「「真実」と「正義」が激しく対立・・その先に何が見えるのか」正義の行方 しのぶさんの映画レビュー(感想・評価)
「真実」と「正義」が激しく対立・・その先に何が見えるのか
少し前に、NHK・BSで放送した警察・検察側の主張を2時間と弁護側2時間の4時間と言う長編ドキュメンタリー番組「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」を劇場版にした作品。TVで見た時には凄い番組を作ったものと、そしてこの事件を過去の話にしてしまってはいけないと言う番組関係者の執念を感じながら観たことを思い出す。警察・検察側も弁護側も決して嘘偽りの証言をしていると決して受け取ることは出来なかった。残念なことに犯人とされた久間さんは最高裁で死刑判決が出て2年後と言う早いうちに死刑執行されてこの世にはもういない。本当の「真実」はいったいどうだったのか?謎のまま今に至り、なお弁護側は無罪で有ると再審請求を申し立てている。当時、警察発表をそのまま報道した地元紙の担当者や関係者の報道に対しての反省や回顧は、今現在のメディア・マスコミの有り様にも通づるものが有ると思ってしまう。
TV番組で放送された内容で1点映画に無かった事
「久間さんとは全く別人物の男性が運転するワゴン車に小学生女児2人が乗っていた。その子たちが心細げな悲しげな表情で隣を走る自分の運転する車の方を見ていたと。そのことを警察に告げるが取り合ってくれることは無かった」・・と言う箇所が抜けていた。
劇中での弁護士の言葉で「剣と天秤を持つ正義の女神の姿は、ヨーロッパでは目隠ししている。白人、黒人で有っても、どんな状況の中でも真実を見なければいけないと。かたや日本の女神は目を覆われては居ない。これは何を意味しているのか・・」日本国内での様々な判決では、権力に阿って判決が揺らいでしまい真実とは遠いことを支持し判決を下しているのではないか?と思はされることも有る。法の番人と呼ばれる裁判官があっちこっちと視線が定まらない・・日本の女神にも目隠しが必要なのではないか。
TVと映画の両方見て私個人としては久間さんは無実、冤罪事件だったのではないかと言う思いを持った。そして、権力を持つ組織の手にかかると無かった事も有ったことにされてしまう恐ろしさも同時に感じた。