骨なし灯籠のレビュー・感想・評価
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脚本の厚みと映像の美しさ
東京の恵比寿ではじめて拝見して感動いたしました。
自分が祖母をなくした悲しみを乗り越えていないことに気付かされました。
行ったことも見たこともない山鹿という土地が自分の故郷のように感じる美しい映像も終始見とれてしまいました。
長らく帰っていない自分の地元に帰りたくなる作品です。
大切な人を失った悲しみを抱えた方はぜひ一度見てみて下さい。
縁とゆかりに
序盤から「なんかここ行ってみたい、なんなら住みたい」と思った。
祭りは映るが名所などは出ないのにそう思わせた時点で、ご当地映画としては満点だろう。
何気ない景色を“聖地”に出来る魅力を感じる。
ストーリーとしての厚みは、正直ない。
半ドキュメンタリー的な日常描写が中心で、大きな起伏もなく進むので退屈さも否定しない。
しかし、このあたたかな人と街並みに惹きつけられた。
そしてそれが、これ見よがしなエピソード抜きで人物に奥行きを与えていたように思う。
大袈裟でないコミカルさもいいアクセントになっていて、親切よりおせっかい寄りの人々を馴染ませる。
この下地といくつかの要素が終盤に活きていた。
ツッコみどころはいくつもある。
一番大きなものとしては、“彼ら”が現世に与える影響の境目があまりにアヤフヤなこと。
また、直樹はじめ住人が良い人すぎたり色々都合がいい。
れいがどういう人間で、“あかり”の服や鞄が彼女のものであった理由もよく分からない。
母校でもないのに学校連れてったりも不自然。
でも、『骨なし灯籠』や『灯籠まつり』が物語に有機的に絡んでおり、あの土地である必然もちゃんとあった。
細かいところさえ許せれば、再生+ご当地ものとして秀作かと。(エンドロールの中学生はやりすぎだけど)
お盆時期の定番になってもいいくらい。
最後、(多分)旦那のお供え物からもらった米粒でつくった糊を作品づくりに使う友恵さんが好き。
期待通りパンフレットにロケ地マップが付いてたので、是非山鹿を訪れたい。
たくさんの人に観てもらいたい作品!
亡き妻を深く想う主人公の気持ち。大切な人を亡くした時の心、気持ちが共感でき、涙なしには見れなかったです。
映像が綺麗で、細部にこだわりを感じました。是非、たくさんの方々に鑑賞して欲しい作品だと思います。
浴衣はどこに…
交通事故で妻を亡くし、喪失感から立ち上がれない男が、熊本県山鹿市で再生する話。
山鹿に骨壺を持ちリュックを背負った男がやって来て巻き起こっていく。
「山鹿灯籠」を見学し、姿を消したけれど荷物がトイレに…って忘れ物じゃなきゃ投棄ですね。
ていうか、1年間立ち直れず骨壺持って彷徨ってんの?
灯籠屋に世話になり、住処ををみつけた…と思ったらもう1年、いよいよ義妹がーとなって行くけれど、それ以前の甘酒だったり、独り立ちした弟子の店だったりの行で、そういうことというのは見え見えな訳で…。
そして祭りの後の行はどういうこと???
だとしたらおかしくないか?と思うところが多いし、なんだか設定が一貫していない感じがするし、ストーリーに対して色々都合が良過ぎるし雑だし。
町おこし映画というのもわかるけれど、町をみせたい部分がストーリーに混じり混んでおらず浮いていたり、こんなもんで良いだろ?的なテキトーさを感じる部分が多くて、エンタメ映画としては残念だった。
亡き妻の骨を抱いて彷徨う骨なし灯籠
とにかく画面が美しい
心洗われました
骨なし灯籠
熊本発の映画「骨なし灯籠」を鑑賞しました。以前に訪れたことがある山鹿の町並み、風景がいいなあと思いました。元美術教師が、妻を突然の交通事故で亡くし、骨壺を抱えながら妻の故郷の町、山鹿を訪ねます。妻を忘れられず人生を再出発できずにいる彼にやさしく接する町の人々や、小学生たちの元気に挨拶する姿が印象的でした。亡き妻が、夫を心配し幽霊として登場するという設定に驚きました。私は3回目の鑑賞でしたが、見るたびに新たな発見があり、毎回目頭が熱くなりました。「あなたの時間を思いっきり生きて。」と亡き妻が伝える姿に、思わず涙が出ました。音楽がまた良い。鑑賞後もいろいろと考えさせられるいい映画でした。
よくできた熊本県山鹿市のPR映画である。
素直な心が大切である。これをこじらすと、いい映画も台無しになったしまうである。
善意と悲しみとひたむきさが背骨の映画だと思う。それをそのまま素直な気持ちで鑑賞するればいいのだが、善意と悪意、悲しみと、自己憐憫、ひたむきさとかたくなさは表裏一体であるなどと考えだすと、この映画を楽しむこができなくなるのである。
45歳で、老人の危険運転のために命を奪われた最愛の妻。この妻には、夫のほかに人間関係はなかったのか?友人、兄弟、両親などである。白い布に包まれた妻の遺骨を首にかけて、薄汚い格好で、山鹿市を彷徨う夫の姿は、悲劇の主人公というより、もはや不審者である。多額の保険もおりただろうにもうすこし、こざっぱりとできないものか?
主人公が、車に飛び込んで自殺をしようとするが、小学生に挨拶されたことで、それを踏みとどまる。美談である。でも本当にそうであろうか?最近では、不審者から自分を守る手段に挨拶があるそうである。相手の目を見て、元気に挨拶をすることで、自分の身が護れるのである。小学校でも最近はそう指導しているそうである。
山鹿の灯籠職人とその見習いが、彼を助ける。風呂に入れ、食事をあたえ、住む家まで紹介してくれる。遺骨が灯籠職人の琴線にふれたのかもしれないが、常人にはなかなか理解できないことである。しかしこの職人のうでは確かで、山鹿灯籠というものは本当に見事である。映画館に本物の山鹿灯籠がかざられていて間近でまじまじと見たが、映画を観るまで、それが和紙だけでできているとは思いもよらなかった。
山鹿灯籠のお導きか、祭りの期間だけ、主人公の前に亡き妻があらわれ、妻の導きで、夫のひたむきな愛は、かたくなさを越えて執着であることが徐々に、解消されて、大団円となるのである。
熊本県山鹿市は知らなかったし、山鹿灯籠の存在もこの映画を観るまではしらなかった。そういう意味では、本当にすぐれたPR映画で、見事にその術中にはまってしまったのである。
人の繋がりの温かさを感じる映画
泣きました。
あたたかな映画です。
しっかりした脚本。頼りない演出。
単なる山鹿のPR映画かと思っていましたが全く違いました。とてもよい作品になっています。
何より、この映画を見たら、山鹿を訪ねたくなります。観客を楽しませ、かつ、山鹿の魅力を伝えます。
最初、ストーリー、役者の方言など、何か違和感があったのですが、直に気にならなくなりました。
方言の違和感の原因だった俳優さんが、なんとこの山鹿の出身のプロの俳優さんと聞いて笑ってしまいました。てっきり、この方言を初めて聞いた方か、逆に、地元の方で初めてお芝居をしたので、緊張して違和感のあるしゃべり方になってしまったのか、と思っていました。方言の違和感はありありでしたが、私はその俳優さんをとても好きになりました。
田舎では、歩いていると、実際に小学生が挨拶をしてくれます。車に乗っている時に横断歩道で停まると、渡り終えた子どもたちが振り返って頭を下げてくれることもあります。先生たちのご指導のおかげでしょうか。それが普通、当たり前になっているのです。
そこまでしなくても、とか、形式的なもの、と思う人もいるかもしれません。しかし実際にその場面を体験すると、その日一日が明るい気分になるほどです。
この映画における小学生の姿は、ある意味、この作品の主役と言ってよいかもしれない。
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