「大泉洋の新境地、東映が挑む西部劇風時代劇アクション大作!」室町無頼 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
大泉洋の新境地、東映が挑む西部劇風時代劇アクション大作!
IMAX版先行上映にて。
寛正の土一揆(1462)の首謀者として、後の歴史に一行のみ残される事になる浪人 蓮田兵衛(はすだひょうえ)の逸話を元にした垣根涼介の同名原作を映像化した時代劇アクション大作。蓮田兵衛を大泉洋、兵衛の弟子となる棒術使い才蔵を『なにわ男子』の長尾謙杜、兵衛の悪友にして幕府の治安維持組織の長 骨皮道賢を堤真一が演じる。
応仁の乱(1467)直前の京都。長禄・寛正の飢饉(1459〜1461)により、多くの難民が京都で息絶え、餓死者は8万人にも及んだ。それにも拘らず、幕府をはじめとする大名や高利貸達は、民の窮乏を他所に悠々自適な生活を送っていた。そんな中、蓮田兵衛という1人の浪人が京を訪れ、道賢率いる足軽集団に捕えられた才蔵を貰い受ける。才蔵の棒術に何かを感じ取った兵衛は、自らの師である唐埼の老人(柄本明)の元に彼を1年預け、棒術の才を開花させる。やがて、兵衛は成長した才蔵らと共に、かねてから計画していた一揆の為に動き出す。
私は原作未読で、ポスタービジュアルからは、硬派でお堅い時代劇をイメージしていた。しかし、XやFilmarksでの試写会組の高評価ぶりから、興味を惹かれて先行上映に参加。蓋を開けてみると、音楽や演出に西部劇風の雰囲気を纏わせた異色の時代劇感を醸し出していた。クライマックスで兵衛達無頼漢が並び歩き、足利義政の屋敷へと最終決戦に向かう姿は、さながらサム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』(1969)のよう。
主演の大泉洋が初めて本格的なアクションに挑んだという本作。演じる蓮田兵衛は、普段はにやけ顔で飄々としていながらも、内に秘めた信念や剣の腕は確かな魅力を兼ね備えている。
また、彼の弟子となる才蔵を演じた長尾謙杜の演技は、未成熟ながらもウブで無骨な雰囲気を漂わせる才蔵にマッチしており、クライマックスで兵衛すら凌ぐ達人として覚醒する姿は圧巻。そんな兵衛らと敵対する道賢役の堤真一は、流石の名優っぷりで貫禄十分。チョイ役ながらも憎たらしい悪役っぷりで物語のクライマックスを盛り上げた名和好臣役の北村一輝も流石。
作中幾度となく展開される殺陣シーンの数々の迫力には、「流石、東映!」と唸らされる。去年『侍タイムスリッパー』という時代劇へ熱いエールを送った作品を目にしていただけに、時代劇の殺陣にしっかりとした迫力があるのは嬉しかった。そうした確かなアクションの下地以外にも、才蔵の修行シーンや覚醒シーンにはCGやワイヤーアクションといった現代的な手法も使い、邦画アクション大作としての見応えは十分だった。
また、物語後半で展開される一揆シーン、特に二条通りでの夜間のアクションは、かなりの予算を投じたであろう気合いの入った仕上がり。
しかし、これは原作の抱えていた問題なのかもしれないが、兵衛と才蔵の関係性がラストで重要になる以上、才蔵の修行に少なからず兵衛も関わるべきだったのは間違いない。何なら、修行の仕上げを武者修行ではなく、兵衛との一騎打ちにしても良かっただろう。そこでは兵衛に軍配が上がりつつも、兵衛は確かに才蔵の中に達人としての可能性を感じるといった演出の一つでもあれば、最後の教えとして“道賢と自らの一騎打ちに手を出さない”という「耐える事」の意味も、より一層重さが増したように思う。また、兵衛が修行に関わっていない以上、道賢が覚醒した才蔵を目にした際に口にした「(兵衛のやつ)育てたか…!」という台詞にも、「いや、育てたのは老人ですけどね」と違和感が生じてしまった。
本作最大のマイナスポイントが音楽。西部劇風の音楽こそ、シーンの演出もあってキマるものの、日常シーンや何気ない場面で掛かる音楽は悉く間抜けな印象を受けてしまい、それが物語への没入感を阻害していたのは否めない。作風とミスマッチ、もっと言えば平凡でダサい印象だったのは残念だった。
武田梨奈演じる声を発せない朝鮮人の達人である超煕(ちょひ)や、才蔵の実力に惚れて仲間に加わる衛門太郎らの活躍も、中途半端にキャラ立てした以上はもう少し活躍の場が欲しかったし、その後どうなったのかも気になった。
しかし、それでも邦画アクション大作として気合い十分なのは伝わってきたし、多少のマイナスポイントを埋め合わせるだけの熱量とアクションシーンの数々は劇場のスクリーンで鑑賞する価値があるのは間違いない。