パレードのレビュー・感想・評価
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映画パレード
どんなに思いが深くても命あればこそではあるけど 命尽きても愛おしい人たちへの愛は尽きない 逝ってしまった大切な人は心から消えたりしない忘れない 愛おしい気持ちはどちらからも消えないんだなと優しくあたたかい気持ちになりました 生きていく私たちは全力で生きていこう愛おしい人を心に刻んで
人物描写が単純で深みがない
16ミリカメラを構えているサムネイルに惹かれて鑑賞しました。
坂口健太郎演ずるアキラのお父さんが小説を書いている描写と、ナナと靖子の屋上での涙には胸にくるものがありましたが、
そのほかのキャラクターの背負っているものの描き方が浅く、入り込めませんでした。
死に対するショックや怒りを美奈子やナナは当初感じていましたが、
死者たちのパレードを見たことでそれが解消するとは到底思えません。
ナナが気持ち悪い、何かの宗教?というようなことを言っていましたが、それに近い薄気味悪さを感じます。
心のグラデーションがなく、前後で別人に近いキャラクターになってしまっていると思います。
16ミリの映画作りについても、監督やスタッフは自身が映画に携わっているにも関わらずあのリアリティの無さで満足なのでしょうか?
死後だからなんでもあり、で片付けず、
せめて、食べ物はいつのまにか冷蔵庫に入ってるのよね、だとかフィルムはいつのまにかセットされてるのよね、といった、当人たちが不思議を受け入れる描写が欲しいです。
編集はしてるけど現像はどうしているのだろう、など、中途半端な部分が気になってしまいます。
大切な存在をなくした人には響くかもしれない
ふわっとした朧げな印象の映画で私はそれが好きだけど、人を選ぶのかもしれない。特に近頃は何に対しても明快な説明や「伏線回収」などと言って、明快な説明を求める傾向があるように感じるので、そういうのを求める人には向かない気がする。そういう人に対して疑問なんだけど、どうして全ての話に伏線を探そうとするのかww 話が脱線しました。 そもそもが幽世と現世の境目の話だから、夢を見ているような朧気な感じなのだと思います。 この映画をふと見ようとした訳があります。 私は最近、大切な存在を亡くしました。 とても辛くて、白血病のように髪の毛まで大量に抜けました。 この映画を見る前から、私のいる現世と、亡くなった子がいる世界は重なっているのではないかと感じていました。わかりやすく言うと、いわゆる心霊的な現象が多々あったからです。大切な存在だったので嬉しい位で全く怖くありません。 そういう気持ちを持ったところで、パレードと言う映画を鑑賞しました。そこには私の想像していた世界観がありました。それがとても胸に響きました。本当にこんな風であったら、いまつながっているんだね、そう呟いて涙がこぼれました。 その先の世界の事は、わからないけれど、あちらも私を思って境目で私を見守っているのかもしれない。とても切なかった。 この映画も、特に怖いところはないと思うので、怖いのが苦手な人も大丈夫じゃないでしょうか。 ちょっとヨーロッパの映画みたいで、余白を残しといて自分で考えさせるようなスタイル。私は結構好きでした。
つまらない部類の中でも、かなりつまらない!!
昨年公開の、とある劇場アニメでもありましたが、死後の世界の話って面白いですかね、私はつまらないと思います。その上ストーリーも超つまらないし、社会経験の浅い脚本家が思い付いたような薄い感じです。ポスターの題字には拘りを感じました。
設定が説明不足で入り込めない
知人が出演していたので観ました。役者さんは豪華だし、映像も世界観も美しいし、後から考えるところも多い。しかしせっかくの長さの作品なのに、肝心の、この世に未練を残して知らずにとどまっているこの場の設定が説明不足で、いくら見続けても疑問が次から次と湧いてきて、映画に浸れなかった。
まず最初に、彼らはなぜ運転も出来るのか?なぜのんびり飲み食いできるのか?そのガソリン代は?彼らは買い物をするのか?その品は何処から?その代金は?そもそも物を食べる必要があるのか?こんな世界があるなら、今すぐ死んだほうが楽じゃんと思ってしまった。
例えば、長澤まさみ演じる彼女が、ここに来て、あんなボロい部屋にいて、寒さも暑さも感じない、服も汚れない、飲食物はどこからともなく手に入るし味も感じるけど空腹も排泄もない…「あぁ私は生きてないんだな」と感じるとか、ガソリンメーターは0を振り切ってもいくらでも走るとか、そんな設定なら死を実感するけど、その辺が不説明で、最初から最後まで疑問が尽きなくてモヤモヤする(生死の境界をさまよっているナナが酒の味を感じない、ということが、後からそうだったのかと思えるように描かれていればよかったのに…)惜しい惜しい。
同様に、この映画のタイトルでもあるパレードが、せっかくの美しさなのに、目的が曖昧で残念。そもそもこのパレードの目的は何なのか?会いたい人に会うためならば、相手も死んでいなければならない。会いたい人の消息を知るためならば、情報交換の場がちゃんとあるべきだ(東日本大震災の時の、伝言の壁のような)。パレードの目的とその行き着く先がしっかり描かれていればいいのに、ただの百鬼夜行のようでモヤモヤする。あれだけ沢山の人(死者?)が集まるなら、他のコミュニティ?とのやりとりもあってもいい。上司と主人公の関係も、どこまでの親密さだったのかよくわからない。
実際、パレードと関係なく、登場人物はほとんど実際の生者と出会って、今いる世界と現世で、やりたいことをやって成仏していく。あんな純真そうな女性がヤクザと付き合っていた訳も、気になって話に入り込めない。一人ひとりの話をを書き残そうとしている登場人物がいるのに、一人ひとりの物語にモヤモヤが残るからどうしようもない。後半その点に目をつぶって見ていくと、なかなか良い終わり方だとは思う。でも繰り返し言うように、初期設定が曖昧で話に浸れない。
聞けば、この企画はもう亡くなった方が作られたような。制作された方々は自分たちでは、その設定がわかっているのかもしれないが、初見の私には説明不足で疑問と不満ばかりが残った。残念。
全体に脚本を見直して、もう一回作り直したら、「フィールド・オブ・ドリームズ」のような、世界に通用するような素晴らしい良作になる気がする、と思う。
死者に対するプロパガンダ映画。
1970年には沖縄は日本に返還されていない。この暴動はゴザ暴動だと思うが、革命という概念が間違っている。
死んでしまった人の鎮魂歌なのだろうが、もし仮にこんな場所があったとすれば、人が人を殺す戦争の犠牲者が加わると、どんな状況になるのだろうか?
それを考えると死ねなくなる。
こんなのんびりした黄泉の国なら、早く死にたくなるだろうがね。多分、あったとしたら、こんな場所じゃない。だって、生きる事はもっと大変だからね。
僕は母には「頑張って生きるから、まだ、そっちに呼ばないでね」と毎月墓参りには行っている。
製作年 2024年
製作国 日本
配信開始日 2024年2月29日
上映時間 132分
映画館は渋谷のよく行ってた映画館じゃない?いつも一番前の真ん中で見ていた。
みえない約束
こころの整理がないままの別れは 忘れ物を永遠に探しているような感覚なのだろうか さよならの続きを体験したこちら側は それを握り前を向く パレードの灯は お互いへの伝言板 身近な人との間に聞こえる秒針が みえてくれば目を逸らし 聞こえてくれば耳を塞ぐ 未知の扉が私も怖い だけど 大丈夫 わかってもらえる 浜辺のシーンに感じた穏やかさの正体が みえない約束を交わす そこではじめて あぁ、これは遺されるものへの あたたかなメッセージなんだという気がした
映画館でみたいなと思いました
すごく良く出来た作品だなって思いました 藤井道人監督作品が好きだからってのもあるかもですが 過去作同様にガッツリと物語へと引き込まれました 最近は映画館で邦画がすごいがんばっていて 良い作品がかかるようになり映画ファンとしては嬉しい限り 漫画原作しか成功しないとの意見もありますが 結構いい作品を送り出す監督は少なくないと思う 藤井道人監督とか是枝裕和監督yとかその筆頭では? と個人的に思ってます もっと映画館に通いたいので良作たくさん作ってほしいです
こんな感じだったら良いなと思う
良い年で先を考える様になる事は 増えるし、若くても考える事だけど こんな世界が待っているのなら 希望もあるのではないか? と ほっとすると思います 私はとても良い映画だと思います 何も情報を得ずにフラットに観て欲しい
藤井監督の思いが詰まってるというのが強く伝わった。 命は未練がある...
藤井監督の思いが詰まってるというのが強く伝わった。 命は未練があるうちは存在していて、こちら側からは見えず聞こえず触れることもできないけれど、先の世界線でわりと楽しく一人で寂しい思いをすることなく生きている。思い残しがなくなったのにち生まれ変り、案外身近に居てくれているのかもしれない。という、希望を込めた生死観の提案。 に、私は感じた。 映像や音楽、作品としてのまとまりが美しかったのはもちろんいつものとおりで、今回特に美術がとてつもなく壮大で綺麗で素晴らしかった!! まさみちゃんと大兼君の親子再共演をはじめいくつかのサプライズなおもしろさもあった! 個人的にはエキストラに参加して一日がかりの衣装もメイクも凝った編集も大変であろう撮影がほんの何秒かの尺でしかなくて、改めて映画作りの大変さと携わる方々への敬意にひれ伏しました🙇♀️ ・配信記念試写会イベント
なんか薄い。。
自分の理解力の問題もあるとは思うけれど、あくまで個人的な感想を言わせてもらうと、一見深みのあるいい話が沢山盛り込まれていて、まとまりもある、いい作品のような気がするのだけれど、何かが足りないというか、薄い。全然響かなかった。異なるエピソードが複数あるために深みが分散されてしまい、全てが薄くなってしまったという印象。 最初にも書きましたが個人的な感想です。
映像と音楽と演技は満点
序盤から主人公がゴースト。奇跡系ファンタジーだから人間ドラマ重視。 中盤あたりで涙腺スイッチが入ってしまった。 登場人物それぞれの"未練とゴースト視点の達観エピソード"が程よく小分けされていて飽きなかった。 ラストの締めくくりかたが素敵だった。 ひねりが効いていて卓越した脚本。 美しい映像と野田洋次郎の音楽と、演技の中で演技をする場面がとても好き。
Netflix「パレード」黄泉の国の手前の場所に滞在する人たちを描...
Netflix「パレード」黄泉の国の手前の場所に滞在する人たちを描きながら、むしろ生き残った人たちのための映画だと思うんだけど、あまり乗れなかったな。映画のでき自体もちょっと辛いし。ベストシーンはリリーフランキーの「監督兼主演、ヤン・イクチュンスタイル!」でした。
気持ち悪い
この映画に限ったことではないですが、死後にも救いがあるとでも言いたげな映画は非常に居心地が悪いです。おそらくこの時点でnot for meな映画だったのでしょう。そこは飲み込みました。ただ、それにしても首を捻る箇所がいくつかありました。 まず、あの百鬼夜行みたいなシーンですが、なぜあれを見せられると長澤まさみも森七菜も急に素直になるのか謎でした。僕らも助け合ってると言いたいのかもしれませんが、長澤まさみはともかく、森七菜の未練は誰の助けも必要としていません。そもそも月1の会合を見せられたからなんだって言うんですか。 そして、未練の解消と成仏のジャッジも謎。現世の未練を解決しても「あ、もうちょっと延長」が出来るなら一生あそこにいたいわ。いろんな人とコミュニケーション取れるし、鍋も美味しそうだった。死んだら完全な「無」なんだし(作り手はそう思っていないのかもしれないが) 最も顔をしかめたのがリリー・フランキー演じる自称映画プロデューサー。誰がどう見ても河村光庸です。「この世界を書き留める」使命を持った坂口健太郎に「頑張れよ!もっと書いてくれ!」と彼が鼓舞するシーンは背筋が凍りました。 映画と作家を過度に結びつけるのは良くないと思いつつ、故・河村プロデューサーを映画に登場させて自分に激励を送らせているようにしか見えなかったです(生前に本人から言われたのかもしれないけれど)。死人に口無しを良いことに、生者が死者を都合の良いように操っているようで非常に不気味でした。
失われぬ絆を求めて
この世とあの世の狭間の世界。
特異な設定ではあるが、映画としてはそう物珍しい設定ではない。是枝裕和監督の初期作『ワンダフルライフ』や近年だと『天間荘の三姉妹』とか。
監督作続く藤井道人によるNetflixオリジナル映画。また、ある人に捧げたであろう作品。
海辺で目を覚ました一人の女性、美奈子。
地震と津波の災害があった後で、町は瓦礫と化し…。
能登大地震の衝撃が未だ尾を引く中での配信はタイミングが悪かったとしか言えないが、こちら東日本大震災が背景になっているのは明らか。
混乱の中を懸命に探す美奈子。離れ離れになった息子の良を。
だが不思議な事に、美奈子の声が周囲の人々に聞こえていないようだ。何故…?
そこへ一台の軽トラが通り掛かる。乗っていた青年・アキラには美奈子の声が聞こえているようで、彼に連れられある場所へ。
遊園地跡地。4人の男女がいる。
彼らが言うに、ここは…
この世でもあの世でもない。まだ“その先”に行けない者たちが留まる場所。
美奈子はすでに死んでいた。ここにいる彼らも。
留まる理由は…?
現世に何か未練がある。まだ“その先”に行けない…。
海辺の近くの遊園地跡地。オープンバーがあって、各々に小屋があって…。
『天間荘の三姉妹』の温泉旅館もいいが、こちら夏休みなんかには最高な解放感。
しかし、ここに来たという事は…。
タイトルの“パレード”とは死者たちの祭りではなく、月に一度、皆で会いたい人を探す。
幻想的なシーンにはなっているが、この“パレード”が別にそれほど作品の主軸になっていなかった気がする。
寧ろ、個々のドラマが魅せるものがある。
美奈子の未練。息子の安否。もし自分の声が息子に聞こえたら息子も死んでいるという事だが、生きていたらこの声は届かない…。苦悩とおおらかな母性愛を長澤まさみが熱演。
小説家志望のアキラ。未練は、父親。身体が弱かった小さい頃父親が怖かったが、父と一緒に小説を完成させたい…。坂口健太郎の好演。
若いヤクザの勝利。未練は組と、恋人。今どうしているか…。普段は威勢のいい性格だが、会いに行く勇気が無い…。本作のみならず、横浜流星が日本映画に於いて存在感を発揮し続けている。
自称映画プロデューサーのマイケル。お喋りでちょっと面倒な時もあるが、誰に対しても分け隔てなく接する。リリー・フランキーの為に用意されたような役。
スナックのママ的なかおり。未練は、家族。子供たちが自立して家庭を持つまで見届けたい…。寺島しのぶが面倒見の良さといい女っぷり。
田中哲司演じるサラリーマン風の田中。彼は“その先”の案内人。
毎日毎日一日の大半を皆で他愛ないお喋りなんかをして過ごしたり…。家族のような空気感が温かく心地よい。
他にも黒島結菜、深川麻衣、でんでん、奥平大兼、北村有起哉、木野花、舘ひろしら豪華キャスト。最近『ベイビーわるきゅーれ』を見てご贔屓になった高石あかりも。
Netflixの金脈か、藤井監督の人望か。
映像や野田洋次郎が手掛ける音楽も美しい。
各エピソードで一番良かったのは、リリー・フランキー演じるマイケル。
本当に映画プロデューサーだった!
彼の未練は、映画。未完の作品がある。それを完成させたい。
皆と映画撮影。その雰囲気が何だか楽しい。
内容は、マイケルの若かりし頃。沖縄で学生運動に身を投じ…。映画と青春と想い人。
自伝的な作品。題して、『失われた時を求めて』。(本作のタイトル、これでも良かった気がする)
想い続けていた人に会いに行く。
マイケルの前にも、勝利が。アキラは父と。美奈子も遂に息子を見つける。
勝利のように成就され、旅立ちの時が。
ずっとここに留まる訳にはいかない。
一人一人ずつ、思い残す事なく旅立っていく。
死者と生者の思いを描いたヒューマン・ファンタジーだが、マイケルのエピソードが印象的で映画讃歌のようにも…。
勝利と入れ替わるようにしてここにやって来た女子高生のナナ。森七菜の拗ねた感じと劇中映画での演技は印象残すが、彼女だけ自殺未遂の昏睡状態というのがちと違和感。
そういう設定があって、彼女の“その先”が活きてくるのだけど…。
ラスト、昏睡状態から目覚めたナナ。10年後、彼女は…。
その仕事も今交流持つ人間関係も、あの場所での経験、出会い。
生と死を越えて、交流と絆が紡がれていく。
何だかそれが、藤井監督がある人に捧げたように感じた。
EDに“マイケルに捧ぐ”。
劇中でリリー・フランキーが演じたマイケルではなく、藤井監督にとっての“マイケル”。
藤井監督の作品を多くプロデュース。意欲的な作品に携わり、本作でも“企画”として。2022年に亡くなった河村光庸氏。
亡くなった人ともう会う事は出来ない。
が、映画を通じて在りし日に思いを馳せる事が出来る。
生者と死者。その絆は決して失われる事はない。
題するなら、
失われぬ絆を求めて。
映画大好き!
生前の現世に未練がある人達が死後、全国各地に集っている場所があるらしい。
生きていたら接点が全くなかったかもしれない者達が、生前に未練があるという共通点で心通わせていく。
自らの死を受け入れるまではできても、未練があったら、生きている人たちを見に行った後、もっと泣き崩れたりありそうなものだが、みんな淡々としていた。味も感じないらしい。
この作品を観たのは横浜流星が出るから。
横浜流星がヤクザの親分の息子、勝利役なのだが、良い役を貰っていて。
組同士の抗争で亡くなるも、残してきた妻が心残り。
見に行くと、妻も勝利への気持ちがまだまだあるままに、別の男性から求婚されていて、心に蓋をして区切りをつけ、新しい人生に踏み出そうか葛藤しているところだった。生きていても、反社の嫁として生きにくいより、良さそうな男性となら応援をした方が良い。
その踏ん切りをできる、優しい男役だった。
満月ではなく新月の日に、探している相手を求めて、亡くなった人達で練り歩いてパレードしているとか。
それぞれの未練を打ち明けあって、未練が消えると次の世界に旅立っていくのだが、森七菜扮する、いじめを苦に自殺した女子高生ダテナナのまさかの夢オチ。次の世界に行かずに、現世に戻ってきたようだ。
それがありなら、長澤まさみ演じる美奈子も、生き直して息子の良の元に戻る選択もありなはずだが、死因が津波ゆえそれは難しいようだ。
災害の多い日本で、大切な人を亡くし、この映画で亡くした人達の想いに、思いを馳せる人はおそらく沢山いるはずだ。
隠れテーマ
①俺達は映画が大好きだ!という映画業界人の主張
②大人になっても仲間になるって良いよね
映画を中心に出ている俳優ばかり。
しかも、マザーの時の長澤まさみと大兼くんがまた親子役で登場。
垂れ流して消費するテレビではなく、ずっと残る作品となる映画に、人間の大切な感情を表現して描ききり、メッセージとして伝えたい。そのために、大人達で真剣に団結して作り上げる「映画」を大好きだ。という主張がリリーフランキー演じる自称元映画プロデューサーのマイケルから何度も飛び出す。
作中でも、マイケルの未練である、学生運動時代の経験をまとめた映画を完成させたい、という想いのために、みんなで協力して映画を撮り、その経験に感化されたナナは生きて映画を撮る人生を選んだようだ。
生きる事に未練なく自ら死のうとまで追い詰められた者が、映画を通して、生き直すこともできる。
この作品で伝えたい強いメッセージに感じた。
映画館がガラガラの昨今で、この作品は映画だけれどNetflix配信。伝える媒体を変える挑戦と不安がありながらも、「映画」という文化を守っていきたい。という強い想いを感じた。
その思いはきっと繋がっていく
死んでも死にきれん!な気持ちを抱いたまま次の世界に踏み出すのは確かに難しい。その達成を待ってくれる世界があるってなんて優しいのだろう。 壮大な喪失の中で、目の前から消えてしまった大事な人と対話するように、やり残したことがもしあったとしても、後世に繋がっていくから安心してと言われた気がした。 自分への思いを残している人にごめんねを伝えて気持ちに区切りをつけていたけど、ありがとうじゃなくてごめんねなのが、とても藤井監督だなと思った。 勝手な解釈だけど、なんで自分を置いてっちゃったの?という気持ちが強かったんだろなぁ。そしてそのお返事が、何も告げられずに消えてしまってごめんね、なんだろうなと思う。優しい人だね。 もし自分が死ぬとわかっていた上で時間を巻き戻せたら、何をやり遂げてから次の世界に行くんだろうか。 もし今世で心残りな関係になってしまった人がいても、私は来世を信じているので、今世ではこの関係だったけど来世では家族かも知れないね、来世に期待!と思って生きてる。 お別れのお話かと思ったら心が温かくなる話で、というのを健太郎君がトークでも話されてたけど、ほんとその通りだなと観終わって思う。 映画って監督の思想が透けて見えることが多いと思うけど、この監督さんは人情味あふれる温かい人なんだろなと思った。 大画面で観られたことに感謝! 美しい映像に入り込むことができました。
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