漫画の実写版でしたか~
小説だったらもっと感動したかもしれないと思っていたら、コミックだったとは。
写真というモチーフ
そこに込められた被写体の心境の一瞬は、もしかしたら写真を撮った人物の心情と重なることで輝くのかもしれない。
被写体が人物であれば、その瞬間瞬間で変化する心情の一瞬を抜き取るのは、やはり被写体に向けられた想いがあってこそなのだろう。
ボクシングのKOの瞬間となるパンチを撮るには、偶然ではなくカメラマンにそれを読み取る力がなければならない。
日常の一種さえも、これと同じことがいえるのだろう。
個人的にはまったく感覚のない世界
昔、スクーバダイビングで水中写真にハマったことがあった。
無数に撮った1枚か2枚だけがまあまあ良くとれていればいい方で、そのほとんどがボツだった。
最も大きな損失が、海の中のことをまったく覚えてないということだった。
これが私と写真とを遠ざけた。
確かに写真を見るとその瞬間の美しさや心情が見える。
それが見えなければ「ダメ」なのだろう。
この作品は、そんな写真というものにハマった人物と人間関係や確執を描いている。
写真を見て感動したこととその道に進んだこと。
賞もたくさん取ってきたが、太一の撮る写真には「音が鳴らない」と項垂れる。
つまり、当時感動した写真と比較して、それを超えることができないということだろうか。
大賞を取ったコンクールの佳作の中に見た「音」
それを撮った老人との交流
わかるようでわかりにくい物語
物語は至極ハッピーエンドで幕を閉じる。
大どんでん返しというサプライズの設定も良かった。
その全てが結婚へとつながっていくので、どこかの式場が手掛けた作品なのかなとも思ってしまった。
簡単なようで難しい写真を撮るということや、特にフィルムカメラであれば撮った写真にその瞬間の雰囲気や心がよく写り込むと聞く。
まさにこの物語のテーマでもある。
しかし、決して悪くないあのハッピーエンドに感じた違和感
すべての人物がすべて喜んでいるという構図
この一枚岩にどうしても違和感が残ってしまった。
人の心とは、あんな風にすべてが割り切れてしまうものではないように思う。
例えば、ケーキ屋の娘ケイコ
彼女の言動から、彼女は太一に思いを寄せているのかなと感じた。
でも彼女は告白できない位置にいる。
この彼女の憧れに似た感情と切なさが、最後のシーンに描かれていても良かったように感じた。
人間の感情は、どんなに悲しい時や嬉しい時でも一定ではない。
必ず波のようにアップダウンする。
その瞬間
瞬間を写真に収めるのであれば、あの喜びの中に影のようにあったはずのケイコの切なさを描いてほしかった。
親子の確執は水に流せるが、長年貯めてきた思いはそんなに簡単に払拭できないはずだ。
しかしいつか消えてなくなる。
そんな感じのことがもっと余韻として残していれば、この作品はもっと心に届いたように思った。
良い作品の中に、澱のような沈殿物という余白が欲しかった。