憐れみの3章のレビュー・感想・評価
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◇止まらない支配と服従
人間社会の中には、少なからず支配と服従の関係が存在します。支配服従関係を最も典型的に示しているのは、奴隷と奴隷主との関係。社会階級として固定された制度として存在してきました。 現在の民主主義国家において、社会制度としての奴隷制は無くなりましたが、人それぞれの深層心理の奥底には「支配したい欲求」も「服従しなければならない強迫観念」も不気味に蠢いているのかもしれません。 この作品の題名に使われている"Kind"という言葉の語源には、「生まれながらの」という語義が含まれていたようです。「生まれ」から「生まれのよさ」へと派生して【優しい、思いやりがある】という意味へ。「同じ生まれの」へと派生して【種類】という意味へ。「支配と服従」が人間の「生まれ」に根源的に関係しているものであることを暗喩しているのかもしれません。 奴隷が解放され、女性が解放されて、平等であると考えられている現代社会。潜在意識の奥に隠されている支配服従関係は、人間存在にとって根源的関心事であるセックスと死に纏わる事柄によって、唐突に表面化してくるのです。 極端に誇張され戯画化されたこの作品のへんちくりんな世界観の中に、すっぽりと入り込んでしまった時に感じる薄気味悪さ。それは、自分という存在の奥底に押し込められて、隠されている不気味な性質に触れるように感じるからかもしれません。人間の中に潜む動物的な生々しさとの出会いの物語。
どっぷり依存な人たち三態
ひたすら悪趣味。
何かにどっぷり依存した人たちの三態、さらに言うと、依存対象に捨てられたことから、寵愛を取り戻して元の鞘に収まることを切望、そのために依存対象に媚び、忖度するあまり、過激な行動に走って破滅した人たち、依存を断ち切れなかった人たちの末路の三態だったと思う。
そして、こういう人々を、高みから嘲笑しているようなところがある。
対象から捨てられると、元の状態よりいっそう依存度が高くなるようだ。
心のすき間が広がって、捨てられるようなことをした自分を激しく責めて後悔して、従順の度合いが高まるような。
DVや虐待から決別を試みたのに、結局もとに戻ってしまう人たちの心理にも、似たところがあるのではないか。
最初の話は、地位も金も桁外れにありそうなセレブの悪趣味のお遊びに弄ばれる男、一度は離れる決心をしたものの、セレブのいけずに耐えきれずにひたすら後悔、再度受け入れてもらうために殺人まで犯す憐れな男
次は、自分から心が離れた夫の寵愛を取り戻そうと自身を傷つけていく妻、DV夫に洗脳されて支配下から逃れられない妻の心理状態はこんな感じなのだろうか。
ただしこれはどこまでが夫の心の病が生んだ妄想で、妻がどこまで自分で手を下したのか下さなかったのかわからないところがミソ。
最後は新興宗教にハマった子持ちの女性、こういう話はわりと身近にありそうで怖い。
犬とルースがひたすら気の毒だ。
3つとも、どう考えても辻褄が合わなかったり変だったり現実的でないエピソードで綴られるが、依存対象のもとに戻りたいが故に理性の一欠片すらどこかにふっとばして躍起になっている、彼らの脳内で起きていた事象なのだろうと思えた。
「依存症」の、依存対象がモノであれば、依存している本人の一方的な努力で改善する可能性は大いにあると思うが、依存の対象が「人間」の場合は厄介だと思う。相手も自分の意思で動くからだ。依存から抜けさせまいとすることもできるし、予想もしないような障害を突きつけてくることもあるだろう。
3人共愚かで、憐れな人たちだが、全く他人事でもないかもしれない。
人間、何かのきっかけで洗脳されたり依存してしまわないとも限らない。
何度か死んでたおっさんが、最後にのんびり野外で軽食取っているのにちょっと笑った。
ケチャップ飛ばしちゃって、白いシャツに真っ赤な液体がどばっとかかって…
悪趣味なおふざけです。
「ボーは恐れている」の世界に近い、個人的には気持ち悪くてけったくそ悪い、不快感が大きい映画でした。確信犯的にそうしたと思われ、悪い映画、とは思いませんが。
途中で諦めた
2024年劇場鑑賞244本目。 予告で独特の世界観だな、と思って観たのですが独特が過ぎるわ! 邦題通り3章仕立てなのですが、面白いのはそれぞれに主人公の役者がいるのではなく、同じ役者が違う話をオムニバスで演じている所です。この設定は面白いので普通の話でやってくれ・・・。 第1章でこれどういうこと?と思って大した説明もなく終わったので、2章でもう諦めの境地に入り、あのオチでももういいわって感じで、3章もそんな感じでした。普通の映画に飽きた人にオススメです。あんまり普段映画観ない人はあの人が消えたとかの方がオススメです。あれも変な映画ですけど分かりやすいです。
ずーっとうすら怖い、狂気の3話
予備知識なしで鑑賞。 3話立てのオムニバス。3話それぞれ独立の話。 面白かった。 昨今の日本映画では味わえないブラックテイスト。「奇妙な物語」のような…と言ってしまえばそれまでだが、そんな余韻では終わらない。 原題が「Kinds of kindness」。「憐み・のようなもの」といった感じか。 3話通して登場するR.M.Fという人物への憐れみが舞台装置として登場する為だろうか? とにかく鑑賞中の3時間、「えっ何?」「どういうこと?」「なんでなんで?」と眉を潜めて頭をぐるぐる回しながらスクリーンにくぎ付けになった。 結局どういう話なの?と言われると一番困るパターンの映画。 お約束ばかりの娯楽に飽きた方にこそおすすめの、狂った3話3時間。 もう一回観たい。
最新の映像を駆使した「不条理劇」を堪能するならこれ!という一作
約50分の中編3作が織りなす物語は、何についての話か理解できそうになったとたんにするりと指の間をすり抜けて去っていくようなとらえどころのなさ、余韻を残します。 本作が気になるけど、ポスターからは内容がよくわかんないし、長そうだし……、と躊躇している人には、ひとまず鑑賞して、3つの作品のつながりや不可解な描写の意味をあれこれ考えたり、R.M.Fって何者?って推測するなど、いろんな楽しみ方がありますよ、とお伝えしたいところです。 言い換えれば、本作の賞感が、すっきりとはかけ離れたものとなるのはほぼ間違いないので、もやもやを抱えても大丈夫な程度に心の余裕があるときに観るのがおすすめです。 本作はランティモス作品の原点回帰的な色合いが強いので(盟友の脚本家、エフティミス・フィリップの復帰が大きいのでは)、ランティモス監督の前作、前々作である『哀れなるものたち』(2023)や『女王陛下のお気に入り』(2018)よりも、さらにそれ以前の作品群、たとえば『聖なる鹿殺し』(2017)がおすすめかも。これらの作品を通じて、「掟に縛られる人々」、「掟に縛られたがる人々」をランティモス監督が繰り返し描いてきたことが明確になると思います。 ただし『聖なる鹿殺し』は本作以上にショッキングな場面を含む(冒頭から!)上に、やっぱり不条理というか後味が微妙な結末のため、こちらも心にある程度余裕があるときの鑑賞がおすすめ。
不条理で悪趣味
別々の3つのお話を同じ役者が違う役柄で演じている映画。 昔のトワイライトゾーン?星新一のショートショートみたいな感じ。 正直、不条理で悪趣味。 エマ・ストーンの変なダンス見たさに最後まで鑑賞。
ユーリズミックスのムダ遣い
「メタファーだよ、象徴的だろ」は、 「聖なる鹿殺し」か、 「ロブスター」か忘れたが、 バリー・コーガンのセリフだっただろうか。 ヨルゴス主導のシナリオは、 テーマもストーリーもまとまらないどころか、 それを言っちゃおしまいのセリフまで書いてしまう。 ジョークのような開き直りのセリフ、 (本作は、R.M.F)も駆使して、 ホラーすれすれの自己意識の暴発、 またはバックファイヤーの、不協和音を鳴らしながら、 登場人物の奇声、奇行、愛情の押し付けは罪なんだろうか等、 を観察者のフィクスのカメラで追っていた。 そろそろネタも無くなってくるだろうと、 予想していたら、 女王陛下の悪態、プアーな尊厳の解放を、 ワイドレンズ、必要以上の仰角、伏角を多用、テーマも狙いも明確だった。 それに伴う美術の造り込み、というアップデートを遂げ、 魚眼のようなパースで、 現代社会にも通じる人間の心の闇や歪みを象徴しているよう・・・ とこじつける事もできなくはなかった。 驚きは隠せなかったが、すばらしい作品だった。 ところが本作は、 ヨルゴス・ランティモスがなんだか初期化されたようで、 撮り方のカロリーも低く、 [愛情][人質][疑い][奴隷]プレイ等、 全体的に変な事はやっているが、 それが単なる「変な映画」の域を出ない。 今後、可能であれば、 バリー・コーガンやエマ・ストーンのようなキャラが活きるような、 女王陛下や哀れなるのような、 ちゃんとしたシナリオライターを起用するほうがいい、 もちろん、ジェシー・プレモンス、デフォー博士も・・観たい、 ホラーやスプラッタ未満の作品を観たいが、 無理な注文なんだろうか・・・ エマ・ストーンの【しらんけどダンス】は笑えた。
マーガレットは、
良かったとお思います。演技があまりないからかな?ランティモス監督好きには申し訳ないですが、お前らこういうのが見たいんだろ?が強すぎてだめでした。ジェシー・プレモンスがマット・デイモン見たいな演技をせず自分の芝居して欲しかったです。彼が下手でだめな部分がかなりありました
エマストーンを見にいきました
不思議体験の2時間45分。訳の分からないストーリーなのに、なぜかそんなに長く感じない。期待した?エマストーンの裸は今回は少し。まあ、しかし前作に続き確かに体当たり演技だわ。
隷従・猜疑・狂信の3章 ★悪趣味炸裂★
ヨルゴス・ランティモス監督の悪趣味が炸裂。一章ごとにエンドロールが流れるので3本を連続鑑賞した気分になる。だから、上映時間は気にならない。 最初の章は、金持ちのジジイに人生を売った男の物語。無茶な命令をされて後悔することになるが、やはり贅沢をすてることができない人間の性が哀しい。 第二章は、遭難して帰ってきた妻が偽物と疑いを抱く男の物語。とんでもないグロシーンにノックアウトされるが、ラストにはもっと驚かされる。 第三章は、命の水教団と呼んでいいようなカルト宗教にどハマりした女性の物語。個人的にはこの章が一番面白い。乳房とヘソが正三角形の配置をしていて、一卵性双生児の女性が救世主らしくて、その女性を探すエミリー。 ワケのわからない設定の中、エマ・ストーンがダッチ・チャージャーをフルスロットルでぶっ飛ばす。これがラストへの伏線となるのだが、どのシーンもアングルが決まっていてゾクゾクする。 演技力がある俳優がヤバイ役を真剣に演じたらこうなるよね。ジェシー・プレモンスの個性的な顔立ちが、各章のスパイスとなっている。 俺は大好きだけど、人によっては悪酔いすると思う。 自己責任で楽しむ大人の童話でございます。
痛みをエロスで中和・・・出来てません(笑)
ヨルゴス・ランティモス監督最新作です。監督の作品は前作「哀れなるものたち」と信頼おけるレビューアーさんからおすすめされた「籠の中の乙女」の2作のみ鑑賞済みです。 特に「籠の〜」で、「痛い描写」に対して耐性というか免疫が出来ていたので、私はそれなりに楽しめました。しかし悪い言い方をするとグロくて悪趣味なシーンが満載で人を選ぶ作品であることは確かでしょう。ちなみに良い言い方のほうは私の語彙力では表現困難なので割愛いたします(笑)。 エマ・ストーンさんはじめおそらく監督作品に何度も出演されてる方がオムニバス形式で、それぞれ違う役柄で演じております。見た目は穏やかで紳士、淑女だが突発的に時に笑みさえ浮かべ何しだすか分からない危うさ、狂気・・・を含ませた演技は、皆さん本当に素晴らしかったです。 また、彼の作品に特徴的で普遍的?なエロシーンは今回も健在ですが、「前触れもなく出て消えてシチュエーションも微妙」なので単発的な清涼剤にはなっても、前述の「グロくて痛いシーン」を中和するまでには至りませんでした。そこが評価星1点マイナス(笑)。 エマ・ストーンさんがどの役も結果、痛めつけられる役で苦しむ姿が印象的でした。その趣向、性癖のある方にとっては加点要素かもしれません・・・。 倫理的には最初からぶっ壊れた作品ですが、設定やストーリーでは決して破綻させず伏線もしっかり張り、最後まで押し切る力量は本当に見事です。 続きものではないですけど、監督の過去作、特に前作は鑑賞してからのほうが理解は深まるかもしれません・・・知らんけど(笑)。 では。
ヨルゴス・ランティモス・サーカス団・・世にも珍奇な演目を3つ
恐怖の悲鳴では無い。ただただ不愉快なのだ、笑っちゃう位。 ギャーギャー心の中で悲鳴をあげていた。 無茶振りに【従う側】にも、とても問題があると言う理論を 164分の嫌コメディで表現した映画である。 不思議と退屈はせず、あっという間の鑑賞でした。 癖がかなり強い映画で決してオススメはしませんが、 観て損はないが、この笑いのセンスを面白がれるかは、 あなたとわたし次第!! ギャーっと悲鳴を挙げそうになるシーンが6回位はある。 (声は出すのは必死で堪えたけれど・・・) 原題は【KIND of KINDNESS】 韻を踏んでいて・・・ある種の親切さ、と言う意味らしい。 確かに3章に分かれています。 独立した3つの話しだが、演じる役者が同じで、 違う役をそれぞれが演じているアンソロジーです。 3章目がいちばん意味不明というか、分かりづらかった。 主要キャストはエマ・ストーン、ウィレム・デフォーと ジェシー・プレモンス、足す、若くてスリムなモデル体型の ハンター・シェイファーにマーガレット・クリアー。 【第1章】 暴君な社長(ウィレム・デフォー)に生活全般何からかにまで コントロールされている部下のジェシー・プレモンスは、 ある日遂に「殺人」を命ぜられる。 流石に躊躇していると、「それなら、もう知らない、勝手にやれば」 と、梯子を外されるが、愛妻が消えたり不穏なことが次々起こり、 遂には従ってしまう話し。 【第2章】 海洋学者の妻(エマ・ストーン)が遭難する。 何週間後に生きて帰ってきた妻を警官の夫 ジェシー・プレモンスは別人と疑い、 精神的にも錯乱して、更に食欲をなくす。 必死で料理を作り食べさせようとする妻に警官の夫は、 とんでもない要求を突き付ける。 この2章が一番グロかった。 食欲が失せますので、ご注意を!! 【大3章】 カルト教団に取り憑かれた妻(エマ・ストーン)は、夫と娘に心を 残しているが、教祖(ウィレム・デフォー)の言い付けで、 家庭を捨てている。 夫が薬を酒に混ぜて、エマを犯す。 すると信者に「汚(けが)れている」と見抜かれて、 教祖の信頼を失ったために エマはとんでもない事を始める。 特別な能力(死体安置所の死人を生き返らせる能力)の 霊能者を探し出す・・・そして・・・悲劇が? ヨルゴス・ランティモス監督の原点回帰とも言えそうです。 監督はカミュの戯曲化「カリギュラ」を読んでいて、 この映画のプロットを思い付いたそうです。 ローマの皇帝「カリギュラ」はとんでもない暴君でした、 ネロ以上の。 支配するもの、支配される者。 を、描いている。 ジェシー・プレモンス、エマ・ストーン・ウィレム・デフォー。 ヨルゴス監督の指揮で踊る、狂う、はしゃぐ、演じる・・・ どんな命令も即決で完璧きに応答する。 息の合った俳優たちの、珍味を味合う満艦飾のご馳走。 お口に合うかは、あなた次第(笑)
もうコーヒーが落ちた頃ね
こないだ鑑賞してきました🎬
これは…ランティモス監督のねじれた世界観が炸裂してますね😅
3話構成なんですが、それぞれ俳優さんたちが3役を演じます。
エマ・ストーンの役は、派手だったりせっかちだったり🤔
ジェシー・プレモンスの役は、堅物そうに見えて実は…だったり、坊主になったり。
中でも、ウィレム・デフォーの役は異様な存在感がありました。
もともと顔が濃いと思うんですが、3話目の衣装が…❗
マーガレット・クアリーは、毎回スタイルが際立つ衣装で登場してたような🤔
どの役もあどけなさと妖しさが同居してる感じでしたね。
終盤にヒントらしきものはありましたが、それでも私には❓だらけでいまいち、いやほとんど分からなかったです😥
あの蘇った彼は、一話目の彼なのか❓❓
監督の独特な世界観が好きな方は、楽しめるでしょう🖐️
狐につままれたような気分を存分に楽しめる
話が難解で訳の分からない分、「この先、一体どうなるのだろう?」と、グイグイと引き込まれる。
3つのエピソードで、同じ俳優が、違う役柄の人物を演じているのだが、各エピソードのタイトルにもなっている「RMF」という役に限って、同じ俳優が演じているのは、何か意味があるのだろうか?
仮に、彼が同一人物だとすると、3つのエピソードは、救難航空機のパイロットが、殺されて、蘇るという一つの物語として繋がるのだが、だからといって、「なるほど、そういうことか!」と納得することはできない。
簡単に言ってしまえば、1つ目のエピソードは、ある男に人生を支配された男が、それに抗おうとする話だし、2つ目のエピソードは、海難事故から生還した妻を、別人だと疑う男の話だし、3つ目のエピソードは、カルト教団の信者が、死者を蘇らせる能力を持つ教祖を探す話ということになるだろう。
いつまでたっても何の話なのかが把握できなかったのは3つ目のエピソードだったが、何の話なのかが分かった後でも、何を言いたいのかが理解できなかったのは、2つ目のエピソードだった。
1つ目と3つ目のエピソードは、何とか現状を打開しようと苦闘する主人公が、結局挫折してしまうところに共通点があると思われるが、2つ目のエピソードについては、終盤、夫と妻の主観が入れ替わり、それぞれが話す内容も食い違い、どちらの主張が正しいのかが分からないまま、遂には本当の妻らしき人物が現れて、まさに狐につままれたような気分になる。
どうせ、各エピソードの裏に隠された寓意を読み解こうとしても無駄なのだろうし、そもそも、そんな寓意は、始めからないのかもしれない。
ここは、敢えて、各エピソードの不条理さや、不合理さや、意味不明さを受け入れて、それを楽しめばよいのだろうし、実際、存分に楽しむことができた。
ほとんどラースフォントリアー
初日、新宿ピカデリーで鑑賞 夜回だったので空いてました ヨルゴスランティモス節全開 ものすごーーく変な話 が好きな人にはぜひ見てもらいたい 考察なんて不要 165分あっという間でした
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