劇場公開日 2024年9月27日

「”アワレ”シリーズ第2弾の正解は見つかるか?」憐れみの3章 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5”アワレ”シリーズ第2弾の正解は見つかるか?

2024年10月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

「哀れなるものたち」に続くヨルゴス・ランティモス監督、エマ・ストーン主演作品でした。ウィレム・デフォーも両方とも出演してるし、「アワレなるものたち」に続いて「アワレみの3章」と、邦題的には「アワレ」シリーズ第2弾とも言えるのかなと。ただ「哀れなるものたち」は幻想的な世界のお話でしたが、本作は現実社会が舞台になっていて、内容的には全く繋がりはありませんでした。ただ不気味さ、不可解さは相変わらずのヨルゴス・ランティモス風味であり、一見したところの「なんだこりゃ」感は共通していたと言って良いかと思います。

さて本作の内容ですが、邦題の通り3つの章だてのオムニバスで、「アワレ」シリーズ第1弾と第2弾同様に、3つの章それぞれの話に直接関連はなかったものの、エマ・ストーンやジェシー・プレモンスらの出演者は同じ。それぞれの話にどんな共通項があるのだろう、何のメタファーになっているんだろうなど、そんなことを考えながら観ましたが、第1弾同様正直正解を掴むのは中々難しいと感じたところでした。

私なりの稚拙な解釈としては、1章目は支配者に不満を抱きながらも支配者を欲する現代の大衆がロバート(ジェシー・プレモンス)であり、”パンとサーカス”を与えながら大衆を弄ぶ支配者がレイモンド(ウィレム・デフォー)のメタファーなんだろうと感じました。これは結構正解に近いと自負(笑)
ただ2章目は難しい。ダニエル(ジェシー・プレモンス)の”被害妄想”とリズ(エマ・ストーン)の”純粋な愛情”のすれ違いを描いていましたが、はてこれは何を意味するんだろう?極度の緊張状態が続く日常の末に”言葉”が無力化していき、コミュニケーション不全に陥り、分断が進む世界を描いているのかしら?
そして3章目は、オミ(ジェシー・プレモンス)を教祖とする新興宗教っぽい団体の過度な純粋さの追求と言うか、処女崇拝と言うか、ピューリタニズムと言ったものと、その反転としての純粋でないものの排除を描いており、これには現実逃避することでしか精神の安定を得られない現実世界へのペシミスティックな視点が感じられたところでした。

以上稚拙な感想が頭に浮かんだところで「Kinds of Kindness」という原題に注目。”Kindness”には”親切”、”優しさ”、”いたわり”、”慈愛”なんていう意味がありますが、ここでは”優しさ”とか”慈愛”とするのが妥当なのかしら。とすると、原題を直訳すれば「優しさの種類」となる訳で、それを素直に解釈すれば、3章の共通項は”優しさ”ということなんでしょう。

1章目では、自立できない大衆に生きる意味を与えてくれる支配者の”優しさ”を、2章目では夫に与えて貰った恩に対する恩返しをするためなら、自らの命も顧みない妻の”優しさ”を、そして3章目では”純粋さ”に帰依する教義を守れる者の間だけの”優しさ”をそれぞれ描いているのかなと思ったところでした。そしてそんな”優しさ”は、当事者にとっては至高の存在でありながら、第三者的には全く意味がなさそうと感じた訳ですが、果たして正解は何処にあるのでしょう?

あと、全然本作とは関係ないところですが、日常生活が舞台なのに、最終的には破滅的な結末が待っていた本作。鑑賞後感としては夏目漱石の「夢十夜」と似たところがありました。オムニバス形式ってところも共通しているし。

そんな訳で、いろんな解釈を考えることで鑑賞後も楽しめた本作の評価は★4.5とします。

鶏