「自己慰安の作品」ルックバック タニポさんの映画レビュー(感想・評価)
自己慰安の作品
キャラクターの息づかいが伝わってくるような作品だった。
初め、冒頭、闇の中からまるで夜空の星のように幾つもの光が見え、そのひとつに降りてゆくと、そこには藤野がひとりで四コママンガを描いている部屋へと移る。
夜空へ向かっていったように見えた先には地上があったことになる。
これは創作の、創造の、インスピレーションが、星の先にも有り、また、ひとりのペンの先にもあるように思えてくる。
僕はこの作品は自己慰安の作品だと思った。
自分で自分を慰める話だと思う。
創作や創造の、原始のようなところは、それでいいようにも感じた。
それを改めて気付かせてくれる作品のように思った。
四コママンガを得意とする小学生の藤野は、同級生で引きこもりではあるものの、風景画が得意な京本という存在を知り、意識をしながら絵の上達を目指す。努力の線が張り詰めた先で藤野は自分の絵と京本の絵と比較し、四コママンガを描くことを辞めてしまう。卒業式の日、来なかった京本へ卒業証書を渡す頼みを担任の先生から引き受けてしまった藤野は京本の家を訊ねる。出てこない京本の部屋の前に幾つも積まれたスケッチブックの上にひとつ置かれた四コママンガの紙を見た藤野はふと、京本に呼びかけるように四コママンガを描くと、それがうっかりドアの下から向こうへ入ってしまい、慌てて藤野は京本の家を出る。先ほどの四コママンガを見たのか、京本が家を飛び出し、「藤野先生」と呼び止めて、サインを求め始める。引きこもりの京本は藤野のマンガの大ファンだったのだ。京本に話を合わせながら、長編を考えていると述べる藤野。藤野は京本の半纏の背にサインをし、降り出した雨の中歓喜して帰ってゆく。
中学生になった藤野は京本と共同でマンガを作るようになり、やがて作品が入選し始める。
マンガ家としての軌道に乗り始めた藤野はある時、京本から絵の大学に行きたいことを告げられる。共にマンガ家になることを促す藤野に「もっと絵が上手くなりたい」と京本は告げ、二人はそれぞれ別の道を行く。
ある日のこと、マンガを描いていた藤野はテレビのニュースで美術大学で人が襲われる事件があったことを知る。藤野は母から京本が事件で亡くなった連絡を受ける。
葬式の帰り、京本の部屋の前へ行き、自分が外の世界へ誘い出さなければ京本の命は失われなかったのでは、と考える藤野。
卒業式の日、小学生の京本はドアの向こうから入ってきた四コママンガに、「出てこないで」と書いてあり、こわくなって、表へ出なかった。時は経ち、美術大学へ進学した京本は作品制作に打ち込でいたある日のこと、凶器を振り回す男に襲われる。そこへ突如、空手を習っていた藤野が男を蹴り倒し、京本を助け出す。そこで京本はふと気づく。もしかして昔マンガを描いていた藤野さんではありませんか、と。お互い偶然の出会いを果たしたのだ。
藤野は、そんな妄想を、葬式後の夜の部屋で、気づくと四コママンガにしていた。京本の部屋を見る藤野。その窓にはまるで藤野の妄想に呼応するかのように、京本が描いたと思われる四コママンガがあり、凶器が藤野の背中に刺さったオチで「後ろを見て」と書いてある。後ろを振り返る藤野。そこには京本の背に書いた藤野のサインのある半纏がかけられてるのだった。
ざっと書くと、こんな感じだが、途中なかなか複雑な所がある。
自分としては、引きこもりだった京本が美術という世界を頼りに社会へ出る、ということが、偶然とはいえ、社会に潜む狂気にふれてしまうことだったのではないか、と感じた。その象徴として、凶器をもった男というモチーフが扱われたようにも、ひとつ思った。
男が口ずさむ、〝パクられた〟という言葉から、社会事件や問題の一端をも、個人としても想像する。
僕はこれが自己慰安の作品だと書いた。
そして初めには、それが夜空の星のような部屋のひとつひとつ、とも書いた。
個人的に感じたことだが、これは個々人のクリエイティビティが普遍的に求められる時代になってしまったのではないか、ということだ。
それはつまり、個々人の自己慰安が個々人自身に求められていることでもあるように思う。
雑に言えば、〝一億総クリエイター社会〟のようなものになりつつあるのではないか、なっているのではないか、という示唆を、僕はこの作品から感じた。
僕の解釈は個人的な所があると思うが、
そうした自分自身を救う、ということが、もしかしたら誰かをも救うことにつながれば、という祈りのようなものを、勘違いかもしれないが、僕は「ルックバック」から感じた。
こう文を綴ることも、まるで夜空の星のひとつのような、インスピレーションの何かなのかもしれない。そう思いながら、ひとり部屋で書いている。