「MIXエンタメ時代劇」室町無頼 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
MIXエンタメ時代劇
時代劇
この物語がなぜ今だったのか、考えざるを得ない。
多くの物語は世相を反映している。
そこに普遍的要素が絡む。
恋愛も大きな要素だが、理不尽とか不条理もまた大きな要素。
何らかのモチーフを巧みに利用して、世相に対するオブジェクションを突き付けることも映画や作品というものの役割だろう。
そしてこの物語に感じる世相は、昨今話題の中心である財務省だろうか。
または財務省にそそのかされている政府かもしれない。
「何のための税?」
この憤りに対するのがこの物語だろう。
当時のさらに昔より繰り返されてきた武力行使による破壊と再生は、人間だけの社会で起きるものではなく、オーストラリアの山火事とそれによって再生する森が循環している。
また、大地震や津波や火山なども破壊と再生という普遍的なサイクルなのだろう。
この自然界がそうであるなら、人間社会も同じで納得させられるようにも思えてしまう。
さて、
無頼という言葉
アウトローとか社会から外れたものを指す。
しかしこの作品では、無頼というのは自分の中にある正義に従って行動する者、または誇り高い生き方をする者を指し示しているように思った。
歴史上の「事実」 蓮田兵衛という名前
一人の侍が引き起こした一揆
その根底にある飢饉と圧政と徴税
お金を返せなくなると奪われる土地、妻、娘
時代は室町だが、令和のこの世も同じなのではないだろうか?
「その」事実が森永卓郎さんによって暴露され、少しの知識ある人たちが後に続いている。
奇しくも起きた異常な高騰を見せる米価格。
この映画そのものが現代だ。
この作品と同じような不満の下地は出来上がった。
「考えろ、己の頭で」
何が正しい情報なのか?
まずここがわからなければ戦うことなどできない。
この物語では「タイミング」が問題だった。
今の我々に必要なのが正しい情報。
それが正しいかどうかは、己の頭で考えるしかない。
さて、、
必ずどこかに笑いを仕掛ける男大泉洋さんだが、この作品にそんなものは一切なかった。
お笑い俳優がシリアスを貫いた。
つまり、この物語は冗談ではないということなのだろう。
いつも冗談で済ませる者も、冗談ではないことを貫くほど世相はシリアスだ。
この物語の対立軸
幕府と庶民
アウトローでありながら、野心を抱いた骨皮ドウケン
同じくアウトローの蓮田兵衛は、現実を見ながら先を見据えタイミングを見計らっている。
モノを知らず、仕組みもわからず、力もなく、権力の底辺にいる才蔵
この才蔵は我々のあるべき姿を指し示しているのだろう。
自分で考えて答えを出す。
間違っていればまた修正すればいい。
才蔵は自分の主人となった兵衛の剣術に驚愕する。
さらに関所の金を盗み火をつける行為に圧倒される。
出会いとは本当に面白い。
才蔵にとって兵衛との出会いは、自分の人生の道を照らし出した。
その先に待つものがたとえ死であっても、才蔵は納得しただろう。
それほどのものを見たことこそ、「銭よりももっと動くもの」の正体だったように思った。
兵衛はその答えを「評判」と言ったが、それは後付けのように思う。
これもまた「己の頭で考えろ」ということだろうか。
主人や師匠の答えが正しいとは限らない。
この物語はかなり多くの型というのかMIXになっている。
モジュールの組み合わせが多い。
そのエンタメ性の中に仕組んだ「財務省」は良かった。
冒頭運ばれてきた大きな石
その石をあまり気に入らないと言う大名
石は東京五輪や大阪万博の象徴だろうか?
物語は大名を討伐し、借金を書いた紙を燃やすことで終結する。
一揆をおこした全員で「燃やせ 天下を燃やせ」と声高に謳う。
偽情報によってまんまとドウケンを騙すことに成功する。
ただ物語はそこでは終わらず、最後はドウケンと深手を負った兵衛が戦う。
それを見届ける才蔵
兵衛が彼に託した未来
そして若菜ちゃんとの再会
この後に続く希望こそこの物語の言いたかったことだろう。
若菜ちゃんが小さな子供に「小太郎くん」と呼びかけるが、彼が後の風魔の小太郎だろうか?
実在したかどうかさえわからない人物だが、ここにも後に活躍する者を忍ばせている。
それはおそらく兵衛と同じく、歴史の中に埋もれた「名も無き者たち」の意志が未来へとつながっていくという暗示だろう。
この普遍的なサイクルの中に私たちもいる。
この名も無き者たちこそ、私たちなのだろう。