ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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ふわぁ~と
心地良いもどかしさに包まれております
やっぱり、さくらは、荒川がほんのり好きだったのかな
だから、少しイジワルしちゃったのかな
そんな繊細な少年少女の心の機微を笑顔で眺めておりました
映像も演出も脚本も、すべてがキレイな作品
光りの加減、景色、音楽、
タクヤ、さくら、コウセイたち子どもの笑顔、
荒川と五十嵐のやりとり、
すべてが優しくて、ホンワリとした時間の中で流れていく…
それは、ちょっとした心のボタンの掛け違いで続かなかったけれど…
決して後ろ向きな気分になることなく、
雪が溶けて春が訪れるような温かく前向きな気分にさせてくれました
心の雫がワッとあふれだすエンドロール
*
観に行きたい観に行きたいと
ずっと楽しみにしていた作品でした
結果…本当に観てよかった!
個人的に今年のベスト5に入りそうです
そしてそして
パンフレット買って大正解!
登場人物の深い部分を知れます
馴れ初めも知れます
ぼくのお日さま読んで泣けます
*
ぽかぽかとした陽だまりが
いつもスケートリンクを
ふんわりと照らしていました
美しくて繊細な白い世界が広がっています
雪の日の清らかな空気感です
*
スケートの楽しさを
タクヤと一緒に感じるような時間に
なんだかわくわくしました
初めてのことを覚えるって
ぜんぶ新鮮でぜんぶ楽しいなって
子ども時代のわくわくを感じました
何度か笑えるシーンもあって
心がぽわっとあたたかくなりました
ペアでの練習のときの
「タクヤ〜!」のガヤだったり
プロ時代の荒川の写真を真似て
茶化す五十嵐だったり…
3人で課外練習をするシーンは
ずっとずっと心にしまっておきたい
綺麗で大事な宝物になりました
永遠ではない儚い永遠です
タクヤとコウセイのシーンも好きでした
屋上の雪が綿にみえました
ふたりの雰囲気がふわふわしているから
そんなふうにみえたのかもしれません
登場人物の一人ひとりが
とにかく愛おしくてたまらないです
*
サクラが「気持ち悪い」と言い放ったのは
ほんのり淡く荒川を好きだったから
余計そう感じてしまったのかもしれません
マイノリティの捉え方は
子どもとか大人とかは関係ありません
相手の人のことをどう思っているかで
変わってくるものだと思います
目撃してしまった…のあのシーンは
雪がとても重々しく感じられて
まるで泥のようでした…
荒川はコーチにつく生徒がいなくなって
あの街を離れていってしまうけど
五十嵐とは遠距離でもいいから
繋がっていてほしいと願うばかり…
「分からない」という曖昧な言葉を信じたい
しかし、パンフを読むとこの願いは
雪解けのように儚く消えてしまいそうです
荒川も五十嵐も好きな人を好きでいて
ただ普通にふたりの幸せの暮らしを
営んでいただけなのに
その幸せが別の幸せを壊した
どっちもは難しい どっちかはダメ
だったら両方置いていく
そんな荒川の選択が切なくてたまらないです
*
春になってタクヤがサクラに伝えた言葉
「ありがとう」かな…なんだろう…
ふたりのダンスがまたあそこから
始まっていけばいいなと思いました
ハンバードハンバードの
『ぼくのお日さま』を聴いていたら
いろいろな感情がこみ上げてきて
ぽろぽろと涙が頬を転がっていきました
エンドロールも本編
エンドロールこそ本編
*
池松壮亮さんはいい意味で
脱力感のある演技が上手ですね
演技なのかそうじゃないのか
よく分からないところが
神の仕業だと思っています
越山敬遠くんは天狗の台所から
注目している俳優さんです
これからもっと伸びていくのは
間違いないと思っています
インタビューの受け答えが
しっかりしていて素晴らしい
今後も出演作に注目していきたいです
*
映像や演技は素敵だけどラストは嫌い
なんで、吃音の主人公なのに言葉が出るまで待たずに終わらせたの?
二人が再会したところで終わってたら、遅くても主人公が声を出す前に、開口したタイミングで終わってたら全然印象が違った。
明らかに声出てたよね?話そうとしてたのに言葉が出る前に切ったよね?そのタイミングだと『あの後なんて言ったのかな〜』みたいな感想にならないよ。なんで待たないんだよって思うよ。
主人公がコーチに靴を貸してもらうシーンで、やっと「ありがとう」が出たときにはコーチは去ってて。靴をもらうシーンではちゃんと「ありがとう」が伝わって。『あー良かった』って思ったのに。
女の子の扱いも結構ひどい。突然、スケート始めたばっかりの主人公と組まされて。明らかに女の子の力を伸ばすためじゃなくて、主人公の都合優先ってわかるもん。コーチが主人公の恋を応援してあげたかったから??そりゃモヤッとして当然だよ。せめて正当に怒らせてあげてよ。なんでコーチがゲイだったから差別されて拒否られた、みたいになってんの。あの子がコーチにもお母さんにも、私はあんたたちの夢を叶える道具じゃないよって、怒るシーンがあったらマシだったのに。
主人公の行動も理解不能で。なんでホッケーに戻ってんの?フィギュアスケートには興味なくて、ただ女の子に近づきたかっただけ?誰かに憧れて新しいことを始めるって、きっとよくあることで。そのうちにそれ自体が好きになって、大切になるものだと思ってた。そういうふうに見えてたから、なかなかショックだった。
時代がピンとこなかったのはあって、20〜30年前のゲイやフィギュアスケートに対する偏見をもっと描いてくれたら違ったかもしれない。もう昔すぎて覚えてないから。
懐かしくてあたたかい。大人に沢山みてほしいな
初めのシーンから
なんとなく古めかしい、いや、懐かしく感じる画像。。わざと、そうしているんだろうな、と思いながら。
主人公であろう、タクヤくんは
ヒーローでも、なんでもない、ちょっと吃音の小学生。ぼやーとしているところ、あー、クラスに1人はいそうな、普通の男の子。
その彼が
冬になると、アイスホッケーを習うわけなんですが、
そこで、1人の可憐にフィギュアスケートをする
女の子にときめいちゃうんですな。
池松壮亮くん演じるフィギュアスケートの先生は
はた、と男の子の様子に気が付き、
声をかけて、フィギュアスケートを
教え始める。。。
静かなテンポで3人が近づき信頼が生まれ、
ほんとにココロが穏やかにながめられて(鑑賞ですな)おばさんは、いつのまにやら、
じんわり、なみだ。。。
急展開もまた、静かに起こる。。
だって、思春期だもの。
難しいよね。
パンフレット購入して、読み返したら、
人物設定が!!そーか。いろいろ、納得した。
個人的にストン、とおちました。
子役て、すごいな。
今年、わたしの中では「カラオケ行こ!」
と、接戦していますだ。
スケートの場面が美しい
タクヤとさくらのスケート場面が美しい。夏は野球、冬はアイスホッケーの生活の中、さくらのスケート姿に魅せられてスケートを始めるタクヤ。コーチへの信頼と憧れの入り混じった気持ちの中、タクヤとペアを組むことになるさくら。彼と暮らす場所を探し、この街にやってきた荒川。三人は小さな閉塞感の中で懸命に暮らしている。
特に大きな出来事はなく、三人は小さなきっかけで繋がり、小さなきっかけですれ違うが、タクヤとさくらの再会で、希望を感じさせて終わる。
カップ麺をすすり合う場面で描く、小さな触れ合いと幸せを感じる作品。
光の射す中で・・・‼️
ある雪国を舞台に、吃音の少年タクヤが、スケートを一生懸命に練習するさくらに一目惚れ。さくらのコーチである荒川の計らいで、タクヤとさくらはペアのアイスダンスの練習をすることに。メキメキと上達していく二人だったが、ある日、荒川がゲイであることを知ったさくらは・・・‼️三人のひと冬の出来事を、スケッチ風にほのぼのと綴った好編です‼️光が射し込むアイスリンクや、氷が張った池の上でスケートの練習をする二人のシーンが美しく、さくら役の中西希亜良ちゃんの透明感がホントにスゴい‼️将来が楽しみな女優さんですね‼️冬が終わり、荒川は町を去り、さくらは一人でスケートの練習、タクヤは野球部へ‼️苦いラストかと思いきや、道端で偶然再会したタクヤとさくらの表情には笑顔が‼️ペアの再結成かもですね‼️
シンメトリーで「真正面」からとらえられた、北国の風物と三者三様の切なくピュアな想い。
一見して印象的なのは、
映画のほとんどの構図が、
シンメトリー(左右対称)
を意識して撮られているということだ。
グラウンドに立つ少年。
路傍に立つ郵便ポスト。
双耳峰と沸き立つ白雲。
少年とホッケーゴール。
スケートリンクの少女。
建物も、人物も、風景も、
この映画は常に真正面から、
衒いなく見据えようとする。
それは、曇りなき視点であり、
どこまでもフェアな視点である。
相手のことをまっすぐに見つめる視点である。
その潔さ、清々しさが、奥山大史監督の視座なのだ。
画面の奥のど真ん中にひとり佇むとき、
右にも、左にも、等間隔で何もない空間で、
被写体は、どこまでも孤独でよるべない存在だ。
その一方で、対象をど真ん中からまっすぐ見据えてぶれることのない、監督の真摯な眼差しが、キャラクターをある種の孤独からすくい上げているのもまた確かだ。
本作において、会話する二人は、常に左右に並んで意見を述べ合う。
積み重ねられてきた「二人のシンメトリー」は、終盤の三つのショットに結実する。
ベッドに横たわる、池松壮亮と若葉竜也の会話。
想い出の湖のほとりと車中で並ぶ少年とコーチ。
春の通学途上で、新たに出会い直す少年と少女。
ここにたどり着くために、敢えてシンメトリーを積み重ねてきた、という言い方もできるだろう。
そのへん、ビクトル・エリセの『瞳をとじて』あたりの作劇を少し想起させる。
― ― ― ―
一方で、この物語は「二人のシンメトリー」がなかなかに成就しない物語でもある。
少年と少女とコーチ。
スケートリンクでは、常にこの三者が三様にひきつけ合い、微妙なバランスを保っているからだ。
リンクで向き合う二人を、残る一人が外から眺めている。
最初は少女とコーチが練習するところを、少年が外から見つめている。
それから今度は、少年とコーチが練習するところを、少女が外から見つめている。
さらには、少年と少女が練習するところを、コーチが外から見つめている。
それぞれの胸に去来する想いは、一方通行だ。
少年の慕情。少女の慕情。コーチが二人に託したい想い。
ベクトルはかみ合わず、憧れの視線はいつも誤解とためらいに満ちている。
そんなとき、カメラは必ずといっていいほど、外から見つめる人間を「真横」から捉える。
被写体の横顔を映しながら、その右側に向けられる羨望の眼差しをひたと見つめる。
眼差しの先は遠く、見つめる者の想いは常に伝わらない。
それでも、三人の幸せな時間は、しばらくのあいだだけ共有される。
そのとき、三人の視線はほどよい感じで絡み合い、三人で分かち合う大切な瞬間が積み重ねられる。
この映画は、そうやって、ほんのわずかな時間だけ保たれた「奇跡のような関係性」の「尊さ」と「多幸感」によって、他にない特別な作品となり得ている。
男二人と女一人。
青春の輝きを、最も際立たせる取り合わせだ。
『ぼくのお日さま』は、この黄金パターンのヴァリエイションだと言っていい。
すなわち、映画としての『ぼくのお日さま』は、
ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに』や、
フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』や、
ロベール・アンリコの『冒険者たち』や、
ジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向って撃て!』や、
ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の
精神的な後継作にあたるとも言えるのだ。
上記の映画群にはいずれも、「友情以上、恋愛未満」の関係性で結ばれた三人が、童心に返って「わちゃわちゃ」してみせる、底抜けに幸せなシーンが象徴的に存在する。
『ぼくのお日さま』にとってのそれは、言うまでもなくあの、氷結した湖上での練習風景だ。
あの一連のシーンをフィルムに収められただけでも、この映画が作られた意味はあった。
そのくらいに良いシーンだと思う。
― ― ― ―
それでも。だからこそ。
三人の奇跡のような幸せな時間は、
結局は、かりそめのものにすぎない。
幸せ過ぎる魔法は、やがては解けてしまう。
雪のように。はかなく。容赦なく。
その背景にあるのは、とても哀しい無理解と一方的な断絶であって、映画によればそこを「深掘り」してみせる作品だってありそうなものだ。
でも、この映画は、敢えてそちらに踏み込まない。
この映画は、偏見を持ってしまった者を断罪しない。
起きてしまった哀しい結末を、あえて蒸し返さない。
背負うマイノリティの辛さを、剥き出しで描かない。
下した決断の重さを、無理やり強調しようとしない。
すべてを、冬から春への季節の移り変わりのなかで、
あるがままに描いて、教訓や結論を見出そうとしない。
それでいい。
僕は、この映画に関しては、このオープンエンドで良かったのだと思う。
これ以上でも、これ以下でも、きっと説教臭くなった気がする。
このくらい、語り切らず、これから起きることを観客にゆだねて、そのまま潔く終わるくらいで、ちょうどよかった。僕はそう思う。
― ― ― ―
とにかく、美少年と、美少女と、池松壮亮の存在がまぶしい。
ただ傍観者として観ているだけでも、ほっこりした気持ちになれる、どこまでも美しい映画だった。
決して、器用に撮られた映画ではない。
監督が映画青年のように「ショットの強度」と「視線の交錯劇」にこだわりすぎて、自然なナラティヴを欠いている面は否めないし、屋内ショットは逆光にこだわりすぎて、全体に白くけぶっていて画面の精度が低い印象も免れない。
もう少し少年の様子は、くねくねしていないほうが良かったかもしれないし、
ヒロインについても、多少は演技経験のある女の子だったほうが、あの「気持ち悪い」のシーンなどはもっとうまくいったかもしれない(きわめて重要な楔となるシーンだけに、どうしても現状の仕上がりには物足りなさと唐突さが残ってしまう)。
三人の関係性の進展に関しても、淡い憧れを抱く女の子と突然アイスダンスの「ペア」をやってみろと言われたタクヤの困惑や動揺、興奮や昂揚をろくに描こうとしていないし、いきなり見知らぬフィギュア未経験らしい少年と二人でアイスダンスの練習をやらされる羽目になったさくらの動揺や嫌悪感、怯えといった感情も、ほとんど描かれない。
あれっ? と言いたくなるくらい、二人はスムーズにペアになることを受け入れ、異性に触り触られることを受け入れ、二人で練習することを受け入れていて、その辺は個人的にはどうしても不自然に思えてならなかった。
とはいえ、子役は二人とも「透明感」があって、何より「存在感」があった。
役者自身の朴訥とした素直な人柄が伝わって来て、心からの愛着が持てた。
愛着が持てたからこそ、起きてしまった哀しい展開も、ぐっと吞み込むことができた。
無理なコーチの要求を、すんなり受け入れるような純朴で素直な女の子だからこそ、あそこでは裏切られたと思ったのだろうし、少女特有の潔癖さが、コーチの在り方を赦せなかったのだろう。自分のコーチに対する(本人が自覚しているとはいいがたいある種の)慕情が踏みにじられた気がしたのだろう。
むしろ、そこで彼女に生まれたような残酷な「負の感情」を、大上段に「道徳」によって一刀両断するような映画でなくて、本当に良かったと僕は思う。
同様なことはマイノリティの描き方にも言える。
敢えて題材として自分から取り入れているだけあって、監督は(カメラワークと同じように)真正面から、衒わず、ぶれず、障害や性的指向について扱っている。だが、そこに「かくあるべし」論は持ち込まない。あくまで、自然な当事者感覚の延長で作品に取り込んでいる。そこの見識がしっかりしていて素晴らしい。
特に「吃音」については、構えれば構えるほど言葉の冒頭が出にくくなる感じや、コウセイとの気の置けない何気ない会話だとスムーズに言葉が出ている感じが、実に生々しい。
お父さんが明快に吃音だというのも、だいぶ踏み込んだ表現の導入だと思う(たとえ最近は吃音になるかどうかは遺伝的要素が大きいということに学術的になって来ていたとしても、なかなか公けの場では設定として明確にしづらい部分を、敢えてぶっこんできている感じ……)。
― ― ― ―
その他、雑感を箇条書きにて。
●若葉竜也はホントに良い役者。
●きょうび、北海道では現代でも犬は外飼いなのだろうか(あんなに冬は寒いのに)。都市部だと大型犬でも室内飼いにするのが一般的になってきている感じがあるので、ちょっと気になった。まあ、コーチがガラケー使ってたし、ガンガン煙草吸ってたし、カセットテープ使ってたし、時代設定自体かなり古いのかもしれないけど。
●まあなんにせよ、北国の淡い光線と雪で覆われた風景には、クロード・ドビュッシーの「月の光」がドンピシャで合うんだよね。この取り合わせの妙を見出した時点で、この作品はすでに半分成功を約束されていたと言えるのではないか。
●キャッチボールで「投げ損ねた」ことを「口実」に、湖畔に連れ出してまで本当に伝えたかった言葉(「ごめん!」)をようやく口の端に載せるコーチ。さくらが試験会場へ来なかった本当の理由も、きっとうまく話せてなかったんだろうね。で、タクヤはずっと自分が嫌われたと思ってたという。辛い。
●主人公3人を追い詰める環境と状況を作るために、友だちや大人たちがちょろっと出てきては、揃いも揃ってかなり感じの悪い「毒」を吹き込んで回るという作劇は、ちょっと安易な感じもしないでもない。とくにさくらのお母さんをああいう設定にすると、本人まで親のコピーみたいな人間に育ちつつあるって話になっちゃうわけで……。
●監督はフィギュアを描いた映画がほとんどない(野球のようにダブルが使えず、演技者がスケートが出来ることが前提になるのがネックとなる)から、ぜひ撮ってみたかったといったことをパンフで語っていた。個人的に「少女×フィギュア」だと、倉本聰の初監督作で『時計』という映画があったのを覚えているが、主演の中嶋朋子が上手かったかどうかはもはや思い出せない。そういやこの監督さんは、ガンガンに滑れることは十分判っていても、敢えて小芝風花や本田望結で映画を撮りたいとは思わなそうではあるな(笑)。
ちなみに洋画だと、『冬の恋人たち』という、とても後味の良いペアスケートのラブコメがあって、お薦めです。
●ラストシーン。監督としては、『第三の男』や『ロング・グッドバイ』の有名すぎるエンディングを映画ファンの観客が勝手に想起して、おやそのまますれ違うのか?と脳内でシミュレーションしたあと、「ああそうじゃなかったか」と落ち着くまでの思考過程を最初から期待しているのではないか。
●エンドクレジットの、歌詞をしっかり文字起こしして呈示していくつくりは素晴らしい。
思った以上に「そっち」を念頭に置いて作られた映画だったんだな。
しかも、あのシルヴァスタインの絵本のようなカーブの線が、フィギュアのスケート痕だと気づいていなかったので、最後にシューズの絵が出てきて、なんかちょっと感動した。
●ちなみにパンフは装幀・内容とも素晴らしい作りで感心した。巻末のカンヌ凱旋ロング対談では、池松くんや監督が、いかに子役ふたりと親密で和やかな関係性を築けていたかがよく伝わってきて、胸が熱くなった。
●この映画、結局僕は渋谷でNHKホールの帰りに観たのだが、実は前日夜の時点では、川崎のラゾーナにある109で観るつもりで、レイトショーのチケットを現地で購入していた。ところがラゾーナの3階で時間をつぶしていたら、20時半ごろ、まさかの「全館停電」が勃発、館内の照明が一斉に落ちて、非常灯に! 空調もエスカレーターも止まり、慌てて映画館に行ってみたら、ロビーに観客が吐き出されていて、払い戻しの列を形成している。僕が観ようと思っていたレイトショーも、結局予定の21時35分までには館内電気が復旧せず、払い戻しも当日中は無理とのことで、まずはタダ券だけ一枚もらって帰途についたのだった……。こんな映画みたいなこと、本当にあるんだなあ……。
スケートリンクのシーンがきれいだった
リンクの外から光が差す中での演技とてもきれいな絵でした。
池松壮亮さんと、越山敬達さん、中西希亜良さんの奏でる自然で幸せそうな演技に癒されました
ついでに何度かでてくるワンコのアップにも。
ラストシーンのあとどうなるかわかりませんが、またみんなが一緒に集まる未来があることを期待しています
なお、109シネマズ川崎の舞台挨拶でみましたが、前日の大停電で開催危ぶまれていたのを劇場の方が頑張って開催できるとこまで持ってきてくれたのはほんとにありがたかったです。おつかれさまでした
さくらの行動に納得がいかない
さくらが先生の事でショックを受けたのは仕方がないとしても、本番をすっぽかしてタクヤを傷つけてもいいという事にはならない。
それがどれだけ今まで一生懸命やってきたタクヤを傷つけるか、彼女の年齢ならわかるはずだ。
先生に対しても暴言を吐いてたし、自分と違う生き方をする人を貶めても、さくらは後悔しないんだろうか。
とりあえず、さくらの事を一言も責めなかったタクヤに謝ってほしいと思った。
なんと、まさかの。
少年&少女のフィギュアを通した成長物語かと思ったら、まさかの展開。中々こーいうシナリオは思いつかないよね。
ダブルベッドを観た時になんか怪しいとは思ったがやっぱり。。。
少女は中学生だったんだね。
気難しいねー。なんか腹立った。
そして最後まで謝らなかったね。
ま、いつか20歳過ぎた頃に悟るんだろうけど。
少年は無邪気で可愛いかったね。
いい意味で単細胞な男の子はいいなって思った。
最後の2人
どんな会話をしたんだろ?
ここで終わるなって思ったらやはり終わった(笑)
凄く気になる。
ドビュッシーの月の光
最高。切ない。
最近は映画で度々使われるけど飽きないなー。
切なさと哀しみ
ラストシーン、ダブダブの中学の制服を着たタクヤが遠くの方から、こちらに向かってやって来る さくら を認める。少し躊躇気味に歩を緩めるが、すぐに何か決心したかのように速足になる。
そして立ち止まりお互い見詰め合う。
タクヤは何事かを言いたくて、言葉を発しようとするも吃音のためなかなか出来ない。かすかに何かくぐもった音が聞こえるか聞こえないか、その瞬間画面は唐突に暗くなる。
タクヤは何を言いたかったのだろう?
「ア、ありがとう」か 「アイスダンス楽しかった」か 「フィギュア頑張ってる?」か
でも結局、どんな言葉もその時のタクヤの気持ちを適確に表現する言葉はないのでは。
映画はすでに私たちにタクヤの経験した、愛おしくも哀しい日々、さくらも同様に切なくも哀しい過去、そして一瞬だったけど楽しく幸せな日々を共有出来たことを表現していた。
スケート場の周りの窓ガラスから射し込む溢れかえる光芒の中、さくらは生き生きと滑り舞い、タクヤの視線はその光の中からさくらを発見し、まるでフラッシュを浴びたかのような経験をする。
でもやはりタクヤはさくらとの再会で、何を伝えたかったのだろう
子役たちの快演
役者は素晴らしい。たぶん、カチッとした台本がない作品なんだろうが、特に小6男子役の演技が自然で、ほんとに可愛らしい。
コーチ役の若葉竜也は「市子」の人ですね。ベテランだけあっての安定感。一番、演技は初心者っぽかったJC女子は、クールな超絶美少女なので、これで良い。全くの新人らしいですが、透明感半端ない。
展開としては、残念なのはコーチのゲイカップ設定、必要でした?JC女子を嫉妬させるショタコン設定のために必要なのかな〜。どうも、最近は変なLGBTっぽさが流行っているのですが、結局ネガティブな扱いするなら、無理に出さなくても、、、
ただ、ゲイ設定のおかげで、JC女子からの「男に女のかっこさせて、気持ち悪い」って、最高のセリフを引き出すため、なら結果オーライかもね。
あれで、JC女子が三人の美しい努力の結晶を台無しのして、あれだけの美少女を残念ヒロインにしてしまうってのが、本作最大の推しポイントでしょ〜。
あのJC女子のおかげで、コーチは街に入れなくなり、小6男子の淡い初恋も霧散。なので、最後の小6男子(ラストは中1かな)が道で出会ったJC女子に向けたセリフ(本編では聞こえない)は、絶対に「くたばっちまえ」だと思います。
優しい光と切ない光
北海道、冬の綺麗な斜光を上手に組み合わせた
映像美。スケートリンクの光の撮り方は神がかってた。
タクヤ君やさくらちゃん、知人のコウセイ君
は優しいし可愛いらしい。
あの深々と降り積もる雪の時期には
沢山の想いと心情が詰まっていて、切なさと
儚さもあった。
そして春になり雪解けして、3人の気持ちも其々
飛びだった感じ。春は別れと再会の時でもある。
『月の光』も優しくもあり、切ない所が絶妙な
コントラストになってし、ハンバートハンバート
のEDの『ぼくのお日さま』も良かった。
エンドロールも優しさがたっぷりと滲んでたなぁ。
自然音の繊細な音も丁寧に組み込んで、劇中の
曲も心地好い。
あの一瞬、そこに居そうな空気感だけど
居なくて聞いてたり、観てたりする演出も
素晴らしかったと思う。
雪解けした気持ちが沁みる作品でした。
ふわり、ひと冬の思ひ出。雪の結晶のように儚く繋がる心は、溶けてなお何を残す。
その先の明るさを予期させる終幕に好感。
繊細で美しい撮影アートがそれと同質な物語を包み込む、ほんのりビターなコーティングショコラ。口にしたそれはクラシカルなレシピ通りの仕上がりに思えたのだが、どこか新しい感覚があって不思議。邦画らしからぬ作風、ミニマルに割り切ったストーリーのためかもしれない。
心のベクトルは三者三様で、それぞれの「→ 矢印」が向いている先が「ぼくのお日さま」ということらしい。三角矢印がスケーティングの演目のようにクルクルと輪になって気持ちを通わせる湖のシーンが、なんともホッコリとしていて微笑ましかった。
表題に書いたように、季節の変わり目と、チームが解散してしまう理由そのものは無関係だが示唆的であり、映画的だ。とても上手な描き方だとおもう。
***
本作では、言葉というコミュニケーションにスポットがあたる。
私にとって最も印象的だったシーンがある。土地を去る荒川とタクヤが交わすキャッチボールの場面、気持ちのぶれた荒川がタクヤの身長を飛び越えたボールを投げてしまったところ。荒川が言葉をかける「タクヤ、ごめん」。
物語では終始、あえて言葉足らず・主張足らずなコミュニケーションに抑えられていて、嬉しいシーンでもそうでない場面でも、その気持ちを表すセリフがあえて避けられていたように感じた。気持ちがとても通い合っていても、説明はだれもしていない感じ。
日常では当たり前のような「ごめん」だが、劇中がずっと感情をフワッと表現していたせいで、相手に自分の気持ちを表すセリフにコントラストが生まれた名シーンとおもった。
最大級の賛辞を送ることすらもどかしく優しい物語。
ミニマルで美しい本作は世界中どこにいっても評価されるに違いない。
ハンバートハンバートの同タイトル主題歌が、実は原作ということに驚き。
ポカポカと温かく、ヒリヒリとほろ苦い
最初は、スケートを通じた少年と少女の小さな恋の物語なのかと思ったのだが、男性コーチが少年にフィギュアスケートを教える話になって、少し予想をはぐらかされる。
ここで、コーチを演じる池松壮亮が、本当にスケートの経験があるのではないかと思えるほど的確(少なくとも、そう見える。)に指導を行っていて、思わず引き込まれるし、それに応えるように少年がメキメキと上達していくのも嬉しくなる。
その一方で、男性と同棲しているコーチが、手取り足取り少年を指導する姿に、何やら良からぬことが起きるのではないかと心配にもなってくる。
やがて、少年と、彼が思いを寄せる少女がペアを組んで、アイスダンスのバッジ取得を目指す展開になると、コーチと少年・少女の二人三脚ぶりが更に楽しくなってくるし、ほのかに恋の雰囲気が漂い始めるところも微笑ましい。
中でも、凍結した湖に練習に出かけた3人が、雪上や氷上でふざけ合う姿は、この上もない多幸感に満ちていて、このままハッピーエンドになることを願わずにはいられなくなる。
しかし、この幸せなひと時は、やはり、バッドエンドのフラグになっていて、ずっと感じていた嫌な予感が的中することになる。しかも、その予感も、少年・少女の親が騒ぎ出すのではないかと思っていたのだが、少女自身がコーチに反発する展開になって、何だかやるせない気持ちになってしまった。おそらく、少女は、コーチに好意を寄せていて、裏切られたと感じたのだろうし、多感な年頃なので、「気持ち悪い」と思うのも仕方がないのかもしれない。
それでも、3人でアイスダンスの練習に打ち込むシーンがあまりにも魅力的だったので、最後は、皆に和解してもらいたかったと思わざるを得なかった。
その点、春の日差しの中で、少年とコーチがキャッチボールをしたり、少年と少女が見つめ合うエンディングは、せめてもの救いになったし、それに続くテーマソングも、画面に映し出される歌詞が少年の心情にピタリとハマっていて癒された。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 雪の白さと日の光が目に眩しい。行間を読む淡い詩の様な映画。スケートシーンに比べ極端に少ない台詞ながらも三者三様の気持ちがくっきりとわかる。しみじみと切ない。
①三人が同じ目標を目指して仲良く練習していた中盤から三人の関係が軋み出す後半への流れ。しかし予兆はほぼ冒頭から示されている。光の中で滑り舞うサクラを光の精を見るように憧れの目で見つめるタクヤの姿をふと目に停め、サクラを見たあと再びタクヤに視線を戻してそのまま見つめ続ける荒川。「真っ直ぐな(タクヤのサクラへ)想いが羨ましたった」と後程荒川はくちにするが、本当にそれだけだったのだろうか。タクヤに佇まいに心惹かれた気持ちはなかたったのだろうか(勿論、少年愛とか異常なものではなく)。
その辺りを何とも取れるように微妙に目の演技だけで表現する池松壮亮はやはり上手い。
②荒川は元フィギュアスケート選手でスケート雑誌やスケーター達のカレンダーに載るくらいのスケーターだった過去がある。それが何故雪深い北海道の田舎町でスケートのコーチをしているのか。
それが分かるシーン。男と同居しているようだ。そしてパートナーは親のガソリンスタンドを継いだリターン組だと分かるシーンで仲良く枕を二つ並べたベッドが移る。
荒川はゲイだと分かるシーン。最近はLGBTQ という言葉が巷に溢れ多様性がある意味押し付けの様に取り上げられる世の中になっているが、こういうことには揺り戻しは必ずあるし、日本社会にはまだまだ偏見や無理解、誤認識が蔓延っている。都会ならともかく地方都市では尚更だろう。
パートナーが地元民であればおそらく直に噂は広まるに違いない。
荒川の未来が気になるシーンだ。
③面白いことに三人の中で最も素直というか真っ直ぐと言うか屈折していないのはタクヤだ。普通なら吃音であることに悩むようなものだが本人は気にしていないよう。
サクラのことが好きなのはミエミエだし、荒川のことも親切で優しいお兄さん→コーチとしか思っていない。
※因みに荒川が引っ越し荷物の中から自分の使っていたスケート靴を嬉々として探すシーン。深読みかもしれないが無償の贈り物には暗喩がある。
コンテストにサクラが来なかった事も、タクヤは結局サクラは自分の事がキライ、或いはアイスダンスをやっぱりやりたくなかったとしか思わない。
街を離れることにした荒川に「また戻ってくるの?」と屈託無く訊くタクヤ。
まあ、男の子って鈍感なものだから。
最後に二人でキャッチボールをするというところも微妙な塩梅だ。ごく普通に男二人でボールを投げ合い受ける。それだけ。でも、だからこそ色々な意味合いを持たせられるし、ただ微妙な距離感を保てる。(『フィールド・オブ・ドリーム』のラストの若き父親と主人公のキャッチボールみたいに)
荒川が暴投したボールを追って走って行くタクヤの後ろ姿を見つめる荒川の視線に浮かぶ感情…
④タクヤに較べるとサクラは遥かに敏感でそして残酷だ。でもそれも仕方がないのかもしれない。
ハッキリと思った事を口にする同級生と違って気持ちをなかなか言葉にできないサクラ(その代わりスケーティングは饒舌だ)。
密かに荒川に淡い気持ちを抱いている。
街で荒川の車を見かけて思わず走りよろうとするが、
いろんな感情がこみ上げてくる!!暖かくて、切なくて、温かい
「悪は存在しない」に匹敵する最高傑作だと感じました。
景色も音楽も心が洗われる程素晴らしいです。木漏れ日が優しく、主演2人もこれ以上ない程自然体で、びったりはまっていました。吃音症を感じるタクヤ(越山敬達)が、スケートの上手いさくら(中西希亜良)に憧れて、という初恋のような展開に胸がおどります。
しかし、あることがきっかけで、せつない物語に急変します。
いろんな感情がこみ上げ、涙目になりながらも登場人物たちに共感していました。
ラストの終わり方が素晴らしく、想像力を生み出し心が豊かになります。
本当は
「ベイビーわるきゅーれ」と連チャンで観たかったんですが。池松くんって声がイイよね、ちょっと竹野内豊化が進んでるような気がしますけど。
同じ位の年でも女の子の方が大人びてるよね、フィギュアだとスタイルも良いしね。
カメラの距離感はお日さま目線って事なんでしょうね、三人それぞれにお日さまが有った。
またGネタか・・最後の言葉は? とちょっとイラっとしましたが、ハンバートハンバートのエンディング曲で吹っ飛んだ! これってフーの“マイジェネレーション”だよね? そうでしょ?!
雪解けのように誤解も解ける?
曲に合わせフィギュアスケートを練習する中学生サクラと、そのサクラに見惚れフィギュアに心奪われた吃音でホッケーをやってる小学生タクヤと、サクラのフィギュアスケートの先生荒川の話。
フィギュアスケートを見様見真似でホッケーシューズで練習するタクヤにフィギュアシューズを貸す荒川、…後にサクラとタクヤをペアにしアイスダンスをやろうかと言い出した荒川だったが…。
最近使われてる昭和感のある色合いのフィルムと、そのなかで楽しむフィギュア練習の時間が雰囲気良く、優しい時間って感じで観てて心地いいし温かい、観てるこっちもいつの間にか微笑んでる。
荒川の穏やかさと優しさの雰囲気のなか練習を楽しんでるタクヤとサクラには何故か涙で。…荒川が同性愛者と知ってしまったサクラだったけれど中学生という年齢で処理出来なかったんでしょうね…。
個人的にはアイスダンスの方でちょっと感動的に終わるのかな?何て思ってたんだけど違った展開になってしまって。作品的には雰囲気良く観てて幸せな時間、幸せな気持ちなれるって感じで良かったね。
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