旅人の必需品のレビュー・感想・評価
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「ホン・サンスが描く虚飾のある人と超然としている人」
月刊ホン・サンス第一弾作品
監督・脚本・製作・撮影・音楽・編集
全部ホン・サンス一人
出演:イザベル・ユベール、イ・ヘヨン、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ
5カ月連続でホン・サンスの新作が見れる
月刊ホン・サンスの始まりです。
【映画感想文)
この映画は大きく二つの構成になっている。一つ目はイザベル・ユベールがフランス語を教える二組の姿。二つ目は彼女のボーイフレンドの母親がボーイフレンドの家に来きたときの二つに構成されている。この二つをつなぎ合わせるのは「この人は何者か」という問いである。
フランス人が韓国人にフランス語を教えている。フランス語を教える資格は持っていない。お互いの会話は英語でおこなわれ、一つの事象をきっかけに「なぜそう感じたのか」を問い続けていく。問われた方は「気持ちがいい」と答えるが、再度「なぜそう感じるか」と問い続けていくうちに、問われた者はついに「イラついて自分を不快に思う」という結論になる。その気持ちをフランス語で詩にしてメモに書きその言葉を覚えろという。フランス語の教え方はそれだけだ。
この教え方でその日にもう一人教える、まったく同じやり方で。「なぜそう感じるか」の問いかけも同様で相手の反応もまったく同じになる。その時、映画館には笑い声がおこり、ホン・サンスらしいなという空気が流れていた、
この教え方は、語学を教えているより哲学の授業のようだ。なぜを問いつめるというのは、その人の本質に深く踏み込んでいき、その人を裸にすることだ。
教師役のイザベル・ユベールはマイペースで淡々と問いを重ねていく。感情の変化はまったくない。一人目の授業が終わると料理屋に入りビビンバとキムチを食べマッコリを飲んでいる。まったくのマイペースであり、なにか超然としている。
二人目の授業のとき、奥さんと旦那さんがいて、マッコリをガブガブ飲みながら、奥さんに問い続ける。また教える資格を持っていないこと、初めて教えること、自分で考えた教え方だとあっさりと白状し相手から実験台だと言われても表情一つ崩さない。
ホン・サンスは、二組の問いかけ、答えの間、いつもの長回しで会話を撮り、緊張感とユーモアを維持し、相手の感情が微妙に変化していくのをきっちりとフィルムに収めている。ただ相手にしてみれば、マッコリを飲み続ける「この人は何者か」と問いたくなるだろう。
ボーイフレンドの家に帰ってきて教えた対価が思ったより多く、二人で喜んでいるシーンから一転、彼の母親がやってきて、イザベル・ユベールは部屋から姿を消す。
母親は息子に女性のことを問いつめる。そうまさにイザベル・ユベールがフランス語を教えていたように息子に「どのような人か」「何をしていた人か」「あなたはその人を何も知らない」と問い続けるのだ。ただ面白いのは息子が母親から問われるごとに彼女の実態がよりはっきりしてくるだけだ。彼女はまさに「今の彼女」だから好きなのだと。
イザベル・ユベールが超然として「今、存在している」その彼女が好きなのである。つまりどんな過去があったにしても「今、存在している」彼女が魅力的なのだ。それ以外の理由はない。ここにホン・サンスが人を愛する本質の姿を明確にしている。
ほとんどの人は、問い続けられるとどんどん自分の本質に入っていき自分をさらけ出していく。しかしイザベル・ユベールは、すでに存在していることによってすべてをさらけだしてしまっているのだ。虚飾もなにもない人、本質だけで生きている人だから魅力的なのである。イザベル・ユベールの本質が、二人が出会った時とおなじようなラストシーンに見事に描出されている。
ホン・サンスは問いかけという哲学的アプローチで人間をじっくり見せることによって、まとっている虚飾を見せつけ剥がし丸裸にする。ただ一人イザベル・ユベールは、詩とマッコリとボーイフレンドと煙草を愛し、ただそれだけで超然と存在している彼女の素の美しさを見事にスクリーンに投影していた。
観る者ごとに空想させ、感じさせる造りの映画
韓国ソウルに旅しているフランス人女性イリス。彼女は一風変わった教え方でフランス語の個人レッスンをしており、まずは教え子の若い女性とのやりとりからスタート。
次いで初めてレッスンをする夫婦のもとを訪ねる場面へと展開し、その後同居させてもらっている年下の韓国人男性住のアパートに戻る。そこで男性の母親が突然訪ねてくるいう流れで展開。
登場人物との会話の端々、心の機微から、それぞれの人生や生活が一体どのようなものであるのかを観る側に想像させるような造り。
教えている相手はいずれも裕福、韓国人男性は中流といった印象を抱かせ、韓国社会におけるヒエラルキーも作品の中に散りばめられている。
公園で下手なリコーダーをおかしな旋律で吹くイリスと出会い、同居を決意したという男性は詩人。イリスは詩に対する興味が深い。
イリスの下手なリコーダーに対して、それぞれの登場人物が楽器を一定以上の技量で奏でる場面があったり、イリスはマッコリが大好きで、昼間からマッコリを飲むシーンが頻繁に出てきたりという演出など、特徴的なシーンを混ぜ込んでいる。
そんな所からも全編にわたって不思議な空気感を感じ、観る者によって見方、捉え方が異なるよう造られている。
イリスは自由で謎めいた存在。ストーリーらしきものはなく、それぞれの関係を淡々と描いた映画。ホン・サンス監督作品は初めてみるがその独特な造りに驚く。
日常に潜む不思議な心の揺れのようなものを、観る者ごとそれぞれの視点で想像させ感じさせられる。監督に遊ばれている感じさえするインディペンデント映画作品。
鑑賞後、ホン・サンス監督映画の世界観の一端を観たという印象が残った。
一昨日観た「旅の日々」そしてこの「旅人の必需品」ともに、起伏の緩い、ゆったりとした流れの作品。歳を重ねた今だからこそ、ほっこりしながら、観ることが出来た気がする。
必需品ってなんだったんだろ?
不思議なことが起きている。
2024年。ホン・サンス監督。フランス人の女性が韓国人にフランス語の個人授業をしている。教科書も教える資格もないが、相手との会話を元に相手の感情を引き出し、それをフランス語にして詩のような短文をつくり、それを何度も暗唱しろうという。表現されるものと表現するものの関係をしっかりつかんでから言葉を使うのではなく、暗唱するほど唱えることで言葉の「表情」や「感覚」を腹に落とすということか。日本でもかつて寺子屋ではそうやって論語の素読をやっていたのだから、ことさら変わった教授法ということではないが、単語と簡単な構文から始める語学学習の正規の手順(最初はかなりばかばかしい文章を学ぶことになる)とは大きく異なっている。韓国の詩人の詩もでてくるので、言語について自覚的・反省的な映画であることは一目瞭然だ。フランス語をマスターしようというよりは、言語とは何か、言語を学ぶ過程を楽しく充実させることができるのではないかという問題関心があるのだろう。
ところが、不思議なことがおこる。あるお金持ちらしきお嬢様との個人レッスンが終わった後、遣り手の女性経営者を相手にした時、まったく同じ会話を元に、まったく同じ感情を引き出し、まったく同じ文章を与えているのだ。監督のことだから、またメタ映画(映画についての映画)か、演技とは反復だってこと?、などと思ってみていると、さらに、フランス人女性が転がり込んでいる若い男のアパートの描写となり、そこに男の母親がやってくるというシチュエーションになっていく。言語の映画だと思っていたものは、とたんに主人公自身に人間性に脚光が当たりだす。
70歳を超えているイザベル・ユペールが、どうみても40代に見える。これがまず衝撃的にすごいことだ。そして、マッコリを飲むこと、激しく言い募ること、という監督の映画に欠かせない場面もある。これもまたすごいことだ。
正体不明に見えるイザベル•ユペールのあやしさ(怪しさ+妖しさ) のもとは正体をさらけ出して生きているから? 人間の本性を暴いてくれそうなホン•サンスの沼にハマってゆきそう
実は私には外国語学習オタクみたいなところがありまして、大学を卒業してから現在に至る50年弱ぐらいの間に、ふと思い立ってNHKの TV•ラジオの語学講座のテキストを買って学習し始めた経験がある言語が英独仏西伊露中韓の8言語あります。このうち、比較的使用する機会に恵まれてまあなんとかなるレベルの英語•中国語以外は、年度始めの4月号のテキストを買って始めてはみたものの6−7月あたりには棒を折ってしまうというのをそれぞれの言語で何年かの間をおいて繰り返すといった感じで続けて(?)おります。
さて、この映画の中心にいるのは、韓国を旅している謎めいた年配のフランス人女性イリス(演: イザベル•ユペール)です。彼女は韓国語を話しませんから、ローカルの人たちとの会話はもっぱら英語です。ということで、これは主演にフランス人女優を迎え、韓国のソウルを舞台にし、劇中の主要言語が英語の韓国映画ということになりまして、語学オタクの私はそれだけで興味津々です。この映画では登場人物それぞれが自分の母語でない言語でコミュニケーションを図る際に、きちんと制御できる母語では言わないような内容がそこかしこに出てきて、妙なおかしみを感じさせます。
また、イリスは異国での生活費を稼ぐためにフランス語の個人レッスンをしているのですが、その教え方が秀逸です。生徒との対話を通じてその感情を引き出し、その内容からフランス語の詩めいたものを作り、それを生徒に暗唱させようとします。これ、外国語学習法としてはけっこういいセン行ってるんではないでしょうか。まあ、これだけではダメであくまでも学習の一部分として、といったところにはなりましょうが。昔、ビートルズの「涙の乗車券」”Ticket to Ride” の歌詞を暗唱したのを思い出しました。そこには ”She don’t care” なんて破格の英語の歌詞が出てくるので、文法はちゃんと基本を学ばなくては、ということになります。そう言えば、私が中学二年の頃にヒットしてたCCRの「雨を見たかい」”Have You Ever Seen the Rain?” は文法的にもちゃんと合っていて、当時習っていた現在完了の経験用法を一発で憶えることができたなと思い出しました。閑話休題。ここでイリスが怖いのは、ひとり目の被験者(レッスンの生徒のことなんですけど敢えてこの言葉を使ってみました)とふたり目の被験者が同じような反応になることから、彼女が外国語のレッスンを通じて洗脳めいたことをしているのではないか、と感じられることです。まあでも、マッコリを呑みながら、天真爛漫に本能のおもむくままに行動しているだけのようにも見えますが。
あと、イリスはかなり年下のボーイフレンドと交際しているのですが、たまたま息子を訪ねてきた彼の母親と鉢合わせしてしまいます。母親は自分より年上の女性の存在にびっくりして、イリスが不在のときに、彼女についていろいろと息子に尋ねます。母親から、どんな人か、過去に何をやってきた人か、とか尋ねられ、あなたは彼女のことを何もわかってないと揺さぶりをかけられても、息子は今の彼女が好きみたいです。ここで私の頭にはまたもや「洗脳」というキーワードが浮かび、イリスが若者を洗脳しているのではないか、とも考えたのですが、彼女にはそんな意図はなく、自然に本能のおもむくままに行動していたら結果的にそうなっただけなのかも、とも思います。彼女は非常にあやしげな存在ではありますが、実は逃げも隠れもせず自分の現時点での正体をさらけ出して生きているのではないか。そして、コミュニケーションの手段として彼女にとっては外国語である英語を使っていることと、彼女が旅人で周囲の人たちと異なる文化的背景を持っていることが、その生き方に大きく寄与しているのではないかと思いました。
で、タイトルの「旅人の必需品」のことです。韓国語の原題は知りませんが、英題は “A Traveler’s Needs” です。邦題の「必需品」は少し訳し過ぎの感じで、旅人に必要なこと、あたりの意味とすればよいのでは、と思いました。そうすると、イリスのように自然体で素直に自分を出してゆくことあたりが旅人に必要なことになってくるのかな。まあでも “Needs” と複数形になっているので、好きに解釈したらいいと思います。現地のうまい酒でもいいし、美味しい料理や友人、恋人なんてのもありかも。いずれにせよ、今回のイリスは必要なことをうまく確保していて「無敵の旅人感」があったように思います。
ホン•サンス監督については、私、これで4本目あたりでまだまだ初心者ですが、だんだんと「洗脳」されてきているのかもしれません。けっこう「食えない人」というか「人が悪い」タイプだと思っています。人間の本性みたいなものを見せるにあたって、他の監督なら劇的な展開にするところをあくまで自然に淡々と撮ってしまう、みたいなところがあって油断出来ません。「別冊ホン•サンス」で紹介される作品も私にとっては未見のものばかりですし、「月刊ホン•サンス」のほうでも毎月新作が公開されるということなので、これから数ヶ月、「ホン•サンス沼」にハマってゆきそうです。
ホン・サンスオールスター勢揃い。
じわじわ広がる面白さ
韓国の名匠ホン・サンス監督とフランスの至宝イザベル・ユペールが融合した作品でした。イザベル・ユペール演ずるフランス人女性が東アジアに来て、若いツバメと恋仲になるというのは、日本を舞台にした「不思議の国のシドニ」と同じ構成。ただ日本を「不思議の国」として描いた同作とは異なり、本作は普段着の韓国を描いていて、その点では大きく異なっていました。ただ、静の中の動という雰囲気は似通っていたように感じられました。
特に本作はじわじわと広がる面白さが特徴でした。深層心理をフランス語にして繰り返し音読するという独特の方法でフランス語を教えるイリス(イザベル・ユペール)が、意識高い系と思しき韓国女性2人にレッスンする様子は、お笑いで言うところの”天丼”の手法で、噛めば噛むほど面白さが滲みだしてくるようでした。また、若いツバメであるイングク(ハ・ソングク)の母親(チョ・ユニ)が、自分より年上のイリスに息子を取られたことに対して嫉妬する姿や、母親の嫉妬する姿を見て芋を引いてしまうイングクの姿なども、人情の機微を捉えた絶妙の展開であり、これをさもありなんと思わせるような表情や仕草で表現した俳優陣も印象的でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.2とします。
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