劇場公開日 2024年6月14日

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「破壊行為の代替としての物語なのか、それともアジテーションか」HOW TO BLOW UP ニコさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0破壊行為の代替としての物語なのか、それともアジテーションか

2024年6月15日
iPhoneアプリから投稿

 個人的には暴力や破壊によって何かを変えようとする行為には反対なのだが、そういった手段を取る人たちの視点から見た正義に興味を持った。
 冒頭、メンバーが集結してすぐに爆薬の製造から設置に至る緊迫したシーンに入ってゆく。各々の登場人物の背景は、その合間に回想として挿入される。彼らの大胆な企みに、種明かしのように理由付けがされてゆき、エンタメとしても退屈させない構成がよかった。
 一方で、彼らが活動に身を投じた経緯を知るほど、それは環境活動に名を借りた復讐、恨みの発散なのではという気持ちも湧いてきた。
 悲しみや悔しさに共感はする。でも、そのことと彼らの破壊行為の評価は峻別したい。
 遅々とした動きではあるが、進められている温暖化対策もある。彼らの暴力が、そういった対策の進捗を劇的に早めるとは思えなかった。

 物語の中で彼らの行為は「サボタージュ」=財物の破壊と呼称されていたが、パイプライン破壊に関してはテロリズムと呼ぶ方がしっくりくる。
 テロに対しては、一般的に国や企業は相手の主張を問わず毅然とした態度で臨む。暴力に屈して要求を飲む前例が重なれば、社会全体の秩序が失われてゆくからだ。
 ラストでソチが、逮捕された自分たちに同情して後に続く者が出てくる、と言っていたが、本当にそうだろうか。ごく一部の急進的な若者は真似したくなるかもしれないが、石油会社はパイプラインを修復し、警備を強化して終わりなのではという気がした。
 こんな形でもし会社に多少の経済的な痛手を与えられたとしても、回想シーンでアリーシャが言っていたように、石油会社に雇われて働く労働者層がまず犠牲になるのではないだろうか。
 それに、よしんばパイプラインの件ではこのやり方が一定の成果をあげたとしても、大義のために破壊が肯定される既成事実が積まれるのは、個人的に受け入れ難い。

 序盤でソチがSUVのタイヤをパンクさせて主張を書いたビラをワイパーに挟んでいたが、あれは世界で実際に行われている環境破壊への抗議の形だそうだ。彼らにとっては、SUVは富裕層の持ち物で多くのガソリンを消費する環境破壊の象徴なのだ。
 だが、いくらそのビラに平常心なら耳を傾けるような正論が書いてあっても、見知らぬ誰かに一方的に自分の持ち物を壊された側は、腹が立って心情的に受け入れられないだろう。そして、パンクさせられなければ必要なかった新しいタイヤを買う。タイヤの消費だって環境汚染に繋がるのではないか。
 環境保護は喫緊の課題だからと焦る気持ちはわかるが、彼らほど意識の高くない大半の一般人に敵を増やすやり方で、本当に対策の進捗が早まるのだろうか。
 また、彼らが爆破作戦を進めるにあたり、燃費の悪そうな古い車を平気で何台も使っていることも主張の説得力を弱めた。

 ゴールドハーバー監督は、彼らに完全に共感は出来ないが、彼らの一部の不安には共感すると述べている。
 現実の活動家の一部は本作のような破壊行為で主張するが、監督はその代わりに、彼らの焦りや不安を映像で訴えた。それはかなり好意的に解釈して、彼自身は暴力を選ばない人間だということだと思いたいが、本作の描写はアジテーションと紙一重でもある。
 こういう映画を見て短絡的な考えで真似をする(さすがにパイプライン爆破はハードルが高そうだが)輩が跋扈する現代だ。どちらかというとFBIの懸念の方にちょっと共感してしまう。

ニコ
Mさんのコメント
2024年7月2日

まったく同意見です。

M
カールⅢ世さんのコメント
2024年6月27日

SUVで欲しいなって思うのに限ってガソリン車オンリーなんですよね。

カールⅢ世