憐れみの3章のレビュー・感想・評価
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面白かった、けどこの邦題はどうなんだろう?
上司と部下、夫と妻、教祖と信者のクローズドの関係性で理不尽な要求と依存継続との「アヴォイダンスvsアプローチ」、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の葛藤に「そんな阿呆な(笑)」と一蹴してコメディとして楽しめました。
「理不尽と道理」、「拒否と承諾」の組合せ4象限の中心を自分の身の廻りで考えると「ポイントカード」が思い浮かびました。<カードを作らないと割引されない理不尽さ>と<利益還元・顧客囲い込みの道理>、<カードを多く持ち歩きたくない気持ち>と<割引される絶対的な魅力>。諦めることで"失う利益"と"得られる自由"、この映画はその葛藤を"命"まで高めて感情に訴えたのだと思いますが評価が芳しくないところを見るとシナリオが突拍子なさすぎたのかも知れません。
それはそうとランティモス監督の前作「かわいそう(Poor)」今作「優しさ(Kindness)」と来て、もしも次作を「感情の3部作」と銘打って「怒り(Angry)」とか「喜び(Delight)」とか原題に付けられるような事があったら「哀れ・憐れ」で来た邦題はどうするんだろう、と心配になります。
Three dreams are made of this
10/3@ユナイテッドシネマ新座、11/6@渋谷シネクイントにて計2回鑑賞。
ヨルゴスランティモス監督の映画は今回が初鑑賞。
鑑賞後は不気味なものを長時間集中して見続けたせいか、気分が悪くなってしまった。
しかし、つまらなかったという感覚ではなく、ところどころのシーンが断片的に思い出されて、あれって結局なんだったの?が頭の中をめぐっている状態が続いた。
この映画はYoutubeチャンネル「映画の伏線回収」で細かい解説動画があり、それを視聴してなんとかもやもやを解消できた気がする。
本作は、題名通り3つの物語で構成される。すべて全く関連のない物語であるが、俳優が別のキャラとして物語を飛び越えて登場し、RMFという人物のみすべての物語に同じ名前で登場するという特徴がある。
まず、本作は監督が戯曲アルベールカミュ「Caligula(カリギュラ)」に着想を得たものと言っている。(カリギュラとは、ローマ帝国第3代皇帝であり、有名な暴君ネロの叔父にあたる。性的倒錯(兄妹との近親相姦)や支配的な政策をしたことで有名。)カリギュラのような支配的なことが行われる状況でなぜひとはそこから逃げ出さないのか、という点に疑問を持ったことから本作は展開されていく。
オープニング曲のEurythmics「Sweet Dreams are Made of This」。この曲の歌詞がまさに本作を理解するうえで最も重要な内容となっている。以下一部抜粋。
Some of them want to use you (あなたを利用したい人がいる)
Some of them want to get used by you (あなたに利用されたい人がいる)
Some of them want to abuse you (あなたを苦しめたい人がいる)
Some of them want to be abused (あなたに苦しめられたい人がいる)
これが本作で出てくる人物たちの構図になっている。
1. THE DEATH OF RMF(RMFの死)
すべての予定を管理される男の物語。主人公(ロバート)は上司(レイモンド)にすべての予定を管理されている。予定といっても、ふつうはその日のおおまかな仕事内容や時間だと思うが、ここで出てくるものはそれとは別次元であり、分刻みのスケジュールから、妻との性生活、読む本、さらには住む家、生活のすべてを管理されている。レイモンドが交通事故を起こすように指示を出したところで、ロバートはそれだけはできないと言い、クビにされてしまう。ここからストーリーは動いていく。ロバートは転職活動や妻に今までの経緯を説明するが、何をしてもうまくいかない。10年もの間すべてレイモンドからの指示で動いていたため、自分で判断してうまく動くことができない。観客からすると、イカれた上司から離れることができてよかったな、ここから頑張って自力で頑張ってほしいなと思うが、ストーリーは真逆に進む。ロバートはレイモンドの元に戻るため、指示された交通事故の相手(RMF)を車で轢き殺してしまう。その後、レイモンドに抱擁され、この物語は幕を閉じる。
この物語はわかりやすく支配するものとされる者が登場する。そこでこの支配的な状況から逃げ出さず、また逃れるチャンスがあったにも関わらず、その状況に自ら戻ってしまう。まさに、カリギュラの独裁的状況から逃げ出さない市民の構図と全く同じである。たしかに、この物語は極端すぎる例を示しているが、例えば、一般企業に勤めるサラリーマンも同じような構図ではないだろうか。支配することができる雇用者と指示を受けていれば生活が保障される労働者。労働者は大きな変化をおそれ、自身で判断することをやめる。この物語は非常に極端ではあるが、ごく身近な労働者の延長線上にあるものを表しているように感じた。
2.RMF IS FLYING(RMFは飛んでいる)
妻が入れ替わってしまう物語。主人公(ダニエル)の妻(リズ)は海洋調査の途中で事故にあってしまうが、なんとか一命を取り留める。リズはRMFが操縦するヘリで無事家に戻るが、ダニエルはこのリズは本物のリズではない、と思い拒絶してしまう。それを表現するシーンが何度も登場する。例えば、飼い猫がはじめて会ったかのように威嚇をする、嫌いだったはずのチョコレートケーキをバクバク食べてしまう、靴のサイズが合わない、好きな音楽のセンスが変わっているなど。どれも別人と判断できる微妙なラインであり、観客からすると、別人疑惑のリズとそれを拒絶するダニエルのどっちが正しいの?という疑問を抱いたまま話は進んでいく。物語序盤では、別人のリズがなにかを企んでいるんだなという雰囲気であるが、後半になるにつれて、ダニエルのリズに対する異常な行動や言動が目立つようになってくる。最終的にダニエルがリズに、君の肝臓が食べたいと言い出し、リズがそれに従ったことでリズは死亡してしまう。リズの死亡直後、もう一人の容姿のまったく同じリズが登場し、ダニエルと抱擁し、この物語は幕を閉じる。
この物語は、支配者がダニエル、被支配者がリズだろう。1では雇用者と労働者、この物語では、夫と妻でその構図は出来上がっている。ただ、1と異なる点として、この物語の支配には愛がなく、本物のリズに対する愛の裏返しとして帰還したリズがその嫌がらせのような支配を受けている。別人と思わせるシーンについては、例えばリズが妊娠をしていて、食事の好みが変わったり、足が浮腫んでしまって靴が入らなかった、など可能性としては考えられる。些細な変化を恐れる人間は、愛のない支配によって妄信する妻を殺してしまったのである。
3.RMF EATS A SANDWITCH(RMFはサンドイッチを食べる)
蘇生能力を持つ人間を探す物語。ある宗教団体からの依頼により、主人公(エミリー)は同僚(アンドリュー)と協力し、いくつかの手がかりをもとに蘇生能力を持つ人間を探す。2人が所属するその宗教団体では、教祖(オミとアカ)としか性行為を許されていない。ところが、エミリーは元夫に睡眠薬を盛られ、性行為をしてしまい、宗教団体から強制的に脱退させられてしまう。そこからエミリーはその宗教団体に戻るため、単独でその人物を探し出す。最終的にその人物がRMFを復活させたことにより、特定に成功するが、エミリーが運転する車の交通事故によってその人物は亡くなってしまうという物語。エンドクレジットでRMFがひとりでテラスのような場所でサンドイッチを食べるところが描写される。
この物語では、支配者は宗教団体、被支配者は信者だろう。1から3ですべて異なる関係でこの主従関係になっていることがわかる。ここでの支配は、1に近い形であり、支配から抜け出せたものが、もう一度その支配下の置かれたいために努力する形になっている。この宗教団体では「水」に関するものが随所に登場する。例えば、飲料水を非常に重要視する、性行為をしてしまったものの汗で穢れを判断する、涙を池のようなところで貯めている、船の名前はH2Oであることなど。蘇生能力を持つ人物はプールで双子の妹を亡くしたことで人間を復活させられるようになったのも、水に関係があるように思える。作品中でこれに関する詳しい説明は出てこないが、生命の起源=水という解釈が自然な気がする。また、1ではRMF、ここでは蘇生能力をもつ人物が犠牲になっている。この物語のみ、犠牲者が出たことによるバットエンドを迎えている。1の題名RMFの死に対応する形で、この物語でRMFは復活するが、サンドイッチを食べるということが復活を表しているのだろう。
3章を通して…
すべての章で支配するものとされるものが明確に描かれている。また、共通して支配されるものはその状況に固執し続ける。まさに監督が着想を得たカリギュラの世界、オープニング曲の内容そのままといった印象を受けた。正直内容自体はすべて異常性があり、倫理観は存在していない。しかし、165分という長い上映時間が苦にならず見れたことは、ストーリーに無駄がなく、示したいことを描くには必要最小限のシーンとセリフにまとめているからだろう。
今でも本作のオープニング曲が頭から離れない。ヨルゴスランティモス監督の作品は初鑑賞であったが、安易には観られないなと痛感した。
本作品には考察できる部分がまだまだある。時間があるひとには、ぜひオススメである。
ああ、エマ、今度はXXか。とても見ておれん。あと、ヨソ見はダメである。
僕はイタイのとか、血がピューピュー、ドバドバ出る映画は苦手だ。あとゲロ場面も。
最近はタランティーノとか見るようになって、血がドバドバする映画も少しは慣れたが、ヤッパシ目をそむけることがほとんどだ。
で、今回のエマ。自分の親指切ってる場面、ヒェ~と思った。(>_<")。 もちろん目をそむけたヨ。
料理にまで至らなかった生レバーが床に転がってる場面は、実際の痛い場面がなくてコレは一安心。やれやれホッとしたヨ。椅子に座って死んでるエマも苦しそうじゃなくて良かった。
エマ、からだ張るのはエエが、もう痛いのはやめておくれヨ。わしゃあ、とても見ておれんよ。
せっかくなので、帰りに鳥レバーの焼き鳥買って帰ったヨ (^^)
3編で1番気にいったのが最後のカルト教団のやつ。ケガレてしまったエマは教団を追われてしまったが、自業自得。
教団へ復帰するためには、何か手みやげを携えて許しを請うしかあるまい。ということで、本物の能力者を誘拐して教団へと車を飛ばすエマ。
普段、猛スピードで暴走運転のエマ。スピード違反、暴走運転も良くないが、ヨソ見運転も非常に危険だ。どれも、人や車や障害物がなければ事故にならずに済むが、大事故につながる。
事故で能力者は死亡。死んだ能力者は、死んだ自分自身を生き返らせられない。死んだのがエマだったらエマは復活出来ただろう。長年探していた能力者を失い、同時に教団への復帰の道も閉ざされたエマはうろたえるのだった。ああ、憐れなエマ。
ちなみに今回の原題も、アワレのアの字もない (^^)
2024/10/10(木)鑑賞
ランティモス愛のアンソロジー マット・デイモンじゃないよ。
ランティモスのデビュー作「籠の中の乙女」では父親を絶対的支配者として描いていた。「聖なる鹿殺し」も父親の犯した過ちが家族を不幸に陥れるという話だった。前作の「哀れなるものたち」も男性社会による支配への女性の反発とも見てとれる。
確か何かの解説で監督は自分の父親に対してわだかまりのある人物だと聞いた気がする。
彼の作品の共通点として父親あるいはそれに象徴される支配への反発というものがテーマにあるんだろう。
父親とは子供にとっては絶対的な存在。生まれて最初に頼るべき存在であり、愛されたい存在、尊敬すべき存在、そして反抗すべき存在、社会に出る前に最初に戦うべき存在。そんな父親を象徴とする支配者への思いが彼の作品には込められている気がする。そういう観点から本作を見るとなるほど三つの物語の共通点も見えてくる。
どんなに理不尽な要求をされても雇い主に逆らえない男、モラルハラスメントの夫に逆らえない妻、カルト教団に心酔してる女と、現代社会で見られる様々な支配の関係が見て取れる。
それは傍から見れば滑稽であったり、残酷であったり、悲劇的であったり、でも本人たちにしてみればどれも切実。自分の置かれた立場でそれぞれの登場人物は選択の余地のない選択を強いられる。こうするしか道はないのだと。そんな人々を見下すのではなく、温かく憐れみのまなざしで見つめるように描かれた作品。
この世に生きる人々は程度の差こそあれ、みんな何かに縛られ、何かに支配されて生きている。それぞれの人生において皆がその置かれた状況で悶えながらも生きていくしかない。そんな誰の人生にも通じる普遍的なテーマを扱った作品だった。
長丁場だけど、三つの物語はどれも興味深くて映像も刺激的で(というか刺激的過ぎて、いや、痛すぎだろ)一切だれることなく楽しんで見れた。
それにしてもエマ・ストーンはもはや怖いもの知らずだな。次はどんな過激な映像を見せてくれるのやら。
ちなみに車にひかれて死んだR.M.F.、せっかく生き返ったのにシャツにケチャップとはついてないね。
ヨルゴス・ランティモスによる、今回も観る人を選ぶ、奇妙で不思議な不条理オムニバス。
「聖なる鹿殺し」「ロブスター」「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督・脚本・製作。
本作も、ちょっとエログロな不条理ミステリーの短編集。
どの話も、残酷で、不思議で、なぜかユーモラス。
確かにこれらの話で1本作られても観るのがつらい。
やっぱ、エマ・ストーンが主役だと光る。
ウィレム・デフォーも変わらず好演。
キャスト陣の競演を観ているだけで楽しい。
3本とも同じキャストで違う役なので、混同しそうになるけれど面白い。
R.M.F.を除く。
R.M.F.って何者?
chapter1:「R.M.F.の死」
選択肢を奪われた男が、自分の人生を取り戻そうと奮闘する。
食事から結婚まで人生のすべてが、ウィレム・デフォー上司の言いなりのジェシー・プレモンス。
見放されてしまったら、些細なことも自分で決められない”恐ろしさ”。
エマ・ストーン宅に壊れたラケットがあったとき、ゾッとした。
結局言う通りにして元に戻ったのを観て、ほっとした自分がいました。
よかったね、ってハッピーエンド。
独裁者の言う通りに生きることの何と幸せなことか。
余計なことを一切考えないで従っている限りは。
それに引き換え「自由」の何と残酷なことか。
全て自分で考えないといけないなんて、なんてね。
chapter2:「R.M.F.は飛ぶ」
海難事故で失踪した妻が、別人となって帰還。夫は恐怖に駆られる。
この話だけサブタイトルが不明。
ここでも翻弄されるジェシー・プレモンス。
帰ってきてからおかしくなったのは妻エマ・ストーンの方か、自分の方か?
自分の命に関わることでも、どんなことも言うことを聞いてくれる妻。
彼女が死んだことで、本当の妻が帰って来た、夫にとってはハッピーエンド。
正気でなくなったとしても本人にとっては幸福。
彼の「心が和む」ビデオも見もの。
なぜか「犬の世界」も見もの。
chapter3:「R.M.F.サンドイッチを食べる」
卓越した宗教指導者になるべく運命づけられた人物を探し求める女。
双子の姉妹マーガレット・クアリーの姉を「奇跡の教祖」にするために、空のプールに飛び込む妹。
超痛そう。
豪快な運転が超カッケー、エマ・ストーン!
まさかそれが伏線とは。
なぜか、この話だけバッドエンド。
ティンプトン('◉⌓◉’)みんな覚えてるw?
遅ればせながら鑑賞です。
個人的にあのフライヤーがホント生理的に無理過ぎて〜!!!
観るのは決めていたけれど、フライヤーを持ち帰るのも躊躇ったほど。。
サイズの合わない大きい顔面マスク?が
くっ付いたようなアレがもう本当〜にゾワッてなる!!(゚∀゚)
こわいよぉ〜w
(ゴッドウィンにやられたんか?!
ヤギの脳か?!)
特にワインレッドのタートルにピンクのシャカシャカを着たジェシー・プレモンスが無理過ぎて〜!!
(1章のロバートでした)
最高の笑顔でおててのシワとシワを合わせてナ〜ム〜♪のポーズしてるのが本当に怖い!
いや、みんな怖いガクブル!
と、自分でも不思議な程にあのフライヤーが気持ち悪くて怖いのです。
エロもグロもイケるのに、何なんでしょうかね??(知らんがな)
まぁ、ランティモス監督ですから、ある程度は察せますし、前作の哀れ〜でもその作家性
(変態性)が爆発しておりましたから。。
加えて本作はエフティミス・フィリップとのタッグだから
(待ってました〜?!w)
更に変態度がパワーアップしていたもようです。。
ギリシャ人すごいな。。(偏見)
私の日本人の友達とその彼氏がギリシャにホームステイに行ったのですが、
1年後、友達がギリシャ人の彼氏を連れて帰国し結婚までしていた事に驚いたのを思い出しました。
日本人彼氏とは現地で1週間で別れたんだとか(°▽°)
2年も付き合ってたのにww
ギリシャ人、真っ白い彫刻の像みたいでカッコ良かった。
はい関係ない。脱線してすみませんm(__)m
で、、
哀れ〜はとても好みな作品でした。
ストーリーもわかりやすかったし、映像も音楽もファッションも素敵だったし、勿論俳優陣の演技もさすがだと思ったし。
だから期待しちゃったよね。
私でもわかるかなって。。
で。。。本作。。。
はいわかんね何コレ?(°▽°)
ランティモスは我々とは別次元にいるのでしょうか??
この作品をどう表現すれば良いのでしょうか?
凡人にはわかりかねます。。
もうちょっと降りて来て。。
哀れ〜のレビューで"大人の寓話みたい"と書いたのですが、本作は結構リアルな現代が舞台。
だからこそ漂う違和感や気持ち悪さも倍増して感じられ、だけどこの非現実的で、極端な彼らの関係性に困惑する。
あのピアノの音色も、登場人物の不安定さを強調していてこちらも落ち着かない。
支配する者、される者。
愛と服従。
を、思いっきり振り切って、デフォルメして描写しているのかな??
登場人物皆の言動・行動が理解不能であり、異常で滑稽なのだが、、
当事者からしたら大真面目!
私達の"普通"も、第三者から見たら
"アンタの普通も十分おかしいよ!"って皮肉も込められているのか、いないのか。。??
自分で考えて決めて発言、行動する。
そんな当たり前に思える事も怖い?
(面倒くさい?)
自分の人生に責任を持つ覚悟はない?
全て指示された方が楽?
色々と厳しいメッセージも込められているのか、いないのか。。??
正しいのか正しくないのかは関係ない。
ルールを守れなかった者は排除。
コミュニティからはみ出した者は排除。
多少息苦しくても輪の中は安全地帯。
現代の人々が置かれている社会生活にも通じる、見えないルールに縛られている息苦しさと、反する安心感。。
痛烈に批判しているようにも思える。
。。。と、真面目に考えて書いてはみたものの、、、
ランティモスの描く"優しさの種類"が難解過ぎるし、やっぱりエロでグロで悪趣味でキテレツ君。
奇人変人味で頑丈にコーティングされた作品で、本当の所はやっぱり良くわかりません(°▽°)
ワッカラナイ〜〜♪
各章にも繋がりが有るような、無いような、有るような。。??
わかりやすく、繋がっている。とは教えてくれてはいないのだけど、やっぱりリンクしている(よね?!)
その仕掛けが面白いとは思った。
1章・R.M.Fの死
2章・R.M.Fは飛ぶ
3章・R.M.Fはサンドウィッチを食べる
ラストの"Thank you"が可愛かった♪
◎エマちゃん
彼女だから観られた作品カモと思うけど、何だか本作の彼女は可愛く見えなかったなぁ〜
あのダンス。子が風呂上がり真っ裸で披露してくれるソレとそっくりで笑った。
オミとアカの涙入り謎水しか飲まない。
謎水万能(緑命水?!)
娘のベッドにピャッピャッピャッ!!
あんな事言われても戸惑うわやめたげて〜
( ̄∇ ̄)
イカれた母ちゃんでごめんあそばせ。
ドリフトが豪快(3)
警棒で旦那をシバく(2)
えっ!お前もだったんか〜い!(1)
◎ジェシー・プレモンス
2章が怖すぎて笑うしかない。
"アレ"をあの場で見たからってど〜なるんかww
◎ウィリアム・デフォー
裸体は勘弁&パパは謝らない。
◎ホン・チャウ
どれも超ハマり役で素晴らしい!
"3つの独立したお話しだが、各章のメインキャストは同じ"という独特の手法をとった本作で、彼女だけ際立ってそれぞれのキャラを魅力的に見せてくれていたと感じた。
個人的に1番良かったです。
様々な解釈も出来るし、隠されたメッセージを読み解く楽しさなど、ツウの方には堪らない作品なんだと思う。
飽きずに観る事は出来たけど、私にはちょっと難しい作品でした。
つか、これを日本公開するんならウルフズもかけておくれよ〜!!って一生言ってる( ̄∇ ̄)
悪趣味と芸術のキワキワ(嫌いじゃない)
なにを観せられたんだろう。。。(良い意味で)
観終わったあとの第一印象です。
久しぶりに頭の中かき混ぜられたくらいの激しい混乱が心地よい。
ヨルゴス・ランディモス監督とエマ・ストーンの再タッグとなれば、もはや観ないという選択肢は無い!ワクワク観にいきましたが、想像以上の映画でした。さすがランディモス監督。悪趣味なB級作品と芸術作品の、際どいラインのギリセーフみたいなオムニバス3部作品。でも人間離れした美しさのエマ・ストーンのおかげで芸術作品に昇華できてる気もする。。(エマ・ストーンの功績は大きいと思う)
3部作品に出演している俳優さんはほとんど同じ俳優さんですが、全員別人格を演じています。上手い。
観た後数日経っても頭の中が混乱中です。
だいたい、ホラーなのかコメディなのかサスペンスなのか・・・映画のジャンル分け迷ってるくらい混乱中です。
でもすごかった!!!
たまには不条理に身を委ねるのも心地よいかも。
つまらないとは言わない、面白いとも言いにくい。少なくとも人には勧めにくい。
3本だての3時間という長丁場映画で、それぞれ約1時間のストーリーに直接的な関連性は無いと思います。出演している役者は基本的に共通で、個人的にはエマ・ストーンとウィレム・デフォーを見に行っているようなものなので、まぁ別にそこに不満はありません。
色々な要素が散りばめられていて、具体的な解説もないので、推測の域を出ない部分は多々あるかと思います。
以下ネタバレ含め、各章で疑問だったことを列挙してみます。
第一章∶結局嫁さんどこ行ったん?
第二章∶結局偽リズどこの誰なん?
第三章∶結局あの踊りは何だった?
本筋的にはどうでもいい疑問(特に三章)もありますが、第二章のは大問題かなと。
とりあえず第二章の『思い出ビデオ』は是非ゆっくり見てみたいところですねw
あと、カルト団体から追い出された時に鉄扉の向こうでピョンピョン跳ねて発汗アピしてたエマは可愛かったということに、多くの人が賛同していただけるかと思います。
KINDS OF KINDNESS(優しさの種類)
とても理解が難しい映画でしたが、ランティモス監督独特の視点が興味深かったです。
3つの話はそれぞれ以下のの理想像と個人(主人公)のギャップについての話かと感じました。
1.他人が望む理想像
2.他人へ望む理想像
3.集団の望む理想像
自己を捨て他人の理想像に合わせようとする、あるいは他人に理想像を求める主人公の姿は自身は愛に満たされているのかもしれませんが、外の人から見れば憐れなのかもしれません。その姿を見たときに自分はどうなのだろうと感じました。
ところでエマ・ストーンのはっちゃけぶりは凄かったですね。
ぜんぜんわかんないね
短編三つの感じなの。同じ役者が違う役をやるんだけど、ストーリーにつながりはないと思うんだよね。あるのかも知れないけど……。
1編目はカフカっぽいの。なんだか分からないことが身の回りで起きていくっていう。
大団円っぽく終わりになってるけど、それでいいのか。
《RMFの死》がタイトルだったと思うけど、RMFはあのおじさんだよね。なんか突然出番がなくなるから良く分かんないんだよね。
2編目は怪異ものっぽかった。
遭難した奥さんが帰ってくるけど『これは本当の妻じゃない』って旦那さんが思うんだよね。
それでその怪物を騙して、本当の妻を取り戻す話と思ったな。
最後に出てくるのが本当の奥さんなのか、妄想なのかは分かんないけど。
3編目は宗教だね。
やっと奇跡の人を見つけたのに……。
病的に車を飛ばすなと思ったけど、長い伏線だったのかな。
どの話も女優さんがガンガン脱ぐね。
この監督は性行為を描くのが好きなのかな。
どの話も何が描かれてるのかは分からないの。でも観ちゃう。誰かの解説読んでみたい気もするけど、ただ観て楽しいから、それでいいか。
それで別に観なくてもいいんだけど、観るべき作品という気はしたよ。
原題は「KINDS OF KINDNESS」。 やさしさの種類、と...
原題は「KINDS OF KINDNESS」。
やさしさの種類、という意味だろうが、ここは「やさしさの三つの顔」とでも訳したい「やさしさ」の三様を描いた中編集。
第1話は、飼い主に見捨てられた忠犬の話。
忠犬くんも飼い主も人間。
飼い主(ウィレム・デフォー)は、忠犬くん(ジェシー・プレモンス)に理不尽な命令をし続け、忠犬くんは人間味を出して反抗するが捨てられてしまう。
飼い主の手を噛むことなく、最終的には理不尽な命令を実行して、自分の存在意義を確かめるが・・・
と、わかりやすいが、その分、平凡。
第3話は、新興宗教教祖の命令に従って、奇跡の女探しをする女性宗徒(エマ・ストーン)の物語。
別れた夫に強引に身体を奪われ、「汚れている」として破門に。
幸い、奇跡の女は見つかるが、理不尽にも奇跡の女の双子の妹が頓死してしまう。
さらに・・・
と、これまた、わかりやすい。
触れるだけで、傷を治し、死者おも蘇らせる人物の話は、スキート・ウーリッチ主演『タッチ』を思い出した。
最終的には、皮肉な結末を迎えるが、まぁ、わかりやすいブラックジョーク。
終盤、エマ・ストーンが奇妙なダンスを披露するが、この手のダンスが出てきた映画で、感心したことがないので、本作もゲンナリ。
順序を飛ばした第2話は、行方不明の妻戻る話。
海洋研究のため仲間と行方不明になった妻(エマ・ストーン)を迎えた夫(ジェシー・プレモンス)。
見た目は元の妻なのだが、どうも些細なところが違っているような。
彼女は元の妻のままなのか・・・
と、神経を病んだ夫は残虐味を帯びた理不尽な要求を妻に出すが、帰還妻は唯々諾々と従い、遂には自分の命まで差し出すことになる・・・
と、諸星大二郎の漫画『ヒトニグサ』を思わせ、「ボディ・スナッチャー」ものの変型っぽい。
その伝でいけば、従順な宇宙人が地球人にスポイルされる『地球に落ちて来た男』を思い出したりもする。
わかりづらいが、不気味な味わいが好みで、ちょっと面白い。
全体には、奇抜なようでいて常識的な範囲のシニカルコメディで、全編通しての評価としては平凡といったところかしらん。
なお、各エピソードで同じ演者が異なる役を演じているが、狂言回し的な「R.M.F.」なる謎の人物は共通。
「R.M.F.の災難」というダブタイトルを付けてもいいかもね。
ヨルゴス・ランティモス監督版「トワイライトゾーン」
この世に絶望した女性が、新生児の脳と大人の身体で再び生を得る物語「哀れなるものたち」に衝撃を受けた監督の新作。予備知識なしに鑑賞しました。
3部からなるオムニバス形式、同じキャストで3話それぞれで役が異なるという斬新な作品でした。
「哀れなるものたち」とは異なり、肩の荷を下ろして鑑賞できる作品です。
テーマは「愛と支配」
全ての話に共通なのは主人公の設定を考えない。今おかれている設定をたどる事です。なんでこうなんだとかこの人はどういう立場なのかなど考えず展開されるストーリーを追う事です。
第1話は狂った大富豪の言うなりに生きる男
大富豪の言われるままに生活していれば全てを与えられている男。しかし、人殺しだけはどうしてもできないと断る事で一変してしまいます。
滑稽で痛々しいまでの悲しい男の姿がそこにあります。
第2話は海難事故から生還した妻がどこかおかしいと疑う男
海難事故から無事生還した妻だが、どこかが違うと疑う男。妻であることを必死で答える女。これも痛々しいまでに刺激的な展開です。最後にあれはなんだったのかと想像することになります。
第3話はカルトな宗教団体の信者となり家族を捨て神の子を探す女
こんなカルト宗教にどうして陶酔してしまったのかと思うくらい異常な女の姿があります。予期せぬ事で宗教団体から追いやられながらも神の子を見つけることができます。しかし最悪の結末がまっています。
ブラックユーモアのような衝撃です。
目を逸らしたくなる描写もいくつかありますが、不思議な爽快さが残る作品でした。
黒いユーモア、笑えない口が歪む
素晴らしい造り込みに、評価無しは誉めているのでしょう
選択を支配される男、イライラするが支配を受け入れる結末にほっとするか、嫌な味
妻が入れ替わったと確信し彼女の体を切り刻んで調理するよう命ずる夫、従う妻、迎えたのは真の妻か、酷い味
信仰集団に沈み死を超える人を探す女、どちらにせよ性交は気持ち悪く、彼女の荒い運転が奇蹟を壊し、死にたがっていた奴がのんびり飯を食う
何という味
Sweet Dreams
ユーリズミックスの「Sweet dreams」。
大好きな曲が使われていると知り、この作品を見に行った。
美しくどこか悪魔的で抗えないメロディー。
謎めいているのに確信を突くような歌詞。
そしてそれは心に長くエコーを引く。
この作品もそんな印象がする。
本当は自分が選んだ世界だったんだろう。
でもその世界に飲み込まれ、翻弄され、縋って、拒絶されて。
そして力の限りを尽くして臨界に達する。
なんだかSFみたいなファンタジーみたいな、
どこにもありえない世界でありながら、
どこにでもあるような世界で、
誰にも似ていないような、
でも誰でもそうであるような人々が、
それぞれの強い思惑で他人を引き、
他人の強い思惑に引かれ、
そして悪夢に追い付かれる。
かなり長い映画だったが、全く飽きなかった。
美しい映像の中で人々がエキセントリックにクルクル回る様に、
息を呑み、失笑し、気分が悪くなり、切なくなり、
そして映画館の明かりが点った。
映画でなくてはできない表現の映画が好きだけど、
これは久々にそういう感じのする映画だった。
個人的には第三話が好き。
轢き殺されて復活した彼は、
(と自分は思っている)
何事も無かったかのようにサンドウィッチを食べる。
それに何かホッとする自分が奇妙で可笑しかった。
むむむ
ポスターに惹かれて、ムム人間の内面に関わる問題提起か?と勝手に先走っていたが、この映画は真面目に観てはいけないのかも知れない。
おいおいそうくるかあと斜に構えて、あははと笑いながら観るのだろう。
最後のRMFの登場でやっとそれを理解した笑
結構、笑える映画かも
この映画、支配被支配、従属、家族、宗教、生(性)と死などいろいろ論じるテーマはあると思います。YOUTUBEでいろんな人のレビューを聞いて感じたのは、難しいことは抜きにして、結構笑えるシーンがあるなということです。3話目でエマストーンがあの紫色の車(ダッジチャレンジャーというらしい)をアクセル吹かせながら車両後部を大きく回転させながら止まる(ドリフトというらしい)シーン。あれなんかはわざわざそんなことをする必要はないのに、なぜか毎回やってることに笑ったという人がいましたが、同感です。「なぜそんなことするの」と突っ込みながらも、笑うしかありません。2話目で妻がいなくなったジェシー・プレモンスを友人夫婦が訪ねて励まそうとして、結局この夫婦2組のスワッピングビデオを3人で見るシーン。ジェシー・プレモンスは食い入るように見てますが、友人夫婦は嫌々ながらそれに付き合わされている印象。唖然としますが、でもこれも爆笑ポイントだと思います。江戸時代、春画は笑い絵と呼ばれていたそうです。これは映画そのものではありませんが、町山智浩さんがこの映画を見ていない聞き手に、この映画を見た後の食事は、焼き肉だけはやめた方がいいと言ってましたが、これにも大笑いしました。焼き鳥も食べない方がいいと思います。他にも笑えるシーンがあると思います。もう1回見て、それを探したいと思います→2回目に見て、笑ったシーン:3話目で死者を蘇らせる力のある女性を見つけ、裸にし、両乳首とへその間の間隔を測るシーンがありますが、ここは奇妙さ満点で、やはり「なぜそんなことするの」と突っ込んでしまうのですが、それを真面目にというか一生懸命にエマストーンがやることで、もう笑いがこみ上げてきます。私にとって、理解不能のシーン、これは笑うことでしか受け容れられないということなのかもしれません。また、自分の娘の部屋に忍び込み、聖水(教団の教祖が浴びた水?)を手でパラパラとベッドや床などに振りかけるシーンが2回くらいあります。多分娘への愛情あるいは娘の健やかな成長を願う親の気持ちの表れだと思いますが、これも実に奇妙です。ヘンテコな行為をいかにもまじめな面持ちで行うエマストーン。このことが滑稽さを生み出しています。
映画らしい快作!
「哀れなる…」よりもこっちが好き。
この監督、こういう方が得意だよな。
●異常な世界でリアルな人物葛藤がある。そのコントラストが新鮮だ。
●観客の隙をつくのがうまい。そういうのは見せないんだよな…と思ってたら見せるんかい!みたいな?
●先がまったく見えないストーリー。だから見る側がのめり込む。これって何だ?何だ?どうなるの?どうなるの?が心地よく続く感じ。小説で言うページをめくる手が止まらない的な。
●演者の演技バトルが楽しい。このレベルの俳優だと、キャラクターの演じ分けが素晴らしい。たぶんそれも狙いの内なんだろうな。
●バカさ加減もいい。
尖った作品で堪能した。
鑑賞動機:ヨルゴス・ランティモス8割、3部構成1割、予告1割
例によって例のごとく変な映画撮るね。
やあ、またあったねジェシー。
変てこ3編で長さは感じない。困惑度合いはすこし少なくなった…気がする。いいのか悪いのかわかんないけど、ちゃんと終わってる。けどさあ、シャツの刺繍!?
1話目の特に前半は、こちらがランティモス脳になかなかチューニングできず、驚いてばかりだったけど、だんだん慣れてくる。いやでも2話目はどういうことかわからないけど、それもまたよし。好きかと言われると考え込んでしまうけど。
何であんなに乱暴な運転するのだろう。
賛否別れるかも
映像や手法は凄く真っ当で王道の映画で格好よく魅力に溢れた画面作り。
だけど、3章共同じ俳優さんが演じてる事が人によっては混乱と面白さの評価が別れる気がする。
恐怖と笑いが紙一重のように、笑って良いのか怖いのか、迷うだろう。自分は2章の途中から恐怖と狂気を感じ、2章の途中からエンドロールがとても怖かった。
ハリウッドの演技力ってもの凄いんだなって改めて思い知らされた。
終演後パンフレットを見てほとんど同じ俳優さんだった事に驚いた。
髪型を変え、髭を蓄え、眼鏡をかけたり服装、演技を変える事で全く違う人に見える。メインキャストの3人だけじゃなく、周りも三役演じている。それが連続して上映されるわけだから、混乱するなと言う方が難しい。
R.M.Fだけ同じ人でも良かったのかも知れない。だけど、それを同じキャストでやってのけた俳優の皆さんに敬意をはらいたい。
パンフレットの解説で、この映画の良さがクリアになった。是非読んで見て欲しい。演劇とかあんまり見ないけど、この作品はとても演劇的でなのかも知れない。
日本で同じ様な作品を映像化すると恐らく大炎上するだろう。コンプラまみれで、キャストと俳優の境界線が曖昧になった日本では撮れないのではないか。
お笑いコントライブや演劇では自分が知らないだけであるような気もするが、それを高いクオリティーで映像化する監督やそれに答えるキャスト、スタッフはやはり一流だと思う。
最後のエンドロールが流れ初め、全く繋がってなかったのか!と答えをまとめた瞬間に続きがながれ、もしかして繋がってる?という気持ちで心臓がドキドキした。
原題の「Kind of Kindness」 =「親切の種類」?というタイトルも凄く皮肉めいていて、いい。「憐れみの」と言うのは混乱を読んだかも知れない。ただ、代わりになる邦題が思いつかないし、原題ではマーケティングに弱い。
だとすると「憐れみの3章」で良かったのか。
良い意味でも悪い意味でも価値観や倫理観が揺さぶられる作品。
とにかく、もう一度見たい。
翻弄され続ける人々
全ての章に主要キャストとして出演するエマ・ストーンの演技から目が離せなかった。ヨルゴス・ランティモス監督の世界観に合っているのでしょう。
1、2章で主要キャストとして出演するジェシー・プレモンス。実在していそうなキャラクターを演じるのが巧い。マット・デイモン同様、警官の制服が似合いますね👮
ストーリーの展開と共に、僅かに感じていた違和感が増幅していく。無機質なカットが、ヨルゴス・ランティモス監督らしい作品。
映画館での鑑賞
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