わたしのかあさん 天使の詩のレビュー・感想・評価
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世間の風潮の誤りを静かに訴えかける。
映画愛好団体の自主上映(ホール上映)での鑑賞になりました。 (この監督さんの作品は、商業館にかかることは、あまりないようです。) たかだか一億人くらい(?)しか住んでいない国だから、将来に劣性のある子孫を残さないという国民優生の考え方が受け入れられやすかったのか、それとも権力は悪をなさないのだから、万事に「お上」(行政)の言うことを聞いていれば問題ないのだという「事なかれ主義」が蔓延していたからなのか―。 そこいらへんの「故事来歴」は、評論子には、然りとはわからないのですけれども。 しかし、障がい者―ことに知的障がい者を白眼視する傾向が、この国に、抜き差しがたく存在するのは、どうしてでしょう。 現に、彼・彼女ら(障がい者)の親類が勝手に同意書にサインして彼・彼女らに(勝手に?)不妊手術を、しかも「法律」に基づいて堂々とやっていたというようなことは(おそらくは、当時の日本が「お手本」にしたのであろうナチス・ドイツを除いて)世界的にも例がないのではないのだろうと思います。評論子は。 (そういえば、世界のどの国もやっていないのに、ハンセン病を強固な伝染性疾患と確たる医学的な根拠もなく決めつけて、これも「法律」に基づいて厳重な隔離政策をとってきたのも、この国でした。) いみじくも、作中の小杉医師が言っていたとおり、障がい児としてこの世に生を受けるかどうかは「神の御業」なのであって、どうすることもできないことは、世間には、容易に理解し難いことなのでしょうか。 今でも、神戸市にパルモア病院という病院があるようです(ネットで引くと、当院のウェブページに当ります)。 産院なのですが、一人の小児科医が作った病院ということです。 なぜ、小児科医が産院を? パルモア病院ができるまでは、産科病院に、新生児を診る医師は、いなかったということです(産婦人科医は、産婦という大人を診る医者で、新生児という子供を診る医者ではない。) 不幸にも障がいを持って生まれたりした子は「生活力薄弱」という診断名で、悪くすると息絶えるまで放置され、産婦には死産の診断書が渡されたとも聞き及びます。 産婦人科と小児科の両方の医師がいるパルモア病院は、産婦人科医が分娩の前後を問わず産婦を診続けるのと並行して、新生児は、生まれた瞬間から小児科医が診ることのできる体制の(設立当初は)日本で唯一の病院だったようです。 その一事を以ってしても、この国は、障がい者(児)を軽視してきた国であることが、明らかと、評論子は思います。 「元気な子どもがいいなら、また産めばいい。」 そして(もちろん評論子も含めて)、一人ひとりの意識の問題でさあることも、また明らかと思います。 そのことを、決して「これ見よがし」ではなく、静かに訴えかけるような本作は、充二分に佳作としての評価に価するものだとも思います。 評価子は。
時間を返して欲しい
高齢の監督だからなのか、セリフがあらゆる場面で説教くさく、つまらないセリフを錚々たる俳優陣に言わせるのが観ていて辛かったです。こんな作りでは若い世代は誰も観ません。 突然、ロシアとウクライナの戦争の話を取ってつけたように入れたり、価値観を押し付けるような場面が多く、見ている途中で寝てしまいました。 スポンサーがいない映画のため上映前にプロデューサーがカンパをお願いしていましたが、ただでさえ面白くない上に受付にいた男のスタッフの態度も悪くてそんな気にはサッパリなれず、無駄な時間を過ごしたと嫌な気持ちになって帰ってきました。 「これからも良い映画を作って行くのでカンパしてください」って仰っていましたが、良い映画かどうか決めるのは作り手ではなく観客です。自分で言うことではない。
分かりやすすぎた
訴えたい事は割とすぐ伝わる。 それを錚々たる俳優陣が演じていながら、NHK教育でも見てるのかというぐらい説教くさく仕上げた作品という印象。しんみりするべきシーンでも「もう分かったよ。。」と食傷するような体感だった。 もしかしてと思ったら、案の定監督がご高齢の方のようで納得した。メッセージ自体は否定されるものではないが、あまりにひねりのない構成で退屈に感じた。 ただ、 俳優の演技はそれぞれに、この脚本や演出をなんとかする方向に向かっていたように思う。特に、落井実結子の演技力が素晴らしく、普通だったら凍死するようなシーンを何ヶ所か、その演技力をもって感動的なものにしていた。
ストーリーはだいたい想像できるタイプの映画だけど、 細かいところま...
ストーリーはだいたい想像できるタイプの映画だけど、 細かいところまで丁寧に作られた感じがした 不意打ちに泣かせる台詞があって、 多分制作側の意図しないであろうところで、 三回くらい涙ぐんだ
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