ピアノ・レッスンのレビュー・感想・評価
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迫力ある台詞が飛び交う姉弟喧嘩
一族が家宝にしているピアノをめぐる家族の対立の物語。 昔の「ピアノ・レッスン」とはタイトルが一緒なだけで全くの別物です。 オーガスト・ウィルソンの演劇の映画化です。 この台詞の言い回しや迫力は舞台っぽいなと思いました。 ほとんどが家の中での会話劇。 姉と弟の言い争いが面白いほど迫力ある口喧嘩。 オカルトチックな内容が本当にオカルトになっちゃうなんて思いも寄らんかった。
オカルト!?…
奴隷であった祖先と引き換えられたピアノ、そこには代々の顔や思い出が綴られており、一族の家宝となっている。時代は変わるも、黒人は生まれながらにしても持たざる者。ピアノを売って土地を買い、持ってる者に変わりたい弟と、家宝を守りたい姉の対立を描きつつ、根底にある奴隷制度、人種差別問題を描き、ラストはホラーテイストに。台詞量が多く、熱い演技合戦となるが、動きが少なく退屈だった。
家族の総てを奏でて
一台の古いピアノ。
ある家族の家宝であり、売れば値打ちもの。
だがそれには、奴隷でもあった黒人家族代々の歴史が刻まれている。
そのピアノを巡って、若い世代で真っ向対立。売るか、売らないか。
家族間の不協和音を鳴らす…。
1930年代。ボーイ・ウィリーは友人ライモンと共に大量のスイカをトラックに乗せ、叔父ダーカーが住むピッツバーグの町へ。
ある目的が。スイカを売った金と、叔父の家にあるピアノを売った金で、土地を買う。
だが叔父は…と言うより、叔父の家で暮らすボーイ・ウィリーの姉バーニースは絶対に売らない。
案の定ピアノを巡って、姉と弟で対立。元々姉弟仲もよろしくないようで、大喧嘩にも発展。
売りたい弟。売らない姉。叔父は売らない派だが面倒は避けたい。叔父の兄ワイニングもやって来てどっち付かず。ピアノの所有権はややこしく…。
また、このピアノは何やら曰く付き。ピアノや家族と関わった者が井戸から落ちる不審死続く。家の中で、家族の所有者だった白人主の幽霊の目撃談が…。呪いのピアノ…?
一体このピアノと家族はどんな歴史が…?
数奇と悲劇の繰り返し…。
家族の所有者だった白人主のサター。結婚するに当たって、婚約者にピアノをプレゼント。
が、ピアノの所有者はノーランダーという白人男で、金が無かったサターは自分の所有する黒人奴隷二人と交換。それが姉弟の曾祖母と祖母に当たる。
サター夫人はピアノに喜ぶが、お気に入りだった奴隷二人も惜しむ。そこで木工師だった姉弟の祖父がピアノに二人の顔を彫る。以来、家族の行事をこのピアノに刻んでいく事に。
すると次第に家族の新しい世代で、あのピアノは俺たち家族のものだと言う思いが。
そしてある時遂に決行。ダーカーとワイニング、二人の兄で姉弟の父チャーリーの三兄弟がピアノを盗む。
が、追っ手に追われ、チャーリーが命を落とす…。
ピアノを巡って死んだ父。
父を殺したと思われる犯人も井戸落ちの不審死。
ただのピアノじゃないのだ。家族の歴史と悲劇と様々な思いや出来事の証…。
どちらの言い分も分かる。
古い考えを一蹴するボーイ・ウィリー。曰く付きのピアノを売って絶ち切って、家族の未来の為に。
バーニースにとっては家宝だけではなく、父親の死因でもある。家族の総てが刻まれており、手放したくない。
バーニースのピアノへの執着は純粋な家族愛ではない。寧ろ、束縛。
ピアノの為に命を落とした夫を思い、姉弟の母はピアノを異常なまでに重宝。毎日毎日ピアノを磨き、メンテナンス。バーニースにピアノを弾かせる。ピアノを弾く事で夫/父と会える…。
それは愛や幸せなんてもんじゃない。見ていて恐ろしく、苦しくなるほど。
この家族は鍵盤の上で翻弄され続けるのか…?
数奇な家族とピアノの物語に、ある家族が挑む。
父デンゼルがプロデュース。長男ジョン・デヴィッドが主演。次男マルコムが監督。才あり過ぎるワシントン・ファミリー。
ピュリッツァー賞に輝いたオーガスト・ウィルソンの戯曲の映画化。
キャストもほとんどブロードウェイから続投。
キャリアの好調ぶりを示すジョン・デヴィッドの熱演。サミュエル・L・ジャクソンも久々のヒューマンドラマ/シリアス演技で本領発揮。
キャストで最も印象残すは、ダニエル・デッドワイラー。家族とピアノに対して複雑感情の難演を見事に。ジョン・デヴィッドとの演技バトルは圧巻。
父デンゼルも監督として評価されているが、息子マルコムの手腕も手堅い。
ヒューマンドラマだが、奴隷問題を絡め、ピアノに纏わるミステリー、ほぼ家の中の会話劇だが緊張感途切れさせず、ぐいぐい見せる。終盤はまさかの超常現象…?! それはピアノの呪縛や代々奴隷からの解放や自由を表している。
美しくもあり、恐ろしくもあり、圧巻でもあるピアノの音色も。
どの家にも家宝と言える家族の歴史や思い出が詰まったものがある。
某古時計は名曲になり、感動呼ぶが、本作は感動なんてもんじゃない。
呪いのように家族を束縛し、苦しめ、悲劇も…。
今も家族間の対立を招く。
が、この家族と共に時を刻み、苦楽を奏で、家族の総てなのは確かだ。
家族のこれからを奏でていく。
家族もこれからを奏でていく。
舞台で観たい作品
デンゼル・ワシントン、サミュエル・L・ジャクソン、 ジョン・デヴィッド・ワシントンのコラボ。 1911年、ミシシッピ州から物語は始まる。 この設定に多い凄惨な暴力表現の多い作品かと、 身構えてしまう。 本作は違う。 アメリカ南部における黒人家族の複雑な【内面世界】を鮮やかに描き出す。 人種差別という社会構造が個人のアイデンティティや家族関係に与える影響を深く探求している。 ウィルソンは「マ・レイニーのブラックボトム」では、 音楽業界における黒人女性ミュージシャンの苦悩を描いた。 こちらはyoutubeで取り上げているので言及はしない。 本作の物語の中心は、 白人地主サターのピアノを巡る姉弟の対立である。 姉は、ピアノを単なる楽器ではなく、 家族の歴史と文化を象徴するものとして捉え、 それを手放すことを拒む。 一方、弟は、土地の所有を通じて経済的な自立を図り、 家族をより良い生活へと導きたいと願う。 この対立は、単なる物質的な争いではなく、 黒人としてのアイデンティティ、 家族の絆、そして白人社会からの解放という、 より根源的な問題を孕んでいる。 観客は、それぞれの登場人物の立場に共感し、 彼らの葛藤を自分のことのように感じることができるだろう。 演劇、戯曲でも、この作品が高い評価を得ているのは、 登場人物たちの感情が、 俳優たちの演技によって鮮やかに表現されるからだろう。 ストーリーでカタルシスを作るというよりも、 感情の演技がカタルシスをクレッシェンドさせていく。 特に、後半のピアノ演奏シーンにおけるブルースのようなシャウトは、 舞台装置と一体となり、観客を物語の世界へと引き込むのだろう。
家宝のピアノ闘争
オーガスト・ウィルソンのピュリッツァー賞受賞戯曲を原作に家宝のピアノをめぐる家族の対立を題材にしたヒューマンドラマでピアノを売りたい弟と守りたい姉を軸に一家が過去と向き合い葛藤する。家宝のピアノ闘争。父親のデンゼル・ワシントンがプロデューサーとして参加する。ピアノを売り一家の財産を築きあげようとするか、一家のゆいいつの遺産であるピアノを先祖の歴史とともに守り抜こうとするか、でシナリオは展開。いわゆるピアノ自体が作品の重要なマクガフィンで、家族の絆の揺らぎを命題にまざまざと魅せる。キャスト面ではサミュエルとジョン・デヴィッド・ワシントンの競演だけでも、稀少価値はあった。基が戯曲の映像化だけありピアノにまつわる一族の固執やたわいもない台詞の応酬が観てとれる。黒人階級の病理にもタッチして本気の気概を感じさせた。
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