「本作品につき解釈してみました」憐れみの3章 GTOさんの映画レビュー(感想・評価)
本作品につき解釈してみました
本作はヨルゴス・ランティモス監督作品なので、半ば映画ファンの義務として観てきました(苦笑)。見た直後は良くわかりませんでしたが、整理するとこんな所かと思います。
本作では、「人の運命は神の計画で決められている」という、キリスト教の考え方をベースに、各人の生死及び死に方等が全て予定されている前提で話が進んでいます。(因みに各章の表題、R.M.F.氏が「死ぬ」「飛ぶ」「サンドウィッチを食べる」も計画に書かれた「運命」の様です。)
これに対して、度々現実が運命からズレる事故が起こるため、登場人物たちはそのズレを必死になって本来の計画に戻していきますが、彼らは自分達が何をやっているのか分からないため、何かちぐはぐで観客にはブラックコメディーに見えます。
具体的には各章の初期の段階で、以下の運命が計画通りに進んでいません。第1章では①RMFが車に轢かれて死ぬことが、第2章では②リズが体の一部を欠損して死ぬことが、第3章では、③双子の1人が水の張っていないプールに飛び込み死ぬことが、計画で決められていたのだと思います。さらに、第3章の最後で④R.M.F. は生きていることが決められています。
上記本来の運命を達成するために、第1章では①預言者的な権力者の指示でレイモンドやリタが猛スピードでRMFの車に突っ込んだり、ベッドからRMFを引きずり出して車で轢く、第2章では、②夫ダニエルが理由の分からない違和感(死んでいるはずの妻が生きて帰ってきたことを犬のような嗅覚で)から、妻に猟奇的な自傷行為を強要し死に至らしめる。第3章では、双子の1人の教祖への就任という伏線と関係し、③死んでいなければならない双子の片割れは本来の死に方で自殺する。④R.M.F.は蘇生能力の試験の過程で息を吹き返す。等々、当時用人物たちの狂乱の暴走により、運命の歪みが無理矢理修正されて行きます(因みに、蘇生能力を持った双子の1人も、そっくり双子の事前の死(の預言?)に従い、教団関係者の思惑とは関係なく死んでいきます)。
登場人物の中では、ウィレム・デフォーが神の言葉をヒトに伝えこの世を動かす預言者のような役割を第1章、第3章で担いますが、彼も全体が見えているわけではなく、莫大な金と権力とを動かしながら、最終的に起こした事件はケチャップ事件?
仏教徒としては(?)腹落ちしない所も多い本作でしたが、ヨルゴス・ランティモス監督との異文化コミュニケーションだと思えば、貴重な体験だったと思います。