劇場公開日 2024年6月7日

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かくしごと : インタビュー

2024年6月5日更新

、司法を飛び越える強烈な母性を体現 「倫理に左右されない行動力」を通して観客に問いかける

自身と同じ母役に挑んだ杏「今の自分だったらできるかもしれない」
自身と同じ母役に挑んだ杏「今の自分だったらできるかもしれない」

が主演を務め、関根光才監督の「生きてるだけで、愛。」に続く長編映画第2作「かくしごと」。は、偶然出会った少年を守るために、自身が母親であると偽る主人公を演じた。映画.comが敢行したインタビューで、自身も母であるが「今の自分だったらできるかもしれない」と直感し、挑んだ難役について語った。(取材・文/編集部)

本作は、ミステリー作家・北國浩二氏の「嘘」(※「嘘」は正字)を映画化するもの。絵本作家の千紗子()は、長年絶縁状態にあった父・孝蔵(奥田瑛二)が認知症を発症したため、田舎に戻り、介護を始めることになった。娘のことすら忘れてしまった、他人のような父との同居に辟易する日々を送っていたある日、事故で記憶を失った少年(中須翔真)を助ける。少年に虐待の痕を見つけた千紗子は、彼を守るため、自分が母だと嘘をつき、一緒に暮らし始める。3人は次第に心を通わせ、新しい家族の形を育んでいくが、幸せな生活は長くは続かなかった。

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ある辛い過去を背負い、目の前の少年のために、社会のなかでは許されない行動に駆り立てられていく千紗子。は、新境地ともいえる鬼気迫る演技で、司法や倫理の壁を飛び越える強烈な母性を内に秘めているような役どころを体現した。観る者は千紗子の想像を超えた母性を痛いほどに感じ、「かくしごと」というタイトルがさまざまな意味を帯びて立ち上がってくる結末に、圧倒される。自身は、撮影をどのような思いで過ごしていたか、聞いてみた。

「演じるうえで、2日に1度くらいは、本当に涙が出るようなシーンが多かったです。かなり重たかったり、思いつめたりするシーンがほとんどなので、気持ちのキープが大変でした。あとは真夏の撮影だったので、単純に体力的な大変さもありました。それこそ感情を乱されるシーンも多く、心も疲れるような環境だったので、自分のケアにも気を遣っていました」

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関根監督からは、役づくりについて、「自分を消して自分以外の誰かになろうとするよりも、キャラクターのなかにある自分らしさ、自分である部分をプルアウトして演じて頂きたい」というリクエストがあったそう。役そのものに共感できた部分はあったのだろうか。

「共感というと、またすごく難しく、千紗子の過去の重さや辛さは想像するしかない部分もありました。そのなかで、少年を守るために嘘をついたという行動は、もしかしたら自分のためだったのかもしれないと思いました。何にせよ、いまの司法の枠からは外れた行動ということで、世間に非難されてしまうものではあるのですが……」

「法律というのは人が決めたものであって、100年、もしかしたら10年時代が違えば、また国が違えば、千紗子の行動も賞賛されるかもしれないですよね。極端な話で言うと、150年前はまだ仇討ちの法律があったりもします。倫理は移ろいゆくものですし、ある意味でそこに左右されない、動物的な勘というか、『彼を救いたい』という純粋な心を持っている。その行動力は、すごいなと思いました」

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は撮影中、「人生・キャリアにおいて意味のある作品になったと思います。これが形になったとき、大きな節目を迎えるんだろうと感じます」と語っている。本作で、俳優として得たもの、また自身と同じ母役を演じたことで感じたことはあったのだろうか。

「本作の千紗子が母役かどうかというと、実の母ではないところが難しいのですが……。年々、年を重ねて涙もろくなるように、いままでだったら普通に聞いて、受け入れていたニュースに対して、『許せないな』と憤りを感じることが増えてきたような気がします。嬉しいことも、悲しいことも、怒りを覚えることもあります」

「自身の気持ちの変化もあるなかで、司法を飛び越えて体現していく、ブルドーザーみたいな千紗子には尊敬を覚えました。例えば皆『司法を飛び越えて救いたい、何かをしたい』という思いは、映画を見ていてもあると思うんですが、それができるか、できないかの差は大きいと思います。ストーリーのなかで、そうしたことをやってくれたというのは、すごくスカッとするというか。本作を見て『私もそういう行動をとりたかった』と思う方もいらっしゃるんじゃないかと想像しています」

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まさにの言葉と同じように、関根監督も、「過酷な状況にある人を助けたいと思っても、罪に問われる可能性がある場合、なかなか実行に移すのは難しい。でも映画のなかで、その気持ちが伝えられたり、助けられたりするかもしれない可能性が提示されたら、傷が癒える人がいるかもしれない」と語っている。俳優として、そうした映画の力について、実感することはあるのだろうか。

「私は、自分ではない何かになることができたり、ほかの人生を覗き込むことができたりするのは、エンタテインメントの大きな魅力だと思います。この作品は日常の延長線上にある、いまもたくさんある問題や悩みを描いているので、『自分が渦中にいたらどうするだろう』と想像が広がるような気がします」

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さらに、関根監督とのコミュニケーションや演出のなかで、印象的だった言葉についても、教えてもらった。

「関根監督が脚本を書かれていることもあって、『誰かになる、演じるのではなく自分の言葉で言ってほしい、言いづらければ変えてもいいから自分の生の言葉を大事にしてほしい』と言ってくださいました。そこまでセリフの大きな変更はなかったのですが、とにかく自分のなかから言葉を出してほしいと思っていらっしゃるんだなと感じました」

関根監督がセリフと、それを口に出すときの本物の感情を重視していることが伝わってくるエピソードだ。自身が演じるなかで記憶に残ったセリフは?

「初めて『あなたは私の子どもなの』と少年に伝えるシーンで、そこでは終わらずに、『私のことをお母さんと呼んで』という言葉が、ある意味、罪深いなと思いました。自分が伝えるだけじゃなくて、相手に言わせることで、共犯関係にするというか。そこはかなりエゴが混ざっているところなので、演じていてもすごくハラハラ、ヒリヒリするセリフだなと思いました」

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が口にした「日常の延長線上にある問題や悩み」として、本作では虐待や認知症などが描かれている。千紗子は、厳しかった父との確執や葛藤を抱えながら、日々、記憶を手放していく父と向き合うことになる。

「(孝蔵が失くしたものを探すシーンで)千紗子が『泥棒だ』と責められるなど、日常でずっと付き合っていかなくてはならず、治るわけでもないというのは、面倒を見る側の家族にとっては大きな負担だと思います。ですが本作では、そういう部分を隠さずに描いています。(孝蔵を演じた)奥田さんは素に戻られる瞬間があまりなくて。常に演じているというわけではないのですが、口数少なく、孝蔵が抜けきらないようにされていたのかなと思いました」

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シリアスな出来事が続く物語のなかでも、疑似家族のようになった3人がオブジェを創作するシーンはきらきらと輝き、幸福を感じさせる。同シーンは、ほぼアドリブで撮影され、3人のリアルな感情がみずみずしく映し出されている。

「3人揃って、笑顔で楽しいことをしているのが、実はあのシーンしかなくて。皆が能動的に、楽しく動いて、楽しく笑っています。あの家のシーンは、まとめて数日間で撮ったのですが、家のなかで起こる出来事では、笑っていることがなかったので、オブジェのシーンは特に記憶に残りました。あの工房で、3人が笑顔で……というのは、映像で見ていても現場でも、『何かいいな』と皆で言っていました」

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3人が疑似家族のようになっていく描写からは、孝蔵は全てを忘れてしまったとしても、新たに芽生える感情や愛着を抱えて生きているのだと感じられる。そしてある意味では、少年も孝蔵も“忘れる”ことで、ひとつの家族が形作られていく点も興味深い。

「お父さんは、症状が進んでいくなかで、どんどん赤ちゃんに戻っていくんですよね。そのなかで、『いろいろなものから、ある意味解放されているのかもしれない』というお医者さんの言葉があったのですが、どんどん無垢になっていく存在と、まだ無垢でこれから無垢ではなくなっていく存在というか、これからいろいろなことを学んでいく少年と、その中間にいる千紗子という存在が、一箇所で同じ気持ちを向けた数少ない、唯一のシーンだと思います。皆、自由にやっていたので、突発的なものがあったりして、それがすごくドキュメンタリーっぽいものだったりして、楽しかったですね」

かくしごと」は、6月7日から東京のTOHOシネマズ日比谷、テアトル新宿ほか全国で公開。

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