劇場公開日 2024年9月27日

「目に見える悪意」Cloud クラウド 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5目に見える悪意

2024年11月5日
iPhoneアプリから投稿

そもそもがおかしい話だとは思わないか?

たかだか愚か者一人のために人生を棒に振る意味や意義がどこにあるというのか?バイトに雇ってもらえた程度で元雇い主の窮地に駆けつける義理がどこにある?頂き女子がターゲットを死ぬ寸前まで泳がせる必要がある?命より重要な商材など本当に存在する?

決定的に動機が欠如している。人々は幽霊のように、あるいはクラウド上を流れる情報のように画面を漂い、それらの交点上にときおり感情のふりをした暴力が明滅する。動機などはじめからない。誰もが空虚な人形に過ぎない。

動機が欠如しているのであればなぜ画面に運動が生じるのか?本作において人々を駆動させているのは、この世界に瀰漫する悪意だ。

『CURE』然り『回路』然り、映画の中を跳梁する悪は特定の個人や機関に還元されることなく、むしろ反対に非人称的次元へと際限なく拡散していく。黒沢清の映画世界において悪意はさながら汎神論のごとく世界全体を満たし、人々を破茶滅茶な方向に突き動かしている。

したがって「あのシーンで誰それは何を考えていたのか?」などと思案することにはほとんど意味がない。本作はそもそも人間(の内面)を描く気がない。あくまで人間という視覚的な共通コードを介して不可視の観念をカメラ=光学機械の前に引き摺り下ろすことが目的なのだから。

淡々と画面に蓄積していく動き(=結果)の中にいかんともしがたい不気味ささえ発見できたならば、それ以上何も望む必要はない。あなたが視覚を通じて感じ取ったそれは、純粋な悪意そのものなのだ。

物理世界に召喚された悪意はいよいよ膨れ上がり、可視的な超常現象として顕現する。吉井と助手を乗せた車から覗く暗雲はマグマのように燃え滾り、雷鳴を轟かせている。それはまさしく地獄の入り口と形容するに相応しい黙示録的光景だった。さすがにここはCGだったけど(笑)

観ていて気持ちいいシーンがいくつもあった。特に終盤の銃撃戦のくだりは『蛇の道』『蜘蛛の瞳』といったVシネ時代の黒沢清を彷彿とさせるような乾きと殺伐さが感じられた。廃工場の立体交差を彼ほど巧く使える監督はいないんじゃないだろうか。廃工場の内部から吉井の先輩が運転する黒い車が雪の降る屋外に飛び出す一連のショットはまさしく奇跡のような出来栄えだった。

黒沢清本人が「70手前で好きなことやれてマジで良かった♬」と豪語しているだけのことはある一作だったともいえるし、どうということはないいつもの黒沢清映画だったともいえる。

映画監督が同じ主題を死ぬまで再奏し続けることは素晴らしいことなのだ、小津安二郎もジョン・フォードもみんなそうだった、と蓮實重彦御大が語っていたので、その言を借りて私も本作に手放しの賞賛を送ることとする。

因果