フリーダ 愛と痛みを生きた肖像のレビュー・感想・評価
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とことんカッコいい人
フリーダ・カーロの絵を初めて見たのは、20代前半。作品から放たれる“痛み”と“強さ”が凄まじくて、直ぐにフリーダのファンになりました。フリーダの本を読んだり他のドキュメントフィルムも鑑賞したことがありますが、本作が一番面白かったです。
フリーダは権威が大嫌い。資本主義だけではなく、資本主義に対抗した社会主義、芸術界隈や社交界にも反発し距離を置くようになりました。男装をしたり女性との情事を楽しんだりと、物事を決めつけられるのも嫌なのでしょう。ディエゴとの関係も主導権はフリーダにあったと思いますし、言われるほど悲しみは感じないです。逆に勇ましい。
一度見たら絶対に忘れないユニークな作品を描きながら、とことん自分に正直に忠実に生ききったフリーダだからこそ、人々を魅了できるのですね。LGBTもフェミニズムもなかった時代にこれほどのぶっ飛び方ができるって、かっこよすぎです。
芸術家の生涯
彼女の絵は、観る者の気持ちを何かしら波立たせる。
好き嫌いは別として、素通りできない、無視できないエネルギーが溢れている。
当時の映像や写真、そして彼女の描いた自画像を通し、また手記や周りの人々の残した言葉を交えてストーリーを運び、彼女の心のヒダに分け入っていく。
凄まじい生き方だ。
この狂ったような情念と信念が芸術家たらしめるのだろう。
アメリカの資本主義、フランスの机上の観念などを毛嫌いして、自分の作品がシュールレアリズムと評されるのも嫌った。
ただ彼女は自分らしく生きたかったのだ。
その自分らしさを求める心は常にピュアであった。
VIVA LA VIDA!
このレビューは完全なネタバレです。
緑 暖かく心地よい光。
赤紫 アステカの色
サボテンの実の古びた血のトラバリ。
茶色 モレの色 大地の色。
黄色 太陽と喜びの一部
事故に合って
自分の魂と二人で過ごす他ない。
その後、女たらしなコミュニストと出会い結婚
やがて、妊娠を知る。医師は産むことを進める。体力の無い彼女には生死を別ける出来事。なぜ出産を進めるか?中絶が違法だったから。
しかし、
2ヶ月後彼女は血の海の中で泣いていた。
「感受性が強い女同士で愛し合えば最高の性的体験を味わえるだろう」
とディエゴは言う。
元々、女たらしのディエゴにフリーダの浮気を責める権利は無い。だが、ディエゴはそれを許せなかった。
そして、ディエゴは彼女の一番大事にしていた愛する者にも手を付ける。
「彼女は許せなかった」
「そして、人生の一番大切な時に何もしてくれない男の為に棒に振ってしまったが、今は孤独を学んでいる。それは既に強みであり小さな勝利だ。」
「私は描きたいものだけを描く」
さて、
彼女はシュールレアリストの
アンドレ・ブルトンと出会う。
パリでミロ、ピカソ、カンディンスキーから絶賛されるが、彼女の絵を購入してくれる気配は無いし、ブルトンをク◯野郎だった。
彼女はのたまう「シュールレアリスムは嫌い。退廃したプルジョア芸術でしかない」
さて、同時期にヒトラーが同じ様な事を言っている。しかし、彼女はニューヨークをはなれ、祖国のメキシコに帰る。
彼女は反骨の芸術家だと感じる。
フリーダとディエゴは”自立して“再婚をする。
しかし、足を切断してからふさぎ込む。でも、ある日再び絵を描き出し、個展を開くようになり、満足そうに人生に別れを告げた。
俺の彼女には髭がある。当然さ。
「死んだら、私はク♥大物になるでしょう」
蘇った衝撃
20数年前に何となく立ち寄ったミュージアムで開催されていた特別企画でこの人の作品のいくつかを目の当たりにして大きな衝撃を受けたのを今でもはっきり覚えてます。絵心の全くない私が受けたその震撼は芸術的なものとはかけ離れていて、ただただそのドラマティックで波乱万丈な生き様をシュールな絵という媒体で生々しく見せつけられ、何だかあまりにも平凡すぎる自分の人生と対比してしまいショックを受けたのかも知れません。
特に流産をテーマにした作品などは、その独特の表現が破壊的で、男の私でさええぐられるような気持になるのに女性であればどれだけショッキングだろうか。。。もしくは女性は共感することによってむしろしっかり深くメッセージを受け止めることが出来るのかな。。。など思いを巡らせたことを思い出しました。
今このドキュメンタリーを観て、やっぱりフリーダは永遠にセンセーショナルな女性だと確信した次第です。
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