「逃亡するにはワケがある」正体 ミカエルさんの映画レビュー(感想・評価)
逃亡するにはワケがある
原作者の染井為人は、「未成年でも死刑になることがあると知ったこと」が本作を書くきっかけになったとし、「警察署から逃走して自転車で日本一周を目指した容疑者」がストーリーを膨らませるきっかけになったと話している。
監督の藤井直人は、SNSで拡散された情報が必ずしも正しいわけではないのに、断片的な情報で人を評価する風潮に疑問を抱いていたところ、「正体」映画化の話をいただき、自分がやりたかったことにも通じるものを感じたので、やろうと決めたと話している。
姿や顔を変えて逃亡を続ける鏑木の動きには意味があった。
鏑木は大阪の工事現場の仕事で資金を集めた後、ライターとしてメディア会社に潜入して自分が巻き込まれた事件の情報を集めた。その後、水産加工工場で働き、鏑木が犯人だと証言した被害者遺族の井尾由子の居場所を、そこに勤めている井尾の妹に聞いた。最終的には井尾由子が入居していた長野のケア施設に潜入し、井尾に接触してどうにか当時の記憶を呼び起こそうとチャンスを窺っていた。鏑木は無実をはらすためには井尾から証言を引き出す必要があると信じていたのである。
普通、逃亡犯というのは人と深い関わりを持つことを避けるものだが、鏑木は他者と関わることを止めようとしなかった。この行動は、この世界を、人を信じたかったからという鏑木の逃亡理由からくるもので、終盤に明らかになる。ここで他者に素の自分=正体を見せていたことが鏑木自身を助けることになった。
日本で戦後に死刑判決が無罪に覆った例は5件存在するらしい。死刑撤廃の論が根強いのは、国家による殺人を許容しないという理由もあるが、冤罪被害者を殺してしまう可能性があるためでもある。現実では、鏑木のように脱獄して無罪を証明することはできない。
この映画では、国家権力の内部から1人の人間が行動を起こしたこと、自分の罪をないことにしなかったことで真実が明らかになった。
なお、現場に偶然居合わせただけの鏑木が死刑判決まで受けてしまったという事件の状況設定には説得力がなく無理がある、この大方の意見には私も同意する。