「10年前、長江を撮った私にはひとつの心残りがありました。それは、長江源流最初の一滴を撮れなかったことです。」劇場版 再会長江 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
10年前、長江を撮った私にはひとつの心残りがありました。それは、長江源流最初の一滴を撮れなかったことです。
南京在住日本人監督による、かつてたどった長江を再びさかのぼりながら大河源流を目指すドキュメント。長江の長さ6,300㎞、流域人口は4億人。日本の規模を数倍上回る。だから、河口の上海から源流のチベット高原まで人の様子も異なれば、景色も違う。場所ごとにがらりと変わる風土や民俗を目の当たりにできる。ところどころ活用されたドローンによる風景の美しさはもとより、現地の人たちとの交流に心惹かれた。
一徹な重慶の荷役夫、澄み渡る瀘沽湖、印象深い土地土地。なかでもシャングリラが特筆だった。10年前あどけない少女だったツームーは、いまや民宿経営者。さて、ツームーはどうしているのかと想像をめぐらしながらシャングリラに向かう一行を見ながら、本編とは無関係に脳裏に浮かんだのは、冒険家関野吉晴の一大旅行記『グレートジャーニー』でのプージェーとの出会いだった。関野さんが久々に彼女に会いに行ってみると、悲しいことに数年前に交通事故で亡くなっていた。その事実を知った瞬間、見ていたこちらも衝撃を受けた。関野さんは、通訳になりたいという夢を持っていた彼女を援助する準備までしていた。そんな喜劇と今回の再会の機会がオーバーラップしてたのだ。だけどそれは杞憂だった。彼女はたくましく成長していた。個人だけではなく、この辺境の楽園の環境さえもがらりと変わっていた。人々の価値観さえも。これまで数百年も続いていた伝統もたった10年で。それはインターネットの普及のせいだ。それを悪とも言い切れないが。人間社会の進歩が急激に変化しているのを目の当たりにした気分だった。この速さと同じように、地球環境も変化していて、そう遠くはない将来に地球も人類も高みを謳歌しているつもりで、実はその高みの先には崖があって勢い余って転げ落ちるのではないかという心配が頭をもたげてくる。それこそ、杞憂というものであればいいのだけど。
ともかく。「前は別の世界に住んでいると思っていた。でも今は、同じ世界に住んでいると思える。だから別れが悲しくない。」の言葉は、人と人との心が通じ合うことは距離ではないことを、改めて教えてくれた気がした。そして、「夢を考えつく人は大勢いるが、それを実現する人は少ない」こそ最大の賛辞だった。