「どっぷり依存な人たち三態」憐れみの3章 かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
どっぷり依存な人たち三態
ひたすら悪趣味。
何かにどっぷり依存した人たちの三態、さらに言うと、依存対象に捨てられたことから、寵愛を取り戻して元の鞘に収まることを切望、そのために依存対象に媚び、忖度するあまり、過激な行動に走って破滅した人たち、依存を断ち切れなかった人たちの末路の三態だったと思う。
そして、こういう人々を、高みから嘲笑しているようなところがある。
対象から捨てられると、元の状態よりいっそう依存度が高くなるようだ。
心のすき間が広がって、捨てられるようなことをした自分を激しく責めて後悔して、従順の度合いが高まるような。
DVや虐待から決別を試みたのに、結局もとに戻ってしまう人たちの心理にも、似たところがあるのではないか。
最初の話は、地位も金も桁外れにありそうなセレブの悪趣味のお遊びに弄ばれる男、一度は離れる決心をしたものの、セレブのいけずに耐えきれずにひたすら後悔、再度受け入れてもらうために殺人まで犯す憐れな男
次は、自分から心が離れた夫の寵愛を取り戻そうと自身を傷つけていく妻、DV夫に洗脳されて支配下から逃れられない妻の心理状態はこんな感じなのだろうか。
ただしこれはどこまでが夫の心の病が生んだ妄想で、妻がどこまで自分で手を下したのか下さなかったのかわからないところがミソ。
最後は新興宗教にハマった子持ちの女性、こういう話はわりと身近にありそうで怖い。
犬とルースがひたすら気の毒だ。
3つとも、どう考えても辻褄が合わなかったり変だったり現実的でないエピソードで綴られるが、依存対象のもとに戻りたいが故に理性の一欠片すらどこかにふっとばして躍起になっている、彼らの脳内で起きていた事象なのだろうと思えた。
「依存症」の、依存対象がモノであれば、依存している本人の一方的な努力で改善する可能性は大いにあると思うが、依存の対象が「人間」の場合は厄介だと思う。相手も自分の意思で動くからだ。依存から抜けさせまいとすることもできるし、予想もしないような障害を突きつけてくることもあるだろう。
3人共愚かで、憐れな人たちだが、全く他人事でもないかもしれない。
人間、何かのきっかけで洗脳されたり依存してしまわないとも限らない。
何度か死んでたおっさんが、最後にのんびり野外で軽食取っているのにちょっと笑った。
ケチャップ飛ばしちゃって、白いシャツに真っ赤な液体がどばっとかかって…
悪趣味なおふざけです。
「ボーは恐れている」の世界に近い、個人的には気持ち悪くてけったくそ悪い、不快感が大きい映画でした。確信犯的にそうしたと思われ、悪い映画、とは思いませんが。
共感ありがとうございます。
高みから嘲笑、仰る通りだと思います。第一章でグルグル轢き回す所とか、第三章での股間ゴシゴシとか。聖者に触れられて回復した者も聖人だそうですがRMFも? 聖者自身は死んでしまったのに・・皮肉ですね。