「被写体の心的防御を取り払うには、言葉だけでは言い表せない何かがあるのだと思う」ほなまた明日 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
被写体の心的防御を取り払うには、言葉だけでは言い表せない何かがあるのだと思う
2024.10.29 アップリンク京都
2024年の日本映画(99分、G)
写真学科の学生4人の行く末を描く青春映画
監督は道本咲希
脚本は郷田流生&道本咲希
物語の舞台は、大阪の心斎橋付近
写真学科に通っている草馬ナオ(田中真琴)は、アシスタント向きではないと考えていて、写真作家になることを考えていた
母親(福地千香子)とはほぼ絶縁状態の彼女は、同じ学科の友人・山田勝(山田崚汰)の家に入り浸っていた
ある日のこと、ナオは冗談半分で「付き合ってみよっか」と勝に言ってしまう
勝は「俺のことが好きなんか?」と聞き返すものの、ナオは「なんか愛おしいねん」というに留まってしまった
彼らには、小夜(重松りさ)と慎太郎(秋田卓郎)という学科の仲良しがいて、いつも4人でくだらないことを駄弁っていた
彼らを指導する北野先生(大古知遣)は、そんな彼らを優しく見守りながら、時には辛辣なアドバイスを与えていく
勝は東京に出てアシスタントをすることを決めていて、それを家族に言っても何も言われなかった
ナオはドイツへの留学を考えていたが、母親との折り合いが悪く、そのことを言えていない
小夜は写真家の道を諦めてはいないが、ナオとの間に絶望的な何かを感じている
慎太郎は実家の写真館を継ごうと考えていたが、父親から断られ、新しい道を模索する必要があった
4人はそれぞれに漠然とした何かを抱えていたが、その多くは「ナオの才能との比較」によって生まれていた
映画は、青春と進路という主軸があるものの、その根底にあるのは他者比較であると思う
それぞれが内に秘めているものがありながら、他人の感情には無頓着な部分がある
勝は小夜にナオと付き合っていることをいうが、小夜はその理由を聞いて激怒する
だが、小夜はナオのところに行っても、そこで言葉をぶつけることはしない
それは、ナオの行動が自分を知るきっかけを作っていることに気づいていて、そこで感情をぶつけることで、さらに自分が惨めになると感じたのではないだろうか
ナオの撮る写真は内面を抉るというよりは、被写体を素直にさせる距離感を保てる特徴があった
それは本人が見たいものかどうかはわからないが、正視するのにも時間が必要になってくる
勝が撮る写真は、言葉で感情を引き出すのだが、そこには心的防御というものが備わっているので、全てがフィルムに映るわけではない
この心的防御を取り払うことができる者だけが人を感動させる写真が撮れるのだと思うが、これは北野先生のナオと小夜へのアドバイスの違いにも現れているように思えた
小夜には「枚数が足りない」と言い、ナオには「もっと歩け」と言う
この言葉を表面的に取れば「経験値が足りない」となるのだが、裏を返せば「小夜は撮るのを怖がっている」と言えるし、ナオには「狭い世界にいるべきではない」と暗に留学を後押ししているように聞こえる
その違いを当人がどう受け止めたかはわからないが、彼らは向かうべきところに向かっていったのかな、と感じた
いずれにせよ、写真が効果的に使われている作品で、随所に登場するスチールとか、撮影風景などに深みがあったと思う
一人の天才に振り回された凡人たちの物語であるものの、ナオは自分を特別だとは思っていない
ただし、彼女の写真を見た人にはその違いというものがわかっていて、何気ないシーンに登場するたこ焼き屋さん(越山深喜)なども意味深な発言をする
彼女は写真を撮っているナオを見て言葉を紡いでいて、写真家というのは写真を撮っている姿からも、その天才性というものが見え隠れするのかもしれない
そう言った視点でナオの行動を見て行くと、また違った物語が見えるのかな、と感じた