「カジュアルにテロが行われる怖さ。」HOW TO BLOW UP 消々さんの映画レビュー(感想・評価)
カジュアルにテロが行われる怖さ。
ひどく現代的だと思った。
(ここからネタバレになりそうな気もする)
環境破壊に端を発してはいるものの、それぞれの思惑は微妙にずれてる(ように見える)。主犯のソチやテオは環境破壊の被害を知らしめて社会構造を暴力的に変える嚆矢になろうとし、ショーンやアリーシャはその助け(環境破壊にどれほど真剣かは謎)を、マイケルは閉塞感のあるマイノリティコミュニティと米国社会への鬱憤晴らし、ドウェインは石油企業の理不尽な仕打ちへの復讐、ローワンは貧困からの逆転……そんな奥底がちらつく。
環境破壊を口実に、固定化された格差や理不尽さを暴力でどうにかしたいという点は同じかもしれない。けれど、SNSや偶然の出会いで合流し、素性もどこまで知っているのか。親しい友人・恋人という単位以外は他人の集まり。でも彼らは仲間割れどころか、機能的に役割をこなし、なんなら仕事をするなら少々の違いは目をつぶる的なドライさもある。動機より仕事ができそうかで選んだ節もある。主犯のリーダーシップにまとまって、ノリもまるで文化祭の準備かと思うほどの軽い。それでテロというのっぴきならない犯罪をやってのけてしまう。
必要なときに必要な人が集まって暴力行為を働く。あたかもプロジェクトごとにリクルートされるフリーランスか何かのようにインスタントに集まって、なんなら付け焼き刃の知識で、それでもやれるんだと言っているかのよう。
いや、テロはもう、そうやって起こされる時代だと言っているよう。
なんて現代的。なんてカジュアル。
寒気が走った。これが現実になったら(もうなっているのかもしれないけど)、怖い。