【推しの子】 The Final Actのレビュー・感想・評価
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炎上騒ぎで気になって見た
原作の結末あたりが酷いという炎上騒ぎで気になって実写版はどうなるか気になって、原作漫画読書して、アニメ未視聴、アマゾンプライムドラマ版全話見てから見ました。
・キャラクター配役はマッチしてると思う。ビジュアルも小物も背景美術も申し分ないクオリティ。
・ストーリー、、、アマゾンドラマ版と対になってる。
ドラマ版で見れない部分が映画で解明されてて、映画で分からない部分がアマゾンプライムドラマ版で見れるようになってて、全話理解するにはどっちも観ないと分からない仕組みになっていた。商売上手だけど、なんだかな〜、、、。
・原作漫画の結末があまりにも酷いと思ってる派なので、実写版でなんとか良い改良されてると期待してみたが、そうでもなかった。
⚫️体があるかないかの違いだけで、話には深みがなかった。それでもドラマ版は丁寧に作られてるのに対して、実写映画版は駆け足で作られてるので、どっこいだなーって。
原作と比べたらまだマシなレベル。
あの後半の膨大なボリュームを一時間足らずでまとめたのが良くなかったかな〜と思う。2部作くらいに分けてして欲しかった。
100点満点ではないけど良改変だった
推しの子は原作の漫画はかなり好きでしたが最終回付近4〜5話くらいにかなり不満を持っていました。そこで実写の評判が良かったのでドラマシリーズは視聴してませんが映画館で観て来ました。個人的にはかなり良い改変だったと思います。
・ラストの改変
まずラスト周りのアクアの行動原理が原作より理解しやすくなってました。カミキヒカルをその場で殺さないといけない理由が原作よりも説得力があった。ルビーの誘拐を無理矢理ドーム公演の朝ではなく映画の挨拶の時にしたことも説得力が増す要因だったの思う。
・有馬かなについて
原作の方でやりたい放題やって非常識キャラが定着してしまった有馬かなですが映画の尺の都合上非常識な部分がカットされていたので、有馬かなでありつつ、普通のヒロインになっていたところが良かったなと思った。それと卒業ライブにアクアが来ていたところが原作勢かな推しにとってはとても救いになったんじゃないかなと感じた。
・サブキャラのカットについて
原作で「このキャラってなんだったの?登場する必要あったか?」って感じのキャラが何人かいたが軒並みカットされてたので話としてややこしくなくて見やすくなっていたと感じた特にツクヨミをなかったことにしたはかなり英断だったと思う。ただそれでも殺された片寄ゆらは可哀想w
・尺について
製作陣の映画だけ見てもわかるようにしたいと言う気持ちが伝わった。ただ前半の幼少期パートがあまりにも長く、それで後半が駆け足になってしまっていた点が唯一残念な点だった。特に、ルビー闇堕ち→前世バレの展開は推しの子の原作でもトップクラスに盛り上がった展開で個人的にも期待していたシーンだったのでもう少し丁寧にやって欲しかったという気持ちはあった。
全体としては原作のラストがかなり賛否あったので、原作とは違った終わりとして実写版があって良かったと思った。
見ずに批判したことを反省
実写化発表の時、「なんで実写にすんだよ!無理だろ!」って思っていました。
思っていましたが……
プライムビデオを含め、とても丁寧な作りだと好感を持ちました。
原作から感じていた湿度の表現が私にはマッチしていました。
映画で一番「おお!」となったのは、アイパートから現代パートに移る瞬間。
なかなかにゆったりとしたアイパートだったので、現代パートに移るの難しいんじゃ…?と思っていたのですが、全然違和感がなく!
ティザービジュアルの映像版と言いますか、プライムでのシーンにアツくなり引き込まれていきました。
後半は駆け足になってましたが…。
前半のアイパートを5分でも10分でも短くできなかったのか、とは思いましたが、
造り手の苦悩を知らない私が言えることでは無いですね…。
客は「こうすれば良かったのに!」といくらでも言えますが、この作品を作るのはとても難しいと思います。
なにより、推しの子を実写化する上でここまでのレベルに仕上げられる制作陣は他に居るのか…?と感じるほどのレベルの高さだと思いました。
視聴前から唯一の期待だった原菜乃華ちゃんの有馬かなは、有馬かなそのもので嬉しかったです。
他のキャストさんも素敵な方が多かったですが、「見れるものを作る」有馬かなを原ちゃんも担っているように感じました。
アクア役の櫻井海音さんは、私は初めて見た役者さんでした。
話が進むごとにアクアらしくなっていき…映画はアクアにしか見えなくなる程でした!
少年A役の時は若干ニノ感を感じました。凄かった!
稲垣来泉ちゃんと成田凌さんは流石でした。
思わず泣きそうになるほど。安心して物語を見ることが出来ました。
大抵の実写化は失敗するイメージがあり、発表時は大批判側でしたが…
見ずに文句言っちゃダメですね…反省しました。
素敵な作品をありがとうございました!
ドラマ>映画
これはなかなかめんどくせぇ作品でした。
①原作もアニメも人気があってその中で実写化するのはみんなの厳しい目の中難しいかったと思う。キャストが発表された時なんてめっちゃ批判されてたしね。原作でもメディアミックスの難しさを取り上げてたくらいなので、それが分かったうえで本作も例外ではなかったと思う。
②さらに公開前に原作が最終回を迎え、それなりにラストが批判されていたため、その作品の前評判を背負う形となった。
③アマプラとのタイアップであり、アマプラでドラマを見ていることが前提となる。
この3つの要因から映画を鑑賞するハードルが高かったように感じました。
③に関しては原作のストーリーに沿うと
映画の前半→アマプラ→映画の後半の順になるため、これもちょっと見る側としてはめんどくせぇなと思いました。ただ映画単独でも理解できて完結する形にしようとした意図や努力は賞賛したいです。
ただ、前半の内容はみんなアニメ1期の1話で分かりきった内容なので、ドラマのラストからの続きを早く見せてくれと思った人は多かったんじゃないでしょうか。
個人的には映画はおまけでドラマの方でしっかり楽しむ作品だったなとは思います。
ドラマはかなり尺があったのでそれなりに丁寧にストーリー展開や登場人物の自然な心情の変化とかが描かれていたと感じました。
一方で映画の特に後半はやはり駆け足になってしまった部分は否めないと思いました。アクアがゴロー先生だと分かったところとかもうちょいゆっくり見たかったし、最後ルビーがドームに立つところは瞳が光らないのなんでなんって思ったし、他にもツッコミどころはあげればキリがない。
それでもなんだかんだキャストはそれなりにハマってたと思うし、アクア役の櫻井さんもどうかなーって思ったけど声がよかったし、原菜乃華はまじで有馬かなだったし、ルビーは齋藤なぎさちゃんくらい元々アイドルでキラキラした子じゃないとできないとおもったから良かったと思う。ちゃんとB小町頑張ってたし見てて楽しかった。
客観的に見れば批判するとこはいくらでもあるけど、それ以上に批判覚悟の制作側の苦労やキャストに対して好印象が上回った作品でした。邪推なしに普通に楽しめました。みなさんおつかれさんでした👋
アニメに期待
俳優の演技は最高。
結末も漫画も読んで納得はしてます。
ただ終わらせ方はうーん。
アマプラも見ました。
実写化でここまでの再現度はかつて無いです。
ただ終わらせ方はうーん。
きっとみんな悩んだんだと思う。
アクア死亡エンド以外なさそうな気はする。
前半の密度と後半の失速が残念。
俳優の方の素晴らしさは言う事無いです。
さりなちゃんもルビーも凄い。
ただ終わらせ方はうーん。
もうアニメに期待です。
凄い解釈に期待。
お願いします。
斎藤飛鳥が無双状態
「推しの子」の実写化において、斎藤飛鳥さんが演じたアイは、まさに彼女でなければ成し得なかったと言えます。特に、劇中で見せるアイドルとしての輝きと、裏腹に抱える闇の表現は、斎藤飛鳥さんの持つ神秘性と繊細さが完璧にマッチしていました。他の俳優陣が霞んでしまうほどの圧倒的な存在感と表現力は、まさにアイそのものであり、作品の世界観を大きく左右するほどのインパクトを与えています。
例えば以下のようなシーン。
アイドルとしてステージ上で輝く姿: アイドルとしてのカリスマ性と、愛らしい笑顔は、斎藤飛鳥さんの持ち味と完全に一致していました。
母親としての愛情と葛藤: 子供たちへの深い愛情と、アイドルとしての活動を両立させる葛藤を、繊細な表情で見事に表現していました。
過去のトラウマに苦しむ姿: 幼少期の辛い経験からくる心の傷を、繊細な演技で表現していました。
これらのシーンを通して、斎藤飛鳥さんはアイという複雑なキャラクターを見事に体現し、作品に深みとリアリティを与えています。「推しの子」という作品を語る上で、斎藤飛鳥さんの存在は欠かせないものと言えます。
何と原作を全く知らない私が最後は涙が止まらず
原作も物語も全く知らずに観賞しましたが、最後は涙が止まりませんでした。
正直なところ、話は全く知らないので、犯人の正体や動機はよくつかめませんでした。
しかし、細かなことはどうでもいいのです。この物語は、冒頭のゴローとさりなの愛と絆が土台になっており、全てはここにたどり着くのだと思います。難病だったのか、こよなくアイドルを愛していたさりなが亡くなり、一番ふびんな思いをしましたが、ルビーに生まれ変わることで輝く人生を取り戻します。
そして、さりなを想っていたゴローがアクアとして生まれ変わり、ルビーを懸命に守り続ける構図に胸が熱くなります。
稲垣来泉ちゃんは、やはり天才子役だと思います。
「推しの子」の実写、としては100点ですが、、、
推しの子の実写版。注意しないといけないのが、劇場でやっているのは、冒頭の転生前のシーンと、隠し子発表後からラストまで、を切り取った部分だけです。
なので漫画、アニメ、アマプラのいずれも全くの未読だと、後半がさっぱり意味分からない構成になっています。
推しの子の実写版、としては100点では?と思います。やっぱ、アイドルものをガチのアイドルが演じている訳ですから、アイの齋藤飛鳥、ルビーの齊藤なぎさ、MEMちょのあのちゃんは、ガチですもんね〜。
そんななか、ロリ先輩こと有馬かなを演じた原菜乃華は、女優一本の人ですが、立派でした。彼女は天才だったかは知らないですが、6歳から子役で出ていましたし、風貌もリアル有馬かな、でした。
一方で、この作品のリアリティ度を考えると「実写にする意味ってある?」って思いました。内容ではなく、シーンのリアリティ度って、漫画やアニメの過剰な演出で成り立っているもので、実写にすると感動的なシーンほど、醒める気がします。
これだけの人気作品ですから、原作の再現度に拘っているのは分かるし、それは充分できていると思います。ただ、この作品自体が、実写には向いていないね、ってことかな〜。
キラキラ☆まとめ
流行る前にマンガを読んでいたが「恨み」…が凄くて萎えた。
ルビーが地下アイドルにの辺りで…脱落。
アニメになってヒットして、
アニメは見なかったけど、こんなの子供が見るの???って思ってた。
ただ、途中脱落者なので結末は気になってて映画は観るかどうか迷ってた所でニノが告知に出て来た…うわぁ~!こんなの犯人決まりじゃん!と思ったけどニノがどう絡むか(この辺は原作を読んでいない)気になっていて、時間が空いた時に観れる映画がこの作品だったので観た。
前置き長かったですが、
【感想】…ストーリーをキレイにまとめたなと。ドロドロ感は消してあった。
アイドルのシーンは安っぽくなるかなぁーと思ってたけど凄いキラキラ☆…普通にファンが楽しい映像になってた。
犯人は思った通りで隠しておいて欲しかった…と思いつつ、知らなきゃ見なかったかも知れないので自分的に矛盾。
ま、ニノの演技力はやはり素晴しい。
ネタバレにならない様に…って思ったけど、かなりにおう文章になったので一応「ネタバレあり」にしておきます。
よく頑張った作品だと思います。
今年の初め頃初めてのティザーが出てきた際ありとあらゆる方向からボッコボコに叩かれていた「推しの子」の実写化。
蓋を開けてみれば、納得のキャスティング(メインを若手を据えながらも脇役を要潤、倉科カナ、吉田鋼太郎など)になっており、しっかりと世界観を作れたのも良かったのかな?
SNSをうまく活用して、現実世界に新生B小町があたかも存在している様にしてるのも考えられているなと感じました。
今日で2回目を見終えた感想ですが、有馬かなの卒業コンサートでのSHINING SONGたまらなく良かったです。(映画館の音響で聞けるのは最高)
このシーンだけの為にでも数回見に行ってもいいと感じました。
かなちゃん役の原菜乃華氏はまんま有馬かなにしか見えないです。
映画は前半がアニメの一話相当になるアイとゴローの物語、後半はアマプラ続きのお話となってます。
原作、アニメと見ていますが映画では「15年の嘘」は結構端折って進んでいきます。
有馬かなや黒川あかねが15年の嘘に出演しているが具体的にどの役かは映画では言及されてないです。
物語の流れもアクアが有馬かなの卒コンを見たあと15年の嘘公開→カミキと決戦を迎えるといった形になっており、その結末自体は変わらないのですが、アクアの死体は上がらずといった形に改変されました。
そのため原作で大炎上した有馬かなのあのシーンも無い形になってます。
私はむしろ、こっちのストーリーの方が自然で良かったと思います。
もともと万人受けする作品では無いし、実写化というワードで拒絶する人も大いにいると思うけど、丁寧に作られているのがよく分かる作品となってます。
監督や原作者、演者すべての方のこの作品に対する思いがよく伝わりました。
タイトルなし(ネタバレ)
アイドルグループ「B小町」のセンター、未成年のアイ(齋藤飛鳥)が妊娠、秘密裏に出産すべく地方の病院に入院した。
主治医の雨宮吾郎(成田凌)は、研修医時代に担当した患者の少女がアイ推しだったことから、少女が亡くなったあと、アイ激推しになっていた。
出産当日、吾郎は院内に不審者を発見。
追いかけたが捕縛できず、逆に刺されて絶命してしまう。
吾郎の魂は、アイが出産した双子のひとり、アクアに転生してしまう・・・
というところからはじまる物語。
ここまで書いたあらすじは事前情報で知っていた。
正直、メチャメチャな設定だなぁと思っていたし、まぁ、そんな感じ。
ですが、吾郎が殺されるまでは、意外と映画的リアリティがある。
360度アイドル然とした齋藤飛鳥の演技、成田凌のすっとぼけた雰囲気、それらがいい。
成田凌と齋藤飛鳥のコンビネーションが、アイドル映画の虚構に妙にリアリティを与えてい、意外と引き込まれる。
さて、成長したアイの双子、アクア(櫻井海音)とルビー(齊藤なぎさ)。
ふたりは芸能界で生きていた。
アクアは俳優、ルビーは新生B小町のアイドルとして。
アクアには大きな目論見があった。
幼い頃、自身の目の前で殺されたアイの復讐、真犯人のあぶり出し。
それは、アクアとルビーの父親探しでもある。
アイ殺害事件を映画化し、真犯人であるトップアイドル・トップ俳優の父親を糾弾しようというのである・・・
と展開する物語は、フィクションをフィクションでラッピングした二重構造。
そして、真犯人をトップアイドルの二宮和也が演じるという多層構造。
(若い頃を演じているのは是枝監督作品『怪物』の若き演技派、黒川想矢)
メタフィクション的な面白さ。
フィクションの屋上屋を重ねつつ、リアルとの接点は、二宮和也以外にもある。
完成した映画の披露試写会の会場「丸の内TOEI」である。
本作の製作・配給は東映。
まぁ、製作費を安く上げるための施策なのだろうが、2階席もある東映旗艦館。
2025年に取り壊しなので、最後の勇姿っぽい。
劇中映画『15年の嘘』の看板の掲げられたショットは、同館へのレクイエムかもしれない。
同館で鑑賞すると、二重に感慨深かったかも。
シネコンで鑑賞したのですが、もう一足のばせばよかったかも・・・
レビューちょっと脱線しましたが、原作漫画もドラマもアニメ未見の身でも面白く観れました。
転生バナシはなくてもいいんじゃない?とも思ったけどね。
配役も最高!原作・アニメファンでもリピートしたい
アマプラでドラマ鑑賞後に視聴。
個人的にアイ役の齋藤飛鳥さんが好きなのでアイ役がとても合っているなと思いましたし、アイを演じるのは彼女しかいないなと思えるくらい私の中ではぴったりでした。
ルビー役の齊藤なぎささん、カナ役の原菜乃華さん、MEMちょ役のあのちゃん、黒川あかね役の茅島みずきさんなど配役がとても合っており実写はこの方々しかいないと感じております。特に原菜乃華さん、カナそのものでした。カナ推しの方は可愛すぎてキュンキュンしてしまうのでは‥私は実写版のカナ推しになりました。
シリアスで辛いシーンが多く、観てて感情移入してしまうことも多かったですが、原作・アニメファンでも一度だけではなくニ度三度観たいと思えるくらい素晴らしい作品でした。
原作もアニメも配信ドラマも知らずに見ましたが……
サスペンスとして思ったより楽しめるものがありました。
また、劇中のアイドル集団「B小町」のステージシーンも素晴らしく、映画のみならず派生する展開もあるのかな? という期待があります。
中盤から後半は二宮さんの存在感が大きすぎて、逆にアンバランスな作品になりすぎているきらいもありましたが、非常に楽しい作品だったので、他メディアの作品をちゃんと見たい気になりました。
大変面白く観ました!(ただしドラマ版は必ず観てから映画を観た方が良いかと‥)
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『【推しの子】 The Final Act』を大変面白く観ました。
一方で、ドラマ版のエピソードはほぼ映画では描かれないので、Amazonプライムのドラマ版は観てから映画を観た方が良いとは思われました。
個人的には時代の流れとはいえ、映画と配信に分けるのはどの作品でも疑問はあるのですが、ドラマ「【推しの子】」は、観てその質と志の高さに驚かされました。
ドラマ「【推しの子】」はいわば芸能批評も加えられていると思われましたが、批評に留まらず、必ず登場人物の主観に戻る素晴らしさがあったと思われます。
1人の登場人物が、客観的批評性と主観的ドラマ性を、同時に成り立たせる構成は、今まで意外になかったのではと、唸らされました。
そして今作の映画『【推しの子】 The Final Act』ですが、特に前半のアイ(齋藤飛鳥さん)が素晴らし過ぎたと思われました。
子供虐待のネグレクトを扱った作品は、今年に限らずこれまで映画やドラマで数多く描かれて来たと思われますが、アイを演じた齋藤飛鳥さんの解釈と演技は、これまでの同様題材の歴代の作品の中でもトップクラスの素晴らしさだったと思われます。
齋藤飛鳥さんが演じたアイによって、ドラマと映画を通しての【推しの子】に、作品の深さと一貫性の力強さが貫かれていたと思われました。
雨宮吾郎(成田凌さん)と天童寺さりな(稲垣来泉さん)との関係性も本当に良かったと思われました。
もうこれだけで今作の素晴らしさは達成されていたと思われ、なので称賛だけを言いたいところですが、映画の後半に問題がなかった訳ではないとは、一方で思われました。
映画の後半の問題は、細かくは私的には4点あったように思われます。
まず1点目の後半の問題は、後半で描かれたアイのドキュメント的な再現映画(「15年の嘘」)に対する、批評的(批判的)な目線がなかったことです。
(ドキュメント的な再現映画への批判的批評性は、当然、一般論として可能だったと思われます。)
ドラマ「【推しの子】」は、優れた点の1つに、上でも触れた芸能批評がありました。
そのドラマ版にはあった批評的メタ視点が、今作の映画の後半には(すなわち映画を通して)なかったと思われました。
そして、(ドラマ版にはあった)批評的メタ視点の欠如は、作品としての後半の重層性が薄まった要因の1つだと思われました。
もちろん作中映画「15年の嘘」は、ドラマ版で描かれた芸能の話ではなく、星野アクア(櫻井海音さん)が、カミキヒカル(二宮和也さん)をおびき寄せる為に仕掛けた策略の一環でした。
となると、(批評的メタ視点でなく)カミキヒカルをどのように作中映画「15年の嘘」でおびき寄せることが出来たのか(出来なかったのか)、を描く必要があったと思われます。
ところが、作中映画「15年の嘘」(の制作)によってどのようにカミキヒカルをおびき寄せられたのか(られなかったのか)、今作の映画ではしっかりと描かれていなかったのではないか?との疑問は持ちました。
それが2点目の映画後半の問題だと思われました。
もちろん、カミキヒカルは星野アクアの上手を行って、あえて作中映画「15年の嘘」に出資することによって、逆に出し抜くために星野アクアに近づいたのだと思われます。
しかし後半のカミキヒカルの星野アクアへの接近と出現は唐突に思われ、作中映画「15年の嘘」の制作の意図から来る星野アクアとの対立ドラマ性は薄れた印象を持ちました。
3点目の映画後半の問題は、映画の構成の問題から、星野アクア/雨宮吾郎の、アイと、星野ルビー(齊藤なぎささん)/天童寺さりなとの、思い入れのバランスが、ドラマ版と映画版で若干変わっているように感じる所です。
ドラマ版では、ほぼアイが殺された所から始まり、アイを殺した復讐を軸に話が進んで行きます。
ところが、今作の映画では、前半に雨宮吾郎と天童寺さりなの関係性が重きを持って描かれ、ドラマ版で描かれた(映画の前半と後半の間に当たる)アイを殺した復讐への想いの積み重なりが抜けています。
そのために、映画を観ている観客からすると、星野アクア/雨宮吾郎が、映画の後半で(映画の前半と違って)あまり星野ルビー/天童寺さりなに重きを置いていない(アイへの想いに重きが変わっている)ことに、若干のズレを感じてしまったと思われるのです。
この映画の構成での、星野アクア/雨宮吾郎が、映画の後半であまり星野ルビー/天童寺さりなに重きを置いていない、映画の前半との関係性のズレは、ドラマ版を観ている私からしても感じたので、仮にドラマ版を観ていない観客なら、なぜ後半で星野アクアは星野ルビーをもっと大切に扱わないのだろうか?との、違和感を持ったのではと思われます。
そして4点目の映画後半の問題ですが、カミキヒカルがなぜ殺人も厭わない人間になったのかの、解明が深くまでされていなかったのでは?との疑問があったと思われました。
アイは、どこか自分と似ているカミキヒカルを(自分たちの子供に会わせようとするなど)救おうとしていました。
しかしカミキヒカルは、星野アクアへのインタビュー場面で「違うんだよなぁ」と、アイと自分が似ている(同じである)ことを否定します。
すると(映画前半でアイの本心の底を解明したように)カミキヒカルがなぜアイとは違うのかを、映画の後半で解明する必要があったと思われるのです。
もちろん、カミキヒカルは幼少期に性的な虐待を受けています。
しかしながら、幼少期の性的虐待は、人を殺さないと生きていけない人物になる、必然の条件ではないと思われます。
すなわち、幼少期の性的虐待のさらに奥の(人を殺さないと生きていけない)カミキヒカルの奥底の解明が、映画の後半では必要だったと思われるのです。
私は原作は未読なのですが、カミキヒカルの解明が奥底まで原作でも達していなかったのでは?と推察します。
なぜなら、ドラマ映画を通しての志の高さしか感じなかった今作の制作・監督・スタッフそして俳優陣の皆さんからすると、原作でカミキヒカルの解明が奥底までされていたのであれば、その描写が映画の中で成されないのはあり得ないと思われたからです。
ただ、これら個人的に感じた、映画後半の4点の問題は、ドラマ版や映画前半の図抜けた素晴らしさからの差で感じた問題で、決して映画全体を通しての致命的な問題だとは一方で思われていません。
カミキヒカルを演じた二宮和也さんも、与えられた構成の中で素晴らしい存在感ある演技をしていたことは一方で強く思われています。
カミキヒカルの解明が奥底まで達していて、星野アクア/雨宮吾郎の星野ルビー/天童寺さりなとアイとへの想いのスムーズな移行が構成されていれば、映画前半の図抜けた素晴らしさと合わせて、おそらく今年を代表する傑作映画になっていたと思われます。
しかしながら、映画後半の私的感じた問題を差し引いても、今作の映画『【推しの子】 The Final Act』は素晴らしい秀作だったと思われます。
俳優陣も、ドラマ版含めて皆さん素晴らしかったと思われます。
そして、スミス監督の(ドラマ版のみの松本花奈 監督も含めて)センスと人物描写の深さと志の高さは、他の作品も観てみたいと思わせる素晴らしさだったと、僭越ながら思われました。
まあ、実写化ってこんなもんだよね
原作漫画、アニメ、ドラマ、全部完走した上で視聴しました。
実写化映画としては、普通によくできてると思います。特に俳優さんの演技がとても良かったですね。
ストーリーは、2時間枠に収めるためにバッサリ切り捨てていますが、まあ何とか物語としては成立しています。とはいえ、一本の映画だけでは成立しておらず、原作漫画やアニメ、そして何よりアマプラのドラマを見ていることが前提になってるので、単品で映画だけ見ても意味不明な点が結構あると思います。
原作漫画から追ってる私としては、些細な改変で肝心の主題がボヤけてしまっているのが残念でした。
最大の改変点は、アイが出産前にヒカルを明確に振っていない点です。つまり別れ話が、本当は「ヒカルへの愛」からついた「嘘」であるという物語の根本部分が改変されているのです。おかげで、劇中劇の「15年の嘘」が一体何を示しているのか意味不明になってますし、「嘘は愛だよ」というテーマがボヤけてしまっています。
また、カミキヒカルが、実行犯に具体的に教唆してしまっているので、普通に警察に訴えて逮捕できる点も違います。原作では、教唆にもならない程度の仄めかしで実行犯を操り、自身は何の罪も被らない知能犯で逮捕できないからこそ映画を作ったのに、単なる犯罪者になっていました。映画を作る意味も、ヒカルに社会的な制裁を加えるためになってました。これも物語の根幹に関わる改変でしょう。
ラストシーンも微妙に改変されていて、アクアがカミキヒカルと心中するのは同じですが、アクアが計画的に行ったのではなく、映画を見たカミキヒカルが、アクアを刺してルビーを誘拐したので、アクアはルビーを守るために咄嗟にヒカルを道連れにしたというストーリーになっていました。つまり「カミキヒカルが絶対悪で、アクアは悪くないよ」って強調されていました。しかもアクアの死体は見つからなかったことになっているので、生存フラグも立ててありました。
この辺の改変は、原作より映画の方が納得しやすいですね。
あと、途中でカナちゃんの引退ライブをフルコーラスで延々流されたのもちょっと微妙でした。その尺があるなら、他にも入れられたエピソードがたくさんあったのにと思います。
しかも同じ曲をエンディングでも使用して、フルコーラス2回目で流石にうんざりさせられました。せめてエンディングの映像が、アイとルビーの共演とか、アイドルになったサリナちゃんを応援してるゴロー先生とか、実は生きてたアクアが覆面して応援に来てるとか、「有り得たかもしれない優しい嘘」のエンディングだったら良かったのになーと思いながら見ていました。
全体としては、「まあ実写化ってこんなもんだよね」って感じの映画でした。出演している俳優さんのファンで、推しの子を何となく知っているような人にはお勧めできる映画でした。
逆にいうと、出演者に興味がない人とか、推しの子のガチのファンにはあんまりお勧めできませんね。
単品の映画としても成立してないので、全体として星3にしておきます。
蛇足
ここからは完全な私の邪推なんですが、原作漫画の酷評されてる最終話、映画の影響って可能性はないですかね?
映画を盛り上げるために、映画公開直前に原作を完結させるようにって圧力があったために、時間がなくてダイジェスト最終話になったとか・・・。
あるいは、映画の方が先に撮り終わってて、映画の最終話を試写会で見てた原作者が、描きたかったテーマが蔑ろにされているのを見てやる気を無くしたとか・・・。
まあ、完全に私の邪推なんですけど、実写化に伴うアレコレを描いた本作だけに、「アレコレ」あったんじゃないかなーと邪推してしまいました。
まさかの星野アイの実写化と、工夫された力作 ※後半に重要なネタバレを含みます
普段それほど映画は見ていませんが、原作は読んでいたので、つい実写化の感想を書きたくなりました(ドラマは全部視聴済み)。
※4に終盤の重要なネタバレを含みます
1.まさかの「星野アイ」の実写化
正直、最初に実写化と聞いた時は、漫画で描かれる「究極のアイドル」を実写で描くなんて無謀だという第一印象で、まして「アイの生い立ちや子育てに実は悩んでいる姿なども含めて現実的な面を描き、アクア・ルビーの父親との実際の様子にも踏み込んで描く」みたいな情報がもしあったら、それだけで炎上したんじゃないかと思うくらいですが。それが実際に説得力をもって実現したと感じられたのが、まず何より驚きでした。
もともと原作(特に初期の)そのものではなく現実的な様々な面を織り込んで描くという方針で作られたということではあるけど、それにしてもドラマ版と合わせてこんなに見事に実写化されるとは。演者のことは失礼ながら事前には全然知らなかったのですが、こんな適役の方が現実に存在したのか、と感じたくらいです(もちろん演出や撮影等々いろいろあってのこととは思うけど)。
2.ライブシーンが素晴らしい
次に印象に残るのは、やはり劇中に出てくるライブシーンです。つい映画館の音響で何度も観たくなり、実際2回観てしまった。
3.実は多分、初見の人向けのストーリー・脚本
ストーリーは、前半でアイ・アクア・ルビーの姿が(その手前の雨宮吾郎も含めて)2人の父親も見え隠れしながらじっくり描かれ、後半では成長したアクア・ルビーが復讐を遂げるのか、それとも…という筋道がはっきりしています。これはかなり徹底していて、原作やドラマを知らない人のための工夫かと。
もちろん先に原作やドラマを知っていればいろんな見方ができるだろうけど、予備知識を持っていたほうがいいのは、恐らく
・ルビーはアイの遺志を継ぐつもりで「新生B小町」でアイドル活動をしていて、他のメンバーは「有馬かな」と「MEMちょ」
・「黒川あかね」はアクアが(復讐の手段として)芸能活動をしている間に出会い、いろいろあった天才若手女優で、ルビーとも親しい
くらいです。この3人の顔と名前は一致したほうが分かりやすいだろうけど、あとは本当に予習しなくて問題ないと思います。(逆に原作を知っている人のほうが、良くも悪くも途中でいろいろ引っかかる可能性はあるかと。)
筋がはっきりしている分、重いテーマがむき出しになってしまっている感はあるけど、テーマに(あるいは演者にでも)興味があるなら、そのままストーリーに入っている作りになっていると思います。もし、原作やドラマを知らない・まだ見ていないというだけで敬遠している人がいたら、それはもったいないと個人的には思います。
(あと細かいことで言うと、例えばアクアの前世は明確に描かれるけど、ルビーについては実はぎりぎりまで描かれていなくて、(もちろん原作を読んでいる人は知っているし、察しの良い人は気づくだろうけど)予備知識のない人には謎解き的な要素になっているかと。これも1つの工夫と思われます。)
4.原作との違い(実は多分かなり挑戦的な脚本)
※これ以降は、終盤についての重要な(と私が思う)ネタバレを含みます
原作との違いや映画で描かれていないシーンはもちろんいろいろあるのだけど、個人的に気になるのは、まずラストのルビーの姿です。アイとアクアの写真に挨拶するのは原作どおりだけど、それだけでなく新生B小町の写真(有馬かなの引退公演など)もまるで思い出のように飾っていて、そしてルビー単独名義でステージに向かっている。
多分、ルビーもB小町を引退し(あるいは解散し?)、1人で大舞台に立つという意味で、これは原作を普通に読んだらまず誰も考えないラストだろうと思います。
もう1つ意外なのは、MEMちょが唐突に結婚を発表するシーン。これも普通は想像しないだろうと思います(ただ、恐らく元になっているのは、原作で年齢詐称疑惑を自ら暴露する話かと)。
なぜこうなったのかというのは、勝手な解釈ですが、登場人物たちを現実の生身の姿に寄せて描くというのが(アイの描き方も含めて)映画版のテーマなのではないかと。
原作では、ルビーがB小町の看板を背負ってアイの遺志を継ぎ、現実にはいそうにないほどの、物語の登場人物のようなスターになっていく姿が描かれますが、映画版では、逆にB小町からも解き放たれて、本当に自分自身の人生を歩んでいくというメッセージなのだろうかと思います。(MEMちょの結婚のほうはもっと分かりやすく、アイドルや芸能人にも自分の人生があるという意味だろうし。)
もう1つはカミキヒカルの描き方です。原作では、絶対的な悪役ではあるけどカリスマ性もあり、ある意味ではアイに強く囚われている人物の1人なのだけど、映画版では、不幸な過去があるとはいえ、ただ救いがたくどうしようもない、目的もなく目についたものを台無しにしようとするだけの人物として描かれている(内心はともかく、表に現れた台詞上は、アイに執着しているのかどうかすら分からない)。正直個人的には、映画版の中では一番飲み込みにくい改変の1つだと思います(演者の熱演は間違いないのだけど)。
しかしこれも勝手に解釈すると、不幸にもこういう人物も現れてしまう現実のやりきれなさ、身も蓋もなさとでもいうものを描いて、しかしこの人物がいなければアクア・ルビーも生まれておらず物語が始まりもしなかった、という割り切れなさを示しているのかなあ、などと何となく思います(元ネタがあるとすれば、ひょっとして原作139話あたり?)。
映画の中でキーワードの1つになる「全部あいつのせいだ」という台詞と合わせて、賛否両論はかなりあるんじゃないかと思うけど、個人的には考えさせられるところです。
全体として、大筋では原作に従いつつも、原作で描かれる物語とは違って実写ならではの現実的な面やそれに基づくメッセージをいかに出すか、という面を多分相当工夫して作られた(しかし恐らく原作からかけ離れているわけでもなく、元になるシーンやテーマを見い出すこともできる)、部分的にはかなり挑戦的なストーリーなのではないかと思われます。普通にイメージする「原作に忠実に」とは違うけど、原作をリスペクトして作られたというのは決して嘘ではないと個人的に感じました。
ここで書いたのは私の勝手な解釈に過ぎないけど、原作との対応を探したり考えたりするのが好きなタイプの人にも楽しめる作りではないかと思います。
5.まとめ
ここで書いた以外にも、演者はみな熱演だし、力作なのは間違いないと思います。
それにつけてもライブシーンをまた観たい。
※2025年1月5日追記
原作との違いで特に感心したり考えさせられた点を、個別に付け足しておきます(長すぎる上にほぼ憶測なので最初は控えたのだけど、つい書きたくなり)。
・「全部あいつのせいだ」という台詞
これは映画オリジナル(どころかドラマ版にすら出てこない)台詞で、賛否両論あると思わるのは先に書いたとおりですが、これをルビーが一度は怒りを抑えきれずに演じ、その後は笑顔を作って演じる(そして実際のアイの様子は多分どちらともはっきりしない)というのは、ストーリーを明確にする印象深いシーンなのは確かだと思います。
それだけでなく、実際の事実はもう分かりようがないけど、それでも何らか本当のことを探して必死に演じるという姿は、場面は全然違うけれど原作でルビーと有馬かなが身を削って感情をぶつけ合うシーンと通じるものがあり、原作の映画製作編の醍醐味の一端を伝えているような気がします。
(この原作のシーンを演者たちがどう演じるのか見てみたかった気もするけど、ないものねだりをしても仕方ないので)
・ルビーがアイの演技を最初からほぼ完璧にできてしまうこと
これはストーリーの流れをコンパクトにするだけでなく、ルビーの前世の生い立ちも示す見事な再構成(さらに黒川あかねが原作では両親に恵まれていることも思い起こさせる)だと思うけど、原作には、ルビーは最初は演技に苦しんでいて、ふと鏡を見て(カツラと衣装でアイそっくりに見える)、実はアイも苦しんでいたのでないかと気付いて演技が変わるというシーンがあります。
この鏡を見るシーンは、恐らく別の場面で応用されていて、ドラマ版4話の冒頭でアイが「プロの笑顔」(つまり作ったような笑い方)というコメントを見て悩むが(ここまでは原作にもほぼ同じシーンがあるけど)、その後にアクア・ルビーの世話をしてからふと鏡を見て、自分が自然な笑みを浮かべていることに気付くというシーンではないかと思われます。原作とはちょっと違う形で、アイの人間的な面をうまく表したシーンのように思います。
(その感情をカミキヒカルに何とか伝えようとした結果がああなったのかと思うと、ひたすらやり切れない)
・アイとカミキヒカルの関係
原作では、ここは劇中映画の脚本を書いたアクアにとっても情報が何もなかったので、完全な創作ということになっており、後でカミキヒカルが「そんな関係ではなかった」とコメントするような内容になっています。
映画では、具体的描写は少ないとは言え、(驚いたことに)多分そのコメントのほうを描いているように思われます。さすがにこの話題の感想を具体的に書くのは控えますが、それほど生々しい感じではなく短時間とは言え、よくそんなことまで(キャスト選定を含め)描こうと思ったなあ、と感じました。
このあたりからも、多分よほどの検討を経て原作のテーマや個別のシーンを再構成しているのではないか、と個人的には思うところです。
「推しの子」推し
最初はアニメ版。事前情報なしに配信で1話目を見て、そのダークな内容にマジで驚き毎週の楽しみに。実写化のニュースでは期待より正直残念感を感じたのだが、配信ドラマが始まると思いの外の面白さにハマった。役者は、ルビーと黒川あかねが当方イメージと大きく違ってて困ったが、櫻井海斗と原菜乃華(新推し)のはまり具合が全体を引っ張り、楽曲の良さも相まって満足なレベルで配信版完結。
ここで原作を大人買い、ラストまで読み終えた形で劇場版鑑賞に行くマタゾウの真面目さよ。
劇場版では上手にまとめたとは思うが、後半勝手にもっとオリジナルな展開を期待してしまっており、結果は想定内な感。ニノ、と書くと原作的にややこしいのだが、二宮和也は憎たらしい役をさすが上手にこなして良かった。やはり後半どんどん重要性を増すルビーの力不足感は否めない。誰だとハマったのかな?
ところでアイの齋藤飛鳥は明るいイメージなく最初大丈夫か?と思っていたが、櫻井海斗と齊藤なぎさより目上であったことは脳内的には良かった。そして繰り返すが原菜乃華の有馬かなは役柄通り表情も深い演技巧者で、もっと見ていたいと思わせてくれた。
うーん
悪くはないがめちゃめちゃ良かったとは言いづらい。
原作アニメ共に全部みて、
実写ドラマのみ未視聴でした。
原作とは改変されたラストでしたが、
最終的には似た形に。
終わり方、流れとしては、実写の方がすんなりと分かりやすかった気がします。
原作読んでないと少し置いてかれる部分があるだろうな、という気はしました。
映画としては良かったので、原作読んでからの映画視聴がオススメです。
個人的には、泣けるシーンがなかったので
泣ける演出があったら良かったと思います。
二宮くんの演技は狂気じみていて良かったですが、尺の関係で、少なめでしたし、原作みてない人でしたら、
結局どーゆう人なの?と、なりそうでした。
もう少し全体的に説明だったり、
このシーン長く取って欲しかったなーが多かったです。
ライブ映像シーンは良かったです。
推しにて
衝撃の導入から始まった原作、しかしどんどん大変な方向へいってしまい荒れてしまった終盤。
改めて1つの作品を完結させる難しさを感じさせられました。
そしてまさかの実写化。
流石にヤバいだろ…と思っていましたが意外や意外、原作のエピソードをうまいこと抽出しつつ、それでいて実写に対するアプローチだったりがとてもしっかりしていて楽しめました。
ただこの尺で行くなら残りもドラマでやれば良かったのでは…?という気持ちを抱えつつも劇場IN。
特典はメンゴ先生の書き下ろしチケット風カードでした。
なんか尺の使い方がハチャメチャだな〜と思いました。
前半はドラマを簡単にまとめたものと産婦人科時代の吾郎を交えながら描くのですが、現代パートはドラマでしっかりみたのになぜまた流すんだろうと疑問に思いましたし、原作やアニメやドラマに触れてない人用だとは思うのですが、ドラマやりまっせと言ってる作品なのでそもそもの間口が狭いですし、大方の人は予習してると思うのでこの配慮は正直邪魔かなーと思いました。
このドラマで3〜40分消費してしまったがために、アイの実子である事を明かしてからの映画制作のエピソードがどうしても駆け足になってしまい、取捨選択の上手かったドラマからは一変、ツギハギだらけのガタガタな構成になってしまったのが残念でした。
映画作りの過程でのカミキヒカルの行動だったり、アクアとルビィの対立だったりも取ってつけた感が否めず、原作をそのままそのままやってしまっているのが映画では裏目に出てしまったかなと思いました。
原作の終わり方もあってか結末周辺をどう改変してくるのかというところに期待していたのですが、無難になぞって安易な終わり方に持っていくという刺激の無い分かりやすいものになってしまっていました。
カミキヒカルも登場シーンがそこまで多くないせいか異常なんなけど表面的なだけだからキャラクターへの深掘りができてなかったのも惜しかったです。
モノローグで全部説明するってのはまぁしゃーなしと思っていたんですが、死んだはずのアクアが全部語るのは違和感しかなくて、遺言的なものを残すならまだしも自分の遺体が見つからなかったという事を自分で言うもんですからどの次元の話なんだ?とこんがらがりました。
B小町のライブシーンは素晴らしかったです。
しっかりとライブらしい迫力のある映像になっていましたし、お三方とも振り付けや立ち位置もバッチリこなしていてお見事〜ってなりました。
鑑賞日 12/23
鑑賞時間 15:40〜18:05
座席 E-13
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