「針のように突き刺さる、子供を産む事、子供を育む社会への問い」ガール・ウィズ・ニードル 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
針のように突き刺さる、子供を産む事、子供を育む社会への問い
【イントロダクション】
第一次世界大戦後のデンマークにおいて実際に起きた事件を基にしたミステリー。主演に、若手女優のヴィクトーリア・カーメン・ソネ。監督・脚本はマグヌス・フォン・ホーン。
【ストーリー】
第一次世界大戦中のデンマーク、コペンハーゲン。カロリーネ(ヴィクトーリア・カーメン・ソネ)は家賃を滞納しており、退居を命じられてしまう。夫のペーター(ベーシア・セシーリ)は派兵されてから連絡がつかず、生死不明により戦没者名簿にも記載されていない事から、カロリーネは寡婦補償を受ける事も出来ないでいた。カロリーネが勤務する裁縫工場の社長ヤアアン(ヨアキム・フェルストロプ)は、不憫な境遇の彼女の事を気に入り、2人は肉体関係を持つようになる。
しかし、終戦後のある日、行方不明だったペーターがカロリーネの前に現れる。彼は戦場で負傷し、歪になった顔の右半分を隠すため鉄製の仮面を被っていた。連絡も寄越さず、醜く変わり果ててしまった夫を前に、カロリーネはヤアアンの子を妊娠していると打ち明け、彼との未来を選択してペーターを追い出す。
後日、出勤したカロリーネはヤアアンのオフィスに押し掛け、強引に結婚を迫る。無事結婚を取り付けたかに見えたカロリーネだったが、ヤアアンの母親が結婚に反対し、ヤアアンは婚約関係を破棄する。
失意のカロリーネは、公衆浴場に持ち込んだ裁縫針で堕胎を試みるが、偶然居合わせたダウマ(トリーネ・デュアホルム)という中年女性と7歳の娘イレーナによって助けられる。ダウマは飴菓子店を営む傍ら、カロリーネのように望まぬ出産をしてしまった女性達から赤子を引き取り、養父母を斡旋しているという。
帰り道、カロリーネはサーカスの見せ物小屋を訪れる。そこでは、ペーターが戦争負傷者として醜く変わり果ててしまった素顔を晒していた。互いの絶望と苦しみに共鳴し合った2人は、再び一緒に暮らし始める。
カロリーネのお腹は次第に大きくなっていき、出産の日が近付いていた。ペーターは産まれてくる子を自分達の子として育てる事を望むが、カロリーネはヤアアンとの子を産む事に拒否反応を示し、堕胎してペーターとの子供を望む。しかし、ペーターは生殖機能不全に陥っており、自分達の子供は望めないと告げる。
出産後、カロリーネは産まれた女の子をどうすべきか苦悩し、ペーターの隙を見て赤子と共に家を飛び出し、ダウマの元を尋ねた。仲介料を払えず、住む家も失ったカロリーネは、ベビーシッターとして赤子に母乳を与え、店を手伝う事を条件にダウマの家で共同生活をする事になる。
新生活が始まり、カロリーネは時折母乳を与えているイレーナと親しく、孤独感と罪悪感を抱えるダウマと薬物(エーテル)を乱用するようになっていく。
ある日、ダウマは男の子の赤子を引き取り、カロリーネに世話をさせる。世話をする中で次第に赤子に対して愛着が湧いていくカロリーネだったが、ダウマは彼女から赤子を取り上げ、何処かへ連れて行ってしまう。ダウマを尾行したカロリーネが目にしたのは、路地裏で赤子を絞殺し、下水道に棄てる姿だった…。
【感想】
モノクロで描かれる「幸福の国」デンマークの歴史の闇。事態が悪化していく瞬間に陰鬱で不穏なメロディーを大音量で流す演出含め、とにかくラストに辿り着くまでは陰鬱な雰囲気と絶望的な出来事の連続で、全く救いが無い。
事実を基に、暗黒の時代を淡々と描いており、全体的に大人しめの作品なのだが、妙な魅力があり嫌いにはなれない。
ヴィクトーリア・カーメン・ソネの役作りが凄まじく、ダウマとの生活の中で次第にやつれ、老け込んでいく姿は圧巻。ダウマが逮捕され、彼女の裁判の傍聴席に佇む姿、孤児院に引き取られたイレーナを養子に迎えるラストの笑顔には、暗い時代、凄惨な事件の果てに僅かな光が差し込んだような気がした。
ダウマ役のトリーネ・デュアホルムも良い。一見すると人当たりの良い中年女性だが、その内に抱える狂気は邪悪そのもの。度々口にする「(あなたは)正しいことをした」という台詞は、実際には自身の行いを正当化する為に言い聞かせていたかのように感じられた。
警察が押し入る直前、ダウマが暖炉の中に残っていた遺灰と遺骨を一瞬見つめ、カーペットの下に隠して処理する姿も印象的だった。
しかし、彼女が法廷で傍聴者達に投げ掛けた「じゃあどうすれば良かった?他に何か出来たか?お前達は私に感謝すべきだ。私が代わりにやってやったんだ。表彰されたっていいくらいだ」という主張は、望まれない不幸な赤子達を溢れさせた世間に対する痛烈な批判だ。終戦後、夫の戦死によるシングルマザーが増えた。しかし、婚外子に世間や政府は無関心であり、貧困や世間体から、女性達は赤子の扱いに困っていた。ダウマのした事は許されない事だが、一体あの時代、あの場所でダウマを攻めるに値する人がどのくらい居たのだろうか?彼女の主張に一度静まり返る法廷の様子が忘れられない。
では、ここ現代日本ではどうだろう?現代においても、様々な理不尽な要因による望まない妊娠はあるだろう。だが、少なくともこの日本においては、多くの妊娠と出産は親である男女の自由意志と自己責任であるはずだ。しかし、それでも望まれない不幸な子供は産まれてくる。父母が赤子を殺めてしまうニュースはいつの時代も耳に入ってくる。ダウマは他人の子を幾人も手に掛けていたが、実の親が子供を手に掛ける事もまた許されざる悪である。
恐らく、現代で本作が製作され、それを目にした我々観客に考えてほしい事の一つのは、「親になるのに“資格”は要らないが、“責任”は要る」という事だろう。
そして、子供を産んで育てていくには、社会保障や周囲の理解と協力、そうした環境の充実が必要不可欠だ。世間や政府が無関心を貫けば、現代においても再び凄惨な事件がいつ起きても不思議ではないのだから。
ラスト、カロリーネは孤児院に送られたイレーナを引き取り、養子として迎え入れる。ダウマの下で奇妙な友情を育んだ2人が再会の瞬間に零した笑みと、あの抱擁に見た僅かな光が、希望の光であってくれる事を願うばかりだ。
【総評】
デンマークの暗黒時代にメスを入れ、救いと答えのない、しかし忘れてはならない問題を問い掛けてくる。日本では出生率が減少し続ける一方だが、そんな現代日本においてすら、本作で提示される問題は針のように観客の心に突き刺さる。
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