振り返るジェシーの目には、最早理不尽に打ちのめされ涙を流していた数日前の姿は無く、冷徹に真実のみを追い求めるジャーナリストの姿があった。
ともすれば、それは間違った成長だろう。リーが過酷な戦場をカメラに収めてきたのは、人々に真実を伝える事で最悪の未来を回避する為だった。しかし、祈り虚しく内戦が勃発し、自らのジャーナリズムに対して不信感や敗北感を抱えていた。そんな彼女が命を賭して守ったジェシーは、しかしリーの思いを正しく継承したとは言えないだろう。内戦という最悪の事態が、不必要な犠牲と生まれてはならない怪物を生み出してしまったのだ。
ラストで射殺された大統領を囲んで笑顔でカメラに映る兵士達の写真。ジェシーの古い型のカメラ故にモノクロで収められたその歴史的瞬間は、色という他者への共感性や感心を失った現代社会の悲惨ささえも写し取ったかのよう。
これまでSFやホラーといったファンタジー色の強い作品を得意としてきたアレックス・ガーランド監督は、本作で現実問題に根差した臨場感あるアクションまでも描き切ってみせた。益々プロとしての円熟味と切れ味を増していく監督の次回作が、今から楽しみで仕方ない。
闘いの向こう側
この国に生まれ育つと何故の分断国家なのかということに、今ひとつピントが合わない。政治であれ宗教であれ、如何な出所信条の違いを突き合わせても、よもや武器を手にして相手をねじ伏せるという所まで行かないのが大方の日本人ではないだろうか。周知のようにこの映画ではハナからその対立理由の説明が全くされていない。表現したいのは武器持って対立したらどうなるか、だ。今までの数多の戦争映画でその狂気性が表現されてきたし、同じアメリカ国民同士の争いという場面の目新しさだけで画期的な展開は見られなかった。ただ、視点が報道畑の人間の道中記ということで、極めてドライな、ある意味兵士の殺伐とした心情と紙一重な空気感が画面に重みを持たせていたことは確か。
終演後に隣の客席から「思ったのと違った。重かった」という言葉を小耳に挟んだが、それでは本国で高評価は得られなかったろうに。そんな事より本当の国家間紛争でもその終結後の事の方が遥かに面倒で厄介なことに思いが至らないのか、何とも得心がいかないものだ。
何を訴えたかったのかな
ヒトコワ~人間が一番怖い~。こんな世の中になってしまったけど、結局人が一番怖い…という事ならば、ウォーキング・デッドであんな静まり帰ったアメリカの風景や殺し合いは既に見たな。それとも、女カメラマンの成長を描きたかった?だとしたら、憧れの先輩のあの最後…トラウマでカメラマン続けていけるか?!オー凄いね、頑張ったね、とはならない脚本。説得力は弱い作品。
救いようがない
戦争というもの
またもやA24 アメリカの様々な問題をブチ込んできた怪作
報道スチルカメラマンを主人公にした作品だけに、カメラや写真の観点から感想を書いてみたい。
まずジェシーが持つカメラは、なぜNikon FE2だったのか?
FE2は1983年に発売されたフィルムカメラ
映画の中では祖父が持っていたカメラとのことだった
ハイエンドではないので写真を趣味とする人などが一般的に買う機種だったはず
1983年当時で考えても、おおよそ報道のプロを目指すような人間が手にするカメラではない。
話はちょっとズレるが、今フィルムカメラは静かなブームになっていて、現代のデジタルカメラのシャープで全てを写してしまう高分解能に対して、気分を写し込むような、あいまいさや鈍いフォーカスなどの雰囲気がレトロ感も相まって人気がある。
映画に戻ると、このNikonFE2というアイテムは、ジェシーのあどけなさやひ弱さ、薄っぺらいTシャツなどと相まって、彼女がその辺りにいる普通の子で、思いつきでしか行動していない危なっかしい無知な女の子であるということを補強している。
映画の中でジェシーがフィルムを自家現像しているシーンが出てくるが、水道もない場所で現像→停止→定着→水洗の工程を行うことはできない。
フィルムなので多くて36枚しか撮影できないが、フィルムを詰め替えるシーンはひとつもない
ホワイトハウスに侵入するシーンでは、兵士の機関銃の弾切れのシーンはやたら出てきたが、ジェシーの弾切れは一度も無かった
ここまで矛盾点が多い中、FE2にしたかった理由とは何なのか?
監督に聞いてみたい
またジェシーが使っているのはモノクロフィルムだった
これについてはアメリカの過去の内戦「南北戦争」を想起させたかったという気もする
この南北戦争との関連も映画の中にはたくさん詰まっていそうで、その観点から読み解くのも面白そうだ
最後に、大統領が射殺されて兵士たちがその前で笑っているモノクロ写真は、よくハンターが獲物を前にポーズしている写真のようだった。
大統領をハントした兵士たち、その写真をハンターのように激写したジェシー。
Shootという英単語が「銃を撃つ」という意味に加え、「写真を撮る」という意味もあるように、快感さえ覚えながら本能のように連射したジェシーと、頂点(絶頂)をすでに迎えたリーとの世代交代がこの銃撃シーンで行われたのは暗喩的な気がする。
移動距離が長いからか、意外とローペースで進行するロードムービー。戦...
迫真。
〔60代男です〕
一切の説明なしに、アメリカが内戦状態におちいっている状態で始まる。
東西で対立しているらしいが、その理由も不明。
西側勢力に属しているニューヨークの4人の報道カメラマンたちが、敵の東側勢力である大統領にインタビューするため、首都ワシントンを目指して危険な旅をするロードムービー。
途中、戦争と無関係に暮らす人々の町もあるが、兵士たちに停められて、彼らの気分次第で射殺されてしまう恐ろしい状況にも出くわしたりする……。
主人公たちが行く先々で目撃することが、ただの作り事に見えない。
アメリカが内戦に陥れば、本当にこうなるんじゃないかという気がするほどリアルさを感じさせる。
派手な戦争ものを期待する人の期待に応える作品ではないが、最初から最後まで、息詰まる緊張感が持続する。
最後に到着したワシントンでは、ホワイトハウス陥落の市街戦の真っただ中に入って行く。
なんか「トゥモロー・ワールド」を連想する構成だった。
主演のキルステン・ダンストが、タフな報道カメラマンになりきる名演。
新人カメラマンのケイリー・スピニーが、小柄だし23歳というのがウソみたいな子供にしか見えないが、本作は彼女が経験を重ねて成長していく物語でもある。
映像も迫真だったが、主人公たちが交わす言葉も印象的で、思い返せばどれもこれも名ゼリフだった。
名作だが、ひとつだけ引っかかったのは、新人娘がなんとフィルムカメラ1台だけで撮ってること。しかもモノクロ。趣味でやってるわけじゃないんだから、これは説明してもらわないと理解できない。デジタルデータでは電磁波で消されるとか何か問題が予想されるということだとしたら、遥かに経験豊富な主人公がデジタルしか使っていないのは変だしね。
アメリカ内戦
予告では派手さが目立ったがストーリーはジャーナリスト一行が大統領取材の為に陥落間近のワシントンへ向かうロードムービー。平和な日常中に突然、残酷なシーンが現れる。確たる内戦の発端は描かれず、ロメロのゾンビ映画を思わせる異様な不気味さが漂う怖さ。ウクライナ、ガザ、ミャンマー、様々な紛争地域で起きている戦闘、虐殺、理不尽さをアメリカ内戦に置換え分断され内戦下のアメリカを描くのが主題。ジャーナリストとは何か?を描くのかと思いきや、あれだけ最前線にいたらそりゃ死ぬ!?悲観的にならない潔さ。
アメリカには武装組織や民兵がいて政府が人民の自由や権利を抑圧するなら武器を持ち戦うと普段から備えている人間がかなりいるので、内戦になれば狂信的な人間が率先して一般市民を交戦規定などガン無視し喜び虐殺に加担する。まあ、いざとなれば日本にもいるけど。
思い出した小説
予告からのイメージとはちゃうかった・・。
パンフレットはよくできてる
鑑賞後に友人と内戦のことを描きたいのか、ジェシーのカメラマンとしての成長を描きたいのかよくわからないって議論に。パンフレットを見ていると、表紙の値札が剥がれないし、よくみると縁が緑色だけどTIMEに似てる…となり、ページをめくっていくと最後の方に載っていた白黒の写真がジェシーの撮ったものだけで、リーの撮った写真が1枚も無いことに気づく。つまり、このパンフレットは大統領の死後、映画の中の世界で実際に出版された雑誌で、ジェシーの写真が評価されたということになってるのか?
これが「アメリカの最後」でもいいのか?!
米国で発生した架空の内戦をジャーナリストの視点から描いた問題作。
政治的な主張の違いから深刻な対立が激化する現代のアメリカ。そんな状況に着想を得て本作が作られたことは容易に想像できるが、一方で現実の政治的対立を反映しないよう、慎重な配慮がなされていることにも注目。
そのひとつが設定上のリアリティの欠如。
3期目の任期に突入した合衆国大統領は、FBIを解体した以外にどんな施策を行ったか、作品上まったく示されない。
従って、いかなる理由で19もの州が連邦離脱に至ったのかも、WF(西部勢力)との間で内戦にまで発展したのかも最後まで不明のまま。
そんな中、唯一具体的といっていいのが、WFを構成しているのがテキサスとカリフォルニアの二州だという点。
政治的に保守的な地盤のテキサス州と、リベラルな政治風土のカリフォルニア州が連合して政府に反旗を翻すことなど有り得ないのは、合衆国憲法で大統領の任期が二期までに制限されていることと同じく、アメリカ人にとって常識。
当然、これらの非現実的な設定が恣意的なものであることも明白。
さらなる対立を煽るような政治的題材を引用して、公開後に暴動を誘発することを危惧しているからで、それが杞憂ですまされない可能性があることは、2020年に起きた連邦議会占拠事件が証明している。
NYでの暴動を取材後、メディアに沈黙を続ける大統領から独占インタビューを取るべくワシントンDC入りを計画するベテランジャーナリスト3人。
その中のひとり女性カメラマンのリーに憧れ、フォト・ジャーナリストを志す若いジェシーがさらに加わった一行は自動車で首都を目指す。
作品は一貫してジャーナリストの主観で綴られ、民間人の犠牲を声高に非難したり、兵士との心の交流などの戦争映画にありがちな、お涙頂戴の場面や感動的な演出を排除することで、製作者が観る側にも画面から目を背けず中立な立場で鑑賞するよう求めていることが伝わってくる。
戦争がなぜいけないのか─。
殺人の肯定もだが、戦争が人間を簡単に狂わせるからだと自分は思う。
一行は首都までの道中、幾度も戦闘に遭遇し、戦争の狂気を目の当たりにする。
拷問した捕虜との記念撮影をリーらに求める若い兵士、相手が誰かも分からぬままライフルを乱射する狙撃兵、ホワイトハウスで交渉中の報道官を文字通りの問答無用で射殺するWFの突撃兵。
そして、極めつけは顔見知りのジャーナリストと合流後の一行を待ち受ける所属不明の武装グループ。
一行に「どんな種類のアメリカ人なんだ」と訊問し、異質と判断すれば即座に射殺する彼らの正体は明確には示されないが、おそらくは内戦に便乗して人間狩りを繰り返す差別的な自警団。
これらのエピソードは戦時下での実際の出来事をモチーフに「再現」され、非現実的な設定とは裏腹に、リアルな戦争の狂気と恐怖を観る者に突きつける。
ジェシーを演じたのは、『エイリアン・ロムルス』でヒロインの少女を熱演したケイリー・スピーニー。
撮影時の実年齢が25歳で設定上は23歳だが、メンバー中とりわけ若い彼女の見た目の印象はもっと若く10代にもみえる。
自警団に捕らわれて自らも殺されそうになった挙げ句、合流した報道仲間と一行の知恵袋的存在だったサミーの命を奪われ、激しく動揺したジェシーはその後の行動に変化が生じる。
それまでは若さゆえか、拙さや戸惑いが目立ったが、首都制圧を目指す現地のWFに合流後、飛び交う銃弾をものともせず、率先して被写体にカメラを向ける。
つらい経験を越えて報道カメラマンとしてひと皮剥けた姿にもみえる一方、自暴自棄にも映る彼女の行動をリーたちは心配する。
クライマックスの首都攻防戦のシーンは圧巻の一言。
火力にものを言わせ、殲滅作戦で政府軍を圧倒していくWFは脱出を図る大統領の車列にも、容赦なく砲弾を浴びせる。
そんな中、リーは長年の経験から大統領がホワイトハウスにとどまっていると判断、ジョエルやジェシーとともに邸内へ進入し、WFの突撃兵も追随する。
数度の銃撃戦ののち、突撃隊はついに大統領執務室に肉薄し、世紀の一瞬を逃すまいとジェシーは不用意にも一歩前へ。シークレットサービスの照準に捉えられた彼女の命を救ったのは、みずから盾となったリーだった。
自身の憧れで道中の庇護者だった彼女が代わりに銃弾を浴びて斃れるのを目の当たりにしながらも、ジェシーはスクープを優先して執務室へと向かう。
その姿をジャーナリストとしての成長と捉えるべきか、人間性の喪失と感じるべきなのか─。
作品中の大統領をトランプ前大統領に比定する人も多いと思うが、本作の大統領は出番も極めて少なく、ほぼ無個性で名前すら判らぬまま。
最後でジョエルに促されて命乞いするが、WFの兵士に躊躇なく「処刑」される。
このシーンを観て溜飲を下げる人もいれば、やり過ぎと感じる人も多い筈。
だが、内紛や内戦下で敗者が正式な手続きなしで処刑されるケースはルーマニアのチャウシェスクやリビアのカダフィらの例にあるとおり、珍しいことではない。
製作側は鑑賞者の中にこれらの例を想起する人がいることを期待し、同時に「アメリカの最後も同じでいいのか」と問い掛けているのかもしれない。
映画はジェシーが撮影したと思しき、処刑された大統領を取り囲む誇らしげな突撃兵の写真にエンドロールが重なる映像で終了する。
このラストに強い違和感や嫌悪を感じた人は、やはり「戦争はいけない」と分かっているからだと思う。
作品の最後で一人前の戦場カメラマンとして、スクープをものにしたジェシー。
彼女の将来を待ち受けるのは、ピュリッツァー賞などの名誉や富か。
それとも目標だったリーや、26歳で戦地に散ったゲルダ・タローと同じ末路なのか。
そんなことは、世界中で戦争が続く限り誰にも分からない。
全785件中、421~440件目を表示