「キモい」コンセント 同意 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
キモい
これが実話だってのが驚き。
フランスってそんな国だったんか。
「表現の自由」に特別な信念のある文化的背景があるのかな。
巨匠ガブリエル・マツネフの狡猾なグルーミングの手管がただただキモい。
で、この人まだ存命なんだよね。
映画の冒頭の学校の授業のシーンで、「傲慢」を戒める話が出てくるのだけど、これってメタ的にマツネフのことを批判してるんだろうなと思った。
マツネフは、偉大な芸術家である自分は社会の法律や倫理などを超えた存在である、と確信しているような性格で、まさに「傲慢」の権化のような存在だから。
主人公のバネッサがマツネフに放った、「若くなくなったら愛さなくなるんでしょ」に対するマツネフの返答が、「私が愛することによってお前は永遠に若くいられるんだ」というセリフの意味が映画を観ているときには意味不明だったが、あとになってから、それって「私がお前を小説に書くことにより、本の中でお前の若く美しい時代は永遠のものになる」という意味なんじゃないかと気づいた。
もしそうなんだとしたら、こいつはマジでクズで、自己中の怪物みたいな存在だと思った。
バネッサが(マツネフの小説の中に)永遠に閉じ込められた支配を脱却するために、自分自身の小説(この映画の原作である「同意」)を書く、という手段をとったのは、バネッサにとっては単に自分自身を取り戻す、という意図に過ぎなかったのかもしれないが、マツネフに対してこれ以上ないくらいの復讐になったのは間違いない。
マツネフの「日記」と、バネッサの「同意」は、同じ二人の生活をマツネフ主観で描いた小説と、バネッサ主観で描いた小説になるわけだ。
「同意」は「日記」の芸術性やマツネフの人間性に厳しい審判を下す、マツネフの思想の答え合わせのような存在になる、という意味で、マツネフにとってこれほど恐ろしいものはない。
マツネフは「同意」に対してどう思っているのか、自分の傲慢さを反省した、ということがあるのか、気になる。
ジャニーさんと違ってマツネフが存命のうちにこうした糾弾がなされたということは良かった。
この映画のテーマである「同意」には考えさせられた。何をもって「同意」とするのか?
最近、統一教会への多額の寄付についての裁判があったが、未成年かそうでないかに関わらず、非道な「同意」というのは世の中にたくさんあるんではないか。
じゃあどうやって正当な同意と、そうではない同意を区別するのか、というのはまた非常に難しい問題なんだけど…。